・ グスタフ・クリムトと、 黄金衣装背後の女性、エミーリエ・フローゲ

グスタフ・クリムトの黄金の衣装を纏った女性たちの絵、
ちょっとエキゾチックな文様でもあり、また日本の琳派にも通じる様な
文様と金の輝きを持つ絵画、きっと皆さんもお好きでしょう?!

代表的なのは、この「接吻」  1907-1908  180x180cm

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これは男性には興味が無かったというクリムトが描いている男性で、
しかも女性はエミーリエというので、顔は見えませんけどクリムトの自画像、
でもある訳で。



そして「黄金の女」とも称される「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像 1」
1907  138x138cm

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この絵の所有権を巡っての逸話も映画になり、ご覧になられた方も多いかと。


shinkaiめも、クリムトの絵は勿論、あの背後の黄金文様も大好きで、
「黄金の女」の実物は知りませんが、「接吻」を見に、ウィーンの
ヴェル・ヴェデーレ宮殿にも行きましたっけ。

で、今回見つけた記事は、クリムトの長い年月の伴侶でもあり、愛人でもあった
エミーリエ・フローゲ・Emilie Frogeについてで、
 
Emilie Flöge: la sconosciuta Stilista dietro gli Abiti dorati di Gustav Klimt
エミーリエ・フローゲ:グスタフ・クリムトの黄金衣装の背景にいた
知られざるスティリスト  を主に、
     
CHI ERA EMILIE FLÖGE, LA RIVOLUZIONARIA DESIGNER DIETRO (E DENTRO) I DIPINTI DI KLIMT

ウィキペディのイタリア版も参考に。



所でこの「エミリー・フローゲの肖像」もきっとどこかでお目にかかっておられ、
ご存知と思いますが、
今回の主人公はこのクリムトの絵のモデル、 1902 181x84cm ですね。

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エミーリエ・フローゲ(1874-1952)は、旋盤工のマスター、生産者でもあった
フローゲ家の4人の子、姉が2人と弟が1人として生まれ、
最初の仕事はお針子として始まり、多分高級衣服の仕立て師となり、

一番上の姉ポーリーン・Paulineが1894年に始めた仕立て服の学校で働き、
1899年に姉のヘレン・Heleneと一緒に仕立てのコンクールに優勝し、
展示会の為の高価な薄物衣装を作る事を依頼され、という様にモードの世界に。


1904年ヘレンと一緒に高級モードの仕立て「フローゲ姉妹・Schwestern Flöge」
をウィーンのマリアヒルファー通りに開店、実業家としてもデヴュー。

このサロンの企画設計はヨーゼフ・ホフマン・Josef Hoffmann、そう、
有名な建築家、デザイナーがしており、ロゴはクリムトが、という様子で、
裕福なウィーンの顧客に高級衣服を仕立て、サロンはウィーンの主要アトリエに。

こうして仕事は順調に伸びますが、若いエミーリエはパリから届く
新しいモードに触れ、ココ・シャネルやクリスチャン・ディオールが
世界的に認められる少し前に、革新的なモードを取り込むようになります。



少し年代が前後しますが、クリムトの弟エルンスト・Ernstと、エミーリエの姉
ヘレンが1891年に結婚。 残念ながらこの結婚は翌年1892年エルンストの死で
終わりを告げますが、それ以降グスタフはヘレンの保護者ともなり、

こちらがエルンスト。

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エルンストが1891年に描いたヘレンの肖像。

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こちらがグスタフ描く所の、1891年、17歳のエミーリエの肖像。

6-emilie_floge 1891 17sai.jpg

姉妹はあちこちのサークルに所属していて、兄弟とも知り合ったのかもで、
とりわけヘレンとエルンストが結婚した時期に親密になったものと。



こちらはグスタフが1893年に描いたという、ヘレンの肖像。

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これは描いた年と、ヘレンの年齢が合わずで、年代が正確とすると、
ヘレン・クリムトの肖像、という説明も確かで、写真から描いたのかも。

この絵をshinkaiはウィーンで見ており、薄いピンクの背景の前の少女像で、
素晴らしいと思ったのでよく覚えています。



これは1914年、左がヘレンで、クリムト、そしてエミーリエ。

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姉の結婚により一家への定期的訪問者ともなり、夏にはアッター湖畔にあった
フローゲ家の別荘で過ごす様にも。

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クリムトとエミーリエは結婚せず、友人であり、愛人でもあり、いずれにせよ
人生の伴侶とし、お互いの仕事への良き協力者として関係は深く、固く。

冒頭の作品「接吻」も、崖っぷちの2人の様にも見えますが、
だからこそ結びつきは深い、という表現かも知れず、 ・・・ですよね?!


クリムトの作品は当時、いや今でも、「エロチック」と見做されており、
そんな事からも触発されたエミーリエは、モードの世界における何か改革的なもの、を
創造したいと思っており、



彼女は、当時の締め付ける女性の衣類に対し、コルセットなしの、
肩から広く下がる、袖も広い衣類を身に着けるようになり、

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布の柄は、大いにクリムトの絵から影響を受けたと思える素晴らしいもので、
クリムトも彼女の為にデッサンを与えた、という説明もあり、

後の60年代の終わりからのヒッピーの装束に似た感じも! はは。



とりわけクリムトのゆったりとした衣類、これはブルーの作業着、絵を描く時の物、
というのですが、これを着ているクリムトの姿はいつ見てもどこか可笑しく、
特に猫を抱いている姿など、微笑ましく笑えます。

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コルセットなしで着る衣類、というのは、後のココ・シャネルなども手掛けた、
ヨーロッパ中に広がるフェミニスト運動の先駆けともなるものであり、
またクリムトのボヘミアン・スタイルからも影響を受けたものと。



エミーリエより12歳年上のクリムトは、1918年1月11日ルーマニア旅行から
戻り、スペイン風邪と心臓発作による55歳の若い死を迎えますが、

画家の最後の言葉は、「エミーリエを連れて来て」だったと。

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エミーリエは画家の遺産の半分を受け、が、彼のインスピレーションを
受けることなく、サロンでの仕事を続けます。

伝統的な衣類の仕事は大体良く続いたようですが、彼女が念願していた
改革的な衣類の方は余りにも時代の先取りで売れず、が、

暫く後の20年代になり、いわゆる「フラッパー・モード」として大きく変化すると、
裕福な顧客も見いだせる様になり、

エミーリエの高級クチュール・サロンでは1938年の、ナチス・ドイツによる
オーストリア併合年まで働き、その後はウンガルガッセ通りの彼女の
アパートで仕事を続けます。

が、第2次大戦末期に起こった火事で、彼女の家、コレクションは
大被害を受け、クリムトから受けついだ彼のコレクションも失います。

エミーリエが無くなったのは1952年5月26日、77歳。

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彼女のアイディアの衣類改革は1世紀前に日の目を見たのでしたが、
その後も現在に至るまでモードの世界に影響を与え続けているのが、
こうして写真を見るとよく分かり、近しさも感じません?!

それに、未だ社会への女性の進出が難しかったこの時代の中でも、
鮮やかに自分を生きた女性、という感じを強く持ちます。


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