・ 秋の色を探し、 スコミーゴ村パトロール

いよいよ晩秋に向かう候、こちら北イタリアは朝夕冷え込み、
今月中頃より暖房をつけています。

暫く収まっていたコロナの新感染者数が20日頃より増え始め、
じきに5000人を超すのではないか、という数にまで増加中。

ロシアから東欧の方でまた新しいヴィールスが見つかり、急激に
伝播しているとの事で、その影響と思われますが、

現在1度のみを含めワクチン接種者数は78%を超えた時点で、
何とか80~90%越えになり、少しでも落ち着く迄は自衛が必要と
いう事で、心構えを。

***

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所でこの27日、この一帯が久し振りに停電となり、コンドミーニオの
前にもお知らせの張り紙があり、天気予報は快晴と。

では25日に歩いた時に見た、素晴らしい黄葉ぶりを撮りに行こうと
心の準備万端で待ち、はは、

朝8時半~11時半とあったのが、停電中と気が付いたのが
8時45分位だったかな、で、家を出たのが9時。

何せ停電だと音楽が聴けず、お絵描きに音楽必須なshinkaiには
何よりの外歩きの口実で、へへ、

上の猫ちゃんは、コンドミーニオを出た所の数軒先のガレージ前、
車の上にいた子で、チ、チと呼び、こちらを見て貰った所。

我が家にいた日本猫と比べ、イタ猫を見て思うのは、手足が太く、
がっちりしている事で、女の子もね、
こちらの子と比べると日本猫ちゃんはやはり体格が華奢だという事。
だからこの子も、一見しての男の子、とは限りません。


コンドミニオ前の坂道を少し下ると、シナノキの並木の下には黄色の
カーペットが広がります。

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ほら、淡い黄色、ヴェージュから、茶色に至る色のヴァリエーションが
イタリアの黄葉の色。

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快晴の陽射しに煌めく、黄金色!
コンドミーニオ側はまだこんなに葉が多く、緑がかった木もあるのが、

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先の方の木は殆ど葉が落ち、ちょうどの位置の月と。

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道の先で東に折れると何軒か並ぶ続きますが、
見かけた「迷い猫探し」のお知らせ。

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1歳半、怖がりの「公爵・ドゥーカ」君が10月8日に行方不明になり、
首輪には名前と電話番号を彫った標札を付けているそう。
飼い主のベアトリーチェさんは、この道の先にある小礼拝堂の近くに
住んでいるそうで、猫ちゃんを見つけてくれたらご連絡ください、との事。

可愛い猫ちゃんなので、飼い主の心配如何ばかりかと。
見つかると良いですね。



道脇に続く葡萄畑の、垣根の葉が秋の色。

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お家の庭の、残りの薔薇。  ほんと、一輪だけでした。

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前庭の、太~い桑の木に立てかけられた荷車も錆び。

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葡萄畑が一旦谷に下り、また向こう側に葡萄畑が続きます。

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脇道を見て行くと、まだまだ野草の花が見つかり、
春からずっと代替わりに続きながら咲いているものと!

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キンポウゲですっけ? この艶やかな花びらを上手く撮れた事がなく!


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クローバーの花も!



これは、激減しているミツバチを守るために、この葡萄畑では
消毒薬を使っていません、という標札。

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草原の広がる所に出て、谷越しに見る、隣のオリアーノ村の稜線。

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全体が素敵な秋の色になっているでしょう?! ここの眺めが大好きなのです!

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少し中に入り込み、葡萄の木の葉色を。

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shinkaiの大好きな、雑木林も黄色に染まり。

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何本かある野生のリンゴの木の赤い葉と、細い幹に苔がしっかり!

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逆光に光る、猫じゃらし。

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shinkaiは、猫じゃらしとタンポポの落下傘にはまるで抵抗できず、
今回も何枚も撮っているのですけど、写真数が多すぎ1枚のみに!



この辺りで、先日歩いて目を止めていた方向にも、と思い、
道を引き返します。

秋にはいつも目が留まる柿。 青空の下で、日本みたいでしょう?!

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谷への道に、左のお家から出て来た鶏君。 shinkaiを見て逃げかけ、
大丈夫だよん、shinkaiは肉食はしまへん。

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我がコンドミーニオ。  階段状の奥から2段目の1階に我が家です。
庭が広いので、とても気に入ってます。

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先に進み、サッカー場と小さなボッチャ・ペタンク遊び場の横の、
小さなザクロ種。驚くほどの赤色になっており、

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1ヶ月前にブドウ摘みを見て頂いた畑の脇の、湧き水が流れる岸には
いっぱいに広がる、赤まんま、でしたっけ?

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そしてこれらも春からの連続組、ですよね?

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イタリアは日本の様に四季による花の違いがなく、その土地の条件により、
晩秋迄もアジサイも、薔薇も咲き続けます。



良い色に染まった、小さな実。 なんだろ?

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お家の庭にある、幹から見て、百日紅の葉、と。

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この辺りから、何度か描いているshinkaiの丘が始まり、はは。

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今が最高の黄金の色、そして落ちかけ、で、

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緑の季節を過ぎ茶色になりかけの、shinkaiの丘で~す。

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ここを撮ろう、と思って来たのは、月曜に見た「たわわのオリーヴの実」
だったのですが、

残念! 目を離した2日の間に収穫され、残ったのはこんな状態でしたぁ!!

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という事で、家に戻ります。  

これは白樺。 長野で生まれ、育ったのshinkaiには理由なく懐かしい木ですが、

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こちらでも見かける白樺は、ベトゥッラ・betullaと呼ばれ、
ね、「しらかば」の方が断然名も良く、発音も素敵ですよねぇ。



小川脇のガマの穂。 真っ白になっているのが1本。 風に吹かれ
ハラハラと落下傘が飛びます。

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4,5枚撮って、やっと1枚写っていたのでした!


秋の日の2時間程の散歩、ご一緒に有難うございましたぁ!!


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・ ボッビオの古い橋 ・ ポンテ・ゴッボ、または ポンテ・ヴェッキオ

9月初めに出かけたエミーリア・ロマーニャ州のピアチャンツァ方面の旅の、
一番最初の目的はピアチェンツァ・Piacenzaから南に約46km、
車で50分ほどにあるボッビオ・Bobbioにある古い橋、

ポンテ・ゴッボ・Ponte Gobbo・ゴッボとは、中高の、とか、猫背の意味で、
古く、最初の建設はローマ期に遡るであろうと言われる橋。

最初に知ったのは2019年7月のブログでご紹介した時、 地図はこちらに。
n.1 イタリアで一番美しい橋30 ・ ローマ期 中世、近世の

この橋の写真を見た途端、これは描きたい!と思い、いつか必ず見に!
と思いつつ、遂に2年後に念願がかなったという事で、
楽しみ、撮った写真も多く、なかなか整理できずでしたが、今回漸くに。

日本からだと位置的に見に行くのが難しい橋と思いますので、
写真が多くなりましたが、どうぞshinkaiのご案内でお楽しみ下さいね!


ボッビオの町に到着したのは朝7時頃。 町入り口の駐車場に車を置き、
歩いて町の川沿いの道、トゥレッビア川・Trebbiaに沿って道を進みます。

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町のドゥオーモと呼ばれる、鐘楼の見えるサンタ・マリーア・アッスンタ教会の
直ぐ正面側を下った位置に橋が架かっており、



橋はこんな風に見えてきますが、ちょうど東西方向に架かっており、
東が奥になり、まだ背後の山の上から陽が射していない時間。

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橋の長さは273m、アーチは全部で11ありますが、橋の高さが等しくなく、
高低があるのがまず大きな魅力!



これが町側からの橋の入り口部分ですが、ご覧の様に真っすぐでなく、

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これもまたshinkaiが見に行きたい! と思った大きな魅力です。

橋の両脇には3か所、ご覧の様にニッキ・壁龕というか、碑が掲げられて
いたであろう箇所がありますが、現在碑が残っているのは、町側からは
一番奥のみ。



こちらは半ばの碑の位置辺りから、ボッビオの町を見た所で、町には漸くに
陽が当たり始め、橋にも少し差し掛けています。 7時半頃。

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最後の一番大きなアーチの上の壁龕には、川下側に「お助けの聖母」

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川上側には、ボッビオの守護聖人サン・コロンバーノ・Colombano.

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サン・コロンバーノ(540頃-615年11月23日)という聖人は、アイルランドで
生まれた伝道僧で行動と外交術に優れており、ヨーロッパ中にいくつもの
僧院、教会を造られているそうで、ボッビオに来られ、今回のこの橋を造られたり、
この町で亡くなられた方で、
姓にちなみ、肩に鳩・コロンボが乗っているのが印です。



橋の写真はもっと陽が射してからの方が良かろうと、今回1回目の橋往復では
さらっと見て頂きますね。

一旦東に渡った所で河岸際に降り、手前側の一番大きなスペッサ・Spessa 
と呼ばれるアーチ。

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西側はすっかり陽があたり始め、

奥の山にはトスカーナでよく見かけるカランキ・calanchiと呼ばれる
海底からの隆起物、450万~250万年前姿が見られます。

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もう殆ど橋の中程まで陽の中に。

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こうして見ると、素晴らしい構造美と思われません?!



橋を渡り町側に戻りますが、所々にある夜間照明に多分設置年月が
付いており、へへ、shinkaiの年よりも古いのを見つけましたぁ。

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振り返ってみる橋の上。 ほらね、あの最後のアーチの高い部分まで光がね。

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こちら側が橋の南側、川上側。 こちらの眺めもどっしりしていますよね?

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サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂を橋から見上げた姿。

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そして、やはりせっかくここまで来たのだから、と町の中も少し歩き、

サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂の前に。

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ちょうど逆光の位置、おまけに雲の中に隠れたりで上手く色が出ず。


出かける前にいろいろグーグルのストリート・ヴューで町の中を歩いたり、
駐車場、宿を探して見たり、いろいろ町の大体の表情を知る事が出来、
イマイチ、ああ、これを見たい、というイメージが沸かず、
橋以外には見る意欲がなく、失礼を。


町の古い地区、という部分にも行き、マラスピーナ邸というのを見つけました。

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案内標識には、

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町の古い家系のモンティチェッリ・Monticcelliの邸宅だったそうで、
それが18世紀後半半ばにマラスピーナ家・Malaspinaの持ち物に。
内部には大きなサロンがあり、素晴らしい装飾のある大階段を通じて
行けるが、現在は著名家の記録庫と図書館となっており、
建物の所有は個人、と。

マラスピーナ家というのは、この町の高台に城が残り、領土としていた
貴族で、城見物も予約でできるものの、日曜のみで都合がつかず、
これはちょっと残念だったのでした。



右横に続く壁に見える、マリア像。

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そして、こちら側の1階部分はポルティコに。

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他には、特別の建物類も見えずで、



再度橋の方に下り、橋の前を通る道の1本下の道に降りて見ます。

町の中にも「古い水車」というのを地図で見つけ、ストリート・ヴューで
見ると、道脇に水車の跡があるのみで、

地図を辿っていて、この下の道にもっとしっかり残った水車があるのを見て、
この古い道を歩いてみたのでした。

かっての水車がこのように残っており、

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何に利用したものか、そんな説明も何もなく・・。



古い共同洗濯場の水槽も残り、

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こちらの建物と道との接続の通路などが渡り、最後は川岸の草原、
公園風になっている、に降りる階段道に続き、

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shinkaiもちょうど良く、川原に。 

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川原と言っても、橋の幅の半分以上が水の通っていない草原、そして
砂利床となっており、



この時も数人が石の上にタオルを敷き、日光浴を楽しんでいて。

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shinkaiはひょっと河原の石を見て、その白い線の入り具合、
抽象的模様の面白さに惹かれ、何枚も写真を撮ったり、
3個ほどは家に持ち帰りましたぁ。

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こういう白い、細い線は、どういう経過でできるのか、知りたいものです!



真ん中のアーチ付近。

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こういった造形が何世紀も前の物、というのが凄いなぁ!と。



ですが、今回読んで知ったのは、多分ローマ期に遡る橋、というのも、
リグーリア・ケルト族の村がローマによる征服の後、と推察され、

現在のように長い橋ではなく、中世前期と見なせる古い橋の痕跡が
見つかっていたり、その後に到着のサン・コロンバーノの修道院、
614年創設、の僧達による7世紀のものと考えられ、

つまりローマ期にできた部分というのは、橋の東側の短い部分だったのでは
無いか、という事ですね。

そして1196年4月6日の町の記録に、橋の修復についての証言があり、

この橋の重要性というのは、トリッビア川の東側との連絡の重要さがあり、
というのも、川の東側にはローマ期、ロンゴバルド時代からの温泉、そして
塩田、熱塩性湿原と出ましたが、があり、

ジェノヴァ人や、リグーリア人、そしてトスカーナにも連絡するトリッビア川の
右岸なのですね。

トレッビア川は激しい性質を持ち、突然の壊滅的な洪水に見舞われ、
砂利床が頻繁に移動し、特に冬季に氾濫が問題になるのだそうで、

16世紀迄は、橋は右岸の一番大きなアーチとそれに続く3つのアーチ、
つまり現在の半分ほどの長さの橋だった様子で、

川の洪水により、石の橋は何度もの破損を受けるものの、安全性と
強度を加える為、大幅な変更を加えつつも修復された模様。

1590年位から西側、現在の町側に向かって橋の延長が始まり、
17世紀には現在同様の11のアーチを数える橋になったそう!

橋の歴史を見ると、何度も、何番目のアーチが崩れた、という記述があり、
その度に年数は掛かっても修復し、アーチをかけ直し、と作業が続き、

1874年にはオーストリア兵が襲撃に来る、という噂が広がり、橋に爆弾を
仕掛けたものの、幸いに噂のみだった、とか、

最後は1971年1月28日18時15分に、右端の一番大きなアーチが
崩れたのだそうで!

そうなのか、それで上に見えた碑の像が新しいなぁ、と思った筈でしたぁ。



川原には、こんなベンチもあり、平和時の川原は車も止まり、
ひょっとして夏などキャンプ場になっているのかもですね。

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再度上の道に上がり、

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この角度の付き方、造形的に素晴らしいでしょう?!
きっと何度もの修復にしろ、川床の良い場所を探しつつ、アーチを掛ける
場所は既に定位置なのでしょうね。



もう一度向こう岸に行きます。 ここは真ん中辺り。

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橋の半分東側の下を水が流れ、透明感が素晴らしいでしょう?!

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今度は、橋を降り、右岸の川上側を少し辿り、水辺に近い部分に降り、

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一番水辺に近い低い場所の、一番大きなアーチから、

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西に続くアーチの数々。 でも10のアーチ迄見えるかな、という様子で。

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川岸に迫る木々の、ちょっぴりの黄葉あれこれ。 まだ9月初旬でしたしね。

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橋の東側には2階に席のあるレストランがあり、月曜がお休みでしたが、
せっせとお掃除をしたり、小さな車で何か運んで来たりが見えるので、

ダメもとで、階段脇におられたシニョーラに、済みません、上で写真を2,3枚
撮らせてもらえませんか、とお願いすると、快く、どうぞ!と言って貰え、

レストランに行くと、テーブルのセットが出来、調理場でも働いており、
案外お昼から貸し切りの食事会の用意中だったのかもで、

上でも快く、シニョーレがどうぞ、と言ってくれ、窓によって何枚かを!

高さがあると、橋の上の広さも見え、やはり下からの眺めよりは素敵ですし、
高いアーチと低いアーチの高低差もはっきり見えます。

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ただレストラン側の窓の端がも少し橋寄りの位置だと、もっと良いかもで、
上の3階にも席があるのが見えるものの、閉まっている様だったし、我慢!

これだけ確かめられたら満足、と、お礼を言って降りた事でした。



最後にもう一度、一番大きなアーチのニッキから、町までの様子を。

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お昼近くなっての、木々の緑が反射した水も美しいでしょ?

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最後は町の北端にある、サン・フランチェスコ教会の、後陣と鐘楼の眺め。

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これはサイトで探して回った、アーチが11見える、夜景写真。
町側の最後の2つが引っ付いて、おまけに低く、見え難いのですね。

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と、おまけがありまして、

レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な「モナリザ」または「ジョコンダ」像ですが、

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実は2015年に「スタジオ・ピアチェンティーノ・ベロッキ・studio piacentino 
Bellocchiにより、3D再構築及びその他の技術チェックを通し検証されたのが、
モデルの女性は誰か、という調査の様なのですが、

それに伴い、この背後の遠景に見える橋は、ポンテ・ゴッボで、

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これは上に見学できなかった、と書いたマラスピーナ・ダルヴェルメ家の城の
北東正面上の窓の眺めからの視点、であるという仮説を支持しているそうで。


この絵の背後風景は、以前、トスカーナのアレッツォ周辺、テーヴェレ河の
眺めである、とか読んでいましたが、

橋は、ここボッビオの橋を、レオナルド様はお加えになった、のでしょうかね。


2年間願っていた橋が見れ、見たい熱は収まったものの、はは、
新しい課題が・・! で~す。


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. n.2 ヴェネツィア点描 ・ アッカデミア美術館~リアルト橋~駅前

先回に続き、10日に久し振りに出かけて来たヴェネツィアの様子を、
漸くに活気を取り戻した感のあるヴェネツィアの、写真レポをどうぞ!

先回最後の写真は、小運河越しに見た映画「旅情」に登場した
ペンショーネ・アッカデミアでしたが、

橋を渡ってからアッカデミア美術館前に至る少路の名は、
カッレ・コンタリーニ・コルフ。
つまりペンショーネ・アッカデミアの小運河越しに見えるコンタリーニ家の
大邸宅、写真を見て頂いたその背後を通るので、同名がついているのも
知りました。 が、

アッカデミア美術館が道の先に見える少路の角にある店、骨董かもの
絵画とか、手作りアートぽい人形とかがショウウインドウに見える店ですが、

今回のshinkaiの発見はこちら。 
何となくイメージの発想元はひょっとして「桃太郎?!」と思ったもので、はは、

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古典的な要素もあるので、目が留まったのでした。



と、こちら、「ノアの箱舟」。 これもなかなか渋い色合いと発想が面白いなぁと。

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ですが、上の桃太郎風は80エウロ程で、ノアの箱舟は420エウロだったか、
到底shinkaiの手が出るお値段ではなく、もっと若く、時間があったら、
自分で作りたいと思うかも、でしたぁ。



そしてアッカデミア美術館前。 右に切れている白い建物が入り口なのですが、
何とかなりの列が並んでおり、わぁお! でカリタ教会の方を。

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これはアッカデミア橋に渡る少し高い位置からの、美術館の大きなポスターで、
Le Gallerie che no ti aspetta・美術館はあなたを待ってません、と。

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というのは、早く見に来ないと見逃がしますよ、という意味かな?
でも、へそ曲がりだと、はは、待たんでもええ、勝手にせい、とか・・ ね。

下には、ティエポロ、ピアツェッタ、ストロッツィ、グアルディなどなど、
17~18世紀のヴェネツィア派の画家の名が。



美術館前の広場に切れ込む、大運河の流れのゴンドラ。

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日陰の方はまだ薄暗く写るのですが、大運河は陽がさんさん!



一瞬ドガーナの先まで行き、対岸のサン・マルコを眺めようか、と思ったものの、

暫く前から頭にあったサント・ステーファノ教会を見に行こう、と橋を渡ります。

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橋の向こう側右に見えるのはフランケッティ邸。



大運河を走る、というより、ぶっ飛ばすモーターボートたち。

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そして反対側の眺めにも、活気に満ちたモーターボートがね。

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右側に続く白いパラッツォの2つ目、斜めが、コンタリーニ・コルフ・ロッカ邸。



アッカデミア橋を渡ってくると、橋の袂にこんな風に「ゴンドラ・サーヴィス」の
看板を掲げ、ゴンドリエーレが2人観光客を待っているのですけどぉ、

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白黒の方がね、狭い隙間に腕を乗せ、顔を出している様子が、まるで
「ゴーニャ・さらし首の刑」に遭っているみたいと思わず1人笑い、ははは。



フランケッティ邸入り口脇にあった大ポスター2枚。

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サイトによると、1928年にこの画家がエトルリアの発掘品をモチーフに描いた事で、
絵画の世界が変わったのだとか。 と、いう事で、発掘品と絵画との展示会と。

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左は「威信のパワー」とでも? 副題が「オセアニアの統率のシンボル」と。
写真は剣の柄かな?

エトルリアの彫像には大変興味があり、この左側の素朴で力強い形も素敵ですね。



こうして、道を曲がってくると、正面に開けるヴェネツィアでも稀な広い広場、
クリスマス前にはいっぱいに屋台が立ち並ぶ広場でもあり、正面に見えるのが
サント・ステーファノ教会。

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はい、長い間、あの教会はまだ入ってないなぁ、と頭にあったのですが、
今回漸くに。 
脇入り口扉前に、しっかりカメラ禁止の図があったのですが、
皆さん携帯、スマホでしっかりあれこれ撮っている様子を見て、
表の図は見ませんでしたぁ、という事で、とやっと数枚撮った内の1枚を!

13-1-DSC05895_01_GF.jpg

思っていた以上に内部が美しく、キンキラごてごてでなく、優しい色合いの
小さなモザイク柄とか、天井の船底型、というのか、大変美しく気に入りました。

ただこの教会に興味を持ったのには訳がありまして、この教会内で何度も
喧嘩沙汰や殺人も起こり、なんと6回も破戒された、というのを読み、
イチビリshinkaiは一度しっかり見たかったのですね、ははは。

という事で、まだしっかり読んでいませんし、他にも似た様な教会の名が
挙がった! ので、はは、また改めてご案内を。



教会正面はリアルト橋に連絡する少路に面し、到底全体を撮れる広さが無く、
上部のみを。 これも清楚で豪華観のある美しい正面ですねぇ。

13-2-V10_1717_GF.jpg


と、先にサント・ステーファノ教会をご覧頂きましたが、

サント・ステーファノ広場のアッカデミア橋に近い位置に、東に入る場所があり、
その奥には「国立音楽学校ベネデット・マルチェッロ」がある、と偶然に知り、
ついでに覗きに行った次第。

ヴェネツィアの国立音楽学校ベネデット・マルチェッロ パラッツォ・ピサーニ


大きな建物、というのは知ってましたが、実際に見ると本当に背も高く、幅もあり!
到底正面が1枚に収まる大きさではなく!

14-V10_1700_GF.jpg



こんな風な斜めで、右端に突き出す門と、

15-V10_1701_GF.jpg



向こう側にも同じ形で突き出す門があり、2本ある白線の外側が門の端でもあり、
ひょっとしてこの線の所にかっては塀か、植え込みがあったのかも、と。

16-V10_1702_GF.jpg



そしてこちら側の門の右手にもまだ広場が続き、後からやって来た数人が
話しながら、ソットポルテゴ・建物の下をくぐる道に消えていきます。

?と思いつつその前まで来てみると、なんと真っ暗な道が続き、
写真は修整して明るく見えますが、ほんとに暗く、奥に掲示があるのが
ぼんやりと見える程。 
まぁ、あの人たちが入って行ったのだから、とshinkaiも続き、

17-V10_1703_GF.jpg



掲示の所で折れた先に見えるのはこうで、向こうが明るいので進みます。

18-V10_1704_GF.jpg



そして奥の左側、鉄柵越しに見えたピサーニ邸、国立音楽大学の内庭!

19-V10_1706_GF.jpg

わぁお、凄いなぁ! と思いつつ、鉄柵の間から写し、



右手に見える、大運河に続く少路を行きます。

20-V10_1708_GF.jpg



朝センタ・ルチーア駅に着いた時は、駅前の運河の水の高さは、引き潮ね、
と思ったのが、2時間後のこの11時には満ちていて、チャップ~ンと打ち寄せます。

21-V10_1709_GF.jpg

大運河の対岸は、カンポ・サン・ヴィオの広場で、



お隣はヴェネツィアン・グラスのXXと思っていたのが、パラッツォ・バルバリーゴと
出て、ホテルのご案内も! 

22-V10_1710_GF.jpg

でも大運河側の様子が違うし・・。 こういう時は、また年を取っても一つ
田舎者に、と思うのみ、ははは。



で、暗い少路を引き返しながら分かったのは、パラッツェット・ピサーニという名の、
ホテル入り口がここにある、というのが分かったのでしたぁ。

突き当りは、ピサーニ邸の見上げる高さ!

23-V10_1713_GF.jpg

以前上記したピサーニ邸の衛星地図を眺めつつ、このホテル、入り口どこ?
と散々頭を絞った挙句分からなかったのが、一つ解決!
勿論4★には泊りには行きませんけど、ははは。



サント・ステーファノ広場に引き返し、好きなヴェネツィアン・ゴシックの連窓の
テラスは修復中なので、こちらを。
彩りが綺麗で、ガラスに映る対面の窓が面白いでしょう?!

24-V10_1714_01_GF.jpg



リアルト橋に向かって進みますが、カンポ・サンタンゾロ・サンタンジェロ広場は
写したものの、広いばかりで面白くないのでパスし、

ここは既にカンポ・マニンに渡る橋。 広場では合唱のグループが歌っており、
手前をゴンドラが横切って行きます。

25-V10_1719_GF.jpg



舫っているゴンドラを橋の上から。 黒に赤がやはり派手で美しいですねぇ。

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そしてこの橋の上から見える、サン・マルコの鐘楼。

27-V10_1727_GF.jpg



細い小運河にゴンドラが舫ってあり、通り抜けに抜群の技を見せる
中高年のゴンドリエーレ。 
決してこちらのゴンドラに当てる事も、舳先を壁にぶつけることもなく、
じっくりと進み、すぅ~っと抜けて行きます。

28-V10_1730_GF.jpg



後ろに続いていた若いゴンドリエーレは、壁に足をかけて、はは、
まぁ、当てずに抜けて行きましたがね。

29-V10_1731_GF.jpg



運河は左側通行で~す。

30-V10_1733_GF.jpg



そして、リアルト橋に。 橋の上は物凄い観光客で、写真撮りに橋桁に
近寄るのも大変! 少し陽が陰って残念でしたが、一応ご挨拶をね。

31-V10_1736_GF.jpg

32-V10_1735_GF.jpg



リアルト橋周辺の南も北もいっぱいの人でしたが、この南に並ぶ人の列は、
セルフ・サーヴィスの店でしたぁ! もう12時近いお昼時ですものね。

33-V10_1737_GF.jpg



リアルト橋の北側を、大運河岸に寄って行くと、かなりの浸水状態!

34-V10_1738_GF.jpg



カモメ君が、オゥ、昼時かぁ!と食べに来たみたいな顔で歩いてね、ははは。

35-V10_1739_GF.jpg



こちらは少し大人しい感じのカモメちゃん

36-V10_1741_GF.jpg



正直に言いますと、shinkaiはアッカデミア美術館手前辺りで、サンドウィッチを、
ツナと小玉ねぎのピクルスのサンドウィッチを1つ、オレンジ・ジュースの生を1杯
飲んでいたのですけどぉ、

この辺りで皆さんがお昼を食べているのを見ると、食べても良いよね?と
思い始め、少路の奥の外にテーブルを出していた小さな店で、

コッツェ・イガイ、とプチトマトのタリアテッレ・パスタと、生ビールを。 
美味しかったぁ。

37-DSC05901_01_GF.jpg

付いてきたパンも美味しく3切程をね。 何せ朝7時半過ぎに家を出てますもん。



曇り空になったのでカメラの一眼をバッグにしまい、のんびりと駅に向かいます。

途中、向こうに見える小運河の水の色と、壁の薄黄色、剥げた白が美しく、
コンパクト・カメラを出して1枚。

38-DSC05902_01_GF.jpg



リアルト橋を北に渡り一旦北に進み、それから曲がり曲がりしながら橋を渡りつつ、
斜めに横切って駅に向かう道ですが、すでに何度も通っているいつもの道。

サン・ジャコモ・ダッルローリオ・San Giacomo dall'Olioに近い、
メージョ橋の上から見る2艘のゴンドラ。 

39-DSC05904_01_GF.jpg

40-DSC05905_01_GF.jpg



そして舳先。 向こう側の舳先飾りの光が鮮やかで、が手前の様に平らでなく、
多分ぶつかって、舳先は修理したものだろうと。 
そう、艫の飾りよりもずっと大きく、これが無いとゴンドラになりませんものね。

41-DSC05908_01_GF.jpg



カンポ・サン・ジャコモ・ダッルローリオではちょっとした手仕事アートの屋台が
開かれており、角ばった指輪の面白いのがあり見ていると店主が説明してくれ、
とても軽くて色も綺麗で、縞模様もあったので見たのでしたが、

ガラス、ムラーノ島で作っている、と言いましたが、ガラスにしたら軽すぎ、
見た目もプラスティックにした見えず、値段は60~70エウロと言い・・!!



という訳で、ここからはサンタ・ルチーア駅も近く、
朝渡ったスカルツィ橋まで戻って来て、

42-DSC05909_01_GF.jpg



橋に上りかけの所で、大運河の東側、サンタ・ルチーア教会の方にご挨拶。

43-DSC05910_01_GF.jpg



で、ゆっくり電車を待ちつつ、 ははは、お笑いですが、どの電車も止まる
駅2つめのメストレまで戻るのに、ついいつもの癖でウーディネ行きを待ち!!

でメストレの駅裏から車に乗り、ヴィットリオ・ヴェネト北口で高速を降り、
近くのスーパーで買い物をしたり、5時前に家に戻ったという、

久し振りのヴェネツィア行きの一日、 楽しかった! 
皆様にもヴェネツィア歩きが楽しんでいただけます様に!!

少し観光客が収まるのを見て、またね!
で、今回の歩き後遺症は、サロンパス2日間で済みましたぁ、ははは。


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・ n.1 ヴェネツィア点描 ・ サンタ・ルチーア駅~ペンシヨーネ・アッカデミア

10日の日曜日、ヴェネツィア・メストレ迄出かけた時、ついでに足を延ばし
ヴェネツィアをちょっと歩いて来ました。

ヴェネツィア・メストレ駅裏の駐車場は日曜は無料で、メストレ駅から
ヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅は約10分、電車は片道1,35エウロ。

おまけに直ぐ近くに高速入り口があるので、家まで帰るのも混む電車に
揺られ、コネリアーノで車に乗り換えるより早く着く、という事を発見して以来、
今後はこの手で行こう! と考えていたのが、漸くに何とか自由に動ける様に
なったのと、お天気になりそう、という事で出かけて来たのでした。

但し日曜に限る、となると、教会などミサで遠慮、があるのと、
観光客が多い時期は少し検討が必要ですが、今はまぁさておき・・。

で、ヴェネツィアに到着が9時10分。 なんとまぁ、久し振りに活気に満ちた
サンタ・ルチーア駅前!

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陽がいまだ建物の高さの影に隠れ、地面は影になっていますが、明るい空。



駅前のスカルツィ橋の上から、いつものご挨拶、サン・シメオン・ピッコロ教会。

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ゴンドラの朝の準備が始まっており、ここの2艘が赤と金色で鮮やかで。

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大勢の観光客の姿を見て退避する事にし、駅の対岸を西に、
橋を渡る手前で南に、フォンダメンタ・デイ・トレンティーニを下り、

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ホテル・パパドーポリの前に架かる橋。 もう少し陽が高いと良いのですがぁ。

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そこからまた、とにかく人通りが増えそうな道は避け、南下を。



角の運河の先に見えるマルカントン邸、どうやらホテルになっている様子。

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前に見える橋を渡った辺り、なかなか良い雰囲気なので、一瞬行こうか、と
思ったものの人が多いのでやめ、また南に橋を渡り、



角の建物の2階の庇の上、風の寒さに首をすくめている鳩君。

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はい、shinkaiは薄手のダウンを来ていましたが、陽射しの下は暖かくとも、
風の通る場所、影では丁度良い位で、
半袖Tシャツの若者もいたり、しっかりダウンを着た方もいたりの季節です。



覗く小運河が興味深く、

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ゴンドラが行く風景の、この向こう側の古い壁が趣あり。

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地図で確かめると、カッレ・デル・フォルノと出た、古いレンガ積み円柱の建物。

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そして出てくる、カンポ・サンタ・マルゲリータ。 
切りとられた鐘楼が見えますが、ここの教会も廃止になっていたと。

11-V10_1608_01_GF.jpg



壁上部の壁龕の人物を写しましたら、乙女と思われる長い髪、衣装ですが、
髭を生やしている様な影が付き、お気の毒!

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アンティオキアの聖マルゲリータと呼ばれる、実在したかどうかも正確でない聖女
という事ですが、大変に民衆信仰が厚い方だそうで、乗っているのはドラゴンと。



カンポ・サンタ・マルゲリータは南北に細長い広場で、奥に見える鐘楼は多分、
サンタ・マリーア・デイ・カルミニの物と。

13-V10_1612_GF.jpg



初めて改めて眺めズームしましたら、こんなお姿で。

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カンポ・サンタ・マルゲリータの中ほどに、質素ながら味わい深い水道があり、

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散歩に来たこの大きなワン君、何種? が、がぶがぶと水を飲み、

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出会った、この気の強いチビ君との出会いもあり、はは。

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少し離れてあったこの建物、何かと思いましたら、スクオーラ・デイ・ヴァロテーリ・
Scuola dei Varoteri 1725年のもので、皮なめし業者組合の物と。

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1階の左端に見える碑は、これです。

19-V10_1622_GF.jpg

魚市が開かれる、と言いましたが、確かにそれに関する歴史あるもので、
魚を売る最低の長さの基準を定め、示しており、 
ヴェネツィア訛りがね、辞書を引いても出ず!

イワシ 7cm   スズキ、チヌ、鯛、太刀魚、カレイなど 12cm
鰻 25cm   牡蠣 5cm   イガイ 3cm

リアルト橋を北に渡った所の魚市場にも、同じものが残っていて、
他にもサイトで写真を見たので、魚市の場所にはあったものと。



広場半ばの北に見える古い建物の1階右に見える軒下には、
ヴェネツィア預貯金銀行、という文字がね。

20-V10_1623_GF.jpg



そういえば、この広場の一番南端まで行ったことがなかったっけ、
と覗き込むと、道の奥に立ちふさがる教会の高い壁。

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一番上の半円の窓の前に、ぽちっと白いもの、



あ、カモメちゃんが日向ぼっこ中。 嘴の先の白いのは毛づくろいの産毛。

22-V10_1626_GF.jpg



正面から見えた教会脇入り口の庇の右側にあった、孔雀とあれこれ動物との
半浮彫。 

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反対側には隣の建物との空きが少ないせいか何もなし。 
こういうのを知ると、何となく、ふふ、で、皆さんもお好きでしょう?!



正面側に回って、ああ、この教会だったのかで、鐘楼の見えたロマネスク様式の
サンタ・マリーア・デイ・カルミニ教会。 
こちら側の運河沿いは、前を何度か通っている道でした。

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写真で見えるかな? 中層のガラスの入った窓、左9時前の位置が割れてます。



教会前広場の運河の向こう、陽が半分あたり始め、

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上手く人が歩いてくれないかと待ちましたけど、残念。 望む人通らず・・。



陽が当たり始めると、俄然運河に反射する壁の柄の動きが楽しくなり。

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デイ・カルミニ教会の脇を通り抜け、もう1本運河への橋を渡り、

橋の上から、ゴンドラが回転し、元の運河に戻る姿を見たり、

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上が丸く開く煙突は、ヴェネツィアの独特な古い煙突の形。

30-V10_1649_GF.jpg



前方を見ると、先に見えるのはサン・バルナバ教会の鐘楼。 ああ、ここね。

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かなり長いフォンダメンタ・ゲラルディーニ河岸を歩きながら、映る建物の姿を。

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これは建物から下がっていた展覧会のポスターですが、shinkaiは首を傾げて
見たので、はは、皆さんには見えやすい様に。
ヴィルジーリオ・グイディという画家に捧げる展覧会で、ジューデッカ島の風景。

33-V10_1654_GF.jpg



小さな、ヴェネツィアの秋。

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水に移った黄色がとても綺麗と思い、カモメ君の目が良く見えませんが、これを。

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サン・バルナバ広場まで来て、久し振りに見た、ゴンドラの無事な艫飾り!
ははは。 だって無傷な方が珍しい程に、破損してるのが多いのですよ。

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でも、しっかり見ると、1度破損し、修理済みであるのが分かります。
かなり酷い衝突だった様で、船体の横板にもひび割れが見え、お大事に。



映画「旅情」に登場の、ロッサノ・ブラッツィが店主のガラス店が橋の手前に。
左下の運河への階段が、キャサリン・ヘップバーンが落ちた所、ははは。

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映画を見た頃、中年2人の恋物語、と思ったのが、なんとまぁ、
今DVDを見ると、若いお2人!になってしまったよぉ!



サン・バルナバ教会。 いつもレオナルド・ダ・ヴィンチの発明展が
開かれている様子。

38-V10_1661_GF.jpg



ここからは素直に、アッカデミア美術館への道をたどり、

1本内側を行く道の橋を撮りながら、 あれ? ここは描いた橋、建物?

39-V10_1663_GF.jpg

と思い、これを書きながら調べましたら、確かに! ポンテ・マルパーガと。

橋を渡って ヴェネツィア



左側一番手前のテラスに、カフェのカップを手に女性が。 
向こうを向いた時にね、はい。

40-V10_1664_GF.jpg



アッカデミア美術館への最後の橋を渡る前、映画「旅情」の彼女の宿、
ペンシヨーネ・アッカデミアの入り口を見に行った時に見た、

こちら影の中の運河と、大運河の陽当たりの水の色の違いに、わぁ~お!

41-V10_1669_GF.jpg



ちょっと厳めしい要塞風にも感じる建物、大運河側を通ると白い四角い建物
しか見えないのですが、今後ろ側を修復中で、フレスコ画が見え、

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43-V10_1671_GF.jpg

グーグル地図を見ると、パラッツォ・ロッカ・コンタリーニ・コルフ・
Palazzo Rocca Contarini Corfù と。
ふむ、ちゃんと名前にも、ロッカ・要塞と入ってますね。
      
と思ったのですが、サイトを見ると、1300年代末の建設で、17世紀初めに増築、
1830年迄コンタリーニ家の持ち物だったのが、1890年にロッカ家が購入と。



橋のこちら側から見える、ペンシヨーネ・アッカデミアの入り口。
アメリカ人には未だ大人気の宿、と読みましたが、日本の映画キチの方は?

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という所で、ヴェネツィア点描 n.1 をお終いに。 次回も宜しくどうぞ!


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・ レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子 と ルーベンスの有名作品 について話題2つ

まずレオナルド・ダ・ヴィンチの弟子マルコ・ドッジョーノ・Marco d'Oggiono、
(1470頃-1524頃) 彼はレオナルドのミラノの工房で働き、多分1490年以降は
工房内での独立した画家であったろうという記録があり、

姓のオッジョーノは、ロンバルディア州モンザの北にある湖水地方の
小さな湖アンノーネ湖の南岸にあり、生家は裕福な貴金属商であったろうと。

多分レオナルドの監督の元、あれこれの作品を同僚画家たちと制作したで
あろうと思われ、

作品は如何にも師のレオナルド風面影が濃く、今迄「レオナルド作」と
された来た作品も、ドッジョーノ作では?と視られるのが幾つかあるそうで。


こちらが今回の主役、
マルコ・ドッジョーノ作の「聖母と幼児・La Madonna con Bambino

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参考にしたサイト記事は、この9月16日付けで、
レオナルドの弟子の作品(盗まれていた)が絵画館に戻った


「ロンバルディア・ルネッサンス様式」の代表者として名が挙がる彼の作品ですが、

実は1900年代半ばに、ミラノのヴェネランダ・ビブリオテーカ・アンブロジアーナの
ピナコテーカから盗まれ、その後行方不明になっていたのだそうで、
無事戻って来た、という喜ばしい結果になった訳が少し可笑しく、皆さんにも!


話の起こりは今年2021年3月、ある画廊主が、売りたい、と持ち込まれた絵画の
合法的な出所を確認する為、モンザの文化遺産保護のために設置されている
カラビニエーリ・警察の部署に出向いたのだそう。

というのもこの絵は、コレクションしていた年配女性が自分の甥に遺贈したもので、
甥はこの画廊を通じて売ることを決意したと。

話を聞き、マルコ・ドッジョーノの作品と知ったカラビニエーリは即調査に。

そして絵は、世界最大の違法に盗まれた文化財のデータ・ベースに存在し、
1900年代半ばにヴェネランダ・ビブリオテーカ・アンブロジアーナの
ピナコテーカから盗まれた事も確認。

という訳で、絵画は持ち主から没収され、甥御の相続が減りましたが、はは、
保守的な修復に送られ、元の色合いに戻ると、作品は再びアンブロジアーナ絵画館に展示、
という事になり、


こちらが、その姿、という事でしょうか。

Cattura_GF.jpg

額にも損傷が見られ、聖母の髪にも落剝が見られますが、

まずは無事にお戻り、おめでとうございました! 
こうしてまた皆さんの称賛の目を浴びるチャンスもあろうというものですね。


慎重な画廊主と、画家の名を知りつつピンと来なかったコレクターの甥の差が
今回の解決につながった訳ですね、ははは。

先回の、イタリアにある3作の1のクリムトの作品が無事戻った、というのも、
イタリアで盗むのは簡単、そして決して戻らない、の評判通りにならずに良かった!

イタリアにある3枚のクリムトの絵の1枚 「婦人の肖像」の逸話 あれこれ!



所で、行きたいと願いつつ未だの、アンブロジアーナの絵画館はどんな?と
検索をかけましたら、こんな所!

4-1-Biblioteca-Pinacoteca-Accademia-Ambrosiana-1_GF.jpg

4-2-pinacoteca-biblioteca-ambrosiana_GF.jpg

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6-Ambrosiana-Sala-dell-Esedra-1_GF.jpg

なんか凄いなぁ!という様子ですが、見学にはガイド付き、という事で
予約が必要の様子です。 チャンスを待ちましょう。



そして、画家マルコ・ドッジョーノの他の作品ですが、

ローマ ボルゲーゼ美術館  「サルヴァトーレ・ムンディ

7-Marco_d'Oggiono,_Salvator_Mundi,_c.1500,_Galleria_Borghese,_Rome_GF.jpg



ミラノ ブレラ絵画館  「3大天使の祭壇画

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ロンドン ローヤル・コレクション 「キリストと幼い洗礼者ヨハネの抱擁

9-Marco_d'Oggiono_The_Infant_Christ_and_Saint_John_Kissing_GF.jpg

等など、各地の絵画館に作品が収まっており、今後は彼の名にもご留意を!



そして2つ目の話題は、ルーベンス・Peter Paul Rubens(1577-1640)。

バロック期のフランドルの画家で、様々なジャンルの作品を多数手掛け、
ベルギーのアルトウェルペンで大規模な工房を経営した程の画家であるのみでなく、
人文学者、美術品収集家、外交官としても活躍した、という大人物!

1623年の自画像を。

1-Self-portrait_by_Peter_Paul_Rubens_GF.jpg



フランドル絵画は大好きですがぁ、彼の作品の様にダイナミックでインパクト強く、
描かれる女性が「爛熟の」肉体美人過ぎるのは、はは、好みではありませんので、
上記した経歴も、今回初めて知った事などで・・、失礼を。

子供の頃に読んで泣いた「フランダースの犬」のネロ少年が見たがったのは
ルーベンスの描いた祭壇画だった、というのは知っておりましたぁ。


所で肝心の話題はです、 参考にした記事サイトは
世界で最も有名な絵の1枚は、本当は偽物! 人口知能による信じられない発見。

記事サイトの発表は今年9月29日。
  
ニュース自体は、9月26日にThe Guardianに発表されたもの



現在ロンドンのナショナル・ギャラリーに

2-national_gallery_GF.jpg



展示されている、ルーベンスの「サムソンとデリラ・Samson and Delilah」 
1609年 185x205cm

3-NationalGallery_720_GF.jpg

4-dalila_sansone (1)_GF.jpg

この絵は、1980年に250万ドルで購入されたもので、当時3番目に高い値段で
あると言われた作品。



絵のモチーフは、旧約聖書にある「サムソンとデリラ」の逸話で、デリラは
ペリシテ人の敵、無敵のユダヤ人英雄サムソンを誘惑するのを、
多額の報酬目当てに引き受け、

一方サムソンはデリラに恋をし、彼の強さの秘密である、髪の毛の
7本の三つ編みを切ると弱くなる、と打ち明けてしまい、
彼女の膝の上で眠っている間に髪の毛を切られた、という瞬間を描いたもの。



ですが、この作品は購入の元々から問題があり、
つまり一部の批評家や学者は何十年間にわたり、「サムソンとデリラ」が
ルーベンスによって描かれていなかったと主張していたそうで。


上の画像を見るだけでは我ら素人には、如何にもルーベンスらしく見えますが、
        
ここに登場したのがスイス企業の「Art Recognition・アート認識」で、
人工知能・AIを使った芸術作品の認証を専門としていて、
いわゆる「畳み込みニュートラル・ネットワーク」を通じ詳細に研究したそう。

畳み込みニューラルネットワーク(CNN)とは?何に使えるの?


つまり専門家はルーベンスの148のオリジナル作品と比較し詳細な研究を行い、
結果、ナショナル・ギャラリー展示の有名絵画は、91%偽物である事が明らかに!

アート認識は、特別に訓練されたアルゴリズム・手順、手法を使用し、
アーティストのスタイルと筆致の細部をキャプチャし、
高度な人工知能システムにより評価するもので、

それによって得られる結果は非常に驚くべきもので、本物でないという91%の
確率を返し、間違いない確認のため実験を繰り返したものの結果は常に同じ。

すべての差分ファイル、すべての正方形は、90%を超える確率で、
偽作であるのが判明した」
と研究を行った科学者のカリーナ・ポポヴィッチ博士は発表したそう。


批評家や芸術愛好家の間で、この衝撃的なニュースはかなりの騒ぎを引き起こし、
当のロンドン・ナショナル・ギャラリーは、「この問題について
意見を表明する前に、現在公開されていない研究全体を分析したい」と述べたと。



この人工知能が、アートの世界で脚光の舞台に立ったのはこれが初めてではなく、
最近「AI」は、レンブラントの有名な「夜警」を元の栄光の座に戻すのに役立った。

5-La_ronda_de_noche,_por_Rembrandt_van_Rijn_GF.jpg

というのですが、
絵の表面のニスが塗られたのが変色して黒ずみ、夜の絵と思われ、タイトルも「夜警」
だったのが、修復後に明るくなり、昼の絵と分かった、というのは有名ですね。



で、2019年からの修復は、AIにより、かって展示場移動の為に切りとられていた部分が
再現され、現在公開されている、という様子。 こういう仕事は素晴らしいですねぇ!

6-Nachtwacht-kopie-van-voor-1712_GF.jpg



はたまた最近人工知能を使って、肖像画が残っている著名な歴史上人物達の
「普通の顔」を復元、というのが面白く、サイト記事をストックしましたが、
またご案内いたしますね。


と言う様な事で、これから先は「偽物かも」という囁きのある作品は、
AIによる洗礼を受けるようになるかも、ですね、ははは。

それにしても、世の煩い批評家連中の目もくらませるような、
そんな凄腕を持った画家達がやはりいる、いたのですねぇ!!

それにしても、それにしても、世の中の最新テク、は恐ろしく凄いもの!!


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・ ロシア皇帝後継者ゲオルグ・ロマノフと、イタリア女性の結婚式

10月1日、ロシア皇帝 最後の後継者タイトルを持つゲオルグ・ロマノフと、
イタリア女性レベッカ・ベッタリーニの結婚式が、
ロシアはサン・ピエトロブルグのサン・イザ-ク聖堂で執り行われました。

1-1-download (15)_GF.jpg



ロシア皇帝後継者の結婚相手がイタリア女性というので、このニュースは
かなり早くから流れており、shinkaiが知ったのは今年早々で、

こんな写真が付いており、顔がよく分からないまま、わぉ、押しつぶされそう!
と無責任な感想を持ったのを覚えておりますが、失礼を!

2-34249c45e59d15c5e2274bc93ce555a_GF.jpg



つい先日9月末に、「ローヤル・ウェッディングは10月1日」と出たものの、

3-George-Romanov-Rebecca-Bettarini_GF.jpg

最初のニュースで、既に知り合って10年の交際で、とあったので、
そうかぁ、いよいよご結婚されるんだ、と思ったものの・・、



そしてこの1日から2日にかけて、スマホにもあれこれ結婚式の様子が出て、
ロシア正教に則っての、見事な美しい結婚式の様子だった事もうかがえ、
勿論日本でもニュースに出たと思いますが、皆様にもご覧頂こうと!


花婿 ロシア皇帝後継者大公ゲオルグ・ミハイロヴィッチ・ロマノフ・
    George Mikhailovich Romanov 39歳 
    最後のロシア皇帝ニコライ1世一家の惨劇から1世紀を超えての、
    ロマノフ家としては初めての結婚式。

花婿 レベッカ・ヴィルジーニア・ベッタリーニ・Rebecca Virginia Bettarini
   イタリアのベルギー外交官ロベルト・ベッタリーニ・Roberto Bettarini
   の娘 29歳
   作家、そしてロビイスタ、 現在はロシア帝国財団管理者も。

Cattura2-.JPG



花婿のゲオルグ・ロマノフが、ロシア皇帝後継者のタイトルを持つ唯一直系の
人物と見なされている、というのは、

悲劇の最後のロシア皇帝、ニコライ2世の従弟のキリル・ウラジーミロヴィチ大公、
革命中にロシアから逃亡し、自分が亡命中の皇帝であると宣言した、
ニコライ2世の従弟、の孫にあたり、

キリル・ウラジーミロヴィチ大公の1人息子の、ウラジミール・キリロヴィッチ・
ロマノフ・Vladimir Kirillovich Romanov、(同じ名前)の1人娘マリーアの、
そのまた1人息子なのですね。

あれこれ読んでいると、事情の複雑さに頭が混乱して来ますが、はぁ。


と言う事で、この結婚式はロマノフ家にとっては1世紀を超えての最初の結婚式で、
ヨーロッパ中の幾つかの王室との繋がりもあり、VIPを含め1500人の参加だったそう。

ロシア20世紀初頭  ロマノフ王朝最後の大舞踏会の美しい女性たち


ゲオルグはスペインのマドリッド生まれで、洗礼親は前スペイン国女王ソフィア。

2人はどちらもが働いていたブリュッセルのEU機関内で知り合い、
彼は欧州議会と欧州委員会で働いており、ロシアの鉱業大手ノリスク・ニッケル
の取締役顧問を務めていたそうで、

ゲオルグは彼女に「ロシア帝国財団」の立ち上げの手伝いを頼み、
そうして一緒に働くうち、情が湧いたのだそう。

2人は今、コロナによって引き起こされた危機の影響を受けた人々の支援の為の
慈善活動も行っており、広いロシアの多くの地域にも支援をもたらす大変な仕事で、
資金を提供したユニリーバやコカ・コーラなどの大スポンサーに感謝する機会を
将来の花嫁は得たそう。



この写真は、教会での結婚式に先立ち、市民結婚の様子。

Cattura1-.JPG


結婚式の場所に選ばれたサン・ピエトロブルグは、ご存じの様にかっての
ロシアの首都で、ゲオルグは1922年に亡くなった祖父と初めて訪問しており、

大きな感動を得たロシアの美しさを、一族の皆に見せたい、と。



という事で、結婚式写真の一連の始まり、始まりぃ!!

教会入り口。 父親ロベルトに付き添われ、花嫁レベッカの登場。

4-download (3)_GF.jpg



祭壇に向かって進む父と娘。

5-download (1)_GF.jpg



花婿の迎えを受け、娘を婿に託す父親。

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7-download (6)_GF.jpg



花婿は、花嫁のヴェールを上げ、

8-download (4)_GF.jpg

9-download (2)_GF.jpg



花嫁は持っていた胡蝶蘭と思う花束を一旦手から離し、2人は蠟燭を手に。
ゲオルグが彼女を見つめ、

10-Cattura3_GF.jpg



彼女はにっこりと彼の腕に手をかけ。 美しい花嫁ですよねぇ! 
いかにもすっきりとした、余分な装飾の一切ない、美しい花嫁衣裳。

11-Cattura4_GF.jpg



大僧正、で良いのかな、の迎えを受け、

12-Cattura5_GF.jpg



大僧正が手に持つ、何だろ? 剣かな?に接吻を。 「誓いの印」なのかも。

13-Cattura6_GF.jpg


ロシア連邦が崩壊の後、宗教が戻り、ロシア文化の伝統もまた戻り、
花嫁は昨年結婚式に先立ち、ロシア正教に転向、
名前もヴィクトリア・ロマノフナ・Victoria Romanovnaとなったそう。



結婚式がこうして済み、祭壇の上に一番の近親者たちが並び記念撮影を。
終始落ち着き、にこやかな花嫁で、ふっくらと美しい花嫁ですねぇ!

14-Cattura8_GF.jpg

おお、花嫁のヴェールに、ロマノフ家の家紋が金色に!



聖堂の入り口前に現れた新婚のお二人を迎える、剣の門。 

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そして、見せびらかしの、バーチョ、ははは、接吻。

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腕を組み、2人の新生活、いや、まずは世界中の王族、VIPとの大宴会に向かうお2人!

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19-download (14)_GF.jpg



彼が大きく、車の中が狭く見えますが、ははは、まぁさか「チンクエチェント」?!
ははは。

20-download (12)_GF.jpg


ロマノフ家の末裔、と結婚する前のレベッカ・ベッタリーニはインスタグラムに、
  私たちの人生の、新しい本の、新しい章が始まろうとしています。
  作家として、私たちの人生の本の最初がそうであったように、
  これからの旅が、愛に満ち、サスペンス、冒険でいっぱいである様に願います。
と書いているそうです。

まさに!  どうぞお幸せなご結婚、人生でありますように!!


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