・ レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」の謎、噂、今どこに展示?

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた、女性のみの肖像画は4点のみ、
と言ううちの1点、それがまた素晴らしい作品のこちらで、

1-Lady_with_an_Ermine_-_Leonardo_da_Vinci_GF.jpg

板に油絵  54,8x40,3cm

この「白貂を抱く貴婦人」のあれこれの謎、きな臭い騒動、
そして今展示されているのはどこに? のお話を。


まずこの作品は今どこに展示されている? からですが、

実は来年初夏にポーランド、と言っても私めはクラコフ・Krakówのみ
の心算ですが、日本からの友人と訪問の約束が出来ており、嬉しく、

で、クラコフのお城博物館にこのレオナルドの「白貂の貴婦人」が
展示というので、レオナルドの真筆の絵を見るのは2点目で、
うほうほと喜んでいたのが、


何度となくあれこれサイトを見ているうちに、ウァヴェル城に展示とばかり
思っていたのが、

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街中の「チャルトリスキ博物館・Museo Czartoryski」展示、と
表示があるのに気が付き、

3-Czartoryski_Palace,_17-19_świętego_Jana_street_GF.jpg


どっちに行ったらええんねん、と調べる内に、


なんとまぁ、元ポーランド国王家であったチャルトリスキ家コレクションが
バーゲン・セールで、(これはBBCのサイト記事の表現)

2016年12月、総額が20億ユーロとみられていたコレクション全体が
約1億ユーロでポーランド政府に売却され!たという事実がありました。

左がアダム・カロル・チャルトリスキ氏・Adam Karol Czartoryski、 
右が政府の文化省大臣と。

4-download_GF.jpg

この金額の大差は大変な論争の的となり、なぜと言うに、

レオナルドの作品のみでも、2億ユーロ以上の値段が予想されていたので、
チャルトリスキ財団の理事会一同総辞職、となりましたが、

現相続者である、チャルトリスキ家当主アダム・カロル・チャルトリスキ氏は、
 「人生において、私たちはそれぞれ、自分が感じたことを、
  自分がしなければならないと感じる方法で行います。
  私は一種の寄付をしたかったので、これが私の選択でした » と。


この辺りの事情については、
「お買い得」価格で売られた白貂を持つ貴婦人. 王子のポーランドへの愛が事件を起こす
La Dama con l’ermellino venduta a prezzo «stracciato» L’amore di un principe per la Polonia crea un caso

いずれも画面上でクリック、または右上の翻訳、をクリックすると日本語で
読めますのでどうぞ。


まぁ、お安い価格でコレクション全体がポーランド国のものになるので
あれば、政府、お国の皆様にとっては大変良い事で、へへ、

そして実際にコレクションが公開されるのであれば、問題ありません、
とshinkaiは考えるのですが、

ですがこの後ひき続ききな臭い金銭問題が発生しておりまして。


実はこの現チャルトリスキ家当主アダム・カロル・チャルトリスキ氏
(1940~ スペイン、セヴィリア生まれ)には、

先妻のノーラ・デ・ピチョットとの結婚(1977年1月)で誕生した
娘のタマラ・ラウラ・チャルトリスカがおり、先妻とは1986年離婚。

のち2000年12月に現在の妻ジョゼット・カリルと結婚しており、

現在の一家。 とは言え、娘御はスペイン貴族と結婚され、あちらに。

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こうしてみると、一見問題ない様なのですがぁぁ、


はぁ、実は上記したチャルトリスキ家のコレクションを
ポーランド国に売った1億ユーロですが、

娘のタマラによると、この金額がコレクション財団の口座から消え、
リヒテンシュタインのタックスヘイブン、に入り、
つまり非課税の自分の口座に入れるつもりだろうと非難し、


また自分の父親が「2017年1月の財団会議で、大声で、
「私はポーランドとポーランド人が嫌いで、この国のために
もう十分尽くした」と宣言し、

彼の妻は「ポーランド人は信用できない。これからは億万長者のように
暮らすことになるだろう」と答えたと言い、

この件に関しては証言する準備も出来ている、という泥沼状態!ですが、

付け加え、多分、妻のジョゼット・カリルが計画したと思うこと。
彼らは2012/2013年から取り組んでいて、最終的に父親を説得し、
操作し、それが唯一の正しい解決策であると説得したのだろうと。


娘のタマラなる方は、この方はその美しさに溺れず、若い時に
かなり厳しい生き方をされてこられた意志の強い方の様で、

資金を元の口座に戻し、財団が効率的に運営できる様、
強力な管理チームを紹介する事。
こうして家族の名声を守り、その遺産を祝うための戦いの最前線に立ちたい、
とインタヴューに答えたそうで。

これらを読んだのは、2018年4月24日付 ポーランドのサイトで、
チャルトリスカ王女が継母を非難!貴族の鋭い言葉 「父の妻であるジョゼット・カリルが計画したと思います。
日本語に翻訳して読めますので、興味ある方どうぞ。


現当主のアダム・カロル・チャルトリスキ氏は、現在82歳ですか、
ポーランド国王跡継ぎに成るべく生まれたものの、ずっとスペイン、
イギリス等などのいわゆる追放生活が続き、スポーツ選手としての名声も
ある方だったのが、

人生最後になり、今迄の内心のうっぷん晴らしだったのかもですが、
お金が絡み、娘とも断絶の、う~ん、すっきりしない結末にハマられた様で。


という様な、はぁ、きな臭いお話が先に来ましたが、

この美しい「白貂を抱く貴婦人」は、他の全てのチャルトリスキ・コレクション
と共に、これは約8万6千点の品、25万点の写本、書籍で構成され、
現在はポーランドの国有財産に。


で、ダ・ヴインチのこの美しい作品は、現在クラコワ旧市街にある
チャルトリスキ博物館ピヤルスカ通り 15 番地・Pijarska 15 に
2020年以降展示。 やれ、分かって安心!

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時間、 月曜休館 火曜10時-18時 この日は無料
    水曜~日曜 10時~13時 14時~17時

料金  一般 35zloty 他に家族用切符などもあり、シニア料金もある物の、
     エウロ圏国民とか、それの証明書が必要とか、かなり面倒そう。
  
で、 1EUR = 4,7 PLN( zloty)   1 zloty = 0.21EUR

見学には予約が、日にち、時間が必要で、というのも、
各時間のチケットの総数には限りがあるからだそうで、こちらから。
https://mnk.pl/branch/the-princes-czartoryski-museum/tickets-information

チャルトリスキ博物館には、バス 124、152、424、
             トラム 4, 14, 18, 20, 52,
    いずれも停留所は、"Stary Kleparz"

という所まで予習したshinkai、これからまた徐々に。

博物館サイトはこちらから。
VISITARE LA MOSTRA CON LA "DAMA CON L'ERMELLINO"

他のコレクションの殆どは、何せ数が凄いので、ウァヴェル城に展示との事。



この有名なレオナルドの作品は、1482年から1499年にかけて描かれ、

依頼主は当時のミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロであり、

6-Ludovico-il-Moro_GF.jpg



モデルは当時16,7歳の、イル・モーロのご愛妾チェチーリア・ガッレラーニ、
というのは、皆さんよくご存じと思います。

彼女については、 ダ・ヴィンチのデッサン「白貂を抱く・・」
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20181205-1.html
に少し書きましたので、ご覧頂けると嬉しいです。



で、今回あれこれ探していて分かった事などを少し付け加えますと、
上記の https://www.bbc.com/news/world-europe-38462474 に

こんな写真も見つかり、

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新しい技術により2014年に分かった、絵が少なくとも2回描き直された、
というのを示しているのですが、

つまり最初は何も腕に持っておらず、左肩下は右同様の袖が見え、

次に、胸元の飾り紐が消え、グレイの動物を抱き、右手が添えられ、
左肩は青色の上着となり、

最後に腕の動物は少し太った白いオコジョ、となり、右手の指も変化し、
手のひらの角度も少し持ち上がり、完成。

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という変化が分かりますが、

これを見て、やはり、なんとも凄い完成度を目指すのだ、と感嘆。
クラコフの博物館での対面が本当に待ち遠しくなりました!



実際の絵画の通称は、白貂・エルミンで、これは1488年ナポリ王から
イル・モーロに授けられた「エルミン騎士団」の名誉から、

本当の絵の中の動物はフェレットと思われますが、エルミン、イタチ、オコジョ
になぞらえ、絵の依頼主が誰か分かる様に、

そして「エルミン」はギリシャ語ではガレ・galḗ (γαλή)・強風、と呼ばれる
事から、ガッレラーニをほのめかす、語呂合わせという・・。

こう考えると、イル・モーロがいかに彼女を可愛がっていたかが想像でき、

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まぁ、レオナルド様も、あれこれ彼の気に入る様に、と構図や意匠を
考え描き直したのかも、と想像できますね。


貂・イタチ、は野生で嚙みつきやすいのに比べ、猫の様に飼いならされた
動物のフェレット、イタチ(体長は30cmを超えず)より大きく、
当時のロンバルディア郊外でも比較的簡単に見つけ、
観察もしやすかったであろうと。


と検査により、彼女の右上には窓が描きこまれていた事も分かっており、

現在の背景の黒一色というのは、いつの事か分かりませんが、

彼女の髪に掛けられているベールと髪型も、黒塗りの際にかなり
変えられている事が分かります。



と左上の署名、LA BELE FERONIERE  LEONARD D’AWIVCI

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これはレオナルド自身の署名ではなく、多分1798年にイタリアで
この絵を発見、購入したアダム・イエジィ・チャルトリスキ(1734-1823)
が入れたもの、入れさせたものであろう、と。

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残念な事に、この絵の所有者の来歴が残っておらずで、
3世紀間程、どこかのお屋敷の奥に秘匿されていたのでしょうね。

絵がポーランドに行き、チャルトリスキ・コレクションに加えられた後
ロシアからのポーランド独立を目指した11月蜂起があり、1830-31年
隠匿され、蜂起の失敗の後パリに亡命のアダムに従い、絵もパリのホテルに。

クラコワに戻ったのは1882年になっての事で、1939年にナチス・ドイツの
パーランド侵攻で収奪され、ベルリンの現ボーデン博物館に。

そして1年後にポーランド総督となったハンス・フランクが自身の執務室に
飾る為に要求し、その後の行方は分からなくなっていたのが、

第2次大戦終結時、連合国兵士により、バイエルンのフランクの家で
無事発見され、大戦終結後に他のコレクション共にポーランドに返還、

という長い遍歴の歴史があり、

今もこうして無事におめもじ出来るのは、考えて見ると本当に、
平和の有難さですねぇ。



絵の額も、素晴らしく典雅で美しく!

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我々の時代まで届いて下さったのを、やはり次代の方々にも、と願います!!


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