先回の「人殺しの橋」に続き、今回は柔らかく、はは、「オッパイの橋」を。
「オッパイ」をひらがなにしようか、それとも「乳房」か、ちっと迷いましたが、
ご訪問くださる方に、あまり剝き出しでないようにと、上記の様に、はい。
イタリア語では「テッテ・tette」、ヴェネツィア訛りでは「テテ・tete」で、
今回見つけたサイト記事は
オッパイの橋・Ponte delle tete https://arzana.org/ponte-delle-tete/
と、ウィキペディアの、イタ版、日本語版ともに。
で、どこにあるのかと言いますと、 リアルト橋から西に入った場所で、
カンポ・サン・ポーロ・サン・ポーロ広場に近い場所に。
で、こうして地図を拡大してみると、あれ、ここ?!という訳で、グーグルの
ストリート・ヴューで確認を。
カンポ・サン・ポーロから東に向いてくると、サンタポナール教会・Sant'Aponal前の
広場に出ますが、
写真左に見える少路を入っていくと、地図に囲った橋・ポンテ・ストルテに出て、
橋の上からの眺めがこちら。
小運河の右側の狭い通りを抜けていくと、奥に見える高い橋に出て、
渡るとカンポ・サン・ポーロに出れるという、いわば裏通りで、
この眺めを、最初のストルト橋の下から描いた事があり、
一帯の雰囲気は知ってました。
日曜の朝 ヴェネツィア
で、ストルト橋を渡り、少路を辿る途中に「レ・アンティーケ・カランパーネ・
Le Antche Carampane」というレストランが見え、
この店については大変興味深い写真が見つかりましたので、後程。
少路の突き当り、小運河の手前を右に曲がると、「オッパイ橋」がこんな様子に。
この表示は橋を渡った向こう側から見える様子で、
上から、サン・ポーロ地区 オッパイ橋 カ’ボッラーニ建物の下、内庭と。
橋の上から見る向こう側の少路で、壁に「オッパイ橋」の表示。
つまりこの密集した一帯に15世紀頃、ヴェネツィア共和国政府の肝いりで
売春婦達が集められた、遊郭街だったのだそうで。
来る途中で見えたレストランの名前に「カランパーネ」とありましたが、
つまりランパーニ家・Rampani家が共和国政府に遺したこの一帯を使い、
「閉じられた家・カーザ・キューザ」と呼ばれる「お遊びの家」を作り、
一体どの位の数があったのか分かりませんが、
マトゥローナ・Matronaと呼ばれる女主人を置き、彼女は遊女屋の経営をし、
しっかりと税金を払っていたのだそうで。
日本版ウィキによると、この一帯の家々から上がる税金は共和国政府の財政に
大きく貢献しており、1519年の税収はヴェネツィアの国営造船所の建造に
充てられた、とあります。
1508~1516年にかけての対ヴェネツィアのカンブレー同盟戦争があり、
新しい技術による金属製造、、新しいドック建設という問題があった様ですから、
どんどん注ぎ込まれる財政は有難い事だったに違いありませんね。
「テッテ橋」の由来は、当時流行っていた男色に歯止めをかけるため、
橋の近くから窓枠、ベランダに乗り出し、胸をはだけたり、足を広げたり、
大いに呼び込みをかけたことに由来すると。
映画「ヴェニスの商人」の一場面ですが、他の映画でも似た様な場面を何度か。
つまり政府からのお達しにより、広範囲な同性愛者の阻止と、外国からの多数の
商人や訪問者達による、一般のヴェネツィア女性に及ぶかもの問題解決を、
という厳しい職業でもあったわけで、はい。
笑ったのは、この一郭に来るのにはかなり歩くわけで、南からリアルト橋を渡ったり、
または西のカンポ・サン・ポールからは近いですが、
北からだと、リアルト橋近くの魚市場隣の野菜市場に大運河を渡るトラゲット・
大ゴンドラの渡し、対岸のサンタ・ソフィーアとのトラゲットがありますが、
このトラゲットのニック・ネームが「トラゲット・デル・ブーゾ・
Traghetto del Buso」と言われたそうで、
はぁ、ブーゾはヴェネツィア訛りで、ブーコ・穴 の事!
という事で、少し少路を戻り、レストランかオステリーアか知りませんが、
この一帯の「カランパーネ」の名がついた店のお話に。
こちらが昼食時のお店の写真ですが、ほら、張り出したテントに見えるマーク、
こちらの女性の像に似ていません?!
ちゃんと胸に「ポンテ・デッレ・テッテ」と入っているし、サイト記事を
読もうと思ったら接続拒否され、残念。
店に興味を持ったのは、最初に見ていただいた地図に、店名の横に$$$と、
入り込んだ場所にある店にしてはお値段がお高い印が見えたからですが、
こうして投稿された写真を見るとぉ、美味しそう!!
そしてメニューには、リアルトの魚市場での値段、扱いによる、ともありつつ、
アンティ・パストが25エウロとあり、プリモも、セコンドも大体そのお値段で、
という事は、大体普通一般の店のほぼ倍近い値段なのですね。
こちらに店のサイト、 https://www.antichecarampane.com/it/
最後に、予約をお勧め、 日曜・月曜休み、tel 041-5240165
この店は偶然で来る場所ではない、とサイトにある通り、かってのお遊び場所に
あった秘められた格式を持っている店なのかも。
店の外の張り出しに、ノー、ラザーニャ、ノー、ピッツァ、
ノー・メニュー・ツーリスト、とありました。
一度行って、新鮮な魚料理を食べてみたいもの!!
で、あれこれ写真を見ていると、見つけたのがこれ!
つまり店内装飾にあった写真を、客が撮って投稿しており、
一番上に、「お愉しみの家の奉仕のお値段」 とあり、
シンプル 1.5リラ、 2度 2.5リラ、 15分 3.1リラ、
30分 5リラ、 1時間 7,2リラ
タオルと石鹼 0,5リラ
1927年。
そしてもう1枚。 ははは、済みません、shinkaiは物好きで・・。
写真入りで、「有名な歓びの家の価格表」
値引きは、お若い兵士のみに。
普通のお約束 1.3リラ、 2度 2,5リラ、 15分 3,05リラ、
30分 4,5リラ、 1時間 7リラ、 2時間 10リラ
石鹸とタオルは店が提供します
1932年 6月。
5年間経て、値上がりもあり、値下げもあり、
まぁ、こうして売春宿が法律で廃止になるまで、1958年9月20日、
この一帯の営業も続いていたのかも、ですね。
一番最後に・・。 山の家の夏休み ・ ドロミーティの山 ・ ハイキング
やはり山の家よりも、ヴェネツィアのほうがいささかお高かったようで!
*****
当ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
こちらもよろしく、応援お願い!!
*****
色鉛筆+水彩画ブログには、
をアップしています。 ご訪問よろしくどうぞ!
*****
今後ともの皆様のご訪問を、お待ち致しておりま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。