・ n.2 イーゾラ・マードレ ボッローメオ邸ご案内 マッジョーレ湖

今回は4月下旬に訪問の、オルタ湖、そしてマッジョーレ湖の3島の
一連のご案内の最後、イーゾラ・マードレのボッローメオ邸を。

写真に見える邸宅がボッローメオ家の邸宅で、後はすべて、と言って
良い程に、ロマンチックなイギリス式庭園が8ヘクタール、広がります。

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先回ご案内の庭園を先に見て回り、こうして邸宅前に戻り、

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写真右側に太いワイヤーが何本も張ってあるのが見えますね、



ワイヤーは、こちらの柳の木を支えているもので、

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2006年6月、強力な突風でこの何世紀もの柳が倒れたのを
起こし、折れた太い枝を切り落としての再起を図ったワイヤーだそうで、
現在はまた元気に生育しておりました。

日本の年代経た桜等も話題に出ますが、植物は偉いですねぇ!!



という事で、玄関前に集まり、この島専用のガイド氏の説明を聞き、
これから邸内見学に入る我ら。

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朝見学したイーゾラ・ベッラの物凄い豪華絢爛キンキラキンの邸宅に
比べ、こちらはこじんまりとした、とはいえ、
それなりに豪華さも見える装飾が施された邸宅で、

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こちらは玄関横の廊下、

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で、2階の貴族階に。

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上から見下ろす邸宅入り口前。 島の北部を眺める位置ですね。

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この広間は、天井も木格子のまま、絵の額も普通ですが、

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テーブル上の大きな鉢植えのアジサイが既に咲き、

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小さな額入りの彫像がなかなか素敵で。

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赤と金の、家紋入りの大きな綴れ織り。

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所で現在もこれらの島々を所有し、繁栄しているボッローメオ家・
Borromeoについてちょっぴり調べた事を。

元々はトスカーナのサン・ミニアート出身と言われるボッローメオ家は、
13世紀の終わりに辿ることが出来、

その元々はローマ周辺から現在のピサ県のサン・ミニアート・テデスコに
移り住み、ブオン・ロメイ・Buon Romeiと名乗り、後にボッロメーオと。

この呼び名は巡礼者を呼ぶ名で、彼らは巡礼者ではなかったものの、
この地では、町からやって来た者全てをそう呼んでいたのだそうで。

パドヴァとミラノに分かれていた、パドヴァのヴィタリーノ・ヴィタリーニが
後に跡継ぎの無い母方の叔父ジョヴァンニ・ボッロメーオに婿入りし、
ヴィタリアーノI世・VitalianoI として、現在も有名なミラノの
ボッローメオ家の始祖となります。

勿論商業、銀行業を営み経済的基盤があったのでしょうが、その後の
家族の経済的な幸運は、賢明な結婚政策によるものが大きく、

ヴィスコンティ家との繋がりも、フェデリコ2世の子孫との繋がりも、
教皇パオロ3世子孫のファルネーゼ家との繋がりも、
現在のフィアット会長、モナコ王室との繋がりも、全て婚姻関係から!!


そして家系中で枢機卿になったのが7名を数え、中で一番有名なのが
後に聖別を受けたミラノの大司教から枢機卿となられた
カルロ・ボッローメオ( 1538-1584)

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彼はミラノが大ペストに襲われた時に、資材を投げうち市民救済に
当たり、聖別を受けたのでしたが、

その彼を称え、彼の生涯を描いた絵画が例年12月のミラノ大聖堂で
展示されるのを見たほどに有名な大司教様、枢機卿。

ミラノのドゥオーモ ・ Duomo di Milano
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460940205.html


そしてミラノからマッジョーレ湖方面にかけ、千ヘクタールもの大領地を
授かり、「ボッローメオ国」とも称されたそうで、

マッジョーレ湖の南方くびれ部分東のアンジェーラの要塞城と、
西のアローナの要塞とを結び、舟、荷船の通行料、税の取り立てで
莫大な富を得たと。

アローナの要塞はナポレオンにより取り壊されましたが、アンジェーラの
城はいまだ健在。

実際見にはもっと離れているでしょうが、手前がアローナの要塞跡公園、
対岸崖上に見えるのがアンジェーラの城で、今尚ボッローメオ家の持ち物。

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こちらはイーゾラ・ベッラの建設に力を注いだヴィタリアーノ6世(1620-1690)

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歴史上に名が残る人物家系を読むと、既に消滅、というのが多い中、
数世紀を経て未だにご健在、ご繁栄、傍系も幾筋も、というのは
中々の事で、きっと優秀な男子が多く輩出されているのだろうな、と。

現在のミラノのご当主は、ヴィタリアーノ11世という方で、
傍系も7筋!

15世紀 ミラノの貴族のお遊びは、 ボッロメーオ邸 
https://www.italiashiho.site/archives/20170203-1.html


さて、今日の本筋に戻りまして、

窓から見下ろす、ボッローメオ家の礼拝堂と、

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藤の花が満開少し前。

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1500年代初頭から、リグーリア州から専属の庭師と共に持ち込まれた
柑橘類の栽培があり、

一旦ボッローメオ家の手を離れた島がまた戻り、島全体を緑で
うずめ初め、貴族邸宅も造られ、それが19世紀末にルネッサンス風に
改築された、という様子。



邸宅自体も、貴族社交会の豪華さを目指したイーゾラ・ベッラの邸宅と
違い、なんとなく子供連れで休息に来た時用かな、と思ったのは、

こんな子供部屋、というか、子供の遊戯部屋というのか、
たくさんの人形や、木馬などなどで埋まった部屋が幾つもあり、

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また後には、裕福な(貴族の)客人を選択してのホテル目指し改築、
というのも読みましたが、寝室もいくつか。

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そしてこんな大掛かりな人形劇の舞台装置もあり!

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控えの人形もたくさん!

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この部屋の大きな舞台横には、音響の為の銅鑼や大太鼓が揃い、
ガイド氏がおどろおどろしい嵐の前の音を聞かせてくれたり!!

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こうして眺めると、映画やテレビの無かった時代には、子供のみならず
大人も大いに楽しんだのではないかなぁと。



衣裳部屋か、控えの部屋かな?

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ここにもまた人形芝居の舞台。

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窓の前がなかなか雰囲気がよく。

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両側の壁が絵で埋められた廊下。

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豪華な寝室のベッド。

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窓から見える木々、芽生えの緑。

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食卓、そしてほんのちょっぴり簡素な食器類。

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家族が揃っての休息時の間、のイメージが沸きますよね?

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こちらは唯一大きなサロン風というか、舞踏にも使われたのかも、
の天井装飾と、

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隅の休息用部分。

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見学を済ませ出てくると、何とも可愛い色どりの花々と、

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小さな池。 ですが、ここも大変に手入れが行き届いており!

代々の庭師の働きぶりが偲べるのでした。



最初の柑橘類はリグーリアから、とありましたが、その後は南の
シチーリア辺りからも勿論届いているでしょうし、
壁を這う枝、根の太さと密、に驚いたのでした。

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という事で、最初に船着き場から来た高い厚い生垣の道を戻り、
ボッローメオの島々、と呼ばれるマッジョーレ湖の3島の見学を
終えたのでした。

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チャオ~、皆さん。 またね!

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折角なので、可愛いぷっくりのおチリを使わせてやって下さいね、ははは。


この一帯は、訪問する価値あり!と、大いにお勧めです。

n.1 イーゾラ・マードレ 庭園ご案内 マッジョーレ湖
https://www.italiashiho.site/article/488271755.html

n.2 イーゾラ・マードレ ボッローメオ邸ご案内 マッジョーレ湖
  今回分

n.1 イーゾラ・ベッラ ・ ボッロメオ邸  ・ マッジョーレ湖 ご案内
https://www.italiashiho.site/article/487807553.html

n.2 イーゾラ・ベッラ ・ 庭園  ・ マッジョーレ湖、 ご案内
https://www.italiashiho.site/article/487975452.html

イーゾラ・デイ・ペスカトーレ・漁師の島 訪問  マッジョーレ湖
https://www.italiashiho.site/article/487586818.html

オルタ・サン・ジューリオ  春の色、いにしえの香りたっぷりの
https://www.italiashiho.site/article/487288988.html


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・ n.1 イーゾラ・マードレ 庭園ご案内 マッジョーレ湖

先回お休みの、マッジョーレ湖の3島、ボッローメオ家の島と
呼ばれる3島のご案内の最後、

イーゾラ・マードレ・Isola Madreの、今回は庭園ご紹介を。

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地図でご案内するとこの位置となり、3島の中では一番大きく、
幅220m、長さ330m、面積は8ヘクタール。

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こんな風に船着き場が見えてきますが、

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我らグループはも少し先に進み上陸を。



右手は高い柘植の木、と思う、生垣でまるで内側が見えず、
右手は湖面が見える道をかなり進み、

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先に人が見える所が、最初の船着き場から石段を上っての、
切符売り場。



島の現在は、こんな風に幾つかの建物があり、大きなのが次回に
ご案内のボッローメオ邸と、向かい合わせが礼拝堂。

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それ以外は庭師の為の建物と思われ、島全体が植物に覆われた
イギリス庭園となっているのですね。


この島は既に846年に記載があり、以前はサン・ヴィットーレ島と
呼ばれ、教会があり、その典礼で使用されるオリーヴ油生産の
為のオリーヴ畑があり、数軒の家があったと。

ずっと聖職者の所蔵であったこの島がボッローメオ家に渡ったのは、
ノヴァーラの司教から1501年に。

そして婚礼の婚資として1520年に他家に渡るものの、1563年に
レナータ島、と名が変わっていた島が、再度ボッローメオ家に。

そしてこの島もボッローメオ家の富を注がれ、大きく変化します。



こちらが1756年~60年の島の姿で、

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当初は先回ご案内の、イーゾラ・ベッラ式の階段状の庭園が計画
されていた様子ですが、

現在は、緩やかな、自然な起伏を生かした素晴らしい庭園になっており、
最終的には19世紀初頭に当時の趣向に合わせた
ロマンチックな庭園への変貌が。

高い木々に囲まれ落ち着いた空間、と言うのか、エキゾチックな植物も
多く、緑豊かな、平和と休息の島とみなされているそうで。

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確かに、島の上の道を歩きながらすぐに感じた温暖さ、温度がグンと
違う温暖さが植物の生育を助け、異世界を作っているのでしょう。

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こことよく似た温暖な気候の中での素晴らしい邸宅と庭園を。
ヴィッラ・カルロッタ ・ コモ湖の別荘、庭園を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469194290.html



椿の太い幹もあり、少し終わりかけでしたが、

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写真のモードを横着し、少し黄ばんだ緑となっているのはお許しを。



この長い石段、素敵でしょう?! 

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まだ藤のトンネルには少し早かったのですが、



一番上辺りに白黒の鳥が、長い尾を引いて歩くのを見かけ、

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精いっぱい望遠で撮りましたが、どこから来たか聞いたのを忘れ、
へへ、白黒で、目の周囲が赤い雉と。



この写真では緑色の竹に写ってしまいましたが、

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ほらね、黒竹なんです。 根が曲がって生えるそうで、
フランス製のお高いバッグの持ち手に使われているそうで~す。

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日本式、というか、ははは、色をきっちりと分けての、珍しく思った
植え込みで~す。

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ここも専門のガイド氏がついて下さり、全ての植物の名と性質を
詳しく説明して下さるものの、ついて行けず、へへ、

珍しい幹でしょ?!

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オオデマリの花、ですが、素晴らしい高さに育っていて、圧巻!

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足元の石の周囲にもこんな風に細やかに。

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こちらは対岸の、ヴェルバーニア・Verbaniaの町の眺め。

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シダの種類もたくさんあり、

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ゼンマイ、ワラビが食べたいなぁ、と、ははは。



芍薬。

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先ほどの雉が闊歩してますが、はは、全体の広さを撮っておらず、
お助けにこの写真を。

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奥に見える大樹よりももっと太いのが手前にあり、  メタセコイア?

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上にも見える、草原にボコボコ見えるのは、根、なのですと!

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時にこんな風に、湖が垣間見える場所がなかなか良い配慮で。

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これは、広島の原爆でも生き残った銀杏の木、と説明があり、
shinkaiめは、そう、そう! と思わず声を出しましたっけ。

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銀杏の木は時々見かけますが、でも皆さん銀杏は食べないのですよね。
とはいえ、拾って来て、水に浸けて・・、という手間は出来ずで!



こちらは雌孔雀ですよね?

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で、雄君は、白孔雀の様に気前は良くなく・・!

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でも、白ちゃんはここでも気前よく、扇を広げてくれ!

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やはり単純に、美しい! 

クジャクは白に限る、と、目黒の秋刀魚式に贔屓しそう、ははは。



なんだろ、これ? と雉の種類で探したら、ギンケイと。

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中国、チベット、ミャンマー、タイなどの高地に住んでいるのが、
日本にも早くから移入され飼育されているそうで。



という、エキゾチックな空気も素敵な、イーゾラ・マードレの庭園でした。

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今時の様に季節が良くなると、こんな風に色とりどりの素晴らしい
庭園となる様で、これはまさに異次元みたいで素敵でしょうねぇ!!

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次回は、島のボッローメオ邸のご案内を。

イーゾラ・ベッラの邸宅と違い、も少し家庭的な雰囲気で、子供達への
人形芝居や、遊び部屋も立派なのがありましたので、お楽しみに!!


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・ エウロヴィジョン2022 優勝曲「ステファーニア」と ウクライナ人

もうたくさんの方がご存じと思いますが、先週土曜14日にトリノで
行われた「エウロヴィジョン2022」で

ウクライナから参加したカルシュ・オーケストラの「ステファーニア」
いう曲が、圧倒的な票で優勝しました。

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ラップ・ミュージックの曲、そしてステージでのグループの、跳ね、踊る姿
を見るとちょっと内容が想像できず、言葉も分かりませんしね、

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でも、公式ヴィデオ・クリップには英語の歌詞が下に出て、

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女性兵士が子供達を抱え、それぞれの家族、老祖父、祖母に、
または誰も家族がいない子供を司祭の下に連れて行く姿、
そしてその背後に写る、爆撃で、ミサイルで、徹底的に破壊された
町の姿はブチャ・Bucha、イルピン・Irpin’で撮影されたそう。

歌詞には戦争に対する言葉は何も含まれておらず、
母親に対する愛の言葉のみで、

実際この曲が書かれたのは戦争勃発前、バンドリーダーのオレ・プシュク・
Oleh Psyukが自分の母親に捧げたものだそう。

https://www.youtube.com/watch?v=Z8Z51no1TD0&list=RDZ8Z51no1TD0&index=1
Kalush Orchestra - Stefania (Official Video Eurovision 2022)

背景の悲惨さ、汚れ、煤けた子供の涙に潤んだ眼と、ぎゅっとすがる腕、
決然と歩く女性兵士の顔、を見ていると、こちらの喉が詰まります。

是非ご覧頂きたいと思います!!

このヴィデオはユーロヴィジョン・コンテスト終了翌日から公開され、
曲自体はコンクール以前にも歌われていた様子が、
この数週間で更に多くの人々が「ウクライナの母」と結び付けて考え、
「今の戦争の歌」と呼び始め、

オレ・プシュクは、もし「ステファーニア」が今の戦争の歌であるなら、
「我々の勝利の歌」となる事を望みます、と。

ピンクの帽子の彼かな?

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ユーロヴィジョンのフィナーレの録画はこちらで。 4時間を超えますので、
はは、時間に余裕のある方はごゆっくり。

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忙しい方は、下の時間経過の区切り、最後の2つ目から見ると、
最終審査の結果経緯が見れて、ハラハラと楽しめますです!

urovision Song Contest 2022 - Grand Final - Full Show - Live Stream – Turin
https://youtu.be/VhyLh5sGRRI



そして、このニュースにはちょっとフフとなりましたが、
ウクライナの首都キーウから西のイヴァーノ・フランコフスクを
連絡する43番の列車が、「ステファニア・エクスプレス」と命名され!

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既にもう標識を付け走っている様で!! ははは、

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出発、到着時には、「ステファーニア」の曲で祝福されるそうで、
これは世界初の、母親に捧げられた列車です、と。



ステファーニア・Stefania の歌詞を、拙訳で。

ステファーニア母さん 私の母さんステファーニア
野原には花が咲いているけど、彼女の髪は灰色になりかけている
母さん、子守唄を歌って
母さんの優しい言葉を聞きたい
小さい時から私をあやし、リズムをくれた

そして私が彼女から受けたように、私の中の意思を
無理に取る事は出来ない
それを彼女はソロモン王以上に知っていたと思う
例え全ての道が破壊されたとしても、私はいつだって家への
道を見つけるよ
外で嵐があったとしても、私を起こすことはないだろうし
または、彼女と祖母の間で嵐があったとしても
誰よりも私を信頼し
どんなに疲れていても、私をあやし続けてくれた
子守唄、子守唄

ステファーニア母さん 私の母さんステファーニア
野原には花が咲いているけど、彼女の髪は灰色になりかけている
母さん、子守唄を歌って
母さんの優しい言葉を聞きたい
私はもう子供ではないけど、でもいつもそんな風に私を扱い
私はもう子供ではないけど、私が外に行く度に私の事を心配し続ける
母さん、あんたはまだ若い
私があんたの優しさに感謝しなかったら、私は行き止まりだよ
でも私のあんたに対する愛情には終わりが無く

ステファーニア母さん 私の母さんステファーニア
野原には花が咲いているけど、彼女の髪は灰色になりかけている
母さん、子守唄を歌って
母さんの優しい言葉を聞きたい


こちらはステージでのヴィデオ
KALUSH ORCHESTRA – Stefania | Нацвідбір на Євробачення-2022
https://youtu.be/foqgjD_SNss


ウクライナの音楽は、以前スロヴェニアでの戦争の時に聞いた音楽と
土地が近いせいかやはり似た旋律があるように聞きましたが、

一見底向けに明るい様にも見えるその下には、長い圧政に苦しんで後に
国の独立を勝ち取った、そして今また自分の国を護ろうとする忍耐強い、
少々ではへこたれない人々の性格が想像できる様な・・。


見つけた2つのヴィデオ、美しい風景、人々の姿をどうぞ。
多分上のサイトから、下のヴィデオにも自動的につながる筈です。

Доброго вечора Good evening, we are from Ukraine!
https://www.youtube.com/watch?v=I2mzU7d1b0w

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Доброго вечора, ми з України! I am Ukrainian
https://www.youtube.com/watch?v=DGGZyQ0SVpg

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今年のコンクールがイタリア・トリノで開催されたのは、昨年の優勝が
イタリアの「マネスキン」だったからで、  ご存じ、マネスキン?
shinkaiは写真でグループの顔は知ってますが、歌は知りまへんで。

来年は恒例として、優勝したウクライナで開催となりますが、
ゼレンスキー大統領は、マリウポリで開催しよう!と。 偉い!!



そうなんですよね、戦争開始83日目の今朝1番のニュースでは、
昨夜マリウポリのアゾフスタリ製鉄所の地下から53名の重負傷兵士と、
211名の守備兵士が救出され、ポーランド国境近くにバスで運ばれたと。

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良かった!!  「我々は生きている英雄が必要なのだ」という
ゼレンスキー大統領の言葉が最高司令部によって承認、粘り強く交渉を
重ねた後に遂に合意に達し、

退避命令を受けたアゾフ大隊司令官デニス・プロコペンコ・ Denis Prokopenko、
確かまだ30歳未満の若い方だったと、によって実行。
捕虜になっていたロシア兵士との交換の様ですね。

こうしてマリウポリの街も約2か月の戦闘、この戦争において最も長く、
最も血にまみれた守備戦の後にロシア軍に陥落。

「ウクライナにとって意義ある敗北」とロイター通信が書いたそうですが、
そう、よく頑張った!! と胸が熱くなります。


今頃ちょいちょい見かけるニュース、今後の予測についてで、
ウクライナが勝つだろう、夏の末か秋が転機、遅くとも今年いっぱい、
というのは皆さんもご覧になっていると思いますが、

そう、どうしても、ウクライナが勝たないと!! 
合意はウクライナが優勢になっての合意点でないとね!!



この彼女は結婚し、3日目に未亡人になったのですと。

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そう、女は例え1日でも愛する人に愛されたく、結婚するのです。



でも、この子が大人になり、愛する人ができた時、
再び戦争の悲劇が起こりません様に!!

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posted by shinkai at 00:38Comment(0)・欄外

・ n.2 イーゾラ・ベッラ ・ 庭園  ・ マッジョーレ湖、 ご案内

イタリア北部マッジョーレ湖の島巡り3回目、先回はイーゾラ・ベッラの
ボッローメオ邸内のご案内でしたが、今回はとりわけ有名な庭園を。

1-Borromeo-P3P-20170530-010_(36234155645)_GF.jpg

この写真だと島の南部に盛り上がる、船に例えての艫、
またはピラミッド、と呼ばれる庭園の凄さがよく分かりますね。

島全体の長さが320m、幅180mの、かっては漁師が何人か
住んでいただけの岩だらけの島を購入、

その島に「豪華な宮殿」のプロジェクトを考案し、1632年から
建設に取り掛かり、17世紀のペストの流行で一時途切れたものの、
次の世代には建設の勢いを増し、

20部屋以上ある、先回ご覧頂いた豪華絢爛な邸宅は、広間、
部屋の建設、調度、装飾、ファサード、大きな桟橋などの整備が
1948年迄途切れることなく続いたのだそう。


庭園の方は1671年に完成したそうですが、写真で分かる様に、
段々になったピラミッド部分を作る為の土盛りには、物凄い量の
土が舟で運び込まれ、
庭園設計に従う造園技術者たちの世話も大変だったろうと。

その後もエキゾチックな植物が増やされ、揚水設備の完成等もあり、
現在は季節ごとの花が咲き乱れ、枯れた花は見つからずの手入れで、

確かに白孔雀の素晴らしさもあちこちで見かけましたが、
それを一層引き立てている、凄い庭園でしたぁ!!


さて、いささか満腹感で豪華絢爛の邸宅を出て、いよいよ庭園に。

で、ここ「ディアナのロビー」と呼ばれる部分が庭園入り口になり、

2-1-DSC00413_01_GF.jpg

写真では切れている両脇に回り込む階段がついていて、庭園に連絡を。
というのも、ここは邸宅と庭園を繋ぐためのちょっとしたトリックがあり、



ちょっとこちらをご覧下さいね。 島の形に添っての邸宅と庭園建設で、
それぞれの角度が少し違いますね。

2-2-Terre-Borromeo-Prenota-Acquista-Isola-Bella_GF.jpg

大きなT字型の邸宅の最後、そして庭園が始まる最初の狭い場所に
白い縁取りの膨らんだ四画、小さなプールの様な物が見えますね。

ここが「ディアナのロビー」で、両脇を植木に囲まれたカーヴした階段を上り
上の壇に上がると、目の前に続く道、階段に目くらまされ、はは、
ちょっと方向が変わった事に気が付かない、というトリックだそうで。

確かに! shinkaiも説明を読み、上空からの写真を見て、成程ぉ、と。

階段と庭園の入り口を塞ぐように茂っている木々は、何世紀もの
樟脳の木なんだそうで。



という事で、ディアナのロビーの階段を上がって来た所。

女神ディアナの壁龕上の手すりで、見下ろしていたイタ鴨君。

3-DSC00414_01_GF.jpg



こうして入り口の樟脳の木を過ぎ、階段を上がると、
目の前に広がる「テアトロ・マッシモ・マッシモ劇場」。

4-1-DSC00415_01_GF.jpg

マッシモとはまた最高、最大の意味ですし、実際この様に見えた時は
「おお!」でしたねぇ。



上の広場に上がると、こんな感じで両横に広がりますが、

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ボッローメオ家のサイトに使われているプロの写真では、こんな風、
光に満ち満ち、花咲き誇る庭園に、白孔雀が見事に羽を広げ!!

4-3-Terre-Borromeo-teatro-massimo-isola-bella-_GF.jpg



ちょうど我らの目前で白い扇を広げてくれている所に出会わせたのでしたが、

ワルガキが羽に触り、急激に閉じてしまい・・、 余計な事をぉ!!

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でもねぇ、この後ろ姿もまた、何とも優雅に裳裾を曳いており!

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正面は、石や貝殻を使ってのテアトル仕立て、というのか、

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頂上には、ボッローメオ家のシンボルである一角獣がね。

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こうして見ると、騎手は背中に羽のある天使の様ですね。



ちょうどテアトロの前で、白ちゃんもポーズをとってくれ、

10-DSC00433_01_GF.jpg

ですがね、鳴いた声は、お世辞にも良い声とは・・!!



横下の庭では、別の白ちゃんもお散歩中で、

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こんな素晴らしい庭園の島でお暮らしの、白孔雀の皆様なのでしたぁ。



テアトロ部には、横から順に上に壇を上がる事が出来、

13-DSC00441_01_GF.jpg

14--DSC00442_01_GF.jpg

ただ一番上の壇は広いテラスになっているのをつい忘れ、
そのまま降りてしまったshinkaiなのでしたぁ、アホガぁ。



脇の壇のそれぞれも、ちゃんと色の配合がされた花壇になっており、

15-DSC00445_01_GF.jpg

16-DSC00446_01_GF.jpg

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人工的に作り上げられた庭園ではあるのですが、大きな湖の中の島、と
いう事もあってか、晴れ晴れと、浮世を忘れ、のお庭である事は確か!



ここはテアトロ部の脇の平地ですが、何とも手の込んだ、石段を隠し、
花壇の花々もきちんと見事で、椿も咲き誇り。

18-DSC00440_01_GF.jpg



こちらは確か「秘密の庭園」という名だったと。 はぁ、貴族の皆様の
そぞろ歩き、秘密の密会場所だったのかも。

19-DSC00443_01_GF.jpg



集合時間となり、皆で南側に回って行くと、また白ちゃんの歓迎を!

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でも、孔雀ってこんなに気前よく羽を広げて見せてくれるのでしょうか?

煌めく羽の孔雀がちゃん扇を広げてくれたのを見た事のないshinkaiは、
今回もきっと宣伝の写真のみだろ、位に思っていたのでしたがぁぁ、


かなり長い間広げて見せてくれるもので、つい何度かおチリの方からも
眺めさせて頂き、失礼をば!

なかなか可愛い、ぷっくりのおチリで、はい。

22-1-DSC00456_01_GF.jpg



てな事で楽しんで通り過ぎてしまい、横の庭園が、こんな作りに
なっているのを見落としましたですぅ。

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レモン、チェードロ等、それがまた素晴らしく大きな実がなっており!

23-DSC00448_01_GF.jpg



花壇も色様々。

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別の場所にもいた白ちゃんですが、

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このサイトの写真の様な場所ではね、残念ながらね。

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では、今回何枚か撮ったおチリの中から、一番素敵なおチリをどうぞ!

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最後は綺麗に閉め、 マッジョーレ湖、イーゾラ・ベッラの夜景を最後に。

35-toru-isole-borromee-isola-bella-3_GF.jpg


植物、花を見るのは好き、かといって特別に庭園作り、花の種類、
手入れ法には興味を持たない私ですが、

が、今回のこのイーゾラ・ベッラの邸宅、庭園の、お金に糸目をつけず
出来る限りを、と最高を狙っているのがはっきりとわかる、

その素晴らしさの究極に、脱帽致しました!

そしてガイド氏達も、邸宅の、この後訪問したイーゾラ・マードレの
ガイド氏も素晴らしく優秀で、それにも驚くと共に、

今もボッローメオ家の財産であるこの島も含め、底知れぬ財産所有の
かの家系はどの様に長い世紀を生き抜いたのだろう、と興味も・・。


という様な事で、ミラノ方面にお出かけの皆さま、是非足を延ばし、
一度イーゾラ・ベッラにお出かけを!!


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・ n.1 イーゾラ・ベッラ ・ ボッロメオ邸  ・ マッジョーレ湖 ご案内

4月下旬に訪問してきたオルタ湖、そしてマッジョーレ湖3島の
ご案内、先回のイーゾラ・デイ・ペスカトーリ・漁師の島に続き、
今回はすぐ南に並ぶ イーゾラ・ベッラ・Isola Belleに。


この特殊な島の形の写真は、きっと皆さんもミラノ関係の
ご案内でご覧になった事があると思いますが、

1-Terre-Borromeo-Prenota-Acquista-Isola-Bella_GF.jpg


島全体を持ち主のボッローメオ家・Borromeoが、富をつぎ込み、人工的に、
何世紀もかけ、「美しく」造り上げた物なのですね。

実際の写真は南北が逆に見えるので、分かりやすくひっくり返し、
というのも、shinkai自身が最初はピンと来なかったもので。

「漁師の島」に続く細長い方が上、つまり北を舳先と見たて、
見える大きな建物がボッローメオ邸、

そして東から南に掛けて長く広がり続く庭園、とりわけ南の
最後の部分が何層もの高さ、
つまり船の艫・船尾として設計されているのですね。

島全体の長さが320m、幅が180m。

島全体がボッローメオ家に購入される迄は、2つの教会と
小さな漁村がある岩だらけの島だったそうで。

イーゾラ・ベッラ、という名は、ベッラ・美しい、美人、という事から、
「美しい島」と思われる様ですが、

実際は、島を購入したカルロ3世(1586-1652)が、自身の妻
イザベッラ・ダッダ・Isabella d'Adda、イーゾラ・イザベッラと付け、
その後ベッラ、と呼ばれるようになったのだそう。


北に位置する漁師の島から近づくと、この様にまずボッローメオ邸が
見えて来て、

2-IsolaBella.jpg



こちらは島の東側の、庭園部分で、

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こんな風に回り込むと、塔の向こうに何層にも高くなっていて、

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南側から見える高層部分、ピラミッドと呼ばれるそう。

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西側に回って来て、高層部の先端にある騎馬像。

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そして観光客は、この船着き場か、我らはも一つ左に到着。

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広場の石段を上がり、テラスから見える、離れてあるイーゾラ・マードレ。
ここは午後最後に訪問を。

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テラスの広場を移動して見える、北側にある「漁師の島」。

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砂嘴が見え、水面でうっすらと隠れている感じですね。



暫く船着き場で待って居るうちに、港に向けて置かれた小砲を見つけ、

9-1-DSC00318_01 - Copia_GF.jpg



ふと気づくと、砲の先っちょに「IL PIGRO・怠け者」とあるのに笑いが。

9-2-DSC00318_01 - Copia_01_GF.jpg



漸くに屋敷のうちに入れ、ここは、なんとなく現代的なイメージでしょう?

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で、ここからが、何とも凄い富の洪水で!! 
壁の絵画、置物、家具ecce㏄.

11-DSC00321_01_GF.jpg



上の写真の正面上の人物像、ボッローメオ家のご先祖の1人とか。
大男だったというのは記憶に残りましたが・・。

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この広間は横っちょを覗いて見えたもので、後には通らずでしたが、

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テーブル上のガラスの食器、

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金の装飾入りのお皿。

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次々と広間を通り抜けていきますが、それぞれに壁の色、装飾が違い、

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椅子の柄も牧歌的。

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ボッローメオ邸内のガイドは、専門のガイド嬢が付いており、素晴らしく
慣れた詳細なガイドでしたが、
なにせ見るものが多くあり過ぎて!! 聞くのと見る、撮る、で混乱、
結局しっかり覚えておらずで、へへへ。


こんな小物入れの箪笥も、素晴らしい装飾で。

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ここが部屋一面の壁がぎっしり凄い額に入った絵で埋め尽くされており!
ガイドさんが、絵が何枚あると思いますか?と聞くと、
誰かが即「130枚」と答え! ちゃんと予習済みの偉い方がね。

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で、こちら側の壁の、ガイドさんが名指して説明の「ラファエッロの模写」。
大変褒められておりましたが、

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写真では少し顔色が出ておりますが、実際に先にこの絵を見た時は
顔色も青白く、技術も勿論ラファエッロには到底及ばすで・・!



反対側の壁もこんな風に一面びっしり!! 見た事のある絵の模写も多く!

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突き当りの壁の真ん中部分は、

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こんな風に寝室となっており。  どなたが使った寝室だった?

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こんな凄い飛び出し装飾の部屋もあり、

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床にも大理石モザイクで家紋が入り、上に「HUMILITAS・謙虚」と。
ここのみでなくあちこちに、このモットーがね。

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余りにも過剰装飾の富の部屋に「謙虚」とあるとつい可笑しくなり、
フフ、と皆が笑うと、ガイドさんが「神の前では」とね、はい、了解。



隣合わせの寝室。 1797年にはナポレオンが最初の妻ジョセフィーヌと
滞在した様で、ひょっとしてこの部屋だったかも。

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ジョセフィーヌはすっかりこの島が気に入り、当主のボッローメオに
掛け合ったもののダメだったとかいう後の逸話が残ります。



こちらが北向きの窓で、島の先端の眺め。

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「中央のサロン」と呼ばれる、確か一番最後に出来た広間だったと。
落ち着いた装飾と、素晴らしい色のハーモニー。

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ね、やはり天井の真ん中にも「ウミリタス・謙虚」と。



「音楽の部屋」 素敵なチェンバロがありましたが、

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この部屋で、1935年ムッソリーニが「ストレーザ会議」を催したとか。



この地球儀に、オルタ湖の「サン・ジューリオと蛇」が描かれており。

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shinkaiは暖炉の上のクラッシックな時計と、中国製のものと思う
壺のランプのみを写したのですが、

33-DSC00375_01_GF.jpg

部屋は「ジョルダーノの間」と、ナポリ出身の画家の名が付いているのを、
多分彼の絵が壁に、をこれを書きながら知りましたぁ。
絵も余りたくさんあると、へへ、ちょっとやそっとでは驚かなくなりますねぇ!



とはいえ、こういうモチーフは、しっかり撮ったりもで、ははは。

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この小さい絵も可愛く、桃のモチーフもありましたっけ。

35-DSC00377_01_GF.jpg



これは好みで撮ったのではなく、はは、下の写真の細部をご覧下さいね。
なんとまぁ、モザイク作品なのです!

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奥に見えるニッキ・壁龕風の物が、こちら側建物と、奥の庭園を繋ぐ
「ディアナのロビー・atrio di Diana」と呼ばれるもので、

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両脇にあるカーヴした階段が、土地の歪みの為建物と庭園が真っ直線でない、
不都合さを隠すため後に作られたのだそう。

この写真は、次回の庭園のご案内の時に。



で我々は下に下り、

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「洞窟」と呼ばれる、かっての客人たちを熱狂させた部屋、
スタンダールもいたそうで! 以前は水深の洞窟の様に天井から水が流れたと。

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貝殻、小石で飾り造られた部屋。 貴人達の酔狂というか、なんというか・・。



また上の階、貴族階に戻り、ははは、

窓からの光の反射で哀れですが、この女性はメディチ家からお輿入れされた
女性だそうで、と聞き、撮ったのでした。 誰か調べないと。

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こちらは横の通路を覗いたもの。 廊下にもたくさんの絵が置かれたまま、
公開されてない部屋もたくさんあるのでしょうねぇ。

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島に素晴らしい宮殿と庭園を造る、というアイディアが実際に始まったのは
1632年。 がその後ミラノ公国で発生したペストの流行により中断し、

息子達の世代になり建設が軌道に乗り、
どうやらボッローメオ一族全体の仕事ともなった様子で、兄弟間の
財政支援もあったりで、世紀を超え延々と続き、

1671年に庭園が完成。 建物の完成、装飾、家具、庭園の手直し、
楊水システムの導入、最初のアイディアになった大ホールの完成という事で、
ほぼ4世紀に近い年月をかけて造り上げられたのでした。

それでもどうやら、建物西側から陸の岸に向けて橋を架ける、という
最後のプロジェクトはそのままになった様子ですが!



最後に通った「タペストリーのギャラリー」。 16世紀ベルギーの綴れ織り、
ここの作品が今回一番shinkaiの興味を惹いたのでした。

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森の中の動物たちの、善と悪を象徴する闘い図6枚、絹と金。

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森の深さを表す為の背後の深い青、そして前面の植物の葉、蔓の繊細さが
見事で、とてもモダンなのに驚いたのでした。



ボッローメオ家の象徴でもある一角獣もあちこちに登場している様子で、

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こういうギャラリーをす~っと通り抜ける団体旅行、
というのが、残念でしたぁ!


という所で、今回の「イーゾラ・ベッラのボッローメオ邸」訪問記を終え、
次回には、白孔雀があちこちで羽を広げてくれた庭園に! お楽しみに。


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・ イーゾラ・デイ・ペスカトーレ・漁師の島 訪問  マッジョーレ湖

先回見て頂いたオルタ湖、そしてサン・ジューリオ島訪問から
一夜明け、我らグループはマッジョーレ湖の方に移り1泊。

公園の中から見えるホテル・アルピに泊り、朝食の後、
すぐ前にある公園に出かけて来た所。

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移動は、地図でご覧頂くと、オルタ湖畔を北上し、東に抜け、
マッジョーレ湖畔を少し南下、バヴェーノ・Bavenoという町で、

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ここからイーゾレ・ボッロメエ・ボッローメオ家の島々、と呼ばれる
3島訪問のボートが出ているのですね。

勿論、も少し南隣のストレーザ・Stresa、ヘミングウェイの
「武器よさらば」で有名なストレーザからも出ている様で。

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.1 
https://www.italiashiho.site/archives/20170409-1.html

「武器よさらば」 若きヘミングウェイの戦場体験 n.2
https://www.italiashiho.site/archives/20170410-1.html



バヴェーノの町。 ホテルから少し歩いてこの港に到着、
ここから我らはボートにね。

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ホテル前の朝の散歩の様子などは、こちらに予告編として載せましたが、

オルタ湖 マッジョーレ湖のボッローメオ家の3島巡り 予告編
https://italiashinkai.seesaa.net/article/486925039.html


爽やかな朝の公園の、花の美しさが見事で、

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遠くに見える島、後にこれがその日最後に訪問したイーゾラ・マードレと
分かったのでした。

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こちら手前に見えるのが、今日見て頂くイーゾラ・デイ・ペスカトーリ、
背後に見える白い大きな建物が、イーゾラ・ベッラのボッローメオ邸。

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公園の先が浜になっていて、

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夏はこうなる、というのも、サイトで。

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水も綺麗、浜も整備されており。

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という事で、ホテルから港に行き、ボート・観光船に乗り、島に向かいます。

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港を離れての眺め。 曇り空で、ほんの少し霞んでいるのが残念。

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山頂に見えたロープウェイの設備。 

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そうなんです、2021年5月に牽引ケーブルが切断、キャビンが落下、
男の子が1人助かったのみの大事故となった、あのロープウェイです。

後日談として、助かった男の子、10歳位と、の亡くなった母親の父、
祖父に当たる、が、イタリアで伯母(叔母)の家で元気になっていた
男の子をイスラエルに連れて帰り、誘拐、イスラエルで裁判となり、

法廷は、男の子を父方の伯母さん(叔母)に戻す様に判決を出し、
男の子はイタリアに戻った、という経過がありました。



東の空が明るさを増すのを期待しつつ、イーゾラ・デイ・ペスカトーリに。

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岸側にこんな中世のお城らしきものも見え!

16-DSC00293_01_GF.jpg



所で、この写真をどうぞ。 shinkaiは移動中に何度も名前を
聞きつつも、なかなか実際に見える島の区別がつかずで、へへへ、

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手前の岸寄り左、Isola Superiore・上の島、イーゾラ・デイ・ペスカトーリ、
その右 Isola Bella・イーゾラ・ベッラ、ここは下の島、とも呼ばれ、
ここには本当に驚くばかりのボッローメオ家の富が詰まっており!!

2島の真ん中向こうに見える Isola Madre・イーゾラ・マードレ、
小さく見えますが、この島が本当は一番大きく、島全体が庭園に。

この3島を一緒に、「ボッローメオ家の島々・イーゾレ・ボッロメエ」と
呼んでいるのも知りました。


この日実際には、まずイーゾラ・ベッラに行き、ボッローメオ家の富の
凄さを見せつけられた後、はは、お昼を食べにこの「漁師たちの島」に
来た行程だったのですが、

つい先日突然の御用を言いつかり、それに掛かり切りの上、
今朝発見したのは、既に整理していた写真のフォルダがどこに?!

という事で、写真数、ご説明の少なくて済む、済みまへんです!
この島のご案内に予定変更させて頂いたわけで、はぁ。



という事で、こちらが島を上から見た様子。

18-146_GF.jpg

島の幅100m、長さ350m、2001年の住民は57名と。 実際は?
ガイド氏の話では子供の数も少なく、10名程度で学校の問題がね。
島の真ん中、一番高い部分をくねくねと細い少路が抜けて行き、
そこから左右に、もっと細い道が浜に下ります。



見えて来た島の様子。 これを見ていて気が付いたのは、

19-DSC00295_01_GF.jpg

我ら5人がお昼を食べたのは、右の緑の塊の左に見える白い
2階建ての家の浜側で、ははは、
食べながらあの緑のバルコニーを何度も見上げていたので、覚えており。



家の並びの写真を見つつ、撮って来た写真を見て分かったのは、
ボート・観光船は、一旦「漁師たちの島」を過ぎ、

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南隣の「イーゾラ・ベッラ」をぐるっと回り、

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また「漁師たちの島」に戻り、

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我らを降ろしてくれた、という事でした、 さすが、観光業ね。



東側の本土、上の段左に見える、大きな素晴らしいヴィッラ。
よく目立ち、ずっと見つめました。

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さて、ほぼ島の東側中程にある港で降りた後、浜に沿い南の端まで。
右側には家が並び、テラスが広いのは魚を干す為、とか。

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左の浜側には、テントを張りだしたレストランが立ち並びます。



船溜まり。 一般的に秋と春に高潮の現象があるとか。

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雨降りが続いた後の水位上昇で、岸の遊歩道には浸水しても、
家の敷居は既にそれを見越して高いので、家屋内は大丈夫と。



南の端のレストランも、藤が花盛り。

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お天気の日に、こんな所でお美味しいお魚を食べたら、天国でしょうねぇ!



細長い島の端に、砂洲が延びたと思われる場所、広場があり、
良い感じですねぇ!

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我らは島の中を抜ける細い少路、うねりながら途切れることなく続く
少路を抜けて行きますが、途中、メルロ・黒歌鳥の姿。

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少路に向けて開いているレストランや土産物の店も多いのですが、
これはもうどこも同じ様子で、撮る事も無く・・。



島の唯一の教会サン・ヴィットーレ。 元々は11世紀に遡る礼拝堂だそう。

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ゴシック、ルネッサンス期に拡張された内部は明るく、小奇麗で、
フレスコ装飾は16世紀の物と。

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内陣の壇上にある4つの、多分銀に金装飾物は、アンブロージョ聖歌に
謳われる4人の司教、サンタンブロージョ・ディ・ミラノ、サン・ゴーデンツィオ・
ディ・ノヴァーラ、サン・フランシスコ・サレージョ、サン・カルロ・ボッローメオと。

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とても、小さな田舎の教会にあるものとは思えずの、さすがボッローメオ家の
おひざ元の教会だなぁ、と。



天井。

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壁画。 右に剥げかけの古いのが見えますから、これは新しい物。

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こちらが2日目のガイドさんで、ジルベルト氏だったかな。
オーストリア生まれで、いつもはドイツ語のガイドをされているのだそう。

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うん、前日のオルタ湖のガイド氏より、shinkai好みでござった、へへ。



一旦外に出て教えて貰ったのは、こちらが古い礼拝堂の名残の後陣で、

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改築の後に教会の向きを変えたので、現在は単なる脇礼拝堂に。



上に、元の3角のタンパン?入り口?の名残が見えますね。

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という所で漸くに昼食の解散となり、皆いそいそと浜側に。

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こちら側も藤が見事で、たわわ。

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5人一緒のお昼ご飯。 3人がこの魚ミックス・フライと、
撮り忘れの野菜のグリルを! 美味しかったぁ!

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テーブルが並ぶすぐ脇には、隣のテーブルから鴨2羽・カップルかな、
雀2羽が離れず、せっせと貰っていましたっけ。

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食べ終わった頃やって来た猫ちゃん、 遅いんだからぁ、あんたはぁ。

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すぐ向こうに見える、イーゾラ・ベッラの、ボッローメオ邸。
こちら側は、建物の真ん中が丸く張り出している、北側の眺め。

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という事で、集合時間となり、我らはボートで次の島に。

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ちょうど真ん中に見える黄色の建物の右が、サン・ヴィットーレ教会。
次回のご案内をお楽しみに!


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