・ ラッファエッロのロッジェ ヴァティカンとエルミタージュ美術館と        そして・・

11月最後の今回は、ラファエッロのロッジェ・Le Rogge di Raffaello
と呼ばれる素晴らしいガッレリーアが、ローマはヴァティカン市国にあり、
その精密なコピーがロシアのサン・ピエトロブルゴのエルミタージュ美術館に!
というご案内です。

こちらがヴァティカンにあるものですが、

1-logge_raffaello_GF.jpg



「ラッファエッロのロッジェ」なるものを勿論見た事も、聞いた事もなく、
おまけにエレミタージュ美術館に素晴らしいコピー作品があり、

オリジナルの修復の際には、修復者たちがサン・ピエトロブルゴまで
視察に行った、というので、へぇ~っと驚き、

序に、そのガッレリーアの忠実な、原寸大のコピーを欲しがり造った
エカテリーナ女帝の私生活、とりわけ夫を退廷させ、自分が女帝となり、
何十人もの愛人を次々に持った、とか読むと俄然興味が増し、ははは、

おまけに、おまけに、「エルミタージュの猫」と呼ばれる猫たちが何十匹も!
宮殿内、庭にいる!となっては、はぁ、頑張って読むしかなく、

今回参考にしたサイト記事は
ロシア皇帝宮殿のラファエッロのロッジェ  これを最初に見つけ

ラファエッロのロッジェ・Logge di Raffaello  ヴァティカンのサイト

ラファエッロのロッジェ・LE LOGGE DI RAFFAELLO

他にもそれぞれウィキペディアの記事などを参考に。
shinkaiめは、ロシアにも、サン・ピエトロブルゴにも行った事なく、
読みながらの疑問を埋めるには、あれこれ読む、写真を見つけるしかなく・・。

という事で、ではどうぞ!


まずオリジナルのラファエッロのロッジェ、単数だとロッジャですが、
ロッジェと呼ばれるのは2つあるからでして、

ヴァティカンのどこにあるのかと、アポストリ宮殿の3階・イタリア式には2階、
という説明からヴァティカンの地図を探し、印を。

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このロッジァ部の建設はブラマンテ・Bramante(1444-1514)が、
ジューリオ2世(1443-1513)の意によるニコロ3世教皇を偲ぶ意図で設計。

ジューリオ2世・ユリウス2世。 「闘士の教皇」とも呼ばれ、
システーナ礼拝堂に、壁画を嫌がるミケランジェロに描かせた事でも有名な方。

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ブラマンテの没後は、ラファエッロ(1438-1520)の監督により、レオ10世の
元で作業が継続されたというもの。

ラファエッロ自画像。

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ほじくりshinkaiは、なぜ昔のニコロ3世教皇(1216-1280)を偲ぶ為に、と
思いちょっと検索しましたら、
ヴァティカン内に住み亡くなった、最初の教皇様なのだそうで、成程ぉ。

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ヴァティカンの「ラファエッロのロッジェ」は、漆喰とフレスコ画での装飾で、
「ラファエッロ」の名が冠されていても、
ラファエッロ自身が壁にフレスコ画を描いたわけではなく、

「ラファエッロと彼の工房に委任」され、というのも、当時のラファエッロは
同じヴァティカン内の部屋に描いており、他にもたくさんの仕事を抱え忙しく、

ラファエッロは装飾全体のデザインをし、それを工房の画家たちに渡し、
監督をという、1517から1518年、そして1519年最初の数か月間の仕事に。

ガッレリーアの長さは65m、幅は4mで、それを半円をかたどるアーチで13に
区切られ、
その最初の12区画には旧約聖書の逸話を、最後に福音書の逸話を。

フレームで囲まれた4つの物語があり、

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9-Tredicesima_volta_-_storie_di_Cristo_GF.jpg


隅にはグロテスク模様などがあり、中央には紋章、その他の人物が、というデザイン。

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ヴァティカンにあるロッジェについては、

ラファエッロのロッジェ・古代、聖書、工房、富・幸運 という本が出版され
Le Logge di Raffaello: l’Antico, la Bibbia, la Bottega, la Fortuna
著者はベルギー出身ニコール・ダコス女史、「ヴァティカンの記念碑」の第2巻。

11-qJm+uSV9L_GF.jpg



つまりラファエッロは37歳の若さで亡くなったものの、その芸術的、組織的な
天才的な業績の最高なものの1つであり、

ルネッサンスから20世紀にかけて、芸術家たちに大きなインスピレーションを
引き起こし続け、
ロシアのエルミタージュ美術館の大きなものから、アメリカはワシントンの
大統領官邸の廊下に至るまで、受け継がれているものと。

工房の作品の中には、余り上等でないものも含まれているのは仕方なく、
保存も悪く、後に既に描き直されたものもあると言いますが、

見つけたフレスコ画は、かなりラファエッロの面影を感じさせるので、どうぞ。

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場面が、何の逸話からか分からないのが残念。

現在このロッジェは見学できずですが、いつかチャンスがあるよう
願いましょう。



という所で、イタリアはローマのヴァティカン市国から、ロシアに移りまして、

サン・ピエトロブルゴ、かっての帝政ロシアの首都に、2世紀以上に渡り
ロシアを統治したロマノフ家の王宮として生まれ、
かっての冬宮殿が現在のエルミタージュ美術館の本館に。

ネヴァ川を挟んで見るエルミタージュ建物群で、左から劇場、橋、旧殿、
小殿、そして一番右の大きなのが冬宮殿と。

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新エルミタージュは旧殿の背後にあり、ここからは見えないと!



1762年エカチェリーナ2世(1729-1796)は、夫のピョートル3世を
クーデターにより退位させ、ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝となりますが、

20-Catherine_II_by_V.Eriksen_(1766-7,_Statens_Museum_for_Kunst,_Denmark)_GF.jpg

2人ともドイツ系家系からのロシア入り、つまりどちらもロマノフの血も引かず
ロシア人でも無い、いわゆる外国からの取り婿、取り嫁、という形で、
結婚後も夫婦仲は良くなく、婚姻関係無しも同然で、

彼女はロシア語を習得、貴族国民に支持される努力を惜しまないのに対し、
夫はドイツ風にこだわり続け、周囲の反感を買い、

皇帝に即位後6か月で、エカチェリーナ2世皇后は近衛連隊を始め主要軍、
反ピョートル3世の貴族たちを味方に、ほぼ無血のクーデターに成功。

皇帝は廃位幽閉の後、暗殺され、公式には持病の痔の悪化で急逝と。


余り美貌とは言えなくも、優れた頭脳を持ち、知性や教養を磨く努力をし、
皇帝となってからは啓蒙君主を目指し、近代化諸政策に着手したり、
それらはあまり成功せずも、大エカチェリーナ、と呼ばれる、
34年に及ぶ在位を保ち、立派!

6人の子を出産、うち男子2名。 が、最初の2子は夫ピョートル3世が父、
との公式発表ながらも、後の子もすべて父親が違う、はは、立派さで、
生涯に約10人の公認の愛人を持ち、凄い数になる伝説もありますが、


45歳頃10歳年下のポチョムキン・タヴリチェスキー公爵と結ばれ、

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家庭に恵まれなかった彼女にとっては生涯唯一の真実の夫、ともいえる、
私生活のみならず政治家、軍人として、女皇帝にとっての不可欠の
パートナー。

秘密結婚をしたとも言われ、1775年彼女が46歳の時に2人の実の娘
エリザヴェータ・ポチョムキナも生まれますが、
1791年ポチョムキンは先立ちます。

彼の死後にも若い美貌のご寵臣2名程名が上がり、これもご立派、ははは、

67歳の生涯を全うされた大エカチェリーナ皇帝の生涯でした。



さてエカチェリーナ2世は戴冠後、宮廷を存在する最高の作品で飾る、
最高の宮廷としたく、

フランス人の百科全書家、言葉の意はそのまま、フランスの百科全集の
編集執筆者で哲学者のデニス・ディドロ・Denis Diderotに、
市場に出回っている全ての傑作を、とりわけフランス市場での作品を
全て購入する、という任務を。

と、1764年ドイツのゴッツコフスキー・Johann Ernst Gotzkowskyが
エカチェリーナ2世に売った絵画がエルミタージュ・コレクションの基礎となった、
というのもあり、

この後に欲が出て、本気でフランス市場の絵画を全部集めようとしたのかも、
ですね。

こうして女皇帝は世界最大のコレクターとなった訳で、いずれにしても
エカチェリーナ2世がラファエッロに出会う事は避けられず、


1778年9月1日、秘書のフリードリヒ・メヒオール・フォン・グリム男爵に、
18世紀末のイタリアの重要な版画家であったジョヴァンニ・ヴォルパート・
Giovanni Volpatoが描いた、
ローマの「ラファエッロのロッジェ」の天井の版画を見たと書いており、

このロッジェの雰囲気に打たれたエカチェリーナ2世は、同じ大きさのロッジェ、
同じ絵画を自分の宮殿に持つ事を切望します。



こうしてイタリアの建築家ジャコモ・クワレンギ・Giacomo Quarenghiが
命に従い、ヴァティカンのアポストロ宮殿のロッジャの正確なコピーを、
非常に短期間で設計、構築を。

ジャコモ・クワレンギ(1744-1817)は画家建築家で、ヴェネツィア共和国出身。

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新古典主義の建築家で、A・パッラーディオの作品に心酔し、ロシアに於ける
新古典主義建築の主たる建築家として活躍、



エルミタージュの建築群の、劇場とその横の橋は彼の作品で、他にもあれこれ
ある様子ですが、この橋から受けるイメージは、まさに溜息橋ですよね?!

23-Hermitage_teatro primi 19sc_GF.jpg

彼はサン・ピエトロブルゴで亡くなっています。



そしてヴァティカンのロッジェに描かれた絵の模写は、オリジナルはフレスコ画、
実際の壁に下地を作り、その上から水溶きの色で描くフレスコ画ですが、

このサン・ピエトロブルゴのロッジェの絵は、カンバス地に油彩で描かれました。


エカチェリーナ2世が絵の注文を出したのはクリストフォロ・ウンテルペルジェル・
Cristoforo Unterperger(1732-1798)

24-Anton_von_maron,_ritratto_di_cristoforo_unterberger_GF.jpg


彼はイタリアのトレント出身ですが、ローマに行き、40歳位から活躍し、
新古典主義画家として、値段の相場が高い画家の1人として有名で、

彼の作品「聖母と聖女アニェーゼ」 聖母の顔の絵の具が剝げ、残念!

25-Unterperger_-_Madonna_e_santa_Agnese_GF.jpg



1778年エルミタージュの宮殿用に、「ラファエッロのロッジェ」の
コピーを描く、という注文をエカチェリーナは出します。

こうして何年もの間、ウンテルペルジェルの工房は「ラファエッロのロッジェ」
の作品工場!となり、ローマの街の主要なアトラクションの1つだったと、ははは。


1787年9月、ローマにいたゲーテは、出来上がった作品を梱包する前に、
この有名な新しい作品を称賛する時間があったそうで!

つまり作品、並びにロッジャの準備に約11年間かかり、装飾用の画布、
漆喰の準備、そして天井を同じ長さの長方形に分割する半円形アーチの
再現には、多大な注意が必要だったと言いますが、


出来上がり、現在も残る「エルミタージュのラファエッロのロッジャ」は
この様に大変に煌びやで、美しい物!!

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ヴァティカンに残るロッジェも美しいでしょうが、こちらは金色が盛大に
使われ、如何にも女皇帝の宮殿らしく、華やかに、ね。



中には、こんな猫ちゃんの絵も混ざっている様子で。

29-gatto-dipinto-hermitage_GF.jpg



サン・ピエトロブルゴとローマの繋がりが、16世紀に生きたラファエッロの
ロッジャが、19世紀に遠いサン・ピエトロブルゴで蘇り、再生された
このお話は、ロシアの女皇帝が持っていた莫大な財産の証言でもあり、

また何世代にもわたる芸術家たちにインスピレーションを与える為の、
「世界の芸術学校」ともなった、と。


最後は、夜の明かりが輝くエルミタージュを、広場の方から。

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エルミタージュ美術館にはルネッサンス期のイタリア絵画がたくさんあるのは
知っていましたが、余りにも建物がキンキラキンで避けていたのが、
興味深い逸話を知り、なんとなぁ、という感嘆のshinkaiで~す。

でも、もともとフランス語を宮廷で喋る程だったロシアのフランス寄りが、
ラファエッロの絵にイチコロとなった、というのがね、うふふん。


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posted by shinkai at 02:41Comment(0)・欄外

・ 冬に向かう日々 夕暮れと朝  そして、冬のカボチャ・スープ

冬に向かう、というか、既に冬の入り口の毎日ですが、
冬の日没の空の色が美しく、鎧戸を閉めようか、まだ良いかな、と思う頃、
空の色が美しく染まっているのを知ると、カメラを持ってテラスに。

はい、外に行くには寒く、コートを着て、ブーツを履いて、という間にも
色がどんどん変わりますので、テラスに、という横着ですが、へへへ、

お天気が良く、雲の流れがある日には、美しい夕暮れが楽しめます。


これは18日の夕暮れ。 気が付いた時は既に日没後暫くしてで、
オリアーノ村の丘の稜線に沿い、名残りの赤い色が残っていたのでしたが、

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丘の線を上げて撮るとかなり明るく写り、真ん中に明るく小屋の明かりが
写ったり、手前の農家の窓からも明かりが漏れている様子が。

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暫くすると、赤みがす~~っと消えて行き。

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これは翌日19日。 夕方の6時前、テラスからの冬の夕暮れ時に
ちょうど真ん中の位置に入る雑木が本当に邪魔なのはご容赦願い!

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刷毛で掃いたような雲の流れで、少し薄い青空の名残も。

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上空にはまだ青い空も残り、染まった雲の色もピンクで。

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翌日は曇り空、小雨となり、そして21日の朝、鎧戸を開けると、
なんとこの秋一番のかなり深い霧が広がっていて、

最初に開けるのは一番西の窓で、そこから見える庭越しは白く霞み、

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こちらのコンドミーニオの庭も白く、散り残った僅かな黄色い葉。

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これはなんの木の葉かな、散る前の色ですね。

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奥の木はすっかり葉が落ちましたが、手前はまだ頑張っており、

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我が家の前に見える木もほぼ裸木で、

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こちら手前の木も。

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東側の、育った糸杉との間にあれこれ木々があり、透けて見える
薄い色の様子もなかなか素敵で。

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見ている間に、メルロ・黒歌鳥の雄がたくさん実の付いた木に留まり、
枝の露もこんなにたくさん!

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メルロはいつも庭にあれこれやって来るのを見るのですが、警戒心が強く、
なかなか撮れないのが、今回初めてこんなに近くから! イェイ。

下にももう1羽いたのですけど、木には止まらずで行ってしまい。



アジサイの葉もお終いですね。

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西の、いつも夕陽を撮るのに邪魔する木の方角も、まるで丘は見えず!

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この日の霧は一日続き、夕方前に少し引いた位。



翌日も一日どんよりの曇り空、時に地面が濡れる日で、

夕陽はまるで見えず、西の空はこんなどんよりで、雲の流れもなく、

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南に向かっての空に、わずかに雲の切れ目の間に明るさが。

18-V10_1909_GF.jpg

左に見える線2本は、今右に見える屋根のお家で改装が進んでおり、
その大きなクレーンの線で、



このお家だけ、1週間ほど前から既にクリスマスの飾り付けが家の前と窓際に。
いつもはも少し派手めなのですけど、今年は白のみで。

19-V10_1911_GF.jpg



例え我が家のテラスとはいえ外は寒く、はは、大急ぎで引っ込みますが、

こんな日には何を食べたい?と考えると、日本だと「鍋」だけどなぁ、
イタリアでは何を?と、「冬のレシピ」と検索すると、出ましたぁ。
やっぱり温かくなる、豆を入れたりの冬野菜のスープが多く、


彩も綺麗、冬の寒い日に温まる「カボチャとインゲン豆のスープ」を
ご紹介しますね。

20-32596-zuppa-di-zucca-e-fagioli_GF.jpg

参考にしたのは、Zuppa di zucca e fagioli


日本のカボチャはイタリアのよりずっと美味しく、いや、ホント、甘く、
カボチャのみのスープだけでも十分美味しいと思いますが、

ここではインゲン豆を使った田舎風で、他にも茸、ひよこ豆、栗、
カリフラワーなどと、様々な味と合います、と。

このインゲン豆とのレシピは、カボチャの味がより濃厚で、歯触りもある、
を愛する人向け、と。

そしてレシピ作成者の説明によると、味を豊富にする為にインゲン豆も
2種類使っていますが、勿論お好みのインゲン豆1種類でもOKで、

イタリアには本当にインゲン豆の種類が多く驚くほどですが、
ここではカンネリーニ・cannellini クリーミーで繊細な味
ボルロッティ・borlotti カラフルでコンパクト、の2種類を。

肉を加えていないのも、お好みにより、さいの目に切ったベーコンを最初に
焦げ目をつけて加え、香りをつける事も出来、

古くなったパンを使って自家製のクルトンを作ると、更に風味を加えるのに
最適な方法と。

では、4人前の材料から。
・ カボチャ 綺麗にしたもの 900g
・ インゲン豆 すでに茹でた物  300g + 300g
・ 古くなったパン 3,4切れ
・ ニンニク 1かけら
・ ローズマリーノ 1枝
・ オリーヴ油 ev 
・ 塩

作り方
・ カボチャは四角く、なるべく同等に小さく切った方が煮上がりが早く、
  クリーミーになりやすい
・ 深めの煮込み用鍋に、オリーヴ油を大スプーン2~3杯と、ニンニク1片、
  ローズマリーノの小枝を入れ、火にかける
・ 香りが立ったらカボチャを入れ、時々かき混ぜながら3~4分煮る

21-32596-zuppa-di-zucca-e-fagioli-0_GF.jpg


・ 水を800ml入れ、完全にカボチャが隠れる程に、塩を加え煮たてますが、
  その後は弱火にして、蓋をし30分程煮る
・ そしてインゲン豆を加え、さらに20~30分煮る
   最後の10分程は蓋を取ると、スープの水分が濃縮され、美味しく仕上がる

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・ 一方スープを煮ている間に、薫り高いクルトンの用意をする
  四角に切り、フォルノ用の受け皿にフォルノ紙を敷き、並べ、
  お好みのハーブとオリーヴ油をふりかけ、
  220度で約10分、ファンを回して焼く

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・ スープが出来上がったら、熱い一皿を、上からオリーヴ油を生で回し掛け、
  サーヴィスする

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Bon Appétit!

豆類は、既に茹でて缶詰になっているのを利用すると、一晩水に浸ける、
茹でる、が省け、煮込み時間を短くも出来ますし、大変楽に。

納豆の大豆の缶詰利用で目覚めた、はは、shinkaiで、
余り豆類は食べなかったのが、あれこれ利用する様になりましたぁ。



さて、昨夜天気予報を見ると、今日は良いお天気と出ており、よっしゃぁ!

で、今朝6時57分の、南東の空。 良い色!

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2分もせぬ間に色が薄れて行きますが、

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7時23分、東の空。 下の方の雲は黄色とオレンジ、グレイの雲の縞となり煌めき、
上にはピンク色の雲、そして青空が。  綺麗でしたよぉ!!

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場所を南東に移すと、こちらは少し太い縞の雲。

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前のお家の工事用クレーンが邪魔ですが、これは広い空が良いでしょう?!



7時34分、スコミーゴ村日の出! 山があるので、天気予報より少し遅く。

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オリアーノ村の見えるテラスの端から、村の夜明け~!

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これからどんどん寒くなるのでしょうが、まぁね、あと1月でクリスマス、
頑張って参りましょう!

この時節インフルエンザにお気をつけ、コロナ・ヴィールスも寄せ付けずにね!!


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・ モッツァレッラ・チーズのあれこれ、そして フィオール・ディ・ラッテとは

モッツァレッラ・チーズ・mozzarellaと聞き、皆さんはまず何を
思い浮かべられますか?

そう、こんなイタリアの3色国旗みたいな、カプレーゼ・サラダかな?

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夏の日には、とりわけ美味しく頂ける、モッツァレッラ・チーズ+
トマト+バジリコに、オリーヴオイルと塩のみで、最上の味になりますが、

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他には、やはりピッツァでしょうか?

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日本でも既に日常生活の中にしっかりと入り込み、お馴染みの味と
なっているモッツァレッラ・チーズと思いますが、

今日は見つけたサイト記事
多分あなたの知らないモッツァレッラについての10の好奇心


から、いや本当に知っている気でいても、そこまでは、というのが
興味深く、また読んでいて、あっ、そう言えばそれもあった、という、へへ、
フィオール・ディ・ラッテ・fior di latteについてもご説明を。



モッツァレッラ、と呼ばれるこのチーズは、まさにイタリアの誇りの1つであり、
世界中で知られ、愛されている乳製品の女王ですが、

モッツァレッラには、ブーファラ・bufalaと呼ばれる、ブーファロ・水牛(オス、
メスはブーファラ)の乳から作ったものと、

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乳牛の乳からのモッツァレッラの、2種類があるのはご存じでした?

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どちらが古くから存在するか、となると、まだ単一の答えは無いというものの、

認定されている論文では、水牛の乳からのモッツァレッラ・ディ・ブーファラが、
12世紀にカンパーニャ州(ナポリのある)カプアのサン・ベネデット派の僧達が、
毎年の祭日に、

「モッツァ・mozzaか、プロヴァトゥーラ・provaturaを、一切れのパンと共に」
古い伝統として、参加した人々に与えた、という文書が残っているそうで。

モッツァというのは、モッツァレッラの言葉の元となった、モッツォ・切れ端の意で、
延びるペースト状のチーズを、親指と人差し指でちぎって丸めた、事からですね。

5-3mozzarella-8_GF.jpg



一緒に出たプロヴァトゥーラ、というのもラツィオ州で作られるフレッシュ・チーズ
だそうで、どちらも祭日の朝修道院で作られたのであろうと。

カプアの修道院に僧侶たちが住み着いたのは811年だそうなので、
実際はそれ以前から作られていたのでしょうし、12世紀に文書で明らかに
残されたという事なのでしょう。


モッツァレッラ という言葉が最初に使われたのは1570年。 教皇庁の
料理人バルトロメオ・スカッピ・Bartolomeo Scappiの有名なテキストに、

牛乳のトップ、新鮮なバター、花のリコッタ・チーズ、新鮮なモッツァレッラ、
そして牛乳の雪 と。


こちらで製造法が見れます。 Mozzarella fiordilatte STG


カーリオ・caglio、子牛の第4胃から抽出した酸性の凝乳酵素、
レンニンを加えられ固まったものに、熱湯を注ぎ、延びるペースト状に
なったのを手で纏めながらちぎり取り、

平常は丸い形、そして様々な形に作らり上げられるのですね。

1度家近くの組合が作っている店の奥で、ちょうどモッツァレッラを作って
いる時に見せて貰ったことがありますが、
熱湯を加えて延ばすので、中に手を入れてちぎる職人さんの手は
熱さでピンク色になり、わぁお、大変だぁ、と思った印象が記憶に。



で、こうしたフレッシュ・チーズは日持ちしない事から、作る酪農家の
家族、または近くの人々だけの特権的なものだった様子ですが、

6-mozza-2_GF.jpg


それも徐々に製造所が広がり、美味しさ、素晴らしい香りと共に、
含まれるタンパク質、脂肪、乳酸菌などの豊富さからも広く賞味され、

100kgの水牛の乳からは、約25kgのモッツァレッラが生産でき、
一方同じ量の牛乳では、15kgなんだそうで。



で、上に写真を載せた、保護原産地呼称・DOPであることを示す有名な
カンパーニア産水牛チーズ、モッツァレッラ・ディ・ブーファラ・カンパーナは、

7-4mozzarella-7_GF.jpg



DOPマークを取得するために通過しなければならないプロセスは複雑厳格で、
認定農場からの新鮮な水牛の乳のみを使用し製造され、

製造元でしっかり梱包され、バラでの販売は出来ないようになっており、
保護されている商標、DOPの商標、乳製品の認証番号等が記載され、
分かれている場合は、その結び目に保証シール、という具合。


モッツァレッラ・ディ・ブーファラ・カンパーナDOPが生産される地域は、
この地図のローマとナポリの一帯で、という事になりますね。

8-dop_GF.jpg


こういった新鮮なモッツァレッラの保存方法は、常に少量の保存液と
一緒に室温で保存する必要があり、

夏の真っ最中など冷蔵庫に保管するのも可能ですが、数時間!ですと。


上手い方法と思い牛乳に浸すのは大きな間違いで、風味が失われ、
冷凍するのも同じです、と。 ご注意を!!



という所で、もう一つタイトルに揚げた、フィオール・ディ・ラッテなる言葉、
ジェラート屋さんに行くと、この言葉が付いた美味しいジェラートも並んでおり、

今回パッと出てくると、あれっ、と一瞬頭の中が混乱し、改めて検索。

モッツァレッラとフィオール・ディ・ラッテの違い



この記事の定義によると、モッツアレッラとフィオール・ディ・ラッテが
同義語であるかの様に使われ、
法律でもこの点についてあまり明確でないのですが、

実際には作る準備と味の両方で異なる製品であると。


モッツァレッラは、水牛と牛のミルク、どちらでも作ることが出来ます、が、
フィオール・ディ・ラッテは、牛乳全体からで、水牛の乳では出来ません、

が一番簡単な分別方法ですが、

大きな違いは、フィオール・ディ・ラッテは、モッツァレッラよりも繊細な味で、
柔らかく、甘く、脂肪が少なく、

既に名前につく、フィオーレ・花という言葉自体が、その優位性を
示している訳ですね。

10-7Fiordilatte-di-Napoli-Latteria-Sorrentina_GF.jpg


どちらもピッツァ作りに使われますが、店、職人によって選択され、

ピッツェリーア・ピッツァ店では、水分の少ないモッツァレッラが好まれる、
いうのも、処分が簡単で、細かく刻むことが出来るので。

で、ナポリのピッツエリーアではフィオール・ディ・ラッテが典型的な選択。

シエロ・sieroと呼ばれる乳ショウはピッツァ生地に流れ出ますが、
焼き窯の熱ですべて乾燥させることが出来、柔らかく延びる実質を与え、
残りの乳ショウとトマトのバランスを上手く取り・・、

という事からも、ナポリのピッツァが美味しい、という評判の元になるのかも!


とりわけ今回、そうだ、モッツァレッラについてをブログに、とあれこれ検索し、
見つけたのがこちら、
ピッツァには、モッツァレッラ・ディ・ブーファラではなく、
フィオール・ディ・ラッテが良い。 本当? 嘘?


この記事がまたshinkaiが完全にノックアウトされた、
お・い・し・そ・う・な!! ピッツァ写真満載で、


かたやフィオール・ディ・ラッテのジュゼッペ・ピニャローザ・
Giuseppe Pignalosa.

11-pizza-margherita-Giuseppe-Pignalosa_GF.jpg



と、モッツァレッラ・ディ・ブーファラのヴァレンティーノ・タフーリ・
Valentino Tafuri.

12-pizza-margherita-bufala-Valentino-Tafuri-_GF.jpg

上の写真では2人が同じピッツァ・マルゲリータを見せていますが、



どちらのモッツァレッラのピッツァが美味しいか、という公開競争をね!

13-Giuseppe-Pignalosa-Valentino-Tafuri-pizza-fiordilatte-mozzarella-evento-Battipaglia_GF.jpg

2018年8月8日の事で、

見つけた記事2つはいずれもそれ以前で、どちらが勝った、は見つからず。

ですが、どちらも美味しい事に間違いはなく、きっと参加者は大喜びで、
味見をしながらしっかり食べて喜んだことでしょう、勿論ね。



ですがね、ピッツァの写真を見てこんなにも、美味しそう!!と思ったのは
初めてでしてぇ、

今迄ピッツァは最初イタリアに来て食べた時は、美味しい!! 日本と大違い!
と思ったものの徐々に慣れ、友人との会合にいつも「ピッツェリーア」となると、

ね、いくらお饂飩が美味しいからと言って、毎回「では、うどん屋で会おう」と
言われたら、「別の食べ物もある店にして」と言いたくなるでしょう?

という様子で食傷気味だったのですが、今回初めてね、ピッツァ食べたいぃぃ!
と思ったのでしたぁ。


ああ、ナポリに2度行ったのに、そう言えばピッツァを食べなかったっけ、と
いまさらに悔やみ、ははは、次回のチャンスには!!

という事で、皆さんにも、このナポリのピッツァの写真を。

14-pizza-mare_GF.jpg

やはりね、最初に見て頂いたピッツァの写真よりも、グンと食欲をそそるでしょう?!



他にもモッツァレッラを使った簡単で美味しいのは、
モッツァレッラ・イン・カロッツァ。 フライ風に。

Mozzarella_Carrozza_GF.jpg



トマト・ソースのパスタにモッツァレッラを乗せ、オーブン焼きに。

pasta-al-forno-con-mozzarella2_GF.jpg



と、これはピッツァでもある、グリル野菜とモッツァレッラをオーブンに。

Verdure_grigliate_con_mozzarella_GF.jpg



最初に出た、夏の冷たいカプレーゼ・サラダもね。

ricetta-insalata-pomodori-mozzarella-caprese-9_GF.jpg



そうそう、最後に、  フランスのカマンベール・チーズをご存じでしょう?
柔らかいチーズの表面にカビが生えているチーズで、まさにフランス・チーズの
女王として有名な、美味しいチーズですが、

camembert-de-normandie_GF.jpg


特産地のノルマンディのカマンベール生産者組合のコリアー会長は、
「2012年の年初めから9月11日までの間、カマンベールが29230トン、
モッツァレッラが33170トンが売られた」と報告したそうです。

こういうのには、どう書けばよいのでしょうか? フランス人風に首をすくめ、
だってモッツァレッラも、カマンベールも好きですもん、と。


と、いう事で、モッツァレッラについてのあれこれ、でした。


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・ トスカーナ・オルチャの谷の秋色  晩秋から、そして冬色に

これを書いている13日朝、昨夜は雨だった様子で、いつもは既に
少し明るみがかっている空もまだほとんど暗く、雨戸を再度閉め、

朝ご飯、7時からの朝のTVニュースの後窓を開けるとまだどんよりで、
うっすらと霧がかかっているのが見えます。

いよいよ冬空が近づいてきた様子で、冬時間になって少しは朝が
明るくなったものの、その分確実に夕方が早く、
そして今はもう朝の明るさも遅くなりかけています。

日中お天気が良い時は、まだ少し黄葉の鮮やかさが見え、
7日の日曜に、ヴェネツィア・メストレまで高速を走った時には、
その美しさに目を見張りましたが、そろそろお終いなのですね。

写真はサン・ジミニャーノの葡萄畑の良い色。

1-san gimignano  c916fccc-aaad-4279-b9fd-89e4b9f2f658_GF.jpg

今見ると思い出し笑う  秋の葡萄摘み、ピティリアーノの場合は



今日はトスカーナはオルチャの谷の晩秋の色、そして冬色に
移行する様子の写真をネットであれこれ集めて見ました。

こちらは正確にはヴァルドルチャの東、ヴァル・ディ・キアーナとなる
モンテプルチャーノの葡萄畑の美しい色、染まり具合。

2-Autunno-Val-di-Chiana montepulciano_GF.jpg

n.1 モンテプルチャーノ再訪 ・ トスカーナ、丘の上の町

n.2 モンテプルチャーノ ・ カンティーナ、お祭り

n.3 モンテプルチャーノ訪問 ・ 町とサン・ビアージョ教会



そして峠を越してヴァル・ドルチャに入り、モンティキエッロ辺りと。
ほら、奥に見える丘の流れの左端に、ピエンツァの町がね。

3-1-Val_dOrcia_Foliage_Autunno_Vigneti_Foto_Fabbrica_Pie_GF.jpg


葡萄の葉が、このように赤くなるのは、落葉のほんの少し前の事で、
こちらshinkaiの住む当たりでももうそろそろと。

でもこの様に同じ葡萄畑でも、本当に葉の色の変わり具合が違うのですよ。
耕された後の土の色も違いますし・・。

モンティッキエッロ再訪 ・ トスカーナの小さな村



これはヴァル・ドルチャのヴィッレ・エ・カザーリ・Ville e Casaliという
葡萄畑の様子。 美味しい赤ワインに!

3-2-ville e casali  val-orcia-2_GF.jpg




これはピエンツァから西に向かう道、町を出た所にあるイ・チプレッシーニ・
I Cipressiniというホテル。

4-ThinkstockPhotos-493943058_GF.jpg

shinkaiも「糸杉のあるヴィッラ」春景色を描いた事のある場所ですが、

写真は秋の日の日の出、ですね。



こちらもピエンツァの南側の風景。 夕暮れが迫ります。

5-337-bis-_GF.jpg

一番奥の特徴ある山がモンテ・アミアータ、そして右手前に見える
稜線がぽつぽつとあるのはオリーヴ畑と思う、ピエンツァからよく見える丘。



麦畑の刈り入れが済んだのち、暫くは畑に丸く巻かれた麦藁の塊が
点々と置かれますが、それも取り入れされた後、畑は耕され、
荒涼とした土色の風景となり、

その中に見えるマドンナ・ディ・ヴィタレータ礼拝堂・Capella della 
Madonna di Vitaleta.

6-1-img_3907_GF.jpg

手前のびっしりと茂った木々もすっかり秋色に。

ヴィタレータの礼拝堂 と その周辺もろもろ



こちらは場所が特定できませんが、様子からこの近くと。

6-2-valdorcia-autunno-medium_GF.jpg



ピエンツァの町の南の丘を下って来ての平野は、上がり下がりの
傾斜する丘が広がり、素晴らしい眺めを繰り広げます。

7-incredible-italian-countryside-tuscany_GF.jpg



この道、この場所は見つけて以来、私めには素晴らしく愛着を感じる
場所となった1つで、「グラディアトーレの道」と呼ばれる道。

まずは何とも言えない色、趣のある写真から。

8-01_GF.jpg



こちらは既に土が耕されていますが、温かい陽差しに、野草の穂が揺れます。

9-Cosa-vedere-in-Val-dOrcia-cipressi-del-Gladiatore-1_GF.jpg



朝靄の中。

10-Cop--progetto-senza-titolo-(2)_GF.jpg



朝の陽差しをもう1枚。   

11-Podere-terapille-alba-autunnale-val-dorcia-toscana-italy_GF.jpg


映画「グラディエイター」の道

糸杉の道 2本 ・ シエナのクレーター と オルチャの谷と



耕された土の色を背景に、まだ残る葉の輝き色。

12-2.jpg.8bc347cbb783e963b47448c2946b7868_GF.jpg



これはピエンツァから西に向かう道の途中に見える木に間違いなく、

こんなまだ緑色の中の木が、

13-Davide-Balsemin-Photography01_GF.jpg



こんな土色の中に!  トラクターの筋目が何とも良い味を作り。

14-maxresdefault_GF.jpg



この木と畑は、シエナのクレーターと呼ばれる一帯の中心アシャーノ・
Ascianoで、

16-asciano-via lauretana_GF.jpg

ヴァル・ドルチャよりもっと起伏の激しい、怪異と言っても良い風景が。



同じ場所の、季節の時間差風景!

15-d5738f1eb320fefc58f4619d9d7a2487_GF.jpg



土色の差。 いつ見ても不思議な思いに。

17-crete-senesiMobile_GF.jpg



シエナのクレーターを撮ろうと狙う人は、やはり時間を選び、

18-phpThumb_generated_thumbnail_GF.jpg


土色の差も狙い!

19-lands-of-sienaBuonconvento-agriturist-siena-_GF.jpg



最後の撮影ポイントは、西のサン・クイリコ・ドルチャからほんのちょっと東の、
見えるアグリトゥリズモの建物ベルヴェデーレ・Belvedereを。

20-Belvedere-di-S.Quirico-dOrcia-DSC00948_GF.jpg


春5月 オルチャの谷の緑 (サン・クイリコの撮影ポイント 2つ)

オルチャの谷は サン・クイリコ・ドルチャの宿の窓から



暮れた陽が空にだけ残る頃合い。 野には夕霧が満ち始め。

21-07_GF.jpg



そして次第に晩秋の色となり、霧がかかります。

22-fiorenzo carozzi_GF.jpg



これはピエンツァの町。 秋の産物が店の前に並び、

23-valdorcia-food-25_GF.jpg



茸のポルチーニ、 葡萄、 栗、 オリーヴの収穫、 そしてタルトゥーフォ!

24-unnamed_GF.jpg

見える「カステッロ・ディ・スペダレット」とあるのは、かって
ヴィア・フランチージェナの巡礼宿でもあり、シエナの元のサンタ・マリーア・
デッラ・スカーラ病院、現博物館の、荘園管理地、要塞で、
現在はアグリトゥリズモに。

こちらに。  トスカーナで見た病院・荘園・要塞跡



オリーヴの収穫は葡萄よりも遅いですが、搾りたての素晴らしい緑色!

25-96c24f0ae2_GF.jpg



こうして秋が進み、雪の季節となり、

26-crete_senesi_asciano_sara_gee_photo_8_GF.jpg

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これは霜柱の風景かもですが、「彫像の様な木」というタイトルに惹かれ、
今回の最後に。

28-alberi-come-statue_GF.jpg


春の緑の美しい季節には何度か通っているオルチャの谷とシエナのクレーター
ですが、秋の荒々しい耕された土塊の景色は2度出会い、

春とはまるで違う荒涼とした風景で、言葉が出ない程広大な大地に
圧倒されましたが、

改めてこうして見ながら、
また10月から11月にかけて行けるチャンスがあると良いなぁ、と。

アッシジ・ウンブリア共に、春のみでなく、秋にチャンスを作らないとね!!


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・ 最近のイタリア事情、 そしてshinkaiの食生活あれこれ、納豆作りも

一作日の夕方からあれこれと、shinkaiの頭の中がお取りこみ中で、はぁ、
ややこしいのはいつもの事よ、と言って下さいますな!

実は突然に来春3月の東京での個展が実現しそうな運びとなり、
画廊との電話連絡を始め、ロー・コストの飛行機便のサイトを探す、
ホテルを探す、などなど、

外務省、厚生省の「新型コロナウイルス感染症に関する新たな水際対策措置」
を睨みながら、動き始めておりまして。


実際には、今年春に開催予定だった東京での個展がコロナ禍の事情で
1年延び、来春3月21日から27日まで、という予定が出来ておりました。

1-2018E69DB1E4B_GF.jpg



が、今の所日本は半ば鎖国状態で、到着後14日間の自主隔離が定められ、
これでは自分の家族、家がないと到底無理ですし、
かといって、予定はあるものの、いつになったら飛行機の切符が買えるものか、
個展準備に取り掛かれるものか、中途半端な状態でおりました。

そしてこの5日に届いた外務省の「たびレジ」によると、
仕事で来日する場合、受け入れる側が宿などを管理する、日本人が帰国
する場合は家族が、という条件で、

3日間の自主隔離の後、改めて検査を受け陰性であればOK、という
新しい規定が出来た!という事。

ならばshinkaiの場合は、画廊側が受け入れると申請書を出して下されば
行けるではないの!となり、 きゃ!!


画廊にお願いの電話、あれこれのヤヤコシイ言葉の書類をコピーして送ったり、
はたまた成田空港近くの隔離ホテルを捜したり、飛行機の切符を捜したり、と
いちどに動き始めた、という訳です。

1-narita-airport-to-tokyo_GF.jpg



なにせ貧乏shinkaiですから自分の財布にOKな飛行便を探すのも、
そして時間がなるべく合うものを探すのもなかなか大変で、

というのも、今の所飛行便自体が大変に少なく、選ぶのも逆に大変!


shinkaiはなるべくエアー・フランスを選びたくなく、というのも、

シャルル・ドゴール空港が何ともヤヤコシイ造りで、おまけに手順が悪く、
先回も物凄い列の並びで遅れそうになり、お願いしつつ最前列に出して貰い、
その後は通路をを走ったりしたので、

3-unnamed_GF.jpg



やっと見つけた、時間もゆったり、金額もOK、しかもANAの運行、というので
一旦決めたブリュッセル空港経由が大丈夫か、と調べると、

4-BrusselsAirport_2-984x554_GF.jpg


ベルギー経由は3日間待機の適応が効かず14日間、と知り、3月迄にはOKと
なるかもしれない、と待ってはおれず、



朝6時25分ヴェネツィア発、我が家を3時過ぎに出発の、また深~い霧に
なりませんようにぃ!!と強く強く願いつつ、この便を選ばねばなりません!

おまけに、460エウロ程の釣り餌値段で始まったのが、これは手荷物のみ!、
のお値段であり、旅行鞄を往復乗せるのに、なんと140エウロ近く値上がりし、

ついでに、パリ・成田間の通路側シートを選ぶと、合計が710エウロに!


まぁね、飛行機代がものすごく値上がりしているのではないか、と
心配していたので、まぁこれ位なら、少しでも早い予約ができ有難いと
思わないといけない金額ですがぁ、

最初はこちらの足元を見て安い餌を見せびらかし、それから次々と
値上げするのは余りよい根性とは言えないんではねえの?

が、まぁこれで遂に来春の個展に向けての準備が、と思えるのが嬉しいです!!


今迄のドジぶりのあれこれを。
飛行機の旅と、 広島の街   

日本行き 飛行機の旅  のあれこれ

飛行機の旅と、ANAの対応の素晴らしさ!  


***

イタリア、そしてヨーロッパはコロナの第4波が始まっていて、とりわけ
東欧の方は酷い様子ですが、

オーストリアも今日18日からロックダウン、それもワクチン接種を
していないのみのロックダウン!!

イタリアでは最近、ワクチン接種反対! グリーン・パス反対! という
デモが各地でかなりの騒動を起こしていますが、

それでもやはり今迄のワクチン接種が効き、新感染者、病院収容者、
死者の数は断然ワクチン接種をしていない人々の率が高く。


昨日オーストリア政府の報道ニュースを一緒に見ていたジュリアーナは、
そうよ、イタリアもああしたら良いのよ!と言い、2人で笑いましたが、

と同時に先日ドイツの「病院に収容されたワクチン接種なしの人の
施療はしない」という意見も、恐ろしいですね。 

自由に意見を言い行動しますから、それぞれにお国柄が透けて見えます。


***

さて、何年振りかに始まった半年毎の血液検査の結果、少々コレステロールが
高いから、というドクターのご意見に従い、現在は薬というよりもビタミン剤を
朝夕飲んでおりますが、

来年2月末の再度の血液検査に向け、shinkaiは、これは少し考えて
年相応の食生活に変えなければいけないのではないかと、

まずはかねてよりの念願、、まぁ好きなので食べたい、という納豆を、
体にあれこれ良い効果をもたらし、コレステロールの心配もない、
というのを自作する事に決め、始めました。


あれこれネットで調べると、ヨーグルト・メーカーで簡単に出来る、と分かり、
ただ大都会であればスーパーでも買える納豆菌の元にもなる納豆が、
この辺りでは見つけられないので、

日本の友人に頼み送ってもらいましたが、送付の前に郵便局で尋ねると、
食品は送れません、菌はダメです、とか、さんざんに苦労された様子で、
でも、何かに紛らせて送って、と頼み、遂に無事8日間で届きましたぁ!!

日本の郵便局は本当に硬い、というか、通り一遍のマニュアル通りの対応で、
イタリアの郵便局では、絵を送る、と書いたら、カタログだと書きなさい、と
教えてくれたんだぞ!と憤慨し息まいたshinkaiでしたぁ。


とはいえ、今は既に何度も家で作り、毎日美味しく食べている納豆で、

最初に丁度良いヨーグルト・メーカーを教えて貰ったのは、こちらのブログで、

で、ヨーグルト・メーカーをアマゾンで探していた時、上のサイトと同じ品が
見つかり、これこれと注文したもので、

SUNTEC yogurteria YOG-8588 digital という、5機能付き。

5-Cattura_GF.jpg


機能1はヨーグルト、 2が納豆! 3がキムチ! 4がライス・ワイン、お酒?!
6がワイン というもので、はは、

1と2は、shinkaiにもOKですが、3.4.となると、このメーカーはひょっとして
日本、韓国、中国人相手にこの品を作った?! と疑いたくなりもする、ははは。



で、次に原料となる大豆ですが、生の5㎏入り大袋もスーパーに売っていますし、
安いですが、一晩水に浸け、茹でて、という作業が毎度となると、
やはり大変と思い、「ボン先輩」のママがされているように、
蒸気で茹でた缶詰となった品を使う事に。

ずっと昔、ソイア・大豆の缶詰をスーパーで見かけた事もあったのが、
今回そのつもりで探すと見つからず、アマゾンでも「現在入手不可能」と出て、
検索をかけ、オン・ラインスーパーで見つけたのがこちら。


蒸気で煮た大豆缶 3缶x150g  3,55エウロだったと。

6-l_29958_01_GF.jpg

見つけた時は嬉しく、やれやれと思い、値段の事はあまり頭になく、
6パック注文し、+送料が5エウロちょっと、だったと。


で最初は先輩のされている様に、2缶づつを、ヨーグルト・メーカーについていた
ガラス瓶6つを使って作ったのでしたが、

ひょんな事から、同じメーカーの大豆3缶パックが他の店よりも1エウロ以上も
値段が高い、おまけに+送料 という事もあり、
幸い家の近くのスーパーで少し離れた場所にあった別のメーカーの大豆缶を見つけました。


これです。 1缶中身240gで、1.3エウロ位だったと。

7-resize-big_GF.jpg


ならば、これを1度に2缶、480gとして使い、小さなガラス瓶で作らず、
一度に大きな鉢状のお皿を使い、納豆が出来上がった所で、
1回分45g程に分けて保存する、というのはどう?と考え、



お鍋に大豆缶を開けて入れ、水を足して少し煮ます。ホクホクと温かくなる程に。
笊に取り、お湯を切り、
こうして大皿にいれ、ここに納豆菌を水10㏄程に溶いたのを入れ、
良く混ぜます。

8-DSC05930_01_GF.jpg


左上にちょっと見えるのが、苦労して送っていただいた納豆菌で、
付いている耳かきみ様の小さなスプーンでちょこっとすくい、水に溶いて使います。

この小さな容器に入っている程度で、1年分以上の納豆が出来る様子で、
今はまだ納豆菌があるので、その都度使っていますが、
そのうちに出来上がった納豆を使って、作ってみようと!



こうしてヨーグルト・メーカーに丁度入る大きさなのを確かめているので、
すとんと入れ、上に竹串を十字に渡し、

9-DSC05931_01_GF.jpg

上からキッチン・ペーパーを2枚重ねにかけ、その上から蓋を。



機能の2を押し、説明書にあった通りに、温度が42度と出るのを45度に上げ、
スイッチを押すと 18時間、と自動で出て、スタート。

10-DSC05933_01_GF.jpg



納豆の発酵には水分が蒸発するので、蓋をずらしぴったり閉めず、と書いてあり、
蓋だけだと空気が通り過ぎ、今のこの時期は寒いかも!と、
ははは、上からナフキンを2枚かけ、

何時間か経って布をのけて見ると、この蓋にびっしりと水滴がついているので
拭き取り、楽しく18時間待ちます。

ヨーグルトもこれが届いて後作っていますが、8時間で簡単に出来るのに比べ、
納豆はやはり18時間となると、午後2時から3時に仕掛け、そうすると
翌朝8時から9時には出来上がるので、やはり楽しみ! 期待感がね。



で、18時間後、ピー、とお知らせが鳴り、出来上がった様子はこんなで、
しっかり白くカビが生えたように!

11-DSC05934_01_GF.jpg



これを混ぜ混ぜし、

12-DSC05935_01_GF.jpg



1回分に使える様に、とアマゾンで探し、16個17エウロ程で買った小容器。
5x5x高さ4cm程で、ちょうど良い大きさ。

13-contenitori_GF.jpg


サイトで普通の納豆の量を調べましたら、大体40g~45gとありましたから、

容器重量が10gで、この時は3缶x150gで作った時だったので、
1つ45gで55gとし、

14-DSC05936_01_GF.jpg



全部で10個となり、10日分確保! う・れ・し・い!

15-DSC05937_01_GF.jpg


上からラップを、乾燥防止にかけ、

粗熱を取り、一晩冷蔵庫で寝かせ熟成させ、それから2つ3つ下に置き、
後は冷凍庫の方に移し、毎晩1つづつ下に移すのが楽しみで、ははは。


納豆のタレもネットを見て作り、ネギも買い、よく切れる包丁も新調し、はは、

美味しく毎日頂いていま~す!! 納豆の元菌送付、有難うございましたぁ!!



と、最近は余りオリーヴ・オイルも美味しいからとドボッと使わず、

このオリーヴ・オイルのスプレー缶をよく使い、フライパンなどにも
シューッと吹く程度に。

           16-71UL5UiXfgL._AC_SL1500__GF.jpg



最初に試したスプレー缶の吹き口は小穴1つのやつで、最初は良いものの、
オリーブ油のねっとりさにすぐ詰まり加減となり、出なくなりましたが、

これは吹き口が横に広く、ネットになった口で、シュッと強くも、シュ~っと
緩めにも手加減で使える優れもので、気に入っています。

時に朝のトーストもこれでシュッとやって焼き、ぱらっと塩を振ったりも。



そしてもう一つ、最近朝のトーストと日替わりに食べているのが、
オーツ麦のお粥で、イタリアではアヴェーナ・avenaと呼びますが、

17-f95915fd314fb5fcd1496a1e1463ea88_GF.jpg

朝はカルシウムを考えて牛乳を飲むのが習慣になっており、オーツ麦には
同量のクリーム・スープの素を加え、緩く溶き、弱火で煮ます。

大体オーツ麦大スプーン2杯に、クリーム・スープの素同量、そして牛乳250ml程。

スープの素もあれこれあるのを買っていて、変えると飽きずに美味しく食べれ、
オーツ麦は以前から夜食に食べていたので、嫌いではありませんし、
お腹に重くないのが、今の自分には嬉しい事です。


そんなこんな、ほんのちょっぴり自分の体年齢に合った、少しでも良い方向にと。

年明けの血液検査で良い結果が出ると、あの若いハンサム・ドクターが
喜ぶだろうし、ははは、もう病院に行かずに済むし、と願っていま~す。

明後日には、インフルエンツァの予防注射に行き、
年明け頃には3度目の対コロナワクチン接種のお呼びがあるだろうと。


少々草臥れる年頃になって来ていますが、今はまた来春の楽しみが目の前にでき、
しっかり絵を仕上げて、と張り合いが出来ました。 頑張りま~す!


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それもご了承下さいませ。

・ 世界で8つ、一番危険な山道、峠越えの道は

今日は直接には自分の身には危険は迫りそうもない、と思いつつ、
世界のあちこちにある危険な山道、峠越えの、迫力ある山道の、
写真を集め、説明を読んでみると、これは凄い!! と思う、はぁ、

そんな「世界はやはり広いなぁ!」のご案内を。

+strada1 - Copia_GF.jpg

日本列島の真ん中を山並みが通る日本の国ですから、皆さんも
何度か峠越えのご経験があるでしょうし、
峠でなくとも細い急な山道を通られることが何度もおありと。

お天気の良い時だと、カーヴ毎に目の前に新しく広がる美しい風景に
息をのみつつ楽しめますが、
時に地滑り、事故の跡、天候不順な時などは、やはり大いに緊張し、
そろ~っと通り抜ける事もあるかと。

今回のご案内は、世界で一番危険な9つの道

を参考にしたのですが、9つの内1つ、ハワイのハナ・ハイウェイの写真を
探しても余り恐ろしそうな場所がなく、1つ端折り、8つの道のご案内を。


1. トルコ バイブルト D915国道・Bayburt D915 Highway Turchia

長い間世界で最も危険な道と見なされていたバイブルト道路は、
壮大なソガンリ山・Soganliの斜面に、1916年にロシア兵により
建設されたもの。

1-1-bayburt-d915-strada-turchia_GF.jpg



写真を見ただけで「わぁ~お!」となりますが、どこにあるのか、と
shinkaiはサイト記事の記述をもとに必死に探し回り、
見つけたましたぁ!

バイブルトから北にあるオフ・Ofとの間、確かに中途にあり、はい、
北に見える青色は黒海で、

1-2- Bayburt D915 Highway, Turchia_GF.jpg



黄色のD915が途中で途切れていますが、この間は地道で、

地図をクローズアップして、ずっと辿り見つけたのがこれで、確かに存在!
左側がバイブルト、南から来る道で、右上に、北に抜けて行きます。

1-3-d915_GF.jpg



写真を探していて、「レッド・ブル」のマークの付いた車の写真も見つかり、

1-4-bree_1629_GF.jpg

1-5-bree_1824_retouch_GF.jpg

2019年9月、この道でレッド・ブル主催の競技が開催されたのも知りましたが!

レッド・ブルのサイトを見ていて、別の興味深い記事も見つけましたので、
今回の分家ブログの方でご案内を!!


で、このD915の峠越えは、29の物凄いヘアピン・カーヴがあり、
まるでガードレールはありません、と!!

バイクの「死のレース」のヴィデオ。 こんなにぶっ飛ばすの?!



2. 四川-チベットのハイウェイ 中国・Sichuan-Tibet Highway、Cina

緑豊かな森と、雲に隠れた山頂が続くこの2000kmの道には、四川省の
首都の成都と、チベットのラサを結ぶ見所がたくさんあります。

2-1-sichuan-tibet-highway-strada-montagna_GF.jpg

とはいえ、見つかった写真には余り緑豊かな森は見つからずですが・・。

鋭いヘアピン・カーヴや地滑り、山崩れしやすい箇所がたくさんあり、
眺めを楽しむ余裕は余りないかも!と。



場所はここに。

2-2- Sichuan-Tibet Highway, Cina_GF.jpg



1954年に開通したこの道は、建設時に1000人以上の労働者が命を
落とし、半年後の今も犠牲者を出し続けているそうで。

2-3-Sichuan-Tibet Highway, Cina 2_GF.jpg

2-4-Sichuan-Tibet Highway, Cina 3_GF.jpg



こういうトラック部隊は、きっと軍隊の移動か、物資運搬だろうな、と
思うのは、思いすぎ?!

2-5-Sichuan-Tibet Highway, Cina 4_GF.jpg


ヴィデオは中国の若者の旅模様で、漢字の説明でよく分からないまま、
はは、ネパールの5000m級の高さを進んだり、最後はラサのポタラ宮が。



3. 今回の初っ端の写真はこの道で、ボリビア 北ユンガースの道
   North Yungas Road, Bolivia

この道が「死の道」と呼ばれている、という事実のみで、北ユンガースの道に
ついて知るべき事がすべて分かります。

3-1-bolivia-yungas-road-strada-della-morte_GF.jpg



この道は1930年代のチャコ戦争中、パラグアイの囚人によって建設され、

チャコ戦争については、ウィキペディアの「チャコ戦争」をご参照に。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%B3%E6%88%A6%E4%BA%89

400kmのこの道は、ロスユンガスと、ボリビアの首都ラパスを結んでいて、

3-2- North Yungas Road, Bolivia_GF.jpg


海抜4000m!まで上る道で、年間300人以上の死者を出しますが、

これは通常危険な追い越しを試みた車が、前面ににガード・レールの無い
裂け目に直面するからです、と。 


一番有名な場所か、写真が撮りやすいのか、自転車愛好家グループの
笑顔の記念写真が見つかり、暗い説明を少し吹き飛ばしてくれましたぁ。

3-3-North Yungas Road, Bolivia 2_GF.jpg

ヴィデオは、こちら。



4. 郭亮(かくりょう)トンネル 中国・ Guoliang Tunnel Road, Cina

中国河南省の太漢山脈に位置する、この信じられない様なトンネル道路は、
1972年から77年の間に、13人の頑丈な地元男性チームにより、
断崖の壁に沿って彫られたもの!

4-1-guoliang-tunnel-road-cina-strada-pericolosa_GF.jpg

それも、すべてが「手作業」によって!!



場所を調べましたら、トンネルだからか、? マークが出ましたです。

4-2- Guoliang Tunnel Road, Cina_GF.jpg



で、このトンネルに着くまでに、下から登ってくるカーヴの道もあるわけで、

4-3-Guoliang Tunnel Road, Cina 5_GF.jpg



1,2kmに及ぶ、まさに目まいを感じる程のもので、最も広い地点の幅でも
わずか4m。

4-4-Guoliang Tunnel Road, Cina 4_GF.jpg



4-6-Guoliang Tunnel Road, Cina 6_GF.jpg



建設の最も困難な地点では、ハンマーとノミだけで武装した村人たちは、
3日ごとに1mしか前進できなかったそうで、

4-4-Guoliang-Road-Cina-SLIDER_GF.jpg

致命的であっても、こうして見ると、人の手による本物の芸術作品とも!!


トンネルの中を結構なスピードで走るのに驚き! 警笛も響き渡り!



5. 中国カラコルムから、パキスタンへの「友情の」道・La strada 
“dell’amicizia” di Karakaoram, China-Pakistan

標高4714m!のカラコルム・ハイウェイは、地球上で最も高い位置の
舗装道路であり、「世界8番目の不思議」と呼ばれることもあり。

5-1-frana-sulla-karakoram-highway_GF.jpg

とはいえ、のっけから、山崩れにあった写真ですが、



地図を見ると、なんとまぁ、ヒマラヤ山脈のすぐ横、というか、山の間を
抜ける道なのですねぇ!

5-3-La strada “dell’amicizia” di Karakaoram, China-Pakistan_GF.jpg


建設は1959年に開始され、20年後の1979年に開通しましたが、
高い代償となったというのも、

厳しい冬と、夏のモンスーンの雨は労働条件を非常に厳しいものにし、
800人以上のパキスタン人と、200人の中国人労働者が主に地滑り、
山崩れの為に命を落としました。



共産圏特有のこういうのがshinkaiは苦手ですが、

5-4-La strada “dell’amicizia” di Karakaoram, China-Pakistan 1_GF.jpg



でも道を行くトラック、バスの飾り付けがねぇ、土地の香りを伝えますね。

5-5-La strada “dell’amicizia” di Karakaoram, China-Pakistan 3_GF.jpg

5-6-La strada “dell’amicizia” di Karakaoram, China-Pakistan 4_GF.jpg


長い3時間位のヴィデオもあり、新しいモダンな橋部分などもあり、殆どが
平地をぶっ飛ばしているので、どれが良いかよく分からず、

これは10年前のヴィデオで、一番山中のイメージを伝えているかと。



6.  インド ゾージ・ラ峠・Passo di Zoji La, India

峠の片側ドラス盆地と、反対側カシミール盆地の間に位置するゾージ・ラ、
またはゾジラは、冬の大雪のため半年間閉鎖され、道路を整備し、
春に再開するのに、丸2か月間かかります。 

6-1-passo-di-zoji-la-india_GF.jpg



峠の位置。

6-2- Passo di Zoji La, India_GF.jpg


道路の長さは9km、海抜3528mにあり、1車線のみの狭い道で、
一部分は未舗装の小道、・・という事ですがぁぁ、



こんなのあり?! という驚きの道の写真で、

6-3-Passo di Zoji La, India 3_GF.jpg



この道で、交差する、すれ違うには、命を懸けて、ですねぇ!

6-4-Passo di Zoji La, India-kashmir-winding-road_GF.jpg



そして、これは何してる? Uターンをする気なの?! 恐ろしい!

6-5-zojila-pass-ladakh3_GF.jpg


最後の説明には、  また酸素が不足する可能性がある為、
峠の最高部には長く滞在しない様お勧めします、って! こわっ。





7. ニュージーランド スキッパース・キャニオン・ロード・Skippers 
   Canyon Road, Nuova Zelanda

ニュージランドの南島のオーラム山レクリエーション保護区に位置するこの
25kmの道は、19世紀半ばのスキッパーズ・キャニオンのゴールドラッシュ
時に、大型車の助けを借りずに建設されたもの。

7-1-skippers-canyon-road-nuova-zelanda_GF.jpg



位置はこちらで、

7-2- Skippers Canyon Road, Nuova Zelanda_GF.jpg



簡単に言うと、急な裂け目に沿って曲がりくねった狭い砂利道で、
もしレンタ・カーで行こうとすれば自動的に保険が無効になる程の物!

7-3-Skippers Canyon Road, Nuova Zelanda  3_GF.jpg

7-4-Skippers Canyon Road, Nuova Zelanda_GF.jpg


アドバイスですか? ガイド付きツァーに参加して下さいね。
少なくとも彼らは、何を知っているかを知っているでしょうからね。

という事で、ガイド氏のヴィデオを見つけました。 確かに凄い道! どうぞ!



8. チリー  ロス・カラコーレス峠・Passo del Los Caracoles, Cile

何ともまた見事なカーヴを描く峠道! ですが海の高さである800mから、
3200m迄も上る、29もの緩やかなカーヴが続き、ロス・カラコーレスとは、
カタツムリの意味だそう!

8-1-passo-del-los-caracoles-cile_GF.jpg

つまり、人間にとってもトラックにとっても無理のないようにゆっくりと、
カタツムリの様に上り、下る様にと、忍耐が必要と。



チリーからアンデスを超え、アルゼンチンに連絡する峠で、1年の殆どを
雪が覆い閉鎖されるそうで。

8-2-los caracoles pas_GF.jpg



運転をしている人には、こんな素晴らしい風景も目に入らないかもですが、

8-4-Los-Caracoles-Pass_GF.jpg

8-5-VTM2_15_Driver_report_Chile_GF.jpg

高所からの眺めは、どこもが素晴らしいですねぇ!!


ヴィデオは日本語訳のがこちらに。 長年ここを通るベテラン運転手が
語る話に感動です。


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posted by shinkai at 02:35Comment(0)・欄外