・ ウィスキー 「命の水」、 幸せなお話 

年明け早々「ビールと魔女」 そして「ウィスキー、命の水」と
飲んべえブログの様になっておりますが、いぇいぇ、そうではありませんで、

どちらも読んで見ると、長い人類の歴史にしっかり根着いており、
お互いが愉しみ、寄り添い、助け合っての、ははは、
長い道程を築いて来た事がよく分かり、

これからもよろしく!という事で、今回のウィスキーのお話を。

参考の記事タイトルは上と同じで、
Whisky, "acqua della vita": una storia felice

スコットランドの国民的飲み物は、15世紀の修道院で生まれ、
イギリス人お気に入りのアルコール飲料となりました。

という事で、お気楽に、宜しくお願い致しま~す。

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英国料理を批判するのは常に当たり前でしたが、
・・いぇ、これはshinkaiが書いたのではなく記事にあり、本当で~~す、
記事の最初に。

が、アルコール飲料に関しては、英国人の味の趣味、良さについては
誰も疑問視しません。 はい、はい。


既に8世紀に、イギリス人の聖ボニファシオは、島の多くの住民が
アルコール飲料に関心を持っている事を非難しており、

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はぁ、キリスト教宣教に生涯を費やされ、最後はオランダで殉教され、
ドイツの守護聖人でもある方が、
既に8世紀に、イギリス人は酒に興味を持ちすぎておる、と。

これは快楽にしろ悪癖にしろ、フランク人も、ロンバルド人も、ローマ人も、
ギリシャ人も陥らなかったことなのですと。 ホンマかな?!


ですが、次第にあらゆる緯度のグルメ達が、この英国トレンドの恩恵を
受けるようになり、

というのも、英帝国の仲立ちなしでは、実際にボルドー酒、ポート酒、
マデイラ酒、シェリー酒も今日の様に世界に行き渡らなかっただろうし、

イングリッシュ・ジンと、スコッチ・ウィスキーという2つの国民的飲み物も
世界的な反響を呼ばなかった事でしょう、と。

つまり大英帝国の陽が沈む事はない、と世界中に植民地を持っていた
英国が豪語していた様に、世界中に各国のお酒が行き渡ったと。


年間何億ケースも!!販売されているウィスキーは、
「幸せな物語」だったとお考えかもですが、

この蒸留酒の多様性は、その成功の継続性を保証している如くで、

確かにウィスキーの純粋主義、シングル、モルトご愛飲者が驚く程の
多数のブレンド・ウィスキーもあり、

飲み物としては非常に単純で、少なくとも理論的に飲み物としては悪くなく、

つまりウィスキーとは、発酵させた穀類から蒸留したアルコールを、
木製の樽で熟成させたもので、

単純な言葉でいうと、所謂「ビールの蒸留酒」と!

これには吹き出しましたが、ははは、そう言えばそうですね。

初期の蒸留器

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なんぞと偉そうな口を叩いておりますが、あれこれ基本的な事を間違えない様、
お酒にはどんな種類がある? もっとお酒を楽しむ為の基礎知識を紹介
というサイトが分かりやすく書いておられるのを大いに参考にしました。

なぜと言うに、いつもは分かっている気でいても、いざ書くとなると、
文章として綴れずのいい加減な知識しかないを実感し、で!


「ウィスキー」という言葉からすぐにスコットランドを連想しますが、
これは「スコットランド人が最初に発明した様に見える」からだけではなく、

単純な蒸留ビールがスコットランドで作られた時、土、水、火、空気 の
全ての要素で強化された飲み物が出来たからで、

複雑さ、卓越性、という点で、最も洗練された複雑さに達する事が出来る、
というスコットランドの土地、ですね。


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この写真素敵でしょう?!

この写真を見つけて、このサイトに行き、
スコッチ・ウィスキーの6つの州・Le 6 regioni del whisky scozzese
 
スコットランドの6州の各ウィスキーの特徴、蒸留所などの説明を読み、
とてもよく納得する説明で、スコットランドへの興味も増したのでした!


ウィスキーの起源については諸説あり、

ビール芸術の真の認識者であったエジプト人に帰する人がいて、
また、ギリシャの蒸留器を挙げる人も。 というのも、

ワインを蒸留して出来るブランデーは既にアリストテレスの時代、
紀元前4世紀には生産されていたのだそうで!


アラブ人から輸入したシチリア人によって完成された蒸留器は、軟膏、
エチルアルコールを含む、甘みと芳香で飲みやすくした水薬のエリキシル剤、
エッセンシャルオイルなどなど、

錬金術師や修道士により何世紀にもわたり使用された器具で、
香水、医薬品、注射水の製造、そして蒸留アルコール飲料製造に。


ヒースの花咲く、スコットランドの野

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ですが、1500年以前の歴史的証拠は殆どなく、さらに原始的なウィスキーが
現在のウィスキーに似ていたとは考えにくいのだそうで、

15世紀になり、ゲール語で「生命の水」を意味する「uisce Beatha」
なる言葉が記録にあるのだそうで。

が、この用語がブランデーを指すのか、一般的なリキュールを指すのか、
が分からず。

現在の我々が知っている「ウィスキー・Whiskey」 についての最初の言及は、
18世紀半ばのアイルランドの雑誌にあるのだそうで、

それまでは、僧侶、店主、そして田舎の人々の飲み物だった、と!


この絵は、19世紀のスコットランド人の生活の一部にウィスキーがあった、を
描いているのだそう。  6人と4匹、いや5匹かも!

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とはいえ、ウィスキーなる飲み物が少なくとも1400年頃から
スコットランドの土地で、長い間蒸留されていた事を排除するわけではなく、

ひょっとしてそれが、今の我々の知っているウィスキーの遠い親戚だった、
としても、経済的重要性は常に大きかった、というのも、

1506年に王が、エジンバラの理髪師と外科医のギルドに、その準備の独占を
許可したという事実があるのですね。

「準備の独占」とは、販売までのウィスキー製造、という事だろうと想像し、

エジンバラはスコットランドの首都、では未だ英国と合併していなかった
この時のスコットランド王は?と調べましたら、

はい、この方ジェームス4世 在位1488-1513年

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イカツイお顔に見えますが、大変有能な統治者で、反乱を鎮圧し、
芸術を奨励、銃器製造や造船業などにとりわけ力を注いだ、との事で、

民の欲する飲み物が儲けを生む、と目を付けたのはさすが、ですね。

イングランドと1502年に平和条約を結び、合併は1707年まで待つ必要が、
ヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーと1503年に結婚。


とはいえ生産は厳格な管理を受けており、飢饉の時代には、
穀物を食料とせずに蒸留に割り当てるという事実は贅沢な事で、

ウィスキーの生産は貴族の特権、つまり国王が親族に与える扶持、
となったそうで。

ですが、こうしたすべてがスコットランド人の国民的飲み物への愛着を
弱める事は出来ず、ウィスキーに対する最大の関心は税務署員によって示され、


つまり1644年「命の水」ウィスキーの生産と精製が課税対象となり始め、

スコットランドとイングランド間の政治的連合により、飲み物への税金を通じて、
全ての行われた戦争に資金を提供する様になり、

これはウィスキーのみでなく、穀類や蒸留酒も同様に課税対象と!

こういう課税方法だと、俺が飲むのは祖国の為だ!という言い訳が
出そうに思うのは、間違ってます?


そして最後、1781年に個人の蒸留が禁止され、
1816年に是正され課税が停止されても、違法な消費と生産は厳しく罰せられ、
1983年になり、漸くに英国政府当局による蒸留所での生産管理が終了した、

というので、我が国の様子は知りませんが、かなりの締め付けだったのですね。


とはいえ、これらの障害は相反する効果もあり、
スコットランド人は蒸留器と樽の隠し場所を考案する努力を!!

最も鋭敏な国務長官でも、「羊の消毒剤」と表示の樽にウィスキーが
入っているとは考えも出来ずで、ははは。

それに禁止はまた、密輸を増加させるだけだった、とは、
これはもうどの国でも、ね。

農場での蒸留で使った蒸留器

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何世紀にもわたって王室の訪問が無かったスコットランドに、1822年
ジョージ4世・1762-1830 が到着した時、

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この国王は贅沢で、無責任で利己的で、新しい形のレジャー、スタイル、
趣味のパトロンで、魅力と教養から褒めそやされたものの、放蕩な生活、
妃との関係の悪さで王家の名声が落ちた、と日本版ウィキに。

彼が乾杯したウィスキーは、皮肉にも違法品だったそうで! 
わざとやったんだぁ!


スコットランドの蒸留所を背景に。

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ウィスキーの歴史が真に「幸せ」になったのは、この時から、と。

18世紀の英国大衆によるあらゆる混乱と不穏の原因と考えられていた
ジン・ginの悪い評判とは全く異なる考察を獲得し、

というのも、大麦、ライムギ、ジャガイモなどを原料とした蒸留酒のジンは、
価格が安い代わりにアルコール度が高く、酔いが早いため、
労働者や庶民の酒、から健全なものの飲む酒ではない、とされており、

ウィリアム・ホガースの「ジン横丁」。 対しては健康的な「ビール横丁」なんですと。

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一方、ウィスキーはイギリス王室の支持享受、ヴィクトリア女王は
スコットランドで休暇を過ごすファッションを創り出し、
旅行にウィスキーのボトルを忘れる事はなく!

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ロックナガー蒸留所に「王室ご用達」の称号を与える為に、一方では
アルコール依存症を予防する為の「禁酒同盟」を大いに指示したのでした。

はい、分かりますです、ウィスキーの悪い評判が立たない様にですね。


イギリスのヴィクトリア女王と、 従僕ジョン・ブラウンの・・
https://www.italiashiho.site/archives/20201202-1.html


そしてまたその時から、大英帝国は軍艦で、五大大陸にウィスキーを
運ぶようになったのだそうで!


19世紀後半に、フィロキセラ・葡萄根油虫、葡萄の葉や根に瘤を生成し
生育を阻害、やがて枯死に至らせる昆虫で、

品質改良の為移入したアメリカ原産の葡萄樹に付着しており、抵抗力を
持っていないヨーロッパ葡萄に全滅に近い被害を及ぼし、多くの歴史ある
ワイナリーが葡萄畑と共に失われた、という疫病の広がりがあり、

ブランデー市場の崩壊を引き起こし、これはウィスキーの新しい成長に
絶好の機会を提供した、という事も起こったそうで。



20世紀幕開けには、ウィスキーはエレガントな飲みものになり、当時の
広告によると、「頭や肝臓にさえ害を及ばさない」、健康的なもので、



ダンディな国王エドワード7世・1841-1910 ヴィクトリア女王の息、の
ウィスキーに対する情熱は、さらにウィスキーの名声を高め、

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国王がそれを水で薄めて飲み始めた時、彼に仕える周囲の多くは
このシックな習慣を模倣したそうで。


よく読むのは、イギリスでは余り飲み物を冷やさないとか、氷を使わないとか。
今もそうなのか疑問ですが、はぁ、水を入れたのですねぇ、国王様が。


常に自らを再発明する能力を備えたウィスキーは、1943年には一滴も
蒸留されませんでしたが、2つの世界大戦を生き延び、

20世紀の70~80年代にかけてのブレンデッド・ウィスキーの優位性に
対抗する目的で、
ウィスキー・クリームやモルト・ウィスキー・大麦の麦芽のみで
造られたウィスキー、の導入のお蔭で少しづつ新しいスペースを獲得。


こちらはスコッチ・ウィスキーの「年代物」でしょうか?

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「スコットランド人を幸せにする」この飲み物は、今日のオークッションで
1本あたり数十万ユーロの値が着く事があるそうで!



ここでスコットランドの6州の地図をどうぞ。

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ハイランド、  

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ローランド、  

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スぺイサイド、 

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アイラ島、またはキャンベルタウンでは、

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より塩気のある、またはよりミネラル感のあるウィスキーで、
金色の色調、またはマホガニーの反射があり、

ウィスキー愛好家は、千ものバージョンの中から、お好みのウィスキーを
選択することが出来ます!と。


が、スコットランドの歴史家デイビッド・ダイチェス・
David Daiches氏が断言する様に、

すべてが、文明への乾杯、文化の継続性への賛辞、そして
自分の感覚を十分に楽しむという、人間の宣言、声明を表する、
という特徴を共有している、と。


上記したサイトの
スコッチ・ウィスキーの6つの州・Le 6 regioni del whisky scozzese

で大いに納得したのは、6つの異なる州に分けられたスコットランドの地域で、
同じ蒸留というルーツを共有しつつ、その地域の気候に大いに依存する
特徴あるウィスキーが出来上がる、という事で、

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記事に挙げられた蒸留所の名、製品名を読みつつ、またウィスキーを
ちょっぴりづつ味わいたい、という気持ちが湧きあがりました。


「ウィスキー・ツァー」なる世界でも唯一のユニークな、モルト・ウィスキーの
ツァーがスぺイサイドで行われているそうで!

ウィスキーの味わいもさることながら、英国で唯一の樽工場である
スペイサイド・クーパレッジ・Speyside Cooperageへの訪問も含まれ、
ここではウィスキー樽を作る古代技術を目の当たりに見ることが出来るそう。

そして女性が経営する唯一のカルドゥ蒸留所・Cardhuも見学可能、という事で、

読みながら好奇心旺盛なshinkaiは、サイト記事を読んで初めて、
という程に旅心を、スコットランドへの風景とウィスキーを産する土地への
大いなる興味を刺激されたのでした!

paisaje-escocia-1024x577_GF.jpg

どうぞ、右クリックして日本語訳でお楽しみくださいね!


ウィスキーは余り嗜まれない方でも、きっと、次回のチャンスには
ちょっと舐めてみようかな、と思われるかも・・!!

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