・ クリムトの傑作 「アデーレ・ブロッホ-バウアーの肖像I」に纏わるお話

グスタフ・クリムトの金箔を使った期間作品の大変有名な傑作の1点が

この「接吻」 1907-1908 180x180cm

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そして今回の「アデーレ・ブロッホ-バウアーの肖像I」 1907 138x138cm

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アデーレ・ブロッホ-バウアー・Adele Bloch-Bauerの肖像、となると
勿論肖像のご本人がいる訳で、絵の依頼主は誰か、で、

今迄考えた事が無かったのが、偶然に見つけた記事からあれこれ確認も含め、

またこの作品の持ち主の変遷については暫く前に映画
「黄金のアデーレ 名画の帰還」原題「黄金の女」にもなりましたので、
それについても、様々な作品周囲を巡ってのお話を今回。

参考にしたサイトは
アデーレ・ブロッホ-バウアー:グスタフ・クリムトの女神、真実の話
Adele Bloch-Bauer: la vera Storia della Musa di Gustav Klimt
全体として纏まり、良く事情が分かったのがこのサイト。

マリーアと黄金の女  Maria e la donna d’oro
こちらは絵の返還を求め闘い、遂に法廷で勝ち取った方の話。

アデーレ・ブロッホ-バウアー、 グスタフ・クリムトの女神
Adele Bloch Bauer, la musa di Gustav Klimt

そしてウィキペディアの「アデーレの肖像」イタリア、日本版を。
映画「黄金の女」についても同様に。


という様子ですが、今迄のグスタフ・クリムトに関しての記事はこちらに。
グスタフ・クリムトと、 黄金衣装背後の女性、エミーリエ・フローゲ

クリムト・ヴィッラ   クリムトの最後で唯一残る、ウィーンのアトリエ


という事で、まず肖像画ご本人のアデーレ・ブロッホ-バウアーについて。

生まれはオーストリアのウィーン、大変裕福な実業家モーリス・バウアー・
Maurice Bauerの美しく愛された娘、1881年生まれ。

18歳でフェルディナンド・ブロッホ・Ferdinand Bloch、17歳彼女より
年上の男爵家の跡継ぎであり、砂糖工場の大資産家と結婚を。

どちらもユダヤ人一家で、育った家庭環境も文化的で優雅な物でしたが、
結婚生活はウィーン貴族の伝統的な狭い厳しい中で、

つまり大変教養があり、古典文学を学びたく思っても、当時の大学は女性には
門戸が閉じられており、結婚後に2度の流産、生まれた男の子も亡くし、
生涯子供を持つことが不可能かものコンプレックス、神経質、頭痛持ち、
ヘビー・スモーカーという、

真価を認められない生活の中で、大変知性的な美しい彼女は
憂鬱さを加えた謎の魅力を増した様子。

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こちらは多分後年の彼女と思えますが、

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いやぁ、写真を見た時は、クリムトの絵に描かれた肖像の顔と余りにも似ていて、

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彼女の顔の特徴である眉、少し目尻が下がった目、そして唇、とそっくりながら、
絵画的に一層美しく表現しているクリムトに、改めて凄いなぁ!と、はぁ。



所でこの肖像画は夫のフェルディナンドがクリムトに依頼したもので、
彼は自宅のサロンを解放し、そこは文化人芸術家たちの交流の場所でもあり、
大資産家の彼はいわゆる芸術家たちのパトロンでもあり、
1903年にアデーレの両親への贈り物、として依頼した様子。

こちらは、クリムトのデッサン。

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1907年当時クリムトは44歳ですか、「黄金の絶頂期」と呼ばれる金箔を
散りばめた彼の作品は、イタリアはラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂にある、
ヴィザンチンのモザイク壁画に残るテオドーラ皇妃から強い印象を受け、

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また一家の起源の金細工師の伝統からのインスピレーションと共に、



クリムトは衣装のデザインに象徴的な細部を多用に使い、エジプトのホルス神の
目があちこちに散らばり、彼女は玉座に座っている様に見えますね。

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両手のポーズはよくある形と違い、セクシーであると共に、彼女の指の1本に
僅かな変化、歪みがあり、それを隠そうとしている様子が窺えると。

この手指の歪みについては、他の記事にも1ヵ所みられ、

そのつもりで見ると「接吻」の絵の、男性の肩に回す右手の指も
折り曲げられているのに気が付きました。

n.1 ラヴェンナ ・ モザイク詣で
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938572.html


所で、最初に「アデーレ・ブロッホ-バウアーの肖像 I」 と書きましたが、
そうなんですね、実は「アデーレ・ブロッホ-バウアーの肖像 II」もあり、
こちら。

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こちらは黄金背景ではなく壁紙を背景にした、優雅な柔らかい布の服装と、
上部の赤い色をバックに、明らかにアデーレと分る、細面の女性ですね。

この絵は1912年の作で、今回これを書きながら気が付いたのは、

今迄まるでバラバラに個々の作品を眺めていたのが、
「接吻」が1907-1908年作、 「アデーレの肖像I」が1903-1907年
「アデーレの肖像II」が1912年と続いており、

知性に溢れ、憂鬱の影に沈む美女、という、「女の目利き」と言われた
クリムトにとっては、願ってもないモデルだったのかもしれずで、
最もフェルディナンド家のサロンで以前から出会っていたと思いますが、

肖像画の2点ははっきりとアデーレである事が分かり、

実は「接吻」のモデルも彼女、アデーレである、と書いてある記事もあり、
その面影を宿しているかも、という所ですね。



そして、この「ジューデットI」もと。 1901作。

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長い憂鬱な睫毛で覆われた非常にセクシーな強烈な顔、半ば閉じられた唇、
神経質でエレガントな手と。

クリムトはたくさんのモデルがいて愛人がいて、と有名な画家ではありますが、
明らかに分かる個別のモデルとしては、長年お互いの仕事の良き協力者で
あったエミーリエ・フローゲを描いた作品が1点あるものの、



この様にアデーレがモデル、と分る確かな2点と、他にも何点か、というのは
他のモデルたちには例が無く、
単なるモデルでなく、絵にインスピレーションを与える相棒、
協力者だった事も想像でき、

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この事から、愛人だったろう、と書いてあるのもありますが、これは確証なく、

夫婦間の信頼からも、出来上がった肖像画2点に夫のフェルディナンドは
大変に深い印象を受け、他にも3枚ほどの作品も購入したそう。


そして彼女アデーレは、1925年1月24日に強力な髄膜炎で、わずか数日で
44歳の若さで世を去りますが、
亡くなる前に夫に、彼の亡後は「アデーレの肖像」はベルヴェデーレ美術館に
遺贈してくれるようにと、遺言を残します。

が、その後1918年にクリムトはスペイン風邪と心臓発作による55歳の若い死、

オーストリアは1938年にナチス・ドイツと併合され、絵はナチスに押収され、
「黄金の女性」と名前を変えられ、
これはタイトル通りだと主人公がユダヤ人である事が明確に分かるからで、
展示はその後ベルヴェデーレ美術館に。


夫のフェルディナンドはナチスに併合後の裕福なユダヤ人達同様逃亡
スイスに、一家の他のメンバーたちはアメリカに渡ります。
そしてフェルディナンドは自分の財産のすべてを一家のメンバーに残し、

クリムトの描いた「アデーレの肖像」は彼の直接の姪に、と記しますが、
彼自身も1945年に亡くなります。

こうしてクリムトの絵は戦時中の押収リストに載ったままかと思われましたが、

1990年後半になり、オーストリア政府は、ナチによって押収された
作品返還の法律を定めたので、


姪のマリーア・アルトマン・Maria Altman、子供の頃賑やかで活発な
叔父さんのフェルディナンドの家のサロンに通い、叔母さんのアデーレからも
実の子供の様に可愛がられたマリーアは、

その幼い時の懐かしく楽しかった思い出からも、美しく優しかった叔母さんの
肖像画を取り戻したく、長い間闘い、

これが2015年の映画「黄金の女」のお話の骨子で、

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オーストリア政府は、あまりにも有名な「我らのモナ・リザ」ともなっている
絵の返還は認められないと拒み、

遂にアメリカ最高裁判所に対しオーストリア国を訴え、訴訟に引きずり込み成功、
これはアメリカの書店で売られているクリムトの画集が発端、という事で、

遂に訴訟に勝ち、絵はアメリカに渡る事に。

クリムトの絵がウィーンから去ります、というキャンペーン。

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その後、余りにも高額な保険料にマリーアは屈し、多分歴史的名画を普通の家の中に
展示する為の保険金には頭が行かなかったのだろうと思いますが、
結局ウィーンのベルヴェデーレ美術館にあった絵は
クリスティーズ・Christie'sによってオークッションにかけられ、

常に公開展示する、という条件で、135000000ドルでノイエ・ギャラリー・
ニューヨークが落札、
ガラスケースに入れた状態で、多分防弾ガラスでしょうね、展示されていると。

このノイエ・ギャラリーというのは、Neue Galerie di New York di Lauder、
最後のローダー・Lauderとは、かの化粧品メーカーのエステー・ローダーの
ローダーで、創業者の息子がノイエで、このギャラリ―の創始者、
オーストリアとドイツの国境以外にある最も重要な中欧芸術美術館と。

という事でマリーアの手元には、競売での巨額金とこのコピー作品が、という事と。

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裁判当時既に89歳とか読みましたが、まだお元気なのかな?



こうした絵画以外に、フェルディナンドは妻の所有していた美しい宝石の1つ、
有名な指輪「Toi et moi」、なんと指輪に「あなたと私」という名がある!
シンプルでエレガントな2つの色違いのダイヤモンド、を他の姪に残しており、

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この指輪は2018年12月にサザビース・Sotheby'sのオークッションに出された折、
40000ステッリーネ以上の値が付いたそうで。


はい、最初はクリムトの絵で始まったのでしたが、戦争を挟み、戦後の混乱で、
最後は桁を間違えませんように、と何度も0の数を数える、という、はは、
お終いになりましたぁ。

疑問が湧いたのは、shinkaiがクリムトを見にウィーンに、ベルヴェデーレに行った
1989年、「接吻」や他の作品の記憶は幾つもあるのですけど、
「アデーレの肖像I」は記憶が残っておらず、50年間ベルヴェデーレに展示、と
いうので、確かにあった筈ですねぇ。

エミーリエ・フローゲの作品も記憶に、でもこの作品はウィーン博物館にあり、
あれ、なぜここに?!と驚いた記憶も。

そんなウィーン訪問も思い出した、クリムトの作品に纏わるあれこれでした。


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