ヴェネツィアのカ・ダーリオ・Ca' Dario邸、大運河がアッカデミア美術館前
を過ぎ、南側に白いペギー・グッゲンハイム博物館が見える、その2軒先の
この美しい、半分ゴシック風、半分ルネッサンス風の館ですね。
を過ぎ、南側に白いペギー・グッゲンハイム博物館が見える、その2軒先の
この美しい、半分ゴシック風、半分ルネッサンス風の館ですね。
ご覧の様に、建物の両脇には小運河が通るので、横幅は約10mと。
地図でいうと、一番左端切れた所にアッカデミア美術館があり、
そこから小路をずっと東にやってくると、自然にカ・ダーリオ邸の裏側に出て、
そこから小路をずっと東にやってくると、自然にカ・ダーリオ邸の裏側に出て、
こんな感じで、回り込む形の橋が架かり、塀越しに見える建物がダリオ邸、
赤い塀に沿って巡って行くと、裏の門があり。
アッカデ―ミアから東のこの辺りはとても良い感じの小路で、
何度も通った想い出が浮かびます。
大運河側からの眺めは、1908年にクロード・モネ・Monetが描いており、
こちらが何年の物か、特徴あるヴェネツィア風の煙突も見えず、
また屋根の上にヴェランダがあり、今残る3階のヴェランダの形とは違います。
が、特徴的なヴェネツィアの館としての、多色の大理石を使った円盤、そして
四つ葉の形、1階の大運河側には中央に船からの入り口があります。
四つ葉の形、1階の大運河側には中央に船からの入り口があります。
ウィキペディアのイタリア版によると、この円盤の形が全部で80あるというので、
せっせと数えましたが、shinkaiの計算では81になるか、79で。
せっせと数えましたが、shinkaiの計算では81になるか、79で。
いずれにしても、1479年の建設当時は華やかな彩と、当時はまださきがけの
ルネッサンス様式が入った見事は館であったに違いありませんね。
ルネッサンス様式が入った見事は館であったに違いありませんね。
こちらの古い写真がいつの物か、住まわれている姿で、これには現在見えない
屋上のヴェランダがあり、逆に煙突も小さく、時代の中で何度か修復があったものと。
屋上のヴェランダがあり、逆に煙突も小さく、時代の中で何度か修復があったものと。
ダリオ邸は私邸で公開されておらずですが、内部写真が幾つか見つかりましたので、
さすがぁ!という素晴らしい様子をどうぞ。
さすがぁ!という素晴らしい様子をどうぞ。
1479年、ジョヴァンニ・ダーリオ・Giovanni Darioが娘のマリエッタ・
Mariettaの婚資として建設し、婚約者は裕福な香辛料商人ヴィンチェンツォ・
バールバロ・Vincenzo Barbaro.
ジョヴァンニ・ダーリオは貴族でなくダルマチア出身の資本家で、
商人でもあり、またヴェネツィア共和国の重要な職に就き、
トルコとの和平を結び、「祖国の救済者」というニックネームを貰った程の人物。
ダーリオ邸の1階、大運河に面した壁には「VRBIS GENIO IOANNES DARIVS・
ジョヴァンニ・ダーリオ、街の天才に敬意を表し」と刻まれているそう。
ジョヴァンニ・ダーリオ、街の天才に敬意を表し」と刻まれているそう。
という様に、建物の美しさ、評判の由来などを語って来ましたが、
実はこの館は、不幸なというか、呪われた館という、幾つもの一連の歴史があり、
検索すると、幾つもの記事が見つかりましたが、参考にしたのはこちらを基に。
カ・ダーリオ、1479年以来購入者や滞在者を殺した呪いの館
Ca' Dario, il palazzo maledetto che dal 1479 "uccide" chi lo acquista o vi soggiorna
カ・ダーリオ、1479年以来購入者や滞在者を殺した呪いの館
Ca' Dario, il palazzo maledetto che dal 1479 "uccide" chi lo acquista o vi soggiorna
ウィキペディア・イタリアにも記述されていますが、日本版には
記述はありませんので、どうぞ!
では カ・ダーリオと、この館に繋がる、破産、突然の死亡等の年代順記述を。
ダーリオ邸はジョヴァンニ・ダーリオが娘の婚資の為に建設したと上述通り、
娘とその婚約者だったヴィンチェンツォ・バールバロは結婚したものの、
じきに夫の経済は破綻し、そして刃物で刺され(多分死傷と)、
妻はそのニュースにショックを受け自殺。
その後暫く後、2人の間の息子のヴィンチェンツォはギリシャで亡くなっているのが
発見され、待ち伏せによる強盗の仕業であろうと。
こうしてダーリオ邸は19世紀初め迄バールバロ家の持ち物として残りますが、
アレッサンドロ・バールバロ(1764-1839)の時に、アルメニア人の宝石商の
アルビットゥ・アブドゥール・Arbit Abdollの手にダーリオ邸は渡ります。
アルビットゥ・アブドゥール・Arbit Abdollの手にダーリオ邸は渡ります。
が、そう時も経ない間にアブドゥールは破産し、1838年僅か480ステッリーネ
(イギリス貨)で、
イギリス人歴史家ロードン・ブラウン・Rawdon Brownの手に。
が、改装費の不足で4年後にハンガリーの伯爵に売却、後裕福なアイルランド人
マーシャル氏に、
1896年にイザベル・ゴントラン・デ・ラ・ボーム・プルヴィネル伯爵夫人・
Isabelle Gontran de la Baume-Pluvinelの手に渡り、大きな修復が
なされた模様。
Isabelle Gontran de la Baume-Pluvinelの手に渡り、大きな修復が
なされた模様。
伯爵夫人にフランス人詩人アンリ・ド・レニエ・Henri de Régnier(1864-1936)
が館に招待され1899年より滞在するものの、
が館に招待され1899年より滞在するものの、
重病にかかり、惚れこんだヴェネツィアを後にせざるを得ず。
第2次世界大戦後、アメリカの大富豪チャールス・ブリッジ・Charles Briggsに
館は購入されますが、じきに彼の同性愛性向の為ヴェネツィアを離れる様求められ、
メキシコに行くものの、愛人が自殺したとか。
館は購入されますが、じきに彼の同性愛性向の為ヴェネツィアを離れる様求められ、
メキシコに行くものの、愛人が自殺したとか。
この後のダーリオ邸に絡む不吉な話題は次々と続くようになり、
1964年には著名なテノール歌手のマーリオ・デル・モナコ・
Mario del Monacoに購入される事になりますが、
契約書に署名の為ヴェネツィアに行く途中、車が事故に遭い重傷を負い、
署名せずのままに。 まぁ、亡くならずで良かった!
署名せずのままに。 まぁ、亡くならずで良かった!
1968年トリノの伯爵フィリッポ、ジョルダーノ・デッレ・ランツェ・
Filippo Giordano delle Lanze、芸術と骨董品の目利き、が購入したものの、
1970年7月、46歳、関係のあったクロアツィア人水夫にダーリオ邸の庭で
刺殺されていたのが発見され、犯人は後に18年の懲役を科されたものの、
遺体が発見された日に逃亡しており、逃げたロンドンで殺害されたと。
遺体が発見された日に逃亡しており、逃げたロンドンで殺害されたと。
そしてダーリオ邸はロック・グループ「ザ・フー・The Who」のマネジャー、
クリストファー・”キット”・ランバート・Christopher “Kit” Lambert
(1935-1981)の手に。 写真右側。
ダーリオ邸に滞在中、彼はどんどん麻薬浸かりになり、バンドとの関係も
解消となり、麻薬所持で逮捕され、経済状態も破綻。
キット・ランバートは亡くなる3年前の1978年、ファブリツィオ・フェッラーリ・
Fabrizio Ferrariヴェネツィア人実業家にダーリオ邸を売り、
フェッラーリは妹ニコレッタ・Nicolettaと一緒に移って来ますが、彼女は謎の
交通事故を遂げ、証人は無いままに。
ファブリツィオは暫く後に経済破綻を起こし、モデルを殴った事などで逮捕も。
80年代末、ファブリーツィオはラウル・ガルディーニ・Raul Gardini
(1933-1993)、実業家であり、ヴェネツィア・メストレのモンテディゾン・
Montedisonの責任者にダーリオ邸購入の導きを。
ガルディーニはその後一連の経済問題が起こり、イタリアが大きく揺れた
タンジェント―ポリ・企業間と政府との賄賂による癒着の発覚、
タンジェント―ポリ・企業間と政府との賄賂による癒着の発覚、
にも巻き込まれ、1993年にミラノの自宅で自殺を。
このタンジェント―ポリの大揺れはshinkaiもよく覚えており、
またガルディーニはヴェネツィア・メストレのモンテディゾンの長でしたから、
夫の息子たちも関係しており、
1人は若い頃ガルディーニの運転手を務めた事もあったとかで、話も聞き、
1人は若い頃ガルディーニの運転手を務めた事もあったとかで、話も聞き、
1992年のアメリカズ・カップ、挑戦艇として決勝戦を戦った
「モーロ・ディ・ヴェネツィア」もガルディーニの肝いりで、
ヴェネツィア全体が大きく燃えたりで、
彼のダーリオ邸に「呪わしい話題が」という今度の記事も、
まずガルディーニの件が頭に浮かび読んだ事で、こんなに次々と
事件が関連していたのに驚きました!!
このライオンの顔、イル・モーロのデザインはとても気に入っており、
今も時に見かけ、ガルディーニを思い出します。
90年代終わりには映画の撮影で来た、ウッディ・アレン・Woody Allenも
ダーリオ邸の購入にかなり気乗りになった様子ですが、話は流れ、
ダーリオ邸の購入にかなり気乗りになった様子ですが、話は流れ、
マネージャーの代わりにダーリオ邸との関係が出来た「The Who」の
ベース・ギター、ジョン・エントウィッスル・John Entwistleが、
2002年のヴァカンスに貸り、1週間の滞在中に心臓麻痺にて死亡。
そして2006年、アメリカの(投資)会社を通り、無名人がダーリオ邸を購入し、
現在はそのまま継続状態なのだそう。
現在はそのまま継続状態なのだそう。
長い歴史の中で、有名な城、住居などなど持ち主が替わり、その経過の中で、
様々な問題、事件が起こりますが、
それにしても、ダーリオ邸はなぜこんなに?!と思いますよね?!
ある人は、このダーリオ邸はかって「テンプル騎士団」の墓地の跡に
建てられたから、と言い、
ある人は、近くの建物の水門の上にある「おまじない」の印が影響しているのでは、
等など言われているそうですが、
等など言われているそうですが、
勿論、真実はどうなのか分からずのまま。
つまりは、いずれにしても、悪魔祓いは避けて通るのが一番!!
皆さまは、大金持ちでも、チャンスがあっても、ダーリオ邸は買わないでねぇ!!
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