・ ロドルフォ・シヴィエーロ  第2次大戦下に盗まれた絵画の回収を

今回ご紹介のロドルフォ・シヴィエーロ・Rodolfo Siviero(1911/1983)
一般的には余り有名ではありませんが、ウッフィッツィ美術館の作品作者と、
時に作品の歴史を簡単に説明するラベルに
「ロドルフォ・シヴィエーロにより回収された」と名前が記されていたりで、

つまりロドルフォ・シヴィエーロは第二次大戦中に、イタリアで
ドイツ軍により1938年から45年の間に盗まれた芸術作品回収の為に働き、
その数はなんと何百枚にも及ぶのだそう!


この写真は1943年に盗まれたティツィアーノ作のダナエで、
回収された1947年、作品の前のシヴィエーロ。

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現在元のナポリのカポディモンテ博物館収蔵に戻っている作品で、

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ナポリから、ラツィオ州フロシノーネの山頂にあるモンテ・カッシーノの
修道院に秘密に預けられていた作品類が1943年10月に盗まれた内の1枚。

なんとこの作品は、1944年1月のヒトラーの右腕、国家元帥のヘルマン・
ゲーリングの誕生日に贈られる筈の作品だったそうで!

ですが後に、ドイツ軍の司令部があると思った英・米連合軍により
攻撃され、1944年2月には大空爆が行われ、修道院は廃墟と。

つまりそのまま修道院の奥に隠されていたら、大爆撃で消えていたのかもで、
こういう運命からも逃れた運の強いティツィアーノの傑作、という訳で、
いや逆に、真の傑作は強い運を持っている、というものかも。



パリのルーヴル博物館の絵画類も、ナチ・ドイツが持ち去ろうとしたのを
運ぶ汽車の機関手たち、レジスタンス達が国境を越えさせぬ様に列車を
迂回させたり、様々な抵抗をした、というお話も有名ですし、

ナチ・ドイツの占領下にあったヨーロッパの各国が様々な芸術品の盗難に
遭っているお話の映画も見ましたが、

イタリアでもやはり、えっ、この絵も盗まれたの?! という今回のお話で、
各国でのあれこれを知りながら、ついぞ今迄頭になかった事なので、
大変に興味を持って読みました。

参考にした記事は、
ロドルフォ・シヴィエーロ、秘密エージェントが救った、盗まれた傑作

ロドルフォ・シヴィエーロ、芸術の世界の伝説的人物

ウィキペディアのイタリア版 Rodolfo Siviero 


こちらは回収されたポントルモ・Pontormoの絵と共に。

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ロドルフォ・シヴィエーロは、父親がヴェネツィア人のカラビニエーリの下士官で、
トスカーナ州ピサ県のグアルディスタッロ・Guardistalloの分隊署長の時
土地の娘カテリーナと結婚しての、1911年生まれ、

その後1924年に一家は引っ越し、彼はフィレンツェ大学に進み、
芸術・文学の分野に学び、将来は芸術評論家になる希望だったと。

が1930年代に、イタリア軍情報部の秘密エージェントに。

1937年美術史の奨学金を受けて、というカバーの下に、ナチス政権に
関する情報収集でベルリンに行っており、

最初は軍の情報部に入ったのも、ファシズムに同調していたのが、
1943年9月8日以降、彼は反ファシストに。


1943年9月8日、というのは、第二次世界大戦の同盟国とイタリア王国の
バドリオ1世政府によって署名されたカッシービレ休戦の発効の発表があり、

この辺りshinkaiには説明できる程の知識もありませんが、1943年には既に
連合軍による進撃が続き、イタリア国内では大規模のゼネラル・デモも続き、
地中海海戦でも連合君が勝利、7月にはシチーリアに上陸、という戦況。

遂に7月25日にムッソリーニが独裁権を返上、バドーリオ政権下となった、と
いう状況で、イタリアは最後の混迷期に突入します。

この後ムッソリーニは幽閉され、ドイツ軍による救出後、1943年9月に
ガルダ湖畔のサロにおいてドイツの傀儡政府を設立、
イタリア社会共和国・RSI・ローマ以北のイタリアを含みましたが、

1945年4月28日レジスタンス軍に捕まり処刑、最期を遂げました。


という様なイタリアの終戦前の混乱期ですが、「芸術作品について詳しい
軍情報部の秘密エージェント」としてのシヴィエーロの仕事は、

1938年から45年の間にナチスによって盗まれた何百枚もの傑作を
回収する事で、

取分けKunstscutz・コンスショッツというドイツの機関、訳すと
「アート・プロテクト」なる団体は、戦争の危険から芸術作品を保護する、
爆撃から保護する、というような名目で、芸術作品を盗んだのですね。


シヴィエーロの救出作品の1つに、1432年作のベアート・アンジェリコ
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知」と呼ばれる作品があり、

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絵のあった教会は・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ・San Giovanni Valdarnoの

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サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ・Santa Maria delle Grazie教会。

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6-4-basilica di Santa Maria delle Grazie a San Giovanni Valdarno.-9be4dbc5ab61_GF.jpg


後に絵は、近くのフランシスコ会のモンテカルロ修道院で発見されたと。

この経過は、1944年初頭、シヴィエーロの情報提供者のネットワークから、
ヒトラーの右腕のヘルマン・ゲーリング、芸術に夢中な彼が、ドイツの彼の
コレクションに加えたい、と望んでいる事を知り、

シヴィエーロはフィレンツェのサヴォナローラ修道院の2人のフランシスコ会の
修道士に警告し、
彼らはドイツ兵が到着する前日に仕事をし、隠した、という顛末。

よくぞイタリアに残ってくれたもの、と感謝する絵の1枚で、
このフラ・アンジェリコの絵が余りにも美しいので、一体どこにあるのか、と
場所を調べましたら、フィレンツェから電車で行ける近くなのが分かり、
またチャンスを見つけて、と。


シヴィエーロは1948年政府に、盗まれた作品を返還するという原則確立を
交渉する為に選ばれ、傑作の多くを何とか回収しましたが、

50年代になると、シヴィエーロは政府に代わり、体系的に研究を行い、
この激しい活動は彼が1983年に亡くなるまで続き、
「芸術の007」というニックネームも生まれたほどと!!


これら盗まれた作品の中には、1943年9月8日以前にイタリアに入り込んだ
上層階級のドイツ人たちが、ファシスト政権の共謀によりドイツに持ち帰った
作品も多数あり、

その中には、このミロン・Mironeによるローマ期のブロンズ像の、大理石の
コピーである、ディスコノボロ・Disconoboloの「円盤投げ像」もと。

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また上記したイタリア社会共和国・RSIに対し、ドイツ軍が南イタリアより
引き上げる際、ローマにおいてナポリ国立博物館から盗んだ芸術作品を
返還した、という事もあった様子。

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またナチス占領下において、フィエーゾレのジョルジョ・デ・キリコの別荘から
彼が所有する絵画も、戦略を立て保護持ち出し、これら絵画は監督官庁の
寄託物の中に隠されたのだそうで。


ナチスの「縮小政策」と呼ばれる、これは単純にパトロールの際に捕獲、
また夜間民間に押し入り、着の身着のままの民間人を捕らえ、強制労働や
収容所送り、または交換要員に当てた、という非道残忍な作戦を指すそうで、

この「縮小作戦」を恐れ、デ・キリコは奥さんと一緒に逃げるしかなかった、と。



1944年7月3日、トスカーナ各地に移され隠されていたウッフィツィ美術館の
200点以上に渡る絵画を盗み、アルトアディジェに移し、

同じ1944年7月25日から8月11日にかけて、ドイツ軍はウッフィッツィ美術館、
フィレンツェのドゥオーモ博物館、他のフィレンツェの博物館等から彫像類を
運びだし、アルトアディジェのカンポ・トゥールスの城に運び込みます。

地図をご覧頂くと分かるように、これはもうオーストリアとの国境にすぐの所。

10-castello di campo tures_GF.jpg

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シヴィエーロの情報サーヴィスはこうした動きを掴み、後に全ての作品を
フィレンツェに返還した同盟国側の実際の発見にも貢献しています。



と、これは1943年のRSIに対する、ローマでの返還に含まれるのかもですが、
ナポリ国立考古学博物館からの多くの彫刻が盗まれた内の名品、

リュシッポスのヘルメス像と、

12-Lisippo_Hermes_in_riposo_laterale_GF.jpg



ポンペイのアポロ像、が含まれていたそう。

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このポンペイのアポロ像には驚きましたぁ。 上半身のみの写真だと
女性像かと思うばかりの美しさで!

弓を射るアポロ像だそうで、右手には弓の一部を握っており、
左手は弦を引く手ですね。



そしてそして、なんとまぁ、この像をルーヴル博物館が買い取りたい、と
キャンペーンをしているんだそうで!

15-apollo-pompei-louvre_GF.jpg


予算の半分位は既にOKの様ですが、
呼びかけている5エウロの献金を、皆さんはしないでねぇ!!



そして同じく1937年から1943年の間にファシスト政権の共謀で、
ドイツに違法に持ち出された38の作品の中には、

ティントレットのレダ

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そしてルーベンスの、ジョヴァンニ・カルロ・ドーリアの騎馬像があり、

17-Rubens,_Ritratto_di_Gio_Carlo_Doria,_Palazzo_Spinola,_Genova_GF.jpg



この作品はジェノヴァのドーリア邸にあったもので、ヒットラーが
来伊の際に訪問している写真も。

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マサッチョの「聖母子」の作品は、1947年にシヴィエーロが回収しており、

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20-Madonna con Bambino del Masaccio_GF.jpg

これは本当に愛らしい作品で、ほら、聖母が幼児キリストの顎の下を
こちょこちよっとくすぐり、幼子が笑っている声が聞こえそうな、でしょう?



所で、上にフィレンツェのウッフィッツィ美術館から盗み出された200点
以上の作品は、シヴィエーロの情報網、そして連合軍側との連携で
殆どが無事に戻ったと書きましたが、

アントーニオ・デル・ポッライオーロの「ヘラクレスの骨折り」の2点
傑作小品が見つからず紛失していたのでしたが、

ヘラクレスとヒドラ

21-ercole-di-antonio-del-pollaiolo_GF.jpg



ヘラクレスとアンテオス

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その後の調査により、当時ドイツ軍の兵士で運搬に携わっていた人物が
盗み、その後アメリカに渡り、パサデナに住んでおり、絵も健在、が分かり、
シヴィエーロが渡米、説得、半ば脅しに近い、が合法でもある
強力な掛け合いで、無事1963年返還となりました。


そうなんですね、ロドルフォ・シヴィエーロは勇気と文化教養、能力を
備えた人物で、権力も上手く使える人物、と書いたのがありましたが、

まさに骨太の、当時のイタリアにあって政府側にも本当に欲しい働ける
人物だったでしょうし、
彼にとっても働き甲斐のある仕事だったのでは無いでしょうか?!


こうして救われた作品を見て行くと、なんとまぁ、これも! これも!と
驚くばかりの作品群で、
初めて今回知ったロドルフォ・シヴィエーロなる人物像を想像したり、

それに捜査官として追跡する様子など、まるで冒険談や探偵物語の様で、
興味津々で楽しめましたし・・。


彼の住んだ家は、現在「ロドルフォ・シヴィエーロの家博物館」として残され、

23-Casa_museo_rodolfo_siviero_GF.jpg

住所は、Lungarno Serristori 1-3 Firenze


寝室 天蓋付きベッドの側から

24-Casa_siviero,_camera_del_letto_a_baldacchino_03_GF.jpg



暖炉のある居間

25-Casa_siviero,_salotto_con_camino_01_GF.jpg



食堂

26-Casa_siviero,_sala_da_pranzo_02_GF.jpg



書斎、図書館

27-Casa_siviero,_studio-biblioteca_02_GF.jpg

そこかしこに見える古い彩色木像が素晴らしいですねぇ!
開館時間など見つからずですが、またの再開の時を待ちましょう。



最後に、これはアメリカのボストンの美術館に違法に売られていた、
ラファエッロの絵の回収をしたお披露目で。

28-Il Ministro Siviero presenta a Roma il dipinto di Raffaello appena recuperato dal Museo di Boston_GF.jpg

ジュリオ2世の姪の肖像、というような説明があったのですが、人物も
特定できず、絵も写真はこれだけですが、彼の顔が良く見えるので。

彼の顔を見ていて、どこか少し昔のイタリア男性の面影というか、
特に口元辺り、ロッサノ・ブラッツィとか、マルチェッロ・マストロイアンニと
似た所があるなぁ、と思ったのでした。


亡くなる最後まで仕事を続けられたそうで、本当にご苦労様でした!
そして、有難うございました!!


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