今月初めに出かけたエミーリア・ロマーニャの旅の締めくくりに、前夜急遽決め、
ピアチェンツァにあるリッチ・オッディ現代美術館収蔵のグスタフ・クリムトの絵を。
2泊したグラッツァーノ・ヴィスコンティの宿を8時前に出て、朝のラッシュ時で、
それでも20分ちょっとで目指した美術館近くの大駐車場に着いたものの、
入り口のチケットがボタンを押しても出ず、焦って電話すると、
バー・横棒が開いている? 開いてます。 テレパス? そうです。
じゃぁ、それで入って、出る時はバーの傍によると開くし、
料金はテレパスから請求されます。 良かった、安心しましたぁ!
事前に知っていれば何も問題は無いのですが、無知はいつもの事で!!
美術館が開くのは10時からと、まだ早いので、ではまだ来た事のない
ピアチェンツァの中心のドゥオーモと、カヴァリエーリ広場位は見に行こうと、
道の標識と簡単すぎる旅行案内から切り取った地図で見当を付け、
それに何度か近くにおられる方に尋ねつつ。
顔を見て外人と見ると、こちらがイタリア語で尋ねているのに、
「ディス・ウェイ」と手でまっすぐ示し、次いで左に「エ・ポイ、ディス・ウェイ」
って教えてくれた方おおきに!
つい「エ・ポイ、シニストラね」って繰り返してしまったよ、ははは。
ドゥオーモから回り、表だけね、
次いで広場も見て、
う~~ん、何かイマイチピンとこない街で、 ・・ピアチェンツァの方、ごめんなさい!
まぁね、クリムト見れたらOKだから、とだいたいの方角を目指すものの、
これがかなり迷い、同名の通りでも近くにいた女子学生らしき方に
尋ね、これで漸くに。 ああ、やっと!
1人旅のいつもはもう少し事前調査をするのですが、今回は緊急に決め、
地図も資料もなく、という状況でしたので、ゆる~く、ね。
有難い事に、10時と思っていた美術館は9時半からオープンで、
9時45分位に到着したのが正解で、すらっと入場でき、
おまけに黙っていてもシニア料金の2エウロに! ははは。
所で、タイトルに書いた「イタリアにある3枚のクリムトの絵」の、他の2枚は
・ローマの国立近代美術館 「3世代の女」1905年作 180x180cm
これは未だ見ておらずで。
・ヴェネツィア カ・ペーザロ国際美術館「ユーディット」1909年 178x46cm
にあり、そう、3枚のうちの1枚がここピアチェンツァのリッチ・オッディ美術館・
Galleria d'arte moderuna Ricci Oddi にあるのですね。
が、そんなリッチ・オッディ現代美術館の名前さえ正直な所知らずで、はぁ。
創立者は名前が冠されたジュゼッペ・リッチ・オッディ・Giuseppe Ricci Oddi
(1868~1936)が、ローマ、トリノでの法学の勉強を終え故郷ピアチェンツァに
戻って来た1897年、我が邸宅が余りにも空っぽなのを装飾しようと思い、
彫刻家、会計士(が参加、というのが正しくも、少し可笑しく)、商人などの
援助の元、現代美術、ロマン主義の作品に絞ることを定め、
1897年に最初の2作品のコレクションを。
そして次々と作品数が増え、1915年には100作品程、第一次大戦後にも
作品収集は続きますが、
1913年頃収集した作品を整理し、市に贈呈する事に。
で、市の方は彼に美術館建設の地を献呈し、そこにリッチ・オッディは自費で、
ルネッサンス様式風の建物を建設、という由来。
1931年に開館、現在の美術館は400作品以上の収蔵だそうで、
各地で土地の市美術館を見た事もあるshinkaiには、
やはり、それよりかなり上レベルの美術館の印象を受け、
それプラス「クリムト作品」1925年購入、という事で、
もっと知られても良い美術館と!
shinkaiがピアチェンツァにクリムトの絵がある、と知ったのは今年の春過ぎで、
盗難にあった絵が無事戻り、それも不思議な事に美術館建物の外壁内で
見つかった、というサイト記事をちらっと読んでで、
まぁ、ピアチェンツァは旅行の目的地から、月曜美術館休み、で外したまま
ちゃんと読んでおらず。
皆さんは、クリムトの絵が盗難にあった、そしてそれが無事戻った、という
ニュースをご存じでした?!
shinkaiは盗まれたのも、戻って来たのもまるで知らずで、はぁ、ムチ無知!
が、こうして敷地内に入り、展示室入り口に続くロッジャ風通路に様々な
新聞や、雑誌記事の様子が並んでおり、へぇ~っと。
ですがこの時も、記事の並びをちらっと見たのみで、展示室入り口に。
という所でリッチ・オッディ美術館の様子を上からの眺めをどうぞ。
上に見える通りがサン・シーロ通りで、 住所はVia S. Siro 13
通りから入り、最初の角、入り口を入った所に切符売り場があり、
四角く屋根に明り取りのついた部屋に、現在クリムトの「婦人の肖像」が。
そして緑のまっすぐの線の両脇に展示室が続き、一番奥が放射線状に
展示室が付き出す形に。
こうして見ると、脇に沿って回廊風にロッジャが続き、庭園もあるのですね!
絵を見て、そのまま戻ってしまったっす。
所で赤丸を付けた所は、屋根の上の丸が泥棒が入ったか、上から鉤を吊るし
絵をひっかけて盗んだ場所で、というのも、屋根の上に額が残されていたそうで、
斜め下の赤丸の位置、蓋付きの場所から、絵が見つかった、という位置で、
後程詳しく。
さて、クリムトの絵の展示の現在は、最初の部屋の真ん中に1点、
こんな風に無反射ガラスの大きなケースに入っての展示で、
ガラスに近づいてしげしげと観ることも出来、写真のフラッシュ無しOK.
「婦人の肖像」 1916-17 60x55cm
一番上の美術館の、2020年11月28日からクリムトのこの絵が再展示されますよ、
の写真でも分かるように、
左目斜め下のホクロは、紫がかった青色で、鼻の下左側のアウトラインと
唇の下にはエメラルド・グリーンが入り、額の絵の具の厚塗りの流れにも
エメラルド色が潜む、という様子、
そして煙ったような目の、瞳孔の周囲の色は点描風に厚塗り、と言う様な、
これはもう実際の絵をまじかに見ることが出来て分かる、
はぁ、やはり見に来て良かったぁ!! という至福の時。
上の展示写真では台が左側で壁で塞がれてますが、shinkaiが見た先日は
部屋の真ん中で左の壁はなく、自由に周囲を回って歩け、
キャンバスの裏側も、額の裏板無しで、キャンバス裏に記された番号や、
貼られた札も見ることが出来ます。
きっと作品が戻って来た後の鑑定で、本物であると証明されたのも見せる為と。
つい迷いつつ、なんとなし写真を撮らずのままになったのですが、
今考えると少し残念、はは。
そしてその脇に、普通展示で、クリムトのデッサン「老人」 1917-18.
これはもう少し周囲に紙の余白があり、そして薄いグレー・ベージュのマット、
でしたがピンが甘く撮れたので、こちらを。
1918年クリムトは56歳で亡くなりましたから、どちらも彼の最終期ですね。
そして「婦人の肖像」のキャンバスの裏側を見れる横に、この絵の写真。
この絵は1912年に描かれ、ドイツのドレスデンでの展示会に展示の後行方不明、
だったのが、
リッチ・オッディ美術館に展示されていた1996年4月頃、研究課題に取り上げた
美学生クラウディア・マーガ・Claudia Magaが絵を眺めつつ、
絵の下にもう1枚というか、もう1人の婦人がいる予感が発端でレントゲン検査となり、
この黒い衣装、黒い帽子の、行方不明の絵の上に、クリムトが顔の部分のみ残し、
明るい衣装の婦人を描いていた事が判明したのだそう。
これは美術界にとっては大きな発見だったでしょうね。
クリムトについてのあれこれは
クリムトの傑作 「アデーレ・ブロッホ-バウアーの肖像I」に纏わるお話
クリムト・ヴィッラ クリムトの最後で唯一残る、ウィーンのアトリエ
グスタフ・クリムトと、 黄金衣装背後の女性、エミーリエ・フローゲ
グスタフ・クリムトの風景画
こちらは古い写真で、きっとリッチ・オッディ邸の壁に掛けられたものと想像され、
絵の購入後5,6年程こうして少人数に鑑賞されていたのでしょうね。
現在の展示室は、最初の特別室から延びる通路の左右に部屋があり、
一番奥に中央の部屋から突き出す展示室で、あれこれ見ごたえ十分で、
欲を言えば、通路がも少し広いと、通路の壁の絵も見易いだろうという事で、
これは展示室もも少し広ければ、とも言え、
美術館建設当時の絵は、教会の祭壇画などは別として、一般鑑賞の絵は
多分そう大きなのはなかったから、という理由によるのでしょうね。
という所で、いよいよこの「クリムトの絵の盗難事件」について、ですが、
これは1997年2月22日美術館が改修工事で閉館の際に発見されたもので、
2月22日以前の3日間の間であろうと、正確な日も、様々な作業員の出入りも、
証言も確認が取れずのまま。
この記事の図の様に、屋根の明り取りを開け、そこから紐の先に引っ掛ける鉤を
垂らし、絵を釣り上げたのではないか、というのも、
屋根の上に絵の額と紐が残されていたのだそうで!
右上の記事タイトルで、Nel ’25 fu acquistato per trentamila lire
と見えるのは、
1925年に3万リーレで購入、という事で、現在では6千万エウロの価値だそうで!
こうして22年間様々な憶測が流れ、文化財盗難を探す警察の方は大変だったでしょうが、
2019年12月10日午後3時頃、庭の手入れで働いていた庭師が触れた、美術館外庭の
壁を覆う蔦が動き見えた、半ば開いた扉の中に、
黒プラスティックのゴミ袋に絵があるのを見つけ、警戒警報発令、警察が駆け付け、
という騒ぎに。
この見つかった位置の壁、というのは、美術館の上からの写真に真ん中下に赤丸を
付けた位置ですね。
この記事を読んで後も、shinkaiは勝手に、ゴミ袋に入っていたにせよ、22年間、
外壁で雨風の浸食はなかったのか?!という思惑、懸念が当然ありましたが、
あちこちのサイト記事を漁るうちに、はは、こんな写真も見つけ、
何枚のゴミ袋が重ねられていたのかも分かりませんが、写真のはかなりの年月を
経て、ごわっとボロになっているのが見え、 そうでないと一層疑いますが、ね、
なんとまぁ、無事に上手く過ごしてくれた事!と感謝ですねぇ。
まぁ、犯人はどんな考えで、いつ戻したのかも分かりませんが、戻した彼らも
それなりに、はは、いつ見つけるかとヤキモキしたことでしょうねぇ。
これは雑誌の記事タイトルだけで、つい、フフと笑ってしまったもので、
上には、イタリアで絵を盗むのはいかに簡単か、とあり、
下の方には、盗まれた100万もの絵の、遂に見つからなかったもの。
イタリアを略奪するのは簡単、誰も払わない。
過去のナチスから、現在のマフィアまで。
とあり、これだけで大体内容がね?! 持ち主にはお気の毒ながら・・。
という事で、クリムトの絵の22年間の不在は、きっと関係者一同、
脅迫状は来ないし、きっと絵は戻らない、と思っていた事でしょうね!
本当に嬉しく、ちょっと早いクリスマスのプレゼントみたい!
というコメントの気持ちも分かりますね。
絵が無事に見つかった、というものの、本物かどうかの鑑定が必要で、
本当に修復無しでOKなのかもの検査も必要で、秘密の場所に保管され、
美術館内の展示室の入れ替え、新しい設えも行われ、遂に発見後1年近くの
2020年11月27日に、関係者達へのお披露目が行われ、
真ん中女性がピアチェンツァ市長パトリーツィア・バルビエーリ・Patrizia Barbieri、
両脇の男性2人は評議員。
所でこちらも捜査癖が付き、おっ、右の男性はすらっと背も高く、栗色の癖毛、
何者?! なんでこういう行事に市長の傍?と思ってましたらぁ、
あれこれ記事、写真を漁りつつ、おっ、マスクの下は髭面だ、とも分かり、へへ、
遂に、文化評議員のジョナサン・パパマレンギ・Jonathan Papamarenghi氏と。
うん、マスクの方がカッコ良いかも!
こちらが開館時間で、月曜休館 火、水、木曜 9時半~13時
金、土、日曜 9時半~13時 15時~18時
8月15日休館、とありますが、大概の美術博物館は、他に 元旦、メーデー、
クリスマスがお休みですので、お確かめを。
と言う様な、イタリアに3点のクリムトの1点、幸いにも難儀から免れたクリムト様に
会えた事、そしてこの絵に纏わる様々な逸話、についてでした。
ミラノに行かれお時間があったら、ピアチェンツァまで足を延ばされても、ですね。
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