皆様には、クリスマスの思い出ももはや遠く、・・日本は忙しなく、
既に年越しの様々な準備に追われておいでかも知れませんね。
こちらイタリアは25日のクリスマス、26日のサント・ステーファノの
祭日は連休となりますが、その後はずっと平常運転のカレンダーで、
1日は元旦の祭日の後、6日までがクリスマスの余韻が残り、
飾りつけもそのままで過ぎます。
ので、クリスマスは友人のジュリアーナが来て、飲み食い、はは、
DVDフェスタ2本立て!をしたものの、それ以外は平常運転。
これを書いている28日も特別な事もなく、大掃除もなく、へへ、
野菜類は24日にお隣からど~んと届きましたので!!
明日はスーパーに果物類を買いに、と思っています。
今年も暫く前からスーパーに並ぶ「Shinano gold」のリンゴ!
こちらでは「Yello」という名でも出ており、
シャキシャキと甘くジューシーで、今年も友人達にもね。
昨年のクリスマスの朝、ベルギーのファイザーの工場から第1弾の
ワクチンが届いた、と先日TVニュースに出て、ああ、そうだったっけと。
国中がワクチン接種に追われつつ、この1年は少し気持ちが慣れつつ、
時に息抜きをしながら、でも季節の移り変わりを余り感じる事もなく
過ぎてしまった、そんな気がします。
机に向かい絵を描きつつ、PCに向かう毎日ですが、
それでも時に大いに気持ちが高揚し、元気を貰える事があり、
案外皆さんも同じかも、とそんな幾つかを、今年の最後にここに。
映画大好きのshinkaiですが、映画館には行かず、TV放映を録画で
楽しみ、気に入ったDVDを、という流れですが、
今迄で一番に、自分も絵を描いている者として嵌ったのが、
「ある画家の数奇な運命」、イタリアでは「作家名無しの作品」とでも。
ドイツの画家ゲルハルト・リヒター・Gerhard Richter(1932-)
現存の世界的に有名な画家を取り上げた作品であることも知らずに
見たのでしたが、
今迄画家が主人公の映画を何本も見ても、1度も画家らしいと思わず、
まぁ、どんな人間が画家かと言われると、それも答えに困りますが、
絵を描く場面でちょいちょいとなぞる、というか、描くふりをする、と
いうのがモロでしたが、
今回初めて何とも素晴らしい「描く場面」が見れ、画家が次の段階
へのインスピレーションを得、新しい世界に踏み込んでいく様子が、
大変明快に描かれていて、初めて映画の「描く」場面に魅せられました!
未だ戦時中のナチス統治下の、かっての東ドイツのドレスデン生まれ、
叔母さんが精神病と診断され強制入院、そして優勢政策により殺害。
そして後年美術学校で知り合った恋人、後に結婚、の父親が、
叔母の処刑に手を貸していたナチの医師であったこと等などが絡みますが、
東ドイツ側で美術学校に通い、優秀な画家として労働者賛歌の
スローガン壁画を描いていた彼が、他のモチーフは堕落、という
社会的に描けなかった事情もあり、
ベルリンから東西ベルリンに分断される、その数カ月前に西側に脱出し、
今度はまるで空気の違うデュッセルドルフの美大に。
西ドイツでは既に「古い絵は死んだ」という空気で、新しい美術、
絵画に取り組むものの、
新しいアトリエを与えてくれた教授の言葉通り、「自分は何を描きたいのか」
に迷い、答えも出ず、何も描けない状態に。
そんな時に出会った1枚の写真、ナチスの優勢政策に加担した
医者逮捕の新聞写真に目が留まり、
叔母の死にも関係がある事から彼の内に潜んでいた何かが触発され、
写真を元に描き、
持ち出していたかっての家族写真の中から、叔母に抱かれた自分の
ポートレイトを。
映画に使われた絵は、実際に画家が描いたモチーフ写真とは違い、
最後の写真で分かるように、映画の中の叔母さんは年齢が上ですし、
アトリエの写真右下に見える様に、医者を描いた写真も違うもの。
映画の中で描いたのは、実の画家のお弟子さんだと読みましたが、
グレイの濃淡の諧調の美しさと、緩めに溶いた絵の具で描き、
アウトラインで締める的確さ! その達者さに魅せられました!!
そして上の3枚目写真で分かる様に、彼は一旦描きあがった絵を前に暫し考え、
アトリエの大きく開いた窓の外では木の葉が揺れ、空気、風が流れ込む、
というシーンで表現されますが、
彼は太い刷毛で、まだ乾ききらない画面の上をそ~っと横に掃き、
線、筋を付けるのですね。
この線、筋を入れる事により、生の写真から絵画作品になるというか、
画家の今迄の作品との一線を画す、画家が今迄の自分の作品を
飛び越える印象を明確に表している事に、
今まで見た画家の映画では見なかった場面に、
一気にこちらもカタルシスを感じ、大いに高揚したのでした!!
画家は、映画化の話にはOKを出したものの、実際の映画には
大いに不満を持った、怒った、とも知りましたが、
そう、多分画家が話した自分の過去の逸話も、映画の嘘ではなくとも、
他人が実在の場面として描くとまるで違ったものになる、という
見本の様な物と想像します。
百聞は一見に如かず、という言葉通り、映画の中の1枚の絵、
1つの場面が画家の話以上に説得力を持つ、という事だと。
画家のその後の絵の変遷では、人物画、風景があり、その後は抽象画に
なっている様子ですが、
今回あれこれ探した過去の作品に、私めの好きなもの、美しい、凄い、と
思うものが何枚もあり、その中の幾つかをここに。
これは映画の中に出てくる場面、但し、これは絵ではなく、叔母さんが
バスの駐車場で止まっている何台ものバスに一斉にクラクションを鳴らして貰い、
その騒音の中で恍惚とした状態になる、という場面で、
これはちょっと凄かった!
映画の最後では、初の個展を終えた画家が、同様にバスの駐車場で頼み
クラクションを鳴らして貰い、思い出を回想する場面に。
他にも何本も楽しみ、興味を持った映画もあったのですが、
この映画には強烈な印象を受け、何度か見直し、
絵を描く者としても、具象画の方には学ぶ点を幾つか見出したのでした。
***
もう1つこの夏大きな感銘を受けたのに、
「松岡和子さん、シェークスピア全集33巻を完結」というニュース!
28年間の歳月をかけ、シェークスピアの戯曲37作品を訳し、
今年5月に全集33巻を完結させた、というもので、
若い頃はシェークスピアの大きさに圧倒され遠ざかっていた松岡さんが、
遂に覚悟を決め翻訳に取り掛かったのは54歳の時、
そして28年の歳月をシェークスピア一筋に! というので凄い、凄い!!
にこやかに猫ちゃんを抱いている姿の中には、芯がピチッと通った
凄い人がおられるのですねぇ。
400年以上前に生き、書いたシェークスピアと向き合い、作中人物とも
向き合い、そして今回あれこれ書かれた記事を読み、
一番shinkaiが「これ、これ!」と思ったのは、 中略で
『翻訳は当初から、女性の言葉遣いに気を配ろうと決めていた。
例えば、『ロミオとジュリエット 』で主人公二人が、バルコニーの上と下で
語り合う場面。 多くの先行訳はジュリエットがへりくだった口調だが、
松岡さんは「二人は対等です」。
原文で、ジュリエットがロミオに対して「you(あなた)」ではなく、
よりくだけた当時の言葉「thou」を使っているからだ。
その集大成が、『終わりよければすべてよし 』。 主人公のヘレンが、
青年伯爵との身分違いの恋を成就させる物語だ。 松岡さんは、
結婚の条件をクリアしたへレンが、青年伯爵に問いかけるせりふに
悩んだ末、こう訳した。
<これが二つとも果たされたいま、あなたは私の夫、いかが?>
原文「Will you-?」を踏まえ、ヘレンががさつ者にならず、かつ、
へりくだらない表現を探し当てた。』
これは私にとって、本当に、大変大きな答えを与えてくれたもので、
イタリアに来て以来、ずっと日本との男女間の立場、関係の違い、
言葉の違いに気が付いて以来に、やはり!という答えだったのですね。
つまり、日本での男女間の言葉使いでは、既に、常に、上下関係があり、
丁寧に呼びかけるのは良くとも、それに続く言葉は、見上げる形となり、
翻訳された日本語の本でも、全然問題なく今まで通りの風習に従って
いるのが気になっていたのですね。
それを松岡さんは、何とかがさつではなく、へりくだらずに、の表現を
探され、ご苦労された、というのが、
人生の先輩であり、女の大先輩が示して下さった、というのが嬉しく、
次回のチャンスには何とか松岡さんの文庫本を買い込み、
有名作品のみでも読もう、と決めたのでした!
シェークスピア戯曲全集の日本語訳は、坪内逍遥、小田島雄志さんに
続く3人目となった松岡和子さん。
大仕事の完了、本当にご苦労様でした!!
女性の先輩としても大尊敬。 この先もお元気でお仕事を!!
では、
皆さま、今年も1年間のご愛顧、有難うございました!!
来る年もどうぞ、よろしくお願いいたします!!
*****
当ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
色鉛筆+水彩画ブログには、
をアップしています。 ご訪問よろしくどうぞ!
*****
今後ともの皆様のご訪問を、お待ち致しておりま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。