・ ダ・ヴィンチ村 ピエロ殿の、レオナルド  1452年4月15日誕生

という事で、昨日4月15日は「万能の天才」の尊称を惜しみなく
捧げられるレオナルド・ダ・ヴィンチのお誕生日でした。

生後570年後の今も、彼についての研究、話題が
途切れる事なく続いており、

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いや、お誕生日、という事なので、こちらの方がぴったりかも、ですね。

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で今回のブログは、 
お誕生日おめでとう、レオナルド・ダ・ヴィンチ!
Buon compleanno, Leonardo da Vinci!

彼の性格、生涯の仕事、などなどを取り上げた物で、
既に知っていた事もありますが、細部のついてのふ~んな説明もあり、
かなり興味深く、皆さんにも、と思ったので、お気軽にどうぞ!



◆ 彼の母親はカテリーナ・Caterinaと呼ばれる、多分当時
 カトリックに改宗した奴隷の間で一般的な名を持つ、
 オリエントからの女性であり、

父親はフィレンツェで尊敬される公証人ピエロ、の庶子として生まれ、

1480年に描かれた「サン・ジェローラモの悔悛」から採取されたレオナルドの
指紋は、中東で広く普及しているタイプとの類似性を示している事が語られ、


レオナルドの誕生日、そして母親についての周辺事情等はこちらに。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017233.html

レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463017660.html

指紋について  レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について再度
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20170928-1.html

絵の依頼主は レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ、ジョコンダ」の



◆ これらは「アトランティック手稿」に含まれる科学者の作品の
キャラクターでリメイクされた占い師の為の一連のカード

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「アトランティック手稿」が例え占いをさせる為に6ソルディの費用を
受け取ったとしても、(上のカードは占い師達によく売れた、という事?)

レオナルドは手相占いは「偽り」だったと書いている。

実際彼は同時に亡くなった人々の手を比較し、生命線が似ていない事を
確認するだけで十分であることに気づいていた。



◆ レオナルドは、心臓が何の為にあるのかを理解した

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レオナルドの時代には、循環する血液を温める為に心臓が使われる、
と信じられていたのを、

彼は心臓のポンプとしての機能を最初に理解した。

これにより、いくつかの心臓の解剖学的構造は後に彼の名を取り、
「レオナルド・ダ・ヴィンチのモデラート・ビーム」とか、
「レオナルドのアーチ型小柱」と呼ばれているのだそうで。



◆ レオナルドは史上最高の解剖学者の1人ではありましたが、
 彼の研究が必ずしも正しいとは限らずで、

例えば彼は、右下に見える図の様に、脳に3つの脳室があると
信じていました。 これは間違い、なんですと。

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◆ 「モナリザ」をフランスに持ち込んだのは、レオナルド自身

「モナリザ」がナポレオンによってルーヴル博物館に運ばれた、
というのは、まだ広く知られている考えですが、

「モナリザ」をフランスに連れて行ったのはレオナルド自身であり、
フランソワ1世は「彼女に」金貨4000スクーディ、つまりレオナルドの
お手当2年分を与えたそうで。

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一方ナポレオン軍は代わりに、現在も返還していないいくつかの手稿、
現在「フランス研究所手稿本」と呼ばれている物、を持ち帰りました。

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未だフランスは、シャルル・ドゴール空港以外はルーヴルもパリも未踏、
のshinkaiは、
ははぁ、「モナリザ」の展示はこの様に遠く、防弾ガラス入りね、と拝見を。


彼と同時代の航海師アンドレア・コルサーリは
「彼は血を流すものは何も食べない」と語っており、

レオナルドの言った事として、「現在人を殺す事の様に、動物を殺す事が
犯罪とされる日が来るだろう」というのがあるそうですが、

レオナルド自身は自分が菜食主義者であると語った事はなく、
ビーガンであるとは決めつけられない、という事の様。



◆ 彼は「グロテスク」を好みました

彼の視線は美しいだけでなく、変形したものにも惹かれ、
多くの人が彼を似顔絵ジャンルの創始者と見做しています。

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実際グロテスクな効果で身体的特徴が強調された男性頭部が
描かれたのが少なくとも1枚あり、

上の画像の中には「ジプシーに騙された男」と題された研究と、
左下の枠内には、非情に男性的特徴を持つ女性、が描かれており、



こちらは似顔絵研究の、5つの顔。

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◆ 彼は「実験」するのが好きだった

レオナルドのもっとも有名な「実験」は、ルドヴィーコ・イル・モーロが
ミラノのサンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ大聖堂に隣接した
食堂の壁に、「最後の晩餐」のフレスコ画を依頼した時に行われたもので、

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レオナルドは、フレスコ画を描くための下塗り漆喰の上に、素早く描かねば
ならないフレスコ画の技法が好きではなく、

フレスコ画を描く下塗りは、一日で描ける量の範囲を塗り、これをジョルナータ・
一日分、と呼びますが、その下塗りが乾くまでに描かねばならず、
下塗りが乾くと、もう描いても「壁が」受け付けない、のですね。

フレスコ画は一日で描く、つまりフレスコ=新鮮な、に由来する絵画で、

レオナルドは、他の研究や仕事を同時に続けながら、時々ちょいちょいと
描けに行ける方法を発明し、壁画に取り組みましたが、

この方法の描き方が、非情に急速に劣化した事が分かった時はすでに遅く、
レオナルドがまだ存命中に環境の湿気のお蔭で、
色塗りは不明瞭なシミとなったのでした。



フィレンツェのヴェッキオ宮、500人広間に残されているヴァザーリの
壁画の下に、1503年にレオナルドが描き始めて失敗した
「アンギアーリの戦い図」があると、小さな穴を開け覗いたものの、
レオナルドの絵は無かった、
というのが10年程前に評判になりましたが、

この時もレオナルドは、フレスコ画ではなく、古代ポンペイ辺りで使われた
技法の実験をし、失敗しており、
これについては、下にご案内のDVDのなかに。

誕生、子供時代から n.1 レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 ・ DVDから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/475042637.html

ヴェッキオ宮の壁画  n.2 レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 ・ DVDから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/475042881.html


他にも、現在修復されて残る、ミラノのスフォルツェスコ城内の「樹木の間」
の壁一面の大木の壁画を描くのにも、どうやらフレスコ画ではなく、混合技法を
使ったようで、かなり劣化しており、

やはり彼はフレスコ画が好きでなく、何とか楽に、注文をこなそうと、ははは、
懲りずに、あれこれ実験を試みた様子ですね。


n.1 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968600.html

n.2 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464968932.html

こちらに樹木の間が  n.3 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464969065.html

n.4 スフォルツェスコ城 ・ミラノ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464969267.html



◆ 彼は「ストーカー」だった?

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レオナルドの同性愛は長い間語られておるものの、彼の子供の頃の夢、
トビがやって来て、唇を繰り返し尻尾で触った、という、
フロイトの様な精神分析的解釈では上手く説明できない事もあり、

そして1476年にはヴェロッキオの工房の他の生徒たちと一緒に、
男色の罪で裁判に掛けられたこともあり、

時の被害者は、17世のフィレンツェの金細工職人見習いの
ヤコポ・サタレッリで、短い投獄の後、匿名での告訴も無かったため、
皆無罪となり、
後に事件が再検討されたものの、裁判官は先に進めない、と終結したと。



◆ 彼の手書きは、控えめにしても、珍しい物だった

レオナルドは、右から左へと進む奇妙は鏡文字を使用し、

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左がオリジナル、つまり書いたのが見え、    こちらが鏡で見たもの



また多くの場合最後の紙から書き始め、最後に、最初の紙に、という方法でした。

この特異性は、レオナルドが彼の研究を秘密にし、彼の手書きの
初心者には理解できないようにする試み、と解釈され、

彼を異端者とみなした人々は、この特定の特徴の為「悪魔の作家」と
彼を定義しましたが、
実は彼にとってはそれは自然な書き方だったと。

実際、神経学者は、彼が子供の頃に習得した習慣であり、レオナルドの様に
矯正されなかった左利きの人にとっては自然な事であると言い、

彼は「普通の」手書きも知ってはいたものの、例えばいくつかの地形図の
様に、そうでないとダメ、な時に限りで、

手紙や彼の紹介状は、当然ながら他の人に書かせた、と。 ふ~~む。



◆ 彼は冗談、笑い話を語り・・

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以下の様な、かなり当惑させ、狼狽させる様な話を語ったり・・、

「ある女性が非常に赤い足をしており、司祭が傍を通りかかった時、
感嘆し、この赤さはどこから来たのか、と尋ねると、
火事にあったのでこんな影響が出たのだ、とすぐに答えました。

すると司祭は手を差し伸べ、尼僧というよりも僧侶の様に、傍により、
甘く静かな声で礼儀正しく、彼らの為にその蝋燭にほんの少し火を点けるべき、
と祈りました」

ははは、急にこの様な笑い話を聞かされた人々は、反応に困りますよね?!


レオナルドが冗談を好きだった例えに、ミラノのイル・モーロの宮廷で、
この画家の描く女性は美しいが、彼の娘は美人ではないのは何故?と問われ、

それは、絵を描くのは昼間の明るい時ですが、娘を作るのは夜ですから、と
答えたというのを、
確か上でご紹介した、DVDの中で見たか、聞いたかしたような、ははは。


上の画、サン・ジョヴァンニ・バッティスタのほのかな笑顔は、他に残した
数多くの笑顔の1つであり、この作品はルーヴル博物館に。



◆ 彼は木の成長の輪を発見

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木の成長の輪を最初に観察し、それを数える事で植物の年齢を判断
出来るのを理解したのはレオナルドで、

この観察から、近年、樹木輪に自然が残した特定の痕跡のお蔭で、
過去の気候を研究する年輪気候学、という新しい科学が生まれたそう。


そしてまた、化石が何であるかを、理解したのもレオナルド。
彼の時代にはニキ・nichiなるもの、フォッシリ・fossiliと呼ばれた化石は、
神が魂を与えなかった大洪水、または生命の形の残骸であると信じられて
いたのが、

レオナルドは、地質学的プロセスにより石化され、地球の地殻の動きにより
明るみに出て動植物の残骸であることを、
古代ギリシャ人の後に初めて理解したのでした。



◆ 「彼の」トラットリーアの話は嘘

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何年か前、ロシアに保管されているらしい「ロマノフ手稿」について
語られ始めた時、
レオナルドが、フィレンツェのポンテ・ヴェッキオの「3つのカタツムリ」
のタヴェルナ、これはボッティチェッリと一緒に開いたとされる食堂で、
そこで供された料理についての説明がありましたがぁ、

これは英国の作家ジョナサン・ラウスの発明に過ぎず、残念でしたぁ。



◆ 間違いなく、抜け目がない人物

レオナルドが1482年、ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロの下に行った時、
彼は紹介状を持って行きましたが、これはサイン入りではなく、多分外交的な
知人であったろうと思われ、内容はその場で検討された一種の履歴書で、

イル・モーロが領土拡大の野心を持っていたちょうどの時に、
彼は軍事技術者としての技術を巧妙に強調し、
その最後に、平和の時に彼が出来る事を書いたのですね。

「非常に軽くて強い橋」から、「非常に具合よく持ち運びが簡単な爆撃器」
「覆われた、安全で無害な馬車」などなど、構築できると約束の戦争用
作品のカタログで、

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これらのプロジェクトのうち、実際に幾つ実行されたのか分かりませんし、
イル・モーロがレオナルドの戦闘マシンを、実際の戦闘で使用したのは
あったかどうか。

が、その手紙は目的を果たし、イル・モーロの宮廷でレオナルドは
働いたのでした。

レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した物、考案したもの
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461685811.html



◆ 最後は美しく、1488-1490年頃に描かれた「白貂を抱く女性」を。
モデルはイル・モーロの愛人だったチェチーリア・ガッレラーニ。

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レオナルドが描いた女性の肖像画は4点しかないそうで!

多分男色者であった大マエストロも、こんな若く美しいモデルを前にし、
彼女も、イル・モーロと同年の、若き頃は美男であったろうマエストロに
描かれる、そんな濃密な時間の様子を、下のサイトでどうぞ。

彼の描いた手のデッサン ダ・ヴィンチのデッサン「白貂を抱く・・」
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20181205-1.html


レオナルド・ダ・ヴィンチ様、570歳のお誕生日、おめでとうございます!
この先ずっと、いつの時代になっても、きっと、大いに愛され、尊敬される
大マエストロであり続ける事でしょう!!



そして皆様には、ブオナ・パスクワ!!
良い春をお迎えくださいね!

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posted by shinkai at 06:46Comment(0)・欄外