・ オルタ・サン・ジューリオ  春の色、いにしえの香りたっぷりの

先週グループ旅行で訪門したオルタ・サン・ジューリオ、そして
イーゾラ・サン・ジューリオ・サン・ジューリオ島のご案内を。

生憎の曇り空だったのですが、新緑の萌え出す緑色が美しく、
気温も肌寒くはなく、大変素晴らしい旅行となりました。

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所で、ラーゴ・ドルタ・Lago d'Orta・オルタ湖、
オルタ・サン・ジューリオ・Orta San Giulio、
イーゾラ・サン・ジューリオ・Isola San Giulio・サン・ジューリオ島 と
似た言葉が続きますので、ちょっと地図をご覧下さいね。

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オルタ湖はミラノから西のノヴァーラ・Novara市の北35kmに位置し、
ピエモンテ州になります。

オルタ湖は南北に細長く、最長部で13,4kmあり、
サン・ジューリオ島が唯一の島で、
オルタ・サン・ジューリオ市に含まれます。



これがオルタ湖に付き出した、オルタ・サン・ジューリオ市と島の関係で、

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ちょうど赤枠で囲ったオルタ・サン・ジューリオの所に駐車場があり、
そこから皆でせっせと坂道を下り、緑の印の広場、港まで。



で、この道が素晴らしく、湖の眺め、そして咲き乱れる椿、藤、
ツツジの美しさに導かれつつ、

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こんな大樹の散歩道も続き、

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時に湖を行くボートの描く水脈にも惹かれつつ、

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遂に、ああ、あれがサン・ジューリオ島ね、と。

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一番高い建物の屋根の先に見えるサン・ジューリオの像。

ほら東向きになっていますが、これは道を行く時には見えるのですが、
も少し西になる町の中心広場からだと、見えないのですね。



最後、両脇から建物の迫ったこんな少路を行き、

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そして出てくる中心のモッタ広場・Motta.

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正面右に趣ある建物が見えるものの、ちょうどこの日は市の立つ日で、
人の賑わいと、テントなども張り出しており・・。

それでもお昼過ぎには徐々に片づけられ、日頃ののんびりした姿に。



これですが、ブロレット・brolettoとも呼ばれる、1582年に建設の、
かって1階のロッジャは市場に、2階はこの一帯のコムーネの会議室に
使われた建物で、

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南側の壁にも、この様な装飾がされ、

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背後の壁には、窓から覗く女性像がね。

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1階のロッジャ部の背後が小さな広場になっていて、右のアーケードの
下で、shinkaiはお昼を食べたのでした。

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こちらは階段を上り、2階会議室の脇から見た広場北側の建物で、
なかなか良い雰囲気でしょう?

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一番左端に切れて見える隙間は、坂道が上に続き、



この通りで、丸石舗装の緩い階段道で、右中に見えるかっての
コムーネの壁に見えたのは、ミラノのヴィスコンティ家の紋章・
ビショーネ・蛇。

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オルタ一帯は、中世から18世紀半ばまで続いた自治体の行政下にあり、
1311年迄要塞システムもあったのが破壊されたまま、再建されず、
というのも、十分に安全が保てるほどの場所があったからなんだそう。

唯一略奪にあったのが1524年のスフォルツァ家によるもの、とあり、

ヴィスコンティ家最後のビアンカ・マリーアが、フランチェスコ・
スフォルツァと結婚し、スフォルツァ家に移行したのが1447年。

その後70年ほど後の略奪、という事になりますが、まだヴィスコンティの
名が影響を持っていたのでしょうか?


オルタは16世紀から18世紀にかけ繫栄し、地元の錬鉄職人技が
大変発達したのもこの時期だそうで、

そういえば家の門、建物に入り込んでの門には、素晴らしいのが
幾つか見られましたっけ。 


我々は訪問しませんでしたが、16世紀の終わりに、山側にサクロ・モンテ・
Sacro Monteという、巡礼参拝道が建設されており、現在はユネスコの
世界遺産に指定。

ずっと以前のご案内ですが   オルタ湖 ・ Lago d'Orta
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088022.html



この幅広い坂道が、上の写真で左に切れていた道で、広場の名前のままに
モッタとも呼ばれ、(アルベルトレッティ通り・via Caire Albertoletti)、
一面に丸石舗装が施され、

頂上に見える教会は、オリジナルは15世紀末、現在の姿は18世紀後半に
再建のサンタ・マリーア・アッスンタ。

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この坂道の両脇に並ぶ建物が素晴らしく、いずれも15,6世紀の
建物の様で、上の教会左に見えるのは現在美術展示館と。



この素晴らしい藤を見て下さい!! 古い建物の石畳の間に根を
下ろしつつもこの旺盛な繁殖と美しさ!! 

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後にガイド氏の説明を聞いていましたら、なんと、日本産の藤だそうで!!
という事は、オルタで見たたくさんの見事な藤は、皆日本の藤?!



こちらはその対面、カーザ・デイ・ナーニ・Casa dei Nani、11世紀の物と。

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屋根は石葺きというのか、多分北の国の影響と。
オルタでは屋根のみでなく、壁も石で覆われているのを何度か見ましたよ。



こちらは15~16世紀のパラッツォ・ジェメッリ・Gemelli.

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ガイド氏によると、殆ど個人の持ち物で、町中の建物も含め、
多くの持ち主はヴァカンス期にやって来るのだそう。



坂道の上から見下ろす、湖岸のカフェと、

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向こうにサン・ジューリオ島。 ほんの少しでも、陽が射してくれたらねぇ!

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港には、あちこちに鴨がおり、

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水が本当に綺麗! 透明なのがよく分かるでしょう?!

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長めの休憩時間も過ぎ、いよいよサン・ジューリオ島に渡ります。

今回の旅行はコロナ対策もあり、いつもは50~55人程が35人!
でモーター・ボート1艘で5分もかからず、岸から400m離れた島の
東横で回り、着岸。

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左に見える塀の手前に三角の広場があり、

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そこでこうして座り、ガイド氏のお話をね。

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時々耳を傾けるものの、殆ど自由歩きのカメラ遊びも1人おり、ははは。

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こうして、サン・ジューリオ島の聖堂内の見学に。

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サン・ジューリオなる方は、もう片方の双子の弟サン・ジュリアーノと、
4世紀にギリシャのアテネから約50k離れた小さなエギナ島・Eginaで
生まれたと言い、

異教徒の福音宣教と教会建設を任務として派遣され、ローマに到着。
ローマ近郊から次第に北上しつつ、生涯に100の教会を建設し、
その最後がオルタ湖の現在サン・ジューリオと呼ばれている教会の源で、

弟のサン・ジュリアーノは99番目の教会を、ノヴァーラから南に位置する
ゴッツァーノに建設、そこに彼自身の墓所があります。



サン・ジューリオは島に渡るのに舟が無く、自分のマントを浮かべ、
それに乗って島に渡ったものの、島にはドラゴン・竜と蛇との闘いが
待ち受けており、

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サン・ジューリオは竜、蛇と戦い、現在の聖堂のある場所に教会の
基礎を築いたのだそうで。

何か大掛かりな伝説を聞いている様ですが、100教会の設立はさておき、
最後の99番、100番の教会で行われた発掘調査により、
様々な歴史的要素がある事が実際に確認され、

サン・ジューリオ島では、北向きの単一の後陣を持つ小さな礼拝堂の形を
した5,6世紀の原始的な聖堂の痕跡が明らかになったのだそうで。


現在の聖堂は、初期キリスト教期の東を向いた姿を、ロナネスク期に
拡張したもので、長さ30m、幅18m、翼廊24m.

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中に座ってガイド氏の説明を聞き、写真はダメと言われ、そのまま大人しく
お話の終るのを待っていたので、まるで内部は覚えておらず、

左席の前、上の写真にも見える説教壇の見事さに目を止めておりました!



こちらですが、1110ー1120作とみられるロマネスクの素晴らしいもので、

オイラ・Oira産の特別な蛇紋岩と。

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ああ、これを突き止め、日本語で理解するのにかなりの時間が!

で、オイラなる土地がどこにあるのか、となると、オルタ湖の対岸
斜め北に位置するのも分かり、ははぁ~ん、という追跡の楽しさ!

蛇紋岩なる石は、灰緑色で、その日の明かりにより示唆に富む反射をし、
作者はロンバルディーア派のコマチーニの師匠とドイツ人であろうと。


暗い聖堂内で見ていて、黒い石かと思ったのですが、こうして見ると
確かに濃いグレイですね。

周囲を4福音者のシンボル、雄牛、人間、ライオン、鷲が囲み、
善と悪の戦い図で、グリフォーネ・鷲の頭と翼を持つ、が勝つキリストの
シンボルなのだそう。



最初は木製かと思っていたのが石と分かり、その見事さにこればかり眺め、
最後の最後に1枚だけ、ははは、撮ったのがこちら、で~す。

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そうそう、祭壇の下に1697年に掘られたというクリプタ・地下墳墓があり、
水晶でキラキラする飾られた面を付けた、サン・ジューリオのご遺体が。
こうなると信者でないshinkaiは、早く明るい所に出たいのみ!



聖堂を出て、島の中を巡る少路を辿ります。 鐘楼。

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島の広さですが、長さ275m、幅140m、周囲は650mだそう。



隣にあった古い建物内は、入り口に美しい聖母子のフレスコ画があり、
内部はショップ。

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聖堂の正面側。 サン・ジューリオの像が手を広げて居られるのが
見えるものの、前の空きが無く、上手く撮れず。

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島に住んでいるのは、ベネデッティーノ派の尼僧、終生閉じこもりの
誓いを立てた、クラウズーラ・閉じこもりの、尼僧たち70人程と、
ほんの少しの人々と。

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沈黙・静寂についての様々な言葉があちこちに掛る道を進み、

建物の隙間から、本島側が見えます。

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石で葺かれた屋根。

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こちらは僧院の窓。

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こうしてサン・ジューリオ島を離れ、

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屋根の天辺のサン・ジューリオの姿が漸くに。 左手に持っているのは、
石工の守護神でもある聖人の、石工の道具と。
右手の傍は、鳩かな、いや、太めの雀ちゃんたちをたくさん見たけど。

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オルタ湖の北を眺め。

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モッタ広場に戻り、仲間たちはガイド氏とモッタ通りの坂道を教会迄。
耳にガイド氏の説明がそのまま聞けるのを幸いに、
shinkaiはロッジャの下で一休み。

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港でたむろする、あ、イヤ、ガイドの時間待ちのボートの船員さんたち。

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その後最後にガイド氏が町の少し西迄ご案内を、という事で、
狭い少路を行きます。

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ホラ、この凄いのも、藤でしょう?! 咲くのが遅れているけど日本産?! 

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こちらが現在の市役所で、庭が湖に面し色とりどりのパンジーと、
ここにも見事な藤が咲き誇っておりました。

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ガルダ湖もそうですが、北イタリアにあるにもかかわらず、
大変に気候温暖というか、どこもが花が見事で、
翌日のマッジョーレ湖でも空気が柔らか、というか、温暖で、
ここ一帯が観光ヴァカンス地となるのも、一理あるなぁ、と。

皆さまも、未だの方はミラノにお越しの際には、是非チャンスを作り、
足を延ばして下さいね!!

ミラノからだと車で1時間半、電車だとノヴァーラ経由で
2時間半の距離です。



最後は、サン・ジューリオ島の美しい夜景をどうぞ!。

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・ 映画「リリーのすべて」 で、語られた事、語られなかった事 

かなり以前になりますが、TV放映録画の為に番組を見ていて、
何度か見て記憶には残っていたこの写真に目が留まりました。

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というのも、この右側の女性はどこかで見た覚えがあるものの
誰だったか思い出せず、

女性2人の親密さ加減、そして伊語タイトルが「The Danish Girl・
デンマーク女性」とあり、

内容を知らず、ややこしいのは苦手なshinkaiは、それ以前にも
何度か録画をパスしていたのですが、へへ、
この時はなぜか私めのアンテナに引っ掛かり、初めて検索を。

で、この右の女性はこちら、エディ・レッドメインと知り、ああ、そうか!

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彼の出演映画は何本か記憶に残り、「ブーリン家の姉妹」
「マリリン 7日間の恋」等、他にも経歴を見るとみている映画が
ありますが、彼と認識してはおらず、
「博士と彼女のセオリー」はまだ見ておりません。



が、検索し見つかった写真「リリー・エルベ・Lili Elbe 1926」や

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彼女について読んだ事には??で、消化するのに少し時間が。


で今回見た映画「リリーのすべて

制作 2015 米 英 デンマーク
監督 トム・フーパー
出演 エディ・レッドメイン
   アリシア・ヴィキャンデル
   マティアス・スーナールツ
   セバスチャン・コッホ
原作 デヴィッド・エバーショフ



で語られた、主人公の画家
アイナー・ヴィグナー・Einar Mogens Wegener(1882-1931)
後のリリー・エルベ・Lili Elbe

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この肖像画は1920年と。



風景画家として有名だった彼が、世界で2、3番目(映画では
世界初と)の男性から女性への性別適合手術を受け、
名前も女性名リリー・エルベと変えたものの、
最後の手術で拒絶反応を起こし亡くなった、という人物。


で、夫婦としては法的に離別したものの、彼を愛し、彼を最後まで支えた妻
ゲルダ・Gerda・旧姓ゴトリプ(1886-1940)

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彼女も画家、イラストレーターで、2人はコペンハーゲンの王立美術院で
学んでいて知り合い、1904年に結婚。

画家、イラストレーターとしていわばライヴァルでもある2人の生活は、
2人の飼い犬が時に神経質な顔、素振りを見せたり、
なんとなく2人の関係を察せる所もあり興味深く、

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家の自分のアトリエで絵を描くにも、きちんと背広を着ている
彼アイナーの姿に、当時の様子を伺ったり。



そしてある時ゲルダの絵のモデルが来れない事から、脚のモデルを
彼に頼み、ストッキングとヒールを付けさせたことが引き金となり、

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彼は以前から自身の中に潜んでいた、というべき、女性的なものに
現実的に向き合い始め、徐々に女装する事が多くなり。

元々彼は細身の体で顔つきも優しく、パーティに出かけるのに女装し、
その為に2人で劇場の衣裳部屋に忍び込み、鬘や衣装を盗んだりも
楽しんだり、

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「従姉妹のリリー・エルベ」という女性名も発明、彼は新しい自分を
楽しみ、一層本来の自分を求め始め、

とはいえ、パーティーで出会った男性が夫アイナーに、女性と信じ
近づくのを見ると良い気はせず落ち着かず、揉める事にも。

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が、女装したアイナーをモデルに描き始めたゲルダの絵が好評で、
画廊への紹介も受け、1912年2人はパリに。

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ゲルダは、パリで画廊を持つ、アイナーの昔からの友人である
ハンスに事情を話し救いを求めたり。

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彼女は自分の夫を失いたくなく、が、彼が何を望んでいるのかを
察しつつ一緒に精神科医にも通い治療を受けさせたり、
世間の偏見の前に彼女は彼を支える献身もし、
人間的な結びつきが深い2人。

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アイナーは、リリー・エルベとしての生活を始めると共に、
絵は「アイナーのもの」であるとして描かなくなり、



こうした葛藤の後、生まれた性がその人物に不適合な例もある、とし、
性別適合手術をする医者との出会いがあり、

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アイナーは遂に、実験的で危険性の高い、先例のない手術を
受ける事を決意、睾丸摘出手術に始まる5回の手術を受け、

最後の卵巣移植等の手術の後、深刻な拒絶反応の為
50歳を前に亡くなります。

こんな自分の求める姿に向かって進む、勇敢というか、
猪突猛進というか、凄いなぁ、という感がしきりでしたが、



映画の最後のシーンは、画廊主のハンスと一緒に、かって
アイナーが好んで描いた風景を訪ねている時、

かってリリーがゲルダにプレゼントしたスカーフが、風で飛ばされ、
2人がお互いに自由になったかのように、遠くなっていく、

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そんな象徴の様なシーンでした。



20世紀の初め、ひたすら自分の納得する存在場所を見つける為に、
自らの命を削る様な手術に身を挺する、

勇気があるとも、自分のエゴの為に相手を巻き添えにした、
ともいえる、そんな男性から女性への変身を試みた人がいた、

そしてそんな彼を支え続けた女性がいたという、
いわば愛の物語であるのにも少し衝撃を受けつつ、感動し、



と、実際の画家の2人が描いた、アイナーの描いた北の風景、

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最後はパリの風景でしょうか、 明るい絵になっているのは彼の心境でもあったのか、



そしてゲルダの描いた、リリーをモデルにしたアール・デコの女性像、
にもかなりの興味を持ち、見つめたのでした。

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実在の彼女ゲルダは、後にイタリア軍士官と再婚したものの、
数年後に離婚したとの事。

そうね、あれだけ密度の濃い生活の後には、
なかなか新しい平凡な生活は難しいのかも、ですね。


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・ ダ・ヴィンチ村 ピエロ殿の、レオナルド  1452年4月15日誕生

という事で、昨日4月15日は「万能の天才」の尊称を惜しみなく
捧げられるレオナルド・ダ・ヴィンチのお誕生日でした。

生後570年後の今も、彼についての研究、話題が
途切れる事なく続いており、

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いや、お誕生日、という事なので、こちらの方がぴったりかも、ですね。

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で今回のブログは、 
お誕生日おめでとう、レオナルド・ダ・ヴィンチ!
Buon compleanno, Leonardo da Vinci!

彼の性格、生涯の仕事、などなどを取り上げた物で、
既に知っていた事もありますが、細部のついてのふ~んな説明もあり、
かなり興味深く、皆さんにも、と思ったので、お気軽にどうぞ!



◆ 彼の母親はカテリーナ・Caterinaと呼ばれる、多分当時
 カトリックに改宗した奴隷の間で一般的な名を持つ、
 オリエントからの女性であり、

父親はフィレンツェで尊敬される公証人ピエロ、の庶子として生まれ、

1480年に描かれた「サン・ジェローラモの悔悛」から採取されたレオナルドの
指紋は、中東で広く普及しているタイプとの類似性を示している事が語られ、


レオナルドの誕生日、そして母親についての周辺事情等はこちらに。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017233.html

レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017660.html

指紋について  レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について再度
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20170928-1.html

絵の依頼主は レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ、ジョコンダ」の



◆ これらは「アトランティック手稿」に含まれる科学者の作品の
キャラクターでリメイクされた占い師の為の一連のカード

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「アトランティック手稿」が例え占いをさせる為に6ソルディの費用を
受け取ったとしても、(上のカードは占い師達によく売れた、という事?)

レオナルドは手相占いは「偽り」だったと書いている。

実際彼は同時に亡くなった人々の手を比較し、生命線が似ていない事を
確認するだけで十分であることに気づいていた。



◆ レオナルドは、心臓が何の為にあるのかを理解した

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レオナルドの時代には、循環する血液を温める為に心臓が使われる、
と信じられていたのを、

彼は心臓のポンプとしての機能を最初に理解した。

これにより、いくつかの心臓の解剖学的構造は後に彼の名を取り、
「レオナルド・ダ・ヴィンチのモデラート・ビーム」とか、
「レオナルドのアーチ型小柱」と呼ばれているのだそうで。



◆ レオナルドは史上最高の解剖学者の1人ではありましたが、
 彼の研究が必ずしも正しいとは限らずで、

例えば彼は、右下に見える図の様に、脳に3つの脳室があると
信じていました。 これは間違い、なんですと。

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◆ 「モナリザ」をフランスに持ち込んだのは、レオナルド自身

「モナリザ」がナポレオンによってルーヴル博物館に運ばれた、
というのは、まだ広く知られている考えですが、

「モナリザ」をフランスに連れて行ったのはレオナルド自身であり、
フランソワ1世は「彼女に」金貨4000スクーディ、つまりレオナルドの
お手当2年分を与えたそうで。

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一方ナポレオン軍は代わりに、現在も返還していないいくつかの手稿、
現在「フランス研究所手稿本」と呼ばれている物、を持ち帰りました。

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未だフランスは、シャルル・ドゴール空港以外はルーヴルもパリも未踏、
のshinkaiは、
ははぁ、「モナリザ」の展示はこの様に遠く、防弾ガラス入りね、と拝見を。


彼と同時代の航海師アンドレア・コルサーリは
「彼は血を流すものは何も食べない」と語っており、

レオナルドの言った事として、「現在人を殺す事の様に、動物を殺す事が
犯罪とされる日が来るだろう」というのがあるそうですが、

レオナルド自身は自分が菜食主義者であると語った事はなく、
ビーガンであるとは決めつけられない、という事の様。



◆ 彼は「グロテスク」を好みました

彼の視線は美しいだけでなく、変形したものにも惹かれ、
多くの人が彼を似顔絵ジャンルの創始者と見做しています。

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実際グロテスクな効果で身体的特徴が強調された男性頭部が
描かれたのが少なくとも1枚あり、

上の画像の中には「ジプシーに騙された男」と題された研究と、
左下の枠内には、非情に男性的特徴を持つ女性、が描かれており、



こちらは似顔絵研究の、5つの顔。

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◆ 彼は「実験」するのが好きだった

レオナルドのもっとも有名な「実験」は、ルドヴィーコ・イル・モーロが
ミラノのサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ大聖堂に隣接した
食堂の壁に、「最後の晩餐」のフレスコ画を依頼した時に行われたもので、

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レオナルドは、フレスコ画を描くための下塗り漆喰の上に、素早く描かねば
ならないフレスコ画の技法が好きではなく、

フレスコ画を描く下塗りは、一日で描ける量の範囲を塗り、これをジョルナータ・
一日分、と呼びますが、その下塗りが乾くまでに描かねばならず、
下塗りが乾くと、もう描いても「壁が」受け付けない、のですね。

フレスコ画は一日で描く、つまりフレスコ=新鮮な、に由来する絵画で、

レオナルドは、他の研究や仕事を同時に続けながら、時々ちょいちょいと
描けに行ける方法を発明し、壁画に取り組みましたが、

この方法の描き方が、非情に急速に劣化した事が分かった時はすでに遅く、
レオナルドがまだ存命中に環境の湿気のお蔭で、
色塗りは不明瞭なシミとなったのでした。



フィレンツェのヴェッキオ宮、500人広間に残されているヴァザーリの
壁画の下に、1503年にレオナルドが描き始めて失敗した
「アンギアーリの戦い図」があると、小さな穴を開け覗いたものの、
レオナルドの絵は無かった、
というのが10年程前に評判になりましたが、

この時もレオナルドは、フレスコ画ではなく、古代ポンペイ辺りで使われた
技法の実験をし、失敗しており、
これについては、下にご案内のDVDのなかに。

誕生、子供時代から n.1 レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 ・ DVDから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/475042637.html

ヴェッキオ宮の壁画  n.2 レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 ・ DVDから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/475042881.html


他にも、現在修復されて残る、ミラノのスフォルツェスコ城内の「樹木の間」
の壁一面の大木の壁画を描くのにも、どうやらフレスコ画ではなく、混合技法を
使ったようで、かなり劣化しており、

やはり彼はフレスコ画が好きでなく、何とか楽に、注文をこなそうと、ははは、
懲りずに、あれこれ実験を試みた様子ですね。


n.1 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968600.html

n.2 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968932.html

こちらに樹木の間が  n.3 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464969065.html

n.4 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464969267.html



◆ 彼は「ストーカー」だった?

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レオナルドの同性愛は長い間語られておるものの、彼の子供の頃の夢、
トビがやって来て、唇を繰り返し尻尾で触った、という、
フロイトの様な精神分析的解釈では上手く説明できない事もあり、

そして1476年にはヴェロッキオの工房の他の生徒たちと一緒に、
男色の罪で裁判に掛けられたこともあり、

時の被害者は、17世のフィレンツェの金細工職人見習いの
ヤコポ・サタレッリで、短い投獄の後、匿名での告訴も無かったため、
皆無罪となり、
後に事件が再検討されたものの、裁判官は先に進めない、と終結したと。



◆ 彼の手書きは、控えめにしても、珍しい物だった

レオナルドは、右から左へと進む奇妙は鏡文字を使用し、

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左がオリジナル、つまり書いたのが見え、    こちらが鏡で見たもの



また多くの場合最後の紙から書き始め、最後に、最初の紙に、という方法でした。

この特異性は、レオナルドが彼の研究を秘密にし、彼の手書きの
初心者には理解できないようにする試み、と解釈され、

彼を異端者とみなした人々は、この特定の特徴の為「悪魔の作家」と
彼を定義しましたが、
実は彼にとってはそれは自然な書き方だったと。

実際、神経学者は、彼が子供の頃に習得した習慣であり、レオナルドの様に
矯正されなかった左利きの人にとっては自然な事であると言い、

彼は「普通の」手書きも知ってはいたものの、例えばいくつかの地形図の
様に、そうでないとダメ、な時に限りで、

手紙や彼の紹介状は、当然ながら他の人に書かせた、と。 ふ~~む。



◆ 彼は冗談、笑い話を語り・・

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以下の様な、かなり当惑させ、狼狽させる様な話を語ったり・・、

「ある女性が非常に赤い足をしており、司祭が傍を通りかかった時、
感嘆し、この赤さはどこから来たのか、と尋ねると、
火事にあったのでこんな影響が出たのだ、とすぐに答えました。

すると司祭は手を差し伸べ、尼僧というよりも僧侶の様に、傍により、
甘く静かな声で礼儀正しく、彼らの為にその蝋燭にほんの少し火を点けるべき、
と祈りました」

ははは、急にこの様な笑い話を聞かされた人々は、反応に困りますよね?!


レオナルドが冗談を好きだった例えに、ミラノのイル・モーロの宮廷で、
この画家の描く女性は美しいが、彼の娘は美人ではないのは何故?と問われ、

それは、絵を描くのは昼間の明るい時ですが、娘を作るのは夜ですから、と
答えたというのを、
確か上でご紹介した、DVDの中で見たか、聞いたかしたような、ははは。


上の画、サン・ジョヴァンニ・バッティスタのほのかな笑顔は、他に残した
数多くの笑顔の1つであり、この作品はルーヴル博物館に。



◆ 彼は木の成長の輪を発見

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木の成長の輪を最初に観察し、それを数える事で植物の年齢を判断
出来るのを理解したのはレオナルドで、

この観察から、近年、樹木輪に自然が残した特定の痕跡のお蔭で、
過去の気候を研究する年輪気候学、という新しい科学が生まれたそう。


そしてまた、化石が何であるかを、理解したのもレオナルド。
彼の時代にはニキ・nichiなるもの、フォッシリ・fossiliと呼ばれた化石は、
神が魂を与えなかった大洪水、または生命の形の残骸であると信じられて
いたのが、

レオナルドは、地質学的プロセスにより石化され、地球の地殻の動きにより
明るみに出て動植物の残骸であることを、
古代ギリシャ人の後に初めて理解したのでした。



◆ 「彼の」トラットリーアの話は嘘

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何年か前、ロシアに保管されているらしい「ロマノフ手稿」について
語られ始めた時、
レオナルドが、フィレンツェのポンテ・ヴェッキオの「3つのカタツムリ」
のタヴェルナ、これはボッティチェッリと一緒に開いたとされる食堂で、
そこで供された料理についての説明がありましたがぁ、

これは英国の作家ジョナサン・ラウスの発明に過ぎず、残念でしたぁ。



◆ 間違いなく、抜け目がない人物

レオナルドが1482年、ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロの下に行った時、
彼は紹介状を持って行きましたが、これはサイン入りではなく、多分外交的な
知人であったろうと思われ、内容はその場で検討された一種の履歴書で、

イル・モーロが領土拡大の野心を持っていたちょうどの時に、
彼は軍事技術者としての技術を巧妙に強調し、
その最後に、平和の時に彼が出来る事を書いたのですね。

「非常に軽くて強い橋」から、「非常に具合よく持ち運びが簡単な爆撃器」
「覆われた、安全で無害な馬車」などなど、構築できると約束の戦争用
作品のカタログで、

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これらのプロジェクトのうち、実際に幾つ実行されたのか分かりませんし、
イル・モーロがレオナルドの戦闘マシンを、実際の戦闘で使用したのは
あったかどうか。

が、その手紙は目的を果たし、イル・モーロの宮廷でレオナルドは
働いたのでした。

レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した物、考案したもの
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461685811.html



◆ 最後は美しく、1488-1490年頃に描かれた「白貂を抱く女性」を。
モデルはイル・モーロの愛人だったチェチーリア・ガッレラーニ。

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レオナルドが描いた女性の肖像画は4点しかないそうで!

多分男色者であった大マエストロも、こんな若く美しいモデルを前にし、
彼女も、イル・モーロと同年の、若き頃は美男であったろうマエストロに
描かれる、そんな濃密な時間の様子を、下のサイトでどうぞ。

彼の描いた手のデッサン ダ・ヴィンチのデッサン「白貂を抱く・・」
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20181205-1.html


レオナルド・ダ・ヴィンチ様、570歳のお誕生日、おめでとうございます!
この先ずっと、いつの時代になっても、きっと、大いに愛され、尊敬される
大マエストロであり続ける事でしょう!!



そして皆様には、ブオナ・パスクワ!!
良い春をお迎えくださいね!

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posted by shinkai at 06:46Comment(0)・欄外

・ 東京の休日最後  乃木神社、和食、成田空港 富士山

日本から戻り早や2週間になろうとしています。 ほんと早い!
体調も元に戻り、お絵描きの方も再開しつつありますが、
ブログはもう1回、日本での様子を書かせて下さいね。

というのも、メトロポリタン美術館展の後行った場所について、
shinkaiにとっては「大回顧展」とも言える記憶を引き出し、
ここ暫く「明治の最後」にどっぷりと浸かっておりまして・・!

はい、タイトルにある乃木神社に行ったのでした。

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出かける前、国立新美術館に行くには「乃木坂」で降りてすぐ近い、
と聞き、乃木坂って、乃木将軍の? そう、と知ると、

遠い昔に親しんだ乃木将軍とか二百三高地、日本海海戦など、
つまり小学生の時に見た「明治天皇と日露戦争」という映画に
大いに触発され、感激し涙を流した(多分!)様々が
一瞬にして蘇り、

国立新美術館展を見た時に出口にあった地図で、すぐ近くに、
という事もあり、お昼ご飯の後3人で出かけたのでした。


新芽の緑になお美しく見える境内が目につき、 素敵でしょう?!

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入り口の門を入って直ぐ左手に、レンガ造り2頭用の厩舎があり、
こちらが「壽・ス」号の囲い。 

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日露戦争の水師営で会見したロシア側のステッセル将軍から
贈られたアラビア産の牡馬を、後に払い下げを願い、
「壽」号と名を付け、愛用したのだそう。

が、2年後には種馬として他所に贈られ、「壽」号は大正8年
23歳まで生きたそう。



左手に母屋があり、正面の小道を辿ると隣接の乃木神社に。

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良いお天気の日で、桜が本当に美しく。

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乃木邸についての説明がこちらに。 読めますね?

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そして邸内外の写真も。 中央2枚がご夫妻の正装姿。

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ドイツ留学の際に見た、フランス軍隊の建物を模したものとの事で、
こちらが南向きの表玄関。

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手前左に見えるのが、水師営の庭にあった棗の木の孫、と。



水師営、ステッセル将軍、棗の木、などなど、昔いつも聞いていた
民話、伝説の事柄の様に、するっと記憶に馴染むのが不思議なほど!

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上の写真右端に見える金属の手すり階段は、
こんな風に母屋の東側をぐるっと回る様になっており、

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多分これはいつもは開いていない母屋を、見学者が覗ける様に、と
後に付けられたものと思い、

この様に、部屋の中に置かれたものや、説明も読める様に。

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こちらは母屋中程にある「内玄関」。 土地の高低差を上手く生かし、
母屋の下に1階部分があり、全体で2階分、所によっては3階建てと
なっているのだそうで、

12-DSC00175_01_GF.jpg

表玄関を使うのは、主人の乃木将軍と客人で、家族や使用人は
こちらの内玄関を使っていたそうで。



庭も土地の高低差を上手く使っての植物の配置で、奥深い印象があり、

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但し、木々にはかなりの苔が付いており。

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上の写真の、苔むした大木の桜。

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乃木将軍への献碑。

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乃木邸は夫妻の命日にあたる9月13日に一般公開されており、
その時には邸内も拝見できる様子。



1957年に公開され、日本人の5人に1人が見た、という程の大ヒット作、
「明治天皇と日露大戦争」という映画。

今回一緒したYsちゃんに、アラカン、って知ってる? と聞くと、
今頃は、アラフォー、とかの時に使う言葉で、でも二百三高地などは
有名ですから知ってますよ、との事。

ええ、まぁ、shinkaiも、アラカンの名は知っていても、彼が有名だった
「鞍馬天狗」なんぞは見た事がないので、おあいこね、ははは。

小学校6年ですか、当時は映画館に行くのは禁止だったのを、見に行き、
感激のあまり、これは良い映画だから、見に行くのを許可してくれ、と
先生に掛け合いに行き、先生も校長と相談、許可をくれたもので、
再度見に行き、あちこちのシーンを今もしっかり覚えており、はい。

明治天皇と日露大戦争_GF.jpg

予告編はこちらから。
https://www.youtube.com/watch?v=5vFUG53AXpM


その後にも長くこの熱は尾を引き、クラスの友が家の奥から引っ張り出した
当時の絵説明がついた本を何度も繰り返して読みましたっけ。

今回ブログの為に写真整理しながら、徳川政府から明治維新となり、
たったの約50年後にあった日露戦争、

生まれたばかりの様な東洋の端っこの小さな国が、大ロシア帝国を
相手に戦い、勝った日露戦争って一体何だったんだろう?

勝って当然の戦争だった? 

二百三高地で多数の兵士を死なせ、自分の息子2人も戦死。
そんなに攻めにくい戦場だった?

無能な将軍と呼ばれた乃木将軍が、明治天皇のご大喪の日に
静子夫人と共に自刃。
将軍はともかく、夫人は本当に天皇、夫の後を追うつもりだった?


等など、今となると、改めて確かめたい事がたくさんあり、
ウィキペディアは勿論、あれこれのサイト記事を読み漁りました。

自分の知りたがりが、それなりに成程なぁ、と思う事も多々でしたが、

日露戦争に勝った事で弾みが付き、日本がアジアの中で徐々に
軍大国となり、遂には太平洋戦争に突入していく、
という後の姿の序章だった様にも。


あれこれ120年程前の戦争に懐かしさと共にどっぷりと浸った
1週間程でしたが、

今ウクライナで起こっている戦争が、日毎に悲惨な様相となり、
戦争抑制が一方で働くために、尚の事一般市民当事者の苦しみが
深刻に、というのを毎日のニュース画像で見ていると、

かっての小学生の様に、単純に感激、勝利に酔う事は出来ず、
即、ウクライナの現実の日常に引き戻され、
自分の小ささに、言葉が出なくなります。



乃木邸から少路を下り門を出ると、北側に乃木神社が。

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奥正面に正殿があり、

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右側には社務所があり、赤い袴の巫女さんの姿、

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ちょうど歩いてこられた紫袴の神主さんかな、の姿も。

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乃木神社は、東京市長が同志を集め、乃木邸内に夫妻の御霊を
祀ったのが始まりだそうで、乃木将軍に関する展示室もあるそうで。

乃木神社と乃木邸 こちらに丁寧な説明が。
http://www.sakanouenokumo.com/nogi_togo_j.htm



桜と新緑の美しさ。

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枝垂桜。

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乃木神社の正門側から。

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ちょうど向かい側に「おぜんざい」の暖簾が出ているのが見え、
道を渡り。
モダンなビルの、モダンなお店で、「金箔」がひらっと浮いたおぜんざいを。

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うん、もうちょっと量があって、熱かったら美味しかったろうにね。



窓からもう一度、乃木邸の桜を。

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これは二木さんちで、たしか待機期間が解けた日にご馳走になった、
タラの芽、フキノトウ、茸の名が出ない、の春の味!

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フキノトウは初めて! ほろっとの苦みが美味しかったぁ。



そして、お蕎麦。 このお蕎麦が美味しくて、すっかり食べた後に、
ああ、量が多かったぁ!という、ボケ、ははは。

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こちらは最後の日、お饂飩が食べたい、とお願いし、連れて行って貰った
二木さんち近くの丸亀製麺のお店。
トロ玉は、二木さん。

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shinkaiは、「春の味」につられ、アサリ。 お饂飩がね、美味しかった!
そしてエビとイカとレンコンの天ぷら。

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竹ちゃんが、ちょうど桜が満開になっているから、という事で出かけた、
お家の近くの蘇羽鷹神社。 ちょっと名前と神社の形も珍しく。

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ちょっと検索しましたら、元々は千葉介頼胤という、中世の領主が
創設したらしく、戦国の1576年に社殿修復の記録があるそうで。



ホント、見事な桜で、夕方近くだったのが残念でした。

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ここはいつもお2人が新年初参りに来られるのだそうで、この後、
も少し先にある、もう一社にもお参りされるのですと。



下の道からは、こんな風に身を乗り出したのが見れてね。

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最後の夜に3人で出かけた「木曽路」という店。 頂いた商品券を
使える、というので見つけた、これもお家の近くにあり、
ちょっと上等なお店よ、という竹ちゃんの説明通り、料理も上品で、

これは竹ちゃんの選んだ「蟹ご膳」

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二木さんとshinkaiは、このお刺身を2人で、と、
彼はご飯セットも頼んでいたっけ。

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そして白子の焼いたの、フグのから揚げ、茶わん蒸し、と各自に。

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〆は、桜のアイスクリーム。

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はい、確かに居酒屋の料理より上品な味で、美味しゅうございました。
うん、でもね、居酒屋の品も美味しいし、大好きな事は間違いなく、
やはり、美味しい物を、よき友と一緒に、というのがね、
一番の美味しさなのですよね。


今回の東京行きは、最初どうなるかと思いましたが、
美的にも、知的にも、舌的にも、心的にもどれもが大いに満足でき、

皆様に心より御礼申し上げま~~す!!
また次回も、宜しくお願い致しま~す!! 



翌朝は成田空港まで送って頂き、今回は大きな問題なく、
無事にチェック・イン出来、

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空港に沿って見える桜並木を見つつ、進み始め、浮き、

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暫くして、ただいま左側に富士山が見えます、のアナウンスで。

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チャ~オ! 有難う。 そして、 またね!!


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posted by shinkai at 03:13Comment(0)・欄外

・ 東京の休日は  美味しい魚、よき友、名画鑑賞 そして、満開の桜

1週間の東京での個展が済んだ27日日曜日。 
お買い上げ頂いた絵の梱包を済ませ、引き取りに来てくれるのを待ち、
発送後の壁に出来た隙間が、来て下さるお客様に申し訳なくもあり、
何となく、ああ、終わったとほっとした気持ちもあり・・。

遂に閉店時間となり、せっせと絵を降ろし、箱に詰め、ギャラリーの方に
ご挨拶し、駐車場まで運び、一路松戸市に戻ります。

ここには我が絵の師二木さんのお宅の近くに私の宿となっているホテル、
そして前回に偶然入った店が、魚の美味しい、気安い店であるのを
知って以来、今回の打ち上げもここで!としっかり決めており、ははは、

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搬出を手伝ってくれ、打ち上げを一緒に、と打ち合わせ済みの2人は
電車で先行していてくれ、
我らは二木さんのお家に我が絵を運び込み、大急ぎで店に。



先に着いた2人は既にちょこっと始めておられましたが、我らが着くと、
店から「蔓延防止法解除祝い」という、大きなマグロのカマ! が届き、
わぁお~、という大きさで!

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ビールのジョッキを傾けつつ、いぇ~~い!



これ、上から撮っているので、想像しにくいですけど、上の2枚目の
写真右に写っている、下にお寿司が隠れているやつで!
左のピンクは、マグロの柔らかい身で、なんと言ったっけ?!

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食べ掛けの我がお皿で済みません、鯵のフライと、出汁巻き卵。

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イタリアで鯵を見かけたのはただ1度で、名前は知っています、スーロ・
suroと言うのですけど、一度も口に入った事なく!



柔らかい絹ごし豆腐と、

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ははは、これは前回食べて以来、ずっと頭の隅に「美味しかったぁ!」と
残っていた「イカの焼きそば」。 思い残すことなくしっかり味わい、ははは。

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しめ鯖。 ですが、これは焙ってあり、美味しかった。

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シシャモ。 これも思い残しなく食べ、ははは、少し小さかったけど、ね。

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日本はねぇ、こんな新鮮な魚介類が、庶民的なお値段で食べれるのだもの、
これは本当に羨ましい事で、

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一緒にこういう魚介類のテーブルを囲んで食べれる仲間がいる、というのも、
イタリアの今の仲間内にはいないのがとても残念な事なのです!!

今回も戻って来た後、では風邪が治ったらピッツァに行こう!だものね。
口が奢り、魚を食べるのが当たり前で戻った身には、 
厳しい現実、またピッツァかぁ?!



最後は、桜のアイス・クリーム!  季節の色、季節の味ねぇ。

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うむ、今夜は生ビールが旨い! しっかり食って戻れよ。 はぁ~い!!

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で、翌月曜は国立新美術館で開催中の「メトロポリタン美術館展」に。

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NYのメトロポリタン美術館が改装閉館中に世界を回っているもので、
これを知った時すぐカレンダーを確かめ、最後にこれを見たい!!とお願いし、
上手く他の友人も一緒出来、4人で出かけたのでした。



始めて見るガラスの、モダンで、大きな美術館。

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カルロ・クリヴェッリの「聖母子像」、から始まり、

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フラ・アンジェリコも1枚あり。

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壁の内装の色も、今迄の日本の美術館の「白」ではなく、

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フェルメール。 寓意画はねぇ、教科書的で好みではないですが・・。

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ヴェラスケス。 流石!と思い、何度か見に戻りました。 

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背景の赤は、こんなに派手な明るさではなく。



レンブラントの「フローラ」。 

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彼が妻のイスキアを描いているのは何枚かありますが、一見素朴ながら、
じわっと迫る内実、という様子で、素敵な絵ですねぇ。



ターナーの描いたヴェネツィア。 

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右のサンタ・マリーア・デッラ・サルーテの正面の石段の高さ、形が違って
違う聖堂みたいなのと、右手前ゴンドラの底の形がねぇ。



ラ・トゥールの、取り囲んだジプシー女たちに鴨られている若い男。

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今回この絵がパンフレットに大きく使われたりしてましたが、
そんとに、今回の絵の中で良い絵だった?!



ドガの、「緑とピンク」。

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ルノアールの「ひなげしを持つ少女」。

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ふむ、少女、と言いつつ、目が行くのは肉体そのものね。



ゴッホの、如何にも浮世絵趣味にハマってます、と、絵の醸す明るさに
微笑ましい思いを受けました。

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セザンヌ。 「リンゴと梨」

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モネの、抽象画に移行しかけている「水連」。

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美術館を囲む桜の木々も満開!

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新美術館の、うねる形と、丸み。  そして一筋の白い雲。

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快晴の良いお天気に恵まれた我ら。 眼福と、

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お昼を食べた近くの2階の小レストランの窓からは、見事な桜が見え、

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親子丼、 鯖焼き、 チキン、と美味しい昼食を。

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光の射し込みが変わり、桜が本当に素晴らしく美しく見え!!

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降りて来ての桜並木。  今回見た最高の桜、でした。 

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見れて幸せ!! きっとずっと思い出す今年の桜。 見れて嬉しかった!!


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・ 東京での個展開催。 よれよれになり、はは、でも無事に戻りましたぁ。

今回の個展は、先回の広島展から2年半振り、東京では4年振りで、
例によりあれこれのドジあり、また神経戦、体力戦と、はは、
年寄りにはきつい事があれこれありましたので、
今回はそれを聞いてやって下さいね。

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以下の写真はヴェネツィア・マルコ・ポーロ空港よりの出発、
アルプス越え、ベルギーのブリュッセル空港到着の様子ですが、

お話は日本到着後の成田空港での入国審査の様子、
帰りのブリュッセルでの乗り換えの様子も含まれますので、
宜しく、お願い致します。

おまけに、無事成田空港到着までを書いた所で、ああ、なんちゅう事、
うっかり保存し忘れ、スパッと消え、尚の事どっと疲れが・・!
はい、気を取り直し、もう一度頑張らないと。


マルコ・ポーロ空港出発は3月12日12時15分発ブリュッセル経由で、
ブリュッセル迄は初めて乗るブリュッセル航空。

外側に大きく描かれていたイラストの写真が無く残念ですが、
中はこんな様子で、一番左の前髪金髪オール・バックの男性が外にね。

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国の所謂看板便がこういうイラストを選ぶというのは、案外ユーモアのある
国なのかもね、と思ったのでしたが、

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後程、ゲート移動の間に見晴らしの良いロビーからもあれこれ面白い
イラストの描かれた機体が見え、楽しみました。



前日、搭乗72時間前のコロナ検査陰性証明を貰い、やれ、これですっきり
出発できるとチェックイン・カウンターに行くと、

ちゃんと日本政府からの、搭乗前の陰性検査証明、スマホにインストールする
待機期間の居所証明のアプリ、MySOSが入っているかの確認を、という
お達しが届いており、

何度試してもうまく機能せず、挙句の果て店に行き、助けを求めたものの
上手く行かずだったアプリで、

シニョーラ、まだ時間があるからその辺りに座って、ちゃんと出来たら来てね、と
言われ、試したり、インフォに行ったりでもやはり上手く行かず、
日本入国の際に必要だと書いてあったので、その時に援けを得て、と
思っていたしで、

再度カウンターに戻り、上手く行かないと訴え、シニョーラも身を乗り出し、
あれこれ弄って見てダメ、遂にブリュッセル航空の係に電話をかけ、
話し合いの末、他の書類は揃っているし、大丈夫であろう、という事で
OKのシールを貼ってくれ、無事チェックイン出来ました。

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ブリュッセルでは何も問題なく、3度ワクチン接種済み証明のグリーン・パスで
いわばフリー・パス。



快晴のお天気のヴェネツィアを発ち、ラグーナらしき景色もちょっと見え、
アルプス越えにかかりますが、
やはりアルプスの風景は素晴らしくもあり凄くもあり!

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ブリュッセル迄は約1時間40分で、Aゲートに到着。 そこからANA便が
出発のBゲートまでかなりあり、途中お寿司を売っているのを見つけ、
隣のビール・バーで1杯買い、外の眺めを楽しみ、


またしばらく行くうちに、ミソスープと、エビ餃子を見つけ、我慢できず、はは。
なにせ朝ご飯の後、ブリュッセル便では軽食ワゴンでの販売だったので、
お腹がすいており。


ですがね、ミソスープは良かったものの、エビ餃子は抹茶を入れてる?
と思う程の緑色で、エビの味は何とかね、でもね、ついて来たソースは
照り焼きソースで、甘いやつ! ぎゃぉぅ。 お醤油を垂らし何とかね。

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ANA便がゲートBから20時55分出発の表示はあるものの、肝心のx番が
抜けており、
リラックスして。 19時、だったっけ、には分かるからね、と。ははは。

人気の少ない場所の、椅子の並んだ場所で横になったり、免税店の
チョコレートを覗いたり。

なにせ14時に到着して後、6時間もの待ち時間は長く!
漸くにB5と表示された時はやれやれ。

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搭乗が始まるとかなりの人で、80%位だったかな、家族連れがかなりで、
ひょっとして引き上げなんだろうか、と思ったり。

家族連れは一列に並んでの席でしたが、shinkaiは3人掛けを独り占め。
これは有難く、しっかり横になり、寝ることが出来ました。

ヴェネツィアからも3人席1人掛けでしたし、戻り便でもそうでしたから、
これは大変有難かったです。

皆が乗り込み席について後も、階下ではドッタンバタン、ゴロンガッタンと
荷物積み込みの音が賑やかで、アナウンスは荷物が運び込まれ次第
出発いたします、という事で、
ヨーロッパ便の欠航が多いので、いろいろ大変なんだろうなぁ、と。


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いつもなら機内食の写真を撮るのが、今回は往復4回の食事が全てお肉で、
取り出したカメラを使う事なく、席の網袋に入れたままで忘れ、
はぁ、機内忘れを、へへ。

成田での待機ホテルで思い出し、電話し、無事回収されているのを確認、
戻り便のチェックイン時に渡して貰える事に。

はぁ、まぁ、それで納得したのも、実は今回新しいカメラを買い、
師の二木さん宅に届けて貰っており、うふうふ、

ですがぁ、今回のカメラはコンパクトながら何とも複雑で、マニュアル本も
見ずに触ったものの、まるで分らず!!

上手く対象物に反応してくれると良いものの、ピントが合わずのまま、と
いうのが多く撮れておりましたぁ、へへへ。
ぼちぼち勉強致しますです、はぁい。

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で、ブリュッセルから長い長い15時間越えの飛行の後成田空港着。

ぞろぞろと進んで行き、長~~い廊下の両脇に2列づつ番号を打った
椅子が並んでいるのに座らされ、隣の列は時々順番に前に詰めて行くものの、
我らが列に遂に検査順が来た時は2時間後!
幾ら機内で寝たからとはいえ、座っているうちにフラ~っと寝ていましたっけ。

検査場に入ると、検査係の人も道案内の人も多く、MySOSについての
フォローもして貰い、どうやら何とかすべてがOKとなり、
空港を出たのが到着4時間後で、タクシーでホテルに。


待機ホテルには、毎日3~4回程居所確認の為に電話がくる、との事で、
やはりどんなものかと内心期待しつつ、ははは、待ってたのが、

なんと、3日間1度もかからず!!
 
何でぇ?! shinkaiのスマホはイタリア番号なのでかからなかった?
まぁさか、ね。

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まぁね、3日間退屈しつつ、テレビはNHKの1しか入らず、ウクライナ情勢に
ついても、柔らかい、当たり障りのない報道ぶりで、

ホテル前のコンビニに出かけ、鬼平犯科帳の漫画本、5cm程もの厚さのを
1冊、ボケ防止とある、数字を埋めていく本を1冊買いましたが、暇でしたぁ。


4日目の朝、チェックアウトをし、二木さんにお迎えに来て頂き、その足で
羽田空港の、早くて安いコロナ検査場に行き検査を。

朝MySOSアプリの、検査結果を送る箇所もちゃんと確認していたのに、
検査場で30分後に検査が済み、陰性証明をいざ送ろうとみると、
消えている!! 出ない!

検査場の、様々なスマホ対応に詳しそうな人も来てくれて、大体これで
送れるんですけどねぇ、と言いつつ、あれこれ弄ってくれてもダメ。
遂に、では電話して尋ねて、となり、サイトをあれこれ調べても電話番号の
あるのは、自動応対のみで他に見つからず。

まぁ、陰性だし、これでOKという事にしよう、と決めましたが、
掛かる筈の電話も無く、居所検査も無く、陰性証明も送れず、

帰国入国者対応の、あの大騒ぎの、厳しげなお触れは一体何だった?!

日本滞在中は、何のお咎めも無く、それらしき方の訪れも無く、ははは、

無事元気に、久し振りの友人達とも会うことが出来、温かく迎えて頂き、
難しい時期での個展開催ながら、有難く購入もして頂け、
本当に嬉しい事でした!!

分家の方で、個展会場の写真なども見てやって下さいね。

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成田空港での戻り便のチェックインでは、ブリュッセル行きの便名が
変更されたとかで、既に出していた旅行者追跡フォーム、とでも
いうのをやり直しせねばならず、

スマホ大苦手のshinkaiですが、全てANAの職員さんが助けてくれ、
忘れ物が、というのもカウンターに連絡されており、無事カメラも戻り、

空港までいつも送って下さる二木さんと、スタバで抹茶ラテを飲み、
では1年半後にまたね、とお別れを。 


戻りのブリュッセル空港での乗り継ぎでは、成田からの便が向かい風が
強く少し遅れた、という事もあり、

到着が20時5分位、空港内に入ったのが既に20時20分程。
で、出発ゲートA59に20時40分!とあり、

大丈夫かなぁ、とかなり心配で、OKとなって直ぐに降り、バスに乗り、
空港内に。


1階で、出口、の標識とそれに向かう人の姿が多く、ANA便が
いつも到着のBゲートではなく、国内便の方に止ったのか、分かりにくく、
あっちで聞き、こっちで尋ね、やっと見つけたAゲートに急ぎ、

手荷物検査の前で、ガラス・ドアに気づかずにゴンとぶつかり、
おでこがぷくっと膨れ、おまけに尻もちをついた左のお尻が痛く、ああ~ん、

やっとのず~~と奥のA59に行くと明かりが消えており、わっ、きゃ、と
思った所に女性の係が来てくれ、ああ、これは、と何か言ったのが分からず、
その内にスペイン人と分かり、つまりA59が、A52に変更された、を
シンクワンタ・ドスと言い、電話しておくから急げ、走れ、とね。

ああ、良かった、と思ったものの既に20時45分過ぎ。 走れはしないものの
急ぎ足で戻り、良かったぁ、ちょうど搭乗が始まった所、やれやれぇ。

かなりの乗客で、shinkaiの斜め上の換気扇が全力で回っており、
はぁ、コロナ感染予防は分かるものの、寒く寒く。

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遂にヴェネツィアに戻って来て、23時前。 荷物が出てくるのを待つ内に、
乗って来た飛行機のクルーたちがさっさと出て行くのを見送り、

出発の時は15Kちょっとだった鞄が、成田の秤では19.7Kで、ははは、
ゴロゴロと重くなった鞄を引きずり、駐車場からのお迎えの車を待ち、
駐車場で支払いを済ませ、

さてと乗り込むと、コンコンとガラスをノックする音。 
出ると、鞄を忘れてるよ。 きゃはは、アホがぁ。 
言って貰わなかったら、絶対そのまま走って帰ったね。

自分で買い込んだお土産はほんのちょっとで、あれ、これ、と頂いたお土産、
奥信濃の純米吟醸1本から、唐辛子、羊羹、ふりかけ、昆布、出汁eccecc
しっかりお持ち帰りで、鞄、閉まるかな?と心配した程で、
忘れたら、またすぐ取りに帰る羽目になる所でしたぁ。


家に帰り、暖房のガス燃焼器を点け、暖かくして寝たつもりがやはり日本より
家の中の温度が低く、帰りの飛行機の中が寒かったせいもあり、
翌朝起きると風邪の兆があり、打ったお尻も痛く、一日ボ~っと過ごし、


帰国2日目の今日、何とか収まった様子の風邪と、痛みが減ったお尻を抱え、
ははは、こうしてブログ再開をなんとか。

皆さま、今後とも宜しく応援の程、お願い申し上げま~す

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