・◆写真追加◆ イタリアはサッカー[Euro2020]に、53年ぶりに優勝!! 

昨日7月11日はロンドンのウェブリー試合場にて、ヨーロッパ・カップ2020の
決勝戦、イタリアxイギリスの試合が行われ、PK戦となりましたが、
4-3でイタリアがなんと53年ぶりの、ヨーロッパ・チャンピオンに!

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今年は2021年なのに、2020年とは書き間違いではないの?と
思われたかもですが、
昨年はコロナの為開催されず、今年にずれ込みましたので、
そのまま[Euro2020]と。



サッカーの試合は夜9時、ロンドン時間8時からでしたが、
同じロンドンで昨日は午後3時からウィンブルドンの男子決勝戦も行われ、

イタリア人で初めて決勝戦に進んだマッテオ・ベッレティーニ・
Matteo Berrettiniが既に何度も優勝経験のあるジョコヴィッチと対戦。

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残念ながらこちらは貫禄、実力ともに勝るジョコヴィッチに敗れましたが、
大変に良い試合を見せてくれ、
こちらの様子は分家ブログの方でご覧頂きますね。



久しぶりに午後3時から、真夜中12時半までTVの前に座り続けたshinkai!
ははは、でもお陰様で本当にすっきりと大喜びできる試合が2つ見れ、

昨年春からのコロナ禍、それ以前の、イタリア・サッカーチームが
2018年のワールド・カップに出場出来なかった以来の鬱憤を晴らすにも、
決勝進出は本当に明るい嬉しいニュースで、イタリアは大いに燃え上がり、

日曜に備え、選手チームのみならず、イタリア人、国が準備待機、ははは、

本当に良い7月11日、良い日曜となったのでした。


あれこれ写真も撮りましたが、コンデジで適当に撮った写真よりずっと良い
サイトからの写真を探し、それに補助的に付け加えて見て頂くことに。


まず番組進行係2人から始まり、RAIの女性アナと

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解説のこの男性、なんとなく知っている感じがあるけど誰だろ、と思っていて、
名前が下に出たのを見て、あれ~、ルーカ・トーニ!

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懐かしいはず、2006年のワールド・カップで優勝した時の選手でしたもの。


今も活躍している当時の選手たち、監督として、またCMで顔を見かけたりで
時に見かけると、ああ、元気だと知りますが、

今頃shinkaiはサッカーの試合をTVでも見ず、朝のニュースで前夜の
絶叫付きゴール場面を見る程度なので、顔を覚えていない人が殆ど。

そう、既に15年前になるのですねぇ!!

イェ~~イ、やりましたぁ~、イタリアチーム!!

アスペッタンド ・ aspettando ・ 待ちながら

ラ・ノッテ・マージカ ・ 喜びに酔いしれた夜

ローマ への凱旋



こうして今大会の閉会式が始まり、

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ウェブリー試合場には約6000人のイタリアからの応援が駆け付けており、

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選手の入場があり、  優勝カップも飾られ、

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こちらは今大会の決勝戦に至る経過図。

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イタリア国歌が歌われ始めると、イタリア監督のロベルト・マンチーニも歌いますが、
なんと約9割を占めるイギリス人観客から大声のブーイングが聞こえ、 

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こういうのはあまりフェア精神では無いっすよね?!



さて試合開始となる前に、今回使われるボールが玩具のトラックかな、の
荷台に乗ってリモコン操作で運ばれてきて、いよいよキック・オフ。

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試合の要約、最後のPK戦の最後もこちらでどうぞ。
Euro2020: Italia-Inghilterra 4-3 dcr, gol e highlights


試合は、イタリア・チームがまだ本当に試合が始まったと目が覚めぬうちに、
本当にそんな感じがした、前半2分で1点入れられ、これは痛かったぁ。

準決勝戦のスペイン戦同様かなり辛抱を強いられる試合運びとなりましたが、
ついに同点に追いつき、それから目が覚めたように攻めるもののなかなか。

最後は試合延長戦となり、それでも1-1で、ついにPK戦となり、
4-3とイタリアの優勝となりました。


これは、スペイン戦同様ゴール・キーパーのドンナルンマ・Donnalummaが
最後のシュートも弾いた所。  ワ~~イ、勝ったぁ、勝ったぁ!!

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ITALIA VINCE GLI EUROPEI!!!



優勝が決まった途端、ベンチの後ろからチームのマネージャー達が飛び出し、
監督のロベルト・マンチーニと喜びの抱擁を交わしましたが、

先回同様、真っ先に駆け出してきたジャンルーカ・ヴィアッリとの涙の抱擁!
ジャンルーカの笑顔は心底からの喜びに溢れ、2人とも感激の涙で、
見ているこちらも胸がいっぱいになるような、そんな熱い抱擁を。

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ジャンルーカ・ヴィアッリは、私がまだイタリアに来る前、旅行で
やって来た頃の有名選手で顔を覚えていたのでしたが、
かっての2人はチームの同僚であり、今も厚い友情に結ばれた友人だそうで。



会場のイタリアからのファンも大喜び!!

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スコミーゴ村の我が家の近くでも、ドンドーンと打ち上げ花火が何発か!

こちらはイタリアのどこかな、大型TVの前で応援する皆さんの様子。
Finale EUROPEI 2020 rigori VITTORIA ITALIA - INGHILTERRA



会場に表彰台が設置され、まず今大会の最優秀選手として表彰の
ゴール・キーパーのドンナルンマ選手。

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所で、今朝のTVニュースでも殆どが昨日の優勝場面で埋められたのですが、
その中でつい吹き出したことを皆さんにも。

ツィッターにどなたかが載せた写真、ドンナルンマと、この可愛いオーストリアの
小動物クオッカ・quokkaが並んでいて、ははは、本当に良く似ていて!!

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TV画面で見たのは、ちょうど顔の角度も同じで、つい吹き出しましたが、
はは、こういうのは許されますよねぇ?

ドンナルンマ選手は、なんと変わった姓だと思ったのでしたが、どうやら
サルデーニャ島出身の様子で、なるほどぉ。



表彰式が始まる前に選手たちは、皆が半円式に集まり記念写真を。


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そして会場のイタリア人ファン席の前に行き、ご挨拶を。

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とにかく陽気な若者たちが喜びに溢れ、大いに発散!



ついに主将のキエッリーニがカップを受けとり、

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カップを挙げ、皆で大歓声!!

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そして背後で花火が上がり、

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紙吹雪が吹き出されると、あまりの吹雪の量に選手の顔が見えない程にも!!



一方、貴賓席のイタリアのマッタレッラ大統領の席に、ウィンブルドンでの
決勝戦を終えたベッレッティーニ選手がご挨拶に行き、皆さんと記念撮影を。

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表彰式の様子を見守るマッタレッラ大統領。

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イタリア勢の1点が入った時も、PK戦でのシュートが決まった時も、大統領が
いかにも嬉しそうな表情で手を叩かれる様子がその都度画面に。



イギリス側は王室のウィリアム王子と妃、そして長男のチャールズ王子が
ご臨席になり、最初のイギリス得点の時はチャールズ王子が大喜びなのが
ちらっと画面に映りました。

Euro 2020: Prince George, Prince William and Kate Middleton watch England vs Italy

小さい頃は今にも泣きそうな顔で、でもとても可愛いお顔のチャールズ王子ですが、
今回改めてヴィデオで見ると、かなり大きくしっかりで見違えるばかり。

ケイト妃は、この日午後のウィンブルドンにもご臨席でしたから、
shinkai同様、はは、お忙しい一日だったですね!



さて、ここから何枚かの、イタリア国内における応援の皆さんの様子を。

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表彰式が終わる頃には、会場の上のアーチに仕掛けられた花火がさく裂、

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最後には3色に代わる気配りで、ははは。

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イタリア応援団席の前でカップを順番に持っては持ち上げ、声援御礼と
写真モデルを務める選手たちがいる一方、

せっせとゴールの網を切りとる選手もいて、ははは、誰かな?
それに一体誰がハサミなんか持っていた?! 医療箱から?!

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後で見るとドーンと大きな穴が開いており! きゃはは、こんなの初めて見ましたが、

何人かが頭から被ったり手に持ったりして歩いており、きっとお土産ね。



今朝のニュースで、既に6時頃に選手達はローマ空港に到着し、
ホテルの前にはファンが待ち構えている様子が映りましたが、

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ローマ到着の様子はこちらで。
Euro2020, gli azzurri atterrano a Fiumicino: i campioni d'Europa accolti da 200 tifosi

今夜は選手たちとドラーギ首相との会見が予定されているそう。


何とかコロナから解放されかけたか、という徐々のイタリア再出発にとって
大変にうれしく、明るい出来事、ニュースであり、

夏にかけての揺り戻しが無いように、願うばかりですが、


とにかく、イタリア「エウロ2020」 優勝おめでとう!!!
そして、大きな喜びを有難う!!!

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◆ 写真追加 

という事で、12日の早朝ローマに戻ってきた選手達ですが、その後の写真を
探しましたので追加でご覧いただきますね。 

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こういうのは、普通見れない光景でしょう?!

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ホテル到着。 主将キエッリーニはトロフィーを持ち、王冠をかぶっており、はは。

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多分大統領官邸、大統領並びにウィンブルドンで2位となったベレッティーニも一緒に。

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大統領に選手皆のサイン入りユニフォームを贈呈。

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そしてドラーギ首相とも。

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そしていよいよパレードが!!  この熱狂の歓迎ぶりを見てぇ!!

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バスの車体を見て、あれ、この写真とタイトルは、と思いましたら、
やはりぃ、パレード用にちゃんと準備された車体で、しかも1日も経たないうちにぃ!

なんとまぁ、良い子ねぇ! イタリアだってやりゃぁ出来るんじゃん!! ははは。

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へへ、嬉しさはまだまだ続いておりましてぇ・・!

そう、また一つ忘れられない思い出が出来ましたぁ!! 
おおきに、イターリア!


*** お知らせとお願い

いつもは8月に夏休みを頂くのですが、今年は少し長めに、
今回のブログ以降を、夏休みとさせて頂きますので、よろしくお願い致しま~す。

また9月にお目にかかりますので、皆様も良い夏をお過ごしくださいね!!


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・ ゴンドリエーリ・デ・ヴェネツィア  ・ ゴンドラ漕ぎ  その歴史と現在の姿

ヴェネツィアの事をあれこれ改めて知ったり、調べなおしたりで、
次々と興味が尽きませんが、
今回はゴンドリエーレ(複 リ)についてです。

ヴェネツィアのシンボルとして欠かせないのは、ゴンドラ・gondolaであり、
その漕ぎ手ゴンドリエーレ・gondoriereですが、

こちらはカナレットの絵に見える、ゴンドラとゴンドリエーレ達。

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ゴンドラのあれこれについてはこちらに


で、今回の興味はヴェネツィアでも希少な存在の、また有名なゴンドラ製作所、
サン・トロヴァーゾ・San trovaso教会隣にあるスクエーロ・scueroについて
読んだ事から始まったのでしたが、

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ゴンドラのあれこれについては既に上記の記事にしており、
何か不足部が多いかと読みつつ、ほぼ大丈夫な事も分かったので安心し、


そうだった、ゴンドリエーレについてはまだちゃんと書いていない、とここに。

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今回参考にした記事は
ゴンドリエーリ:ヴェネツィアとその秘密の守護者
Gondolieri: Venezia e i suoi Custodi dei Segreti

このサイト記事はどうやらゴンドラ制作やゴンドリエーリの組合に近い方の
記事の様で、ただし写真は古いので、あれこれ新しくウェブで探したり

ゴンドラのオリージネ、歴史と興味
Gondola origini, storia e curiosità


ところで、現在ヴェネツィアの街の運河に浮かび、観光客にサーヴィスのゴンドラ、
正確には複数形でゴンドレとなりますが、使い慣れているゴンドラのままで、

はい、現在のヴェネツィアのゴンドラの数はどの位あると思われますか?
433隻 だそう。  

記事は2019年のようですが、ゴンドラ制作にはほぼ1年かかると言われますし、
ゴンドラの使用期間は約40年と言われるので、数はほぼ同数とみて大丈夫と。

が、1580年当時のゴンドラの数は、なんと1万隻!!

1574年5月にヴェネツィア訪問の、後のフランス王アンリ3世とか、
はたまた1825年に妃と共に訪問の、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の時には、
何百隻の飾り付けたゴンドラが一緒に大運河をパレードした記録がありますから、
その煌びやかさをご想像下さいね。

今回最初のカナレットの絵に見える、ドゥカーレ宮前の黄金に輝くブチントーロ、
ヴェネツィア共和国のドージェのお召し船も勿論ですものね。


アンリ3世ヴェネツィアに ちょっぴり歴史に名が残る、我が町コネリアーノの様子を

オーストリア皇帝妃シシーのヴェネツィア訪問
n.3 ヴェネツィア行き  ムゼーオ・コッレール  ・ コッレール博物館 その2


またヴェネツィア共和国から、ゴンドラを外国の君主や大使にゴンドラを
提供した事もあるそうで、

例えばフランスの太陽王ルイ14世の元には、1687年ヴェルサイユの運河に、
15隻のゴンドラを送り、「小さなヴェネツィア」で自由に使えるようにしたとか!


現在でも、米のラスヴェガスのホテルの人口運河にはゴンドラが浮かび、

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ニューヨークのセントラル・パークの池にも! 

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他にはブラジルにも、という事ですが、どうも上の2枚の写真で見るゴンドラは
少し長さが短いような!



と少し横道にそれましたが、へへ、ヴェネツィアの現在のゴンドラの数は433隻、
では、ゴンドリエーレは何人と? はい、約600人とのこと。

ゴンドラの数がどんどん減ったのは、モーターのついた船が活動し始めたからで、
これは仕方のない時代の流れ、という訳ですね。


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ゴンドリエーレ、が誕生したのは、ご存じの様に裕福な貴族の館の入り口が
大運河に、はたまた小運河でも、いずれも家の入り口は運河に面しており、
道に面した裏の入り口は使用人たちの入り口であったので、

つまりは現在の車同様に、貴族の各家にゴンドラが供えられ、それを漕ぐ
家付きのゴンドリエーレが雇われ、

この漕ぎ手達は「ゴンドリエール・デ・カザータ・家のゴンドリエーレ」
と呼ばれ、支払いも良かったそう。

こういったゴンドリレーレ達は、主人の秘密のお出かけにも、夜間も、
秘密の相手との出会いもすべて心得、他言せず、という、

いわば信頼関係がなくては務まらず、こうして一種の特殊な職業ともなり、
父親から息子に、という、カースト制度の様なものになったのだそうで。


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過去においては、ゴンドリエーレのライセンスは、父親から息子に渡り、
そのまま当局から交付されたのだそう。

もし父親がゴンドリエーレでなく、この職業に就きたい若者は、息子のいない
年寄りのゴンドリエーレ、またはその息子が父親の仕事に興味を持たない
ゴンドリエーレの「跡継ぎ」として、

長い年月の実践を積み、そしてそのゴンドリエーレが亡くなった後は、「櫂の試し・
La prova del remo」という試験を受け、
OKとなると街の周辺で働くことを許され、ゴンドラを貸借する代わり、
未亡人に対し自分の稼ぎの中からいくらかずつ払ったのだそうで。

こうして何年間かの辛抱が過ぎて初めて「真のゴンドリエーレ」として認められ、
街の中心で働くことが許されたと。


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現在では、ゴンドリエーレになるには父親の仕事を継がずとも、18歳以上であり、
その為の特殊な学校に通う事でOKで、

ただ、ボート漕ぎと泳ぎに優れている事、そして救急援助の免許を持っており、
3~5年毎にある競争にパスすると学校に入れるそう。

こうして授業には外国語1ヶ国の習得と、ヴェネツィアの芸術の歴史が含まれ、
学校の最後の試験は大変難しいと!

こうして試験をパスすると、プロのゴンドリエーレの元で6~12ケ月の実習があり、
この後5人の審判の前での、実技の試験があり、

これがOKとなると、「代理」の位置につき、同僚たちの代替えの仕事があり、

この「代理」の位置にある限り、誰と一緒に仕事をするか、どの地域で働くか、
選択でき、

こうしてプロの経験ができると、限定の地域の中での「定位置」を望める
ライセンスの取得ができる様になるのだそう。

とりわけゴンドラは平底で、水面下の船体がないため軽く、あの長い船体でも
狭い水路に進むこともできる代わり、漕ぎ手が櫂1本で船体を扱うための
修練が必要といい、

かなりの手数、修練、年数、が必要な仕事の様子。


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そして「ヴェネツィアのゴンドリエーリ組合・Associazione gondolieri di Venezia」
があり、これには他の様々な協同組合の会長参加も含まれ、1年毎に
「バンカリ・bancàli」と呼ばれる会長が選ばれ、

この会長は皆と同じゴンドリエーレであり、仲間全部の仕事の位置や、
仕事と休日のローテーションを決めるのだそう。

そうなんですよね、昔スケッチしていた時ゴンドラに無料で載せて貰った時、
ゴンドリエーレはいつも同じ場所で働いているのではなく、順繰りに場所が
回るのだ、と聞いたことがあるので、その様ですね。


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所で、かってのゴンドリエーレは1年中働いていなかったのをご存じですか?
1990年代の初めまで、5月から9月の約3ヶ月間だけ、つまり観光客のやってくる
夏の間だけの仕事だったのですと。

で、そのシーズンが済むと、彼らは自分の基本の仕事である、画家とかパン屋、
左官、水道管業などに戻っていたのが、

突然に仕事状況が変わり、観光客がたくさん、年中通してやってくるようになり!
ゴンドリエーレの仕事はいつも、どの季節でも変わりなくあるようになったと。

こうしてゴンドリエーレの仕事は朝の9時に始まり、最後のお客が舟を降りたら、
仕事が終わるという訳で、

夕暮れの時刻にサン・マルコ小広場前から見ていると、仕事が済んだゴンドラ内で、
せっせと掃除をしているゴンドリエーレの様子を見ることが出来ますね。


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そして組合とヴェネツィア市との取り決めで、ゴンドリエーレの衣類は
決められており、
・ Tシャツ、ポロシャツ  2,5cm幅の縞 白と赤または紺
・ ズボン 黒の、クラシック・スタイル
・ 靴  どのような色でもOk
・ ワラ帽子 (好みの物)
・ 冬季 ジャンバー 長袖または袖なし 色は黒 マフラーは縞

という事で、これはサン・マルコ区の特定のお店で売られているそうで、
お土産にも良いかも!と。


ゴンドリエーレは一般に親密感に富んでおり、話しかけると喜んであれこれと
彼らの愛するヴェネツィアについて話してくれるし、
また何人かはとても歌うのも好きだと。

はぁ、まぁ、話し相手が出来るほど、こちらも話せればの事ですしね、はは。


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ゴンドラに乗って遊覧するのはかなりお金を払わないといけませんが、事前に金額と
時間を確かめること、ハイ・シーズンの場合は予約も良いですし、
乗る場所を、あまりたくさんの人が待っている場所にしないことも大切と。

ゴンドラに乗られたことがある方はご経験と思いますが、ゴンドラに乗って座ると
周遊する自分の目線がとても低くなり、椅子に座ったよりも低くなり、
これがとても新鮮な感覚でヴェネツィアの街を眺められますので、

こちらにゴンドラでゆるゆると行く様子のヴィデオを。

ヴェネツィアにお出での時、お時間ありましたら是非どうぞ!!


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・ ハリーズ・バー  ヴェネツィアの歴史的バー のお話

ヴェネツィアにお出でになられた方、または実際にご覧になられた事がない方でも、
かく言うshinkaiも何度も店の前は通りながらも未だ入った事がありませんが、へへ、
かのヘミングウェィがご贔屓にして通った、と言うので有名なハリーズ・バー。
前を通る時は、ああ、ここね、といつも。

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場所はサン・マルコ小広場から西に河岸沿いに行き、橋を渡っての次の角に。

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今回「ハリーズ・バーの歴史、お話」と言うサイト記事を見つけたのが切っ掛けで、
ヘミングウェイのみならず、たくさんの著名人がご贔屓していた事などなど。
店の発端についても、少し驚きの逸話でしたので、ここにご紹介を。

La storia dell’Harry’s Bar

写真は記事から、またウィキペディアからも拝借を。



ハリーズ・バーが開店したのは1931年、創業者は現在の2代目である
アリンゴ・チプリアーニ・Arringo Cipriani(1932~)の
父親ジュゼッペ・Giuseppe(1900-1980)で、

創業の逸話に少し驚いた、と言うのが、父親ジュゼッペが4歳の時
一家はドイツに働きに行きますが、第一次大戦勃発の為戻っ来て、
ジュゼッペは兵隊に徴収。

戦争終了後彼はカメリエーレ・給仕人としてあちこち、外国でも働きつつ
イタリア・ヴェネツィアに戻ってきた時にホテル・エウローパ&ブリターニアの
バー・マンとして働くように。

そして1927年、彼の人生を変える出来事が起こります。

当時アメリカの青年ハリー・ピカリング・Harry Pickeringが叔母と一緒に
アルコール依存症を治すためにやって来ていて友達になりますが、

ある時ハリーと喧嘩した叔母さんは、ほぼ一銭なしのハリーを残したまま帰国。
青年の事情に哀れを感じたジュゼッペは、彼が無事に帰国できる様、
当時としてはかなりの金額であった10000リラを貸します。

そして2年後か数年後か、青年ハリーはアルコールから抜け出し、ヴェネツィアに
戻り、借金に利子を付けて戻し、その上に30000リラを、
ジュゼッペが自分個人の店を持てるように渡したのだそう!


多分ジュゼッペはホテルのバーで働きながら、いつかは自分の店を持ちたいと願い、
コツコツとお金を貯めていたのを、ハリーの事情に同情し、そのへそくりを
貸したのでしょうし、

ハリーはハリーで、ジュゼッペが出してくれたお金が、どの様な事情だったのかを
きっとよく知っていたのでしょうね。

この辺り、単なる男同士の友情を超え、お互いの意気に感じ頑張った様子が
うかがえ、ちょっとした企業創設の出世物語みたいでしょう?!

こうして30歳のジュゼッペは1931年5月13日、所船のロープや索具の貯蔵庫で
あった建物に店を開き、アメリカ青年に敬意を表し「ハリーズ・バー」と。

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はい、チプリアーニ、と姓を読んだ時、えっ、あのチプリアーニ?!と
驚いたのも、トルチェッロ島にレストラン、ロカンダ(宿)があり、

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サン・マルコ小広場の対岸ジューデッカ島には有名なチプリアーニ・ホテルも。

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shinkaiはハリーズ・バーがチプリアーニの持ち物であるのも知らなかったのですが、

男意気を見せたジュゼッペ・チプリアーニの、人生が開けた転機の店なのですね。



当時は上記したサン・マルコ小広場からの道に橋がなく、店はサン・マルコ広場から
西に1つ目の角を回った少路ヴァッラレッソ・Vallaressoの突き当りでしたが、
ジュゼッペは逆に通りを行く一見の客ではなく、贔屓客が来る店になると確信、

店の面積は45平米、バールでもありレストランでもあり、たちまちに繁盛し、
とりわけインテリ層、貴族層、そしてヴェネツィアを訪れる芸術家達の特別な店に。

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唯一の記帳本には、たくさんの著名人の名前が並ぶと、いくつも抜き書きされて
いるものの、shinkaiが知っている少人数の名前を挙げますと、

偉大な指揮者 アルトゥーロ・トスカニーニ・Arturo Toscanini(1867-1957)
キュービズモの画家 ジョルジョ・ブラック・Georges Braque(1882-1963)
「冷酷」等の作家 トルーマン・カポーティ・Truman Capote(1924-1984)
皆さま絶対ご存じ チャールズ・チャップリン・Charles Chaplin(1889-1977)
ヴェネツィアにコレクションが ペギー・グッゲンハイム・Peggy Guggenheim
                              (1898-1979)
バーバラ・ハットン・Barbara Hutton(1912-1979)名前だけ知っており、
                      日本版ウィキに詳細が
「月と6ペンス」の作家サマーセット・モーム・Somerset Maugham(1874-1965)
伝説的俳優 オーソン・ウェルズ・Orson Welles(1915-1985)
そして アーネスト・ヘミングウェイ・Ernest Hemingway(1899-1961)

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ヘミングウェイは「川を渡って木立の中に」を執筆中には店の固定客だった様で、
お気に入りの彼の指定テーブルもあったそう。



その他ヴェネツィアという土地柄から映画撮影、観光に訪れた有名俳優たちも
多かったと見え、写真に知っている顔がいくつも見えたり、


ハリーズ・バーのサイトには、こんな写真も。
右ナンシー・レーガン、レーガン大統領の奥様 左マレッラ・アニェッリ、
フィアットのアニェッリ会長の奥様 真ん中マリーア・ピア・ファンファーニ、
多分イタリアのファンファーニ大統領の奥方。 2階でお食事。

11-Nancy Reagan, Marella Agnelli e Maria Pia Fanfani at_Harry's_Bar_(Venice).jpg


アルトゥーロ・トスカニーニの生家 ・ 20世紀の偉大なる指揮者

ペッギー・グッゲンハイム・コレクション と、 彼女についてあれこれ

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.1 

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.2



バールでもあり、レストランでもあり、有名なカクテルは1948年に
ジュゼッペが創作した「ベッリーニ・Bellini」と呼ばれる、
薄いピンク色をしており、

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ベッリーニ、という名は、ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・ベッリーニの
描いた聖人の外衣の色を思い出し命名し、



一方「カルパッチョ・carpaccio」の一皿は、雄牛生肉の薄切りにソース、
そしてパルミッジャーノの薄片がかけられたもので、
名前の由来は生肉の赤色がジュゼッペにヴィットーレ・カルパッチョの描いた
強い赤色の印象を呼び起こしたからと。

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90年に及ぶ店の歴史の中で、ファッシスト政権下では、店に通う
ホモセクシャルと裕福なユダヤ人の出会いの場所ではないかと疑われたり、

1938年に出された人種法の公布では、「ユダヤ人の入場禁止」という
札の張り出しが定められたものの、
ハリーズ・バーではこの札は入り口ドアではなく、キッチンの入り口ドア
の前に張り出されたと。

そして第2次大戦下では店は押収され、船員たちの食堂に変えられたりしたものの、
戦後にはまた元の営業に。


こういった店の歴史自体が20世紀の歴史を語るものとして、2001年には
文化省から「国の遺産」としての名称も受けたハリーズ・バー。


一度店を訪れた者は、また戻るしかなく、
美味しい料理の為のみでなく、そこが本当に自分の家の様に思えるから


2代目、1932年生まれ アリンゴ・チプリアーニ。 良いお顔でしょ?!

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ニューヨーク、ロンドン、ロスアンジェルス、香港にも、店や様々な展開を広げ、
暫く前には彼も80歳を超え、店を信頼のマネージャーに任せ引退、
が、経済的な低調問題も、というサイト記事も見ましたが、



どうぞヴェネツィアの顔の1つ、歴史を持つ店として頑張って欲しいものです!

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