今年2021年3月25日は、我がヴェネツィアは1600歳のお誕生日!!
というニュースで、朝サン・マルコ大聖堂でお祝いのミサが行われ、
夕方16時には大司教様の要請により、ヴェネツィア中の教会の鐘が
打ち鳴らされたそうです。 これは聞いてみたかったですねぇ!
打ち鳴らされたそうです。 これは聞いてみたかったですねぇ!
正面写真もあったのが消え、後姿で申し訳ありませんが、
真ん中が大司教フランチェスコ・モラーリア卿、左3色のたすきが
ヴェネツィア市長ルイージ・ブルニャーロ、
真ん中が大司教フランチェスコ・モラーリア卿、左3色のたすきが
ヴェネツィア市長ルイージ・ブルニャーロ、
右が県知事ヴィットリオ・ザッパロルト。
こちらはお祝いに発行された記念切手。
原画は1500年のキシログラフ、イアコポ・デ・バルバーリ・Iacopo de’ Barbari
「鳥の飛行から見たヴェネツィア」
右上に見えるロゴはこちらで、サン・マルコ小広場に立つ円柱の、
上にサン・マルコのシンボルの有翼のライオン像、大聖堂の丸天井、そして
パラッツォ・ドゥカーレの特徴ある花模様のアーチですね。
421+2021 の数字は、421年にヴェネツィアが基礎をなし、
そして今年2021年 1600年のお誕生日、を示します。
この421年に、という数字については後程あれこれ興味ある事柄を。
この記念切手はフォルダーに4連切手も含まれ、15エウロで発売されたそうで、
う~ん、なかなか郵便局に行くチャンスもありませんが、近いうちに・・。
う~ん、なかなか郵便局に行くチャンスもありませんが、近いうちに・・。
そして現在はコロナ禍によるロックダウン中でもあるので、ただ3月25日
一日のみのお誕生日ではなく、先には少しでも自由に動ける様にも願い、
1年間に渡り様々な催し、235もの企画があるそうで、行われる様子!
まずこちらの、お誕生日お祝いの美しいヴィデオをどうぞ!
https://youtu.be/2ISrLVq60Bc
https://youtu.be/2ISrLVq60Bc
魚の形をしたヴェネツィアの街!
干潟に杭を打ち込み硬め、その上に徐々に、営々と築き上げて出来た、
世界で唯一の特異で驚異な美しい街。
干潟に杭を打ち込み硬め、その上に徐々に、営々と築き上げて出来た、
世界で唯一の特異で驚異な美しい街。
北からの蛮族に襲撃され逃げ込んだ、こんな干潟から始まったのですね。
「421年3月25日」がヴェネツィア誕生の日、は公的に定められており、
その元は11世紀に記されたクロニクロンアルティナーテ・Chronicon Altinate
の中に記された日付を基に、という事ですが、
おめでとう ヴェネツィア・Auguri Venezia
の中に、興味深い事を見つけましたので、ご案内致しますね。
の中に、興味深い事を見つけましたので、ご案内致しますね。
ヴェネツィアは何歳? というのは、最近の研究では421年よりも
もっと2世紀程後、サン・マルコ聖堂の建設と同じ、という研究があり、
もっと2世紀程後、サン・マルコ聖堂の建設と同じ、という研究があり、
これを支持する根拠として、サン・マルコ聖堂の床モザイクの床下
4,2mの深さに保存されている2つの桃の種があり、
4,2mの深さに保存されている2つの桃の種があり、
ほぼ化石化した種を調べたアメリカ・ニューヨーク州コルゲート大学の
アルバート・アマーマン教授の調査によると、
アルバート・アマーマン教授の調査によると、
この桃の種は650~770年の物で、ヴェネツィアの起源はこの時代から始まる、
という説ですね。
この桃の種の近くから幾つかの金属と陶器の破片も見つかっており、
これらは当時、町の建設で水路を作る為に使われたものと考古学学者は
考えているそうで、未だ科学的研究は済んでいないと。
これらは当時、町の建設で水路を作る為に使われたものと考古学学者は
考えているそうで、未だ科学的研究は済んでいないと。
また一方1800年半ばに発見された、サン・マルコ聖堂の向かい側の
サン・ジョルジョ島の古い遺跡について、考古学者たちは
大変に古い塩田であると推測していましたが、
サン・ジョルジョ島の古い遺跡について、考古学者たちは
大変に古い塩田であると推測していましたが、
上記のコルゲート大学の研究で、再度また2世紀程後の時代に
ヴェネツィア誕生が移されそうなのだとか!
ヴェネツィア誕生が移されそうなのだとか!
そしてつい最近の2018年8月のサン・マルコ聖堂の南の壁と、
ドゥカーレ宮のカルタ門、現在のドゥカーレ宮見学の出口の門の
高潮対策の防水工事中に、人間の骸骨2体が見つかったのだそう。
最初の研究発表によると、1000年以上前に遡る地質で、
ヴェネツィア文化財監理局は更に発掘を進めたものの、未だ特別な
発見はなく、現在の所最初の報道のみで済んでおり、
ヴェネツィア文化財監理局は更に発掘を進めたものの、未だ特別な
発見はなく、現在の所最初の報道のみで済んでおり、
つまり最初の仮説の域は出ないものの、男と女の遺骨は多分
828年の聖堂建設以前に埋葬されたものであろうと。
828年の聖堂建設以前に埋葬されたものであろうと。
またはも少し前の9世紀初頭の物であろう、というのは、
当時ヴェネツィア総督の本拠地、居住地がリアルト地区に
移されたから、というのですが、
この引っ越しと埋葬との関係が、shinkaiには意味が分かりません。
という様な、つまりヴェネツィアの街建設は421年ではなく、
もっと後である、というのがお話の筋なのでした。
と言うと納得する所もあり、日本の起源についても、以前はもっと古く、
神代の時代を含めたような計算もあったのと同じで、
神代の時代を含めたような計算もあったのと同じで、
これは人間心理も含めて、愛するヴェネツィアの起源は古いんだ、と
言いたいのであろう可愛さもありますよね?!
言いたいのであろう可愛さもありますよね?!
もう1つ、ヴェネツィアの美しさを映し出したヴィデオをどうぞ!
このヴィデオにはたくさんの音楽家たち、作家、芸術家たちが参加し、
ヴェネツィアの魅惑を見せてくれる、
このヴィデオにはたくさんの音楽家たち、作家、芸術家たちが参加し、
ヴェネツィアの魅惑を見せてくれる、
「ヴェネツィア・夢の1600メモ」 https://youtu.be/LREm_daSLj0
最後はゲーテの言葉を。
(ヴェネツィアで)私を取り巻くすべては高貴さに満ち、偉大な作品と
尊敬すべき調和の取れた人間の力による、素晴らしい記念碑で、
それらは主権者の為ではなく、庶民の物なのです。
尊敬すべき調和の取れた人間の力による、素晴らしい記念碑で、
それらは主権者の為ではなく、庶民の物なのです。
もう一度、「お誕生日おめでとう、ヴェネツィア!!」
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