1月中旬に訪れた寒い雨のシエナで、

改めてシモーネ・マルティーニの「マエスタ」に向き合い、
彼の作品の最も著名な一作品というのみでなく、14世紀における
イタリア全体の最も重要な作品の一つと見なされる
その素晴らしさにも感嘆でしたが、
今回はそれ以上に彼が自分の作品に持ち込んでいる優美さ、
豪華さの為の表現技法、
アッシジでジオットの作品から受けた遠近法表現などを確かめつつ、
豪華さの為の表現技法、
アッシジでジオットの作品から受けた遠近法表現などを確かめつつ、
そして今回会場で知った、彼の「天使の手」なる物を始めて眺め、
マエスタの作品注文を受けた彼が28歳だった事にも改めて驚き、
若さからくる貪欲さ、強気の様な物も感じた、
若さからくる貪欲さ、強気の様な物も感じた、
今回の私自身の驚きであった「マエスタ」について、ご報告を。
上の写真に見えるプッブリコ宮の1階、左のサン・マルティーノの
礼拝堂から2つ目の開いた扉から入ると、
こんな風に周囲が回廊となった内庭があり、正面右にシエナの雌狼が
いて、その左側の下の小さな窓が、切符売り場。
いて、その左側の下の小さな窓が、切符売り場。

マンジャの塔に上がるにも、ここで切符を買い、左手前から上ります。
こちらが右側回廊で、手前に鉄柵が開いている所から入ります。

回廊突き当りの扉の内側に劇場があるのを今回知りましたが、
中程に見える顔は、アル・パチーノ。
入り口から暗めの階段を2階に上がり、
こちらが市博物館内地図。

3.イタリア統一運動の広間・Sala del Risorgimento
4.バリア広間・Sala di Barìa
5.会議室控えの間・Anticamera del Concistoro
6.会議室・Sala del Concistoro
7.礼拝堂控室・Anticappella
8. 礼拝堂・La Cappella
9.世界地図の間・Sala del Mappamondo
10.平和の間・Sala della Pace
4.バリア広間・Sala di Barìa
5.会議室控えの間・Anticamera del Concistoro
6.会議室・Sala del Concistoro
7.礼拝堂控室・Anticappella
8. 礼拝堂・La Cappella
9.世界地図の間・Sala del Mappamondo
10.平和の間・Sala della Pace
という事で、今回のシエナ行き1番の目的は n.10の平和の間の
このアンブロージョ・ロレンツェッティの「善政と悪政の寓話」
の壁画が現在修復中の、

一応の表面の汚れを落とした後の、今後の修復の対策会議の
2か月間が、一般公開されたのを見に行ったもので、
2か月間が、一般公開されたのを見に行ったもので、
現在の扉の高さの上全体に床が張られた状態で壁画を見る事が
出来ました。 ガイドの解説付きでよく分かり、
出来ました。 ガイドの解説付きでよく分かり、
本当に出かけて良かったと満足で、またご案内致しますね。
シエナのプッブリコ宮 「善政、悪政の寓意」の修復現場 公開
https://www.italiashiho.site/article/494857101.html
https://www.italiashiho.site/article/494857101.html
そして早めに行き、9. 世界地図の間でシモーネ・マルティーニに再会、
今回は軽~くアッパーカットを喰らった、という感じ!だったのでしたぁ。
今回は軽~くアッパーカットを喰らった、という感じ!だったのでしたぁ。
今回は世界地図の間、つまり大広間に直行、という感じで進み、
この好きな「聖母子像」を見たのみで! どこにあったんだっけ?

8. 礼拝堂

9. 礼拝堂控室の天井かな

こちらは礼拝堂のベンチの背、嵌め込み細工の素晴らしいもの

さてこちらが世界地図の部屋、中程から10.平和の広間の方を。

一番上の壁画もシモーネ・マルティーニで、「グイドリッチョ将軍像].
1330年作 340x968cm
1330年作 340x968cm
開いたドアから奥が見えますが、左側に仮の壁が作られ、そこの鍵付き
ドアから中に入り、階段を上がり壁画を見るようになっており、
ドアの外にはガードマン! 厳重警備でしたぁ。
ドアから中に入り、階段を上がり壁画を見るようになっており、
ドアの外にはガードマン! 厳重警備でしたぁ。
shinkaiの好きな画面右端下、御本陣というか、テント村というか・・!

大広間との間を区切る横一面の長い壁とアーチの区切り4つ。


shinkaiめは、自分の見たい物にパッと目が行き、後のブログでの
ご紹介時に、あれま、撮ってなかった、というのがいつもで、
ご紹介時に、あれま、撮ってなかった、というのがいつもで、
拝借の、こちらが大広場の北壁の「マエスタ」に向かっての方向。

今はこの写真とは照明が変わり、ソファーも壁に添って3つほどのみ。
シモーネ・マルティーニ「マエスタ」 1312-15 763x970cmの大作

「マエスタ・Maestà」とは、威厳、尊厳、気高さの意味で、
王や皇帝、陛下に対する呼び名でもあり、
王や皇帝、陛下に対する呼び名でもあり、
日本語でこの絵を「荘厳の聖母」と呼んでいる通りです。
あれこれ読んでいた時、周囲の縁にある円窓の人物や装飾に
ついてもの説明があり、ああ、ワッチは撮ってなかった、と、反省し、
ついてもの説明があり、ああ、ワッチは撮ってなかった、と、反省し、
サイトから拝借の、「マエスタ」像を。

シモーネは1312年から製作にかかったものの、約3分の2程出来た時、
一旦放棄し、
一旦放棄し、
アッシジで彼を待っていた「サン・マルティーノ礼拝堂」の仕事に行き、
結局そちらも中断しシエナに戻り、絵の下部を仕上げたそうで。
縁の円窓の下から2番目のすぐ下の位置で、視線を反対方向に
向けて見て頂くと、ちょうど聖母の玉座の下の中ほどに線が見え、
向けて見て頂くと、ちょうど聖母の玉座の下の中ほどに線が見え、
それに沿って、左右の外側の2人づつの守護聖人と内側の天使の、
衣装の色の腰の下辺りの違いが分かりますね。
衣装の色の腰の下辺りの違いが分かりますね。
円窓の中の人物の色、そして間の装飾の色にも違いが見えるのは、
帰って後に採用された描法、おもに乾式塗装による部分が、
現在は大変劣化しているのだそうで。
帰って後に採用された描法、おもに乾式塗装による部分が、
現在は大変劣化しているのだそうで。
ご存じの様に、フレスコ画というのは、下塗りをした壁の上に最後の
漆喰の下塗りをし、この表面が乾かないうちに、粉絵具を水で溶き、
描く方法ですね。
つまり1日に描ける分量のみの下塗りをし、下描きの紙に小さな穴を
開け、その上から粉絵具をたたきつけ、目安としての線描きをし、
塗って行きますが、
開け、その上から粉絵具をたたきつけ、目安としての線描きをし、
塗って行きますが、
この分量の広さを「ジョルナータ・giornata」、つまり1日分、と呼び、
描いた場所は乾くとその壁自体と同成分となり、歴史を経ても、
時に陽当たりが良すぎる場所だと色褪せしますが、
大概はしっかり残っていて、現在も見れるフレスコ画なのです。
時に陽当たりが良すぎる場所だと色褪せしますが、
大概はしっかり残っていて、現在も見れるフレスコ画なのです。
実際昔フレスコ画を小さい場面に描いた事が2度ほどありますが、
描いているうちに最後の下塗りが乾き始めると、
本当に描く色を吸い込まなくなる、というのを経験したことがあります。
描いているうちに最後の下塗りが乾き始めると、
本当に描く色を吸い込まなくなる、というのを経験したことがあります。
で、当然せっせと急いで描く訳で、仕上がりを見て、ああ、あそこ、と
画家は気になる部分を訂正したい事もあるわけで、はぁ、
その部分を、テンペラ技法で補ったりしたようなのですが、
テンペラ技法、というのは、簡単に言うと、粉絵具を卵の黄身、
または全卵、白身のみと油、と混ぜて描く方法で、
または全卵、白身のみと油、と混ぜて描く方法で、
これで描くとその時はOKでも、長い年月のうちに剥落もありうる様で、
この「マエスタ」も、とりわけ下部の描き込みに使われた場所の劣化、
剥落やらの問題がある様子なのですね。
剥落やらの問題がある様子なのですね。
この全部で見える各片側に15人、そして聖母子と全部で32名の
人物の上に広がる天幕の前の棒は、前から2列目の左右にいる
聖パオロと聖ピエトロが持っており、後ろ側も支えている人物が見え、
人物の上に広がる天幕の前の棒は、前から2列目の左右にいる
聖パオロと聖ピエトロが持っており、後ろ側も支えている人物が見え、
この前から後ろ迄の天幕の広がり、前が広く奥が狭まる、
で奥行きを出し、
で奥行きを出し、
と共に、人物も一番前は膝まづき、2列目、3列目と人物の立つ
位置が雛壇状に高くなり、幅を感じさせる、
位置が雛壇状に高くなり、幅を感じさせる、
というのが、いわばシエナ派大家の始祖の位置にある、ドゥッチョには
なかった大きな違いなのですね。
なかった大きな違いなのですね。
「マエスタ」には中央の聖母子の他に30名もの人物が並びますが、
どの人物が誰なのか、
会場の画面右下にこのような説明板があり、

それによると、聖母子の頭の高さに並ぶ、
つまり下から3列目以上の人物の名は不明で、
1. 聖母子
ここから下から2列目の、左から
2. 聖パオロ 剣を持ち、顔が擦れ、
3. 大天使ガブリエレ 青い衣、青い羽根
4. マリーア・マッダレーナ 香油の壺
5. 福音者 聖ジョヴァンニ 福音書を手に
2. 聖パオロ 剣を持ち、顔が擦れ、
3. 大天使ガブリエレ 青い衣、青い羽根
4. マリーア・マッダレーナ 香油の壺
5. 福音者 聖ジョヴァンニ 福音書を手に
右側に
6. 洗礼者 聖ジョヴァンニ・バッティスタ 毛皮の衣
7. 大天使 聖ミケーレ 手に百合の花
8. 聖ピエトロ 天国への鍵を手に
6. 洗礼者 聖ジョヴァンニ・バッティスタ 毛皮の衣
7. 大天使 聖ミケーレ 手に百合の花
8. 聖ピエトロ 天国への鍵を手に
左側 前列 膝まづく
9. 聖アンサノ シエナの守護聖人
10. 聖サヴィーノ シエナの守護聖人
11. 天使
9. 聖アンサノ シエナの守護聖人
10. 聖サヴィーノ シエナの守護聖人
11. 天使
右側 前列 膝まづく
12. 天使
13. 聖クレシェンツィオ シエナの守護聖人
14. 聖ヴィットーレ シエナの守護聖人
12. 天使
13. 聖クレシェンツィオ シエナの守護聖人
14. 聖ヴィットーレ シエナの守護聖人
他に、上の列、聖母子の左に、聖ウルスラ と、
右に アレッサンドリアの聖カテリーナ が。
右に アレッサンドリアの聖カテリーナ が。
玉座の聖母子像の様子は、



聖母はどこも、誰にも視線を合わせず、左腕膝の上に幼児の
キリストを抱き、
キリストを抱き、
背後に見える玉座の金装飾の素晴らしさ!!
シモーネ・マルティーニが、とりわけ魅かれたアルプスの北、当時の
フランス・ゴシック装飾の素晴らしさを取り入れたもので、
フランス・ゴシック装飾の素晴らしさを取り入れたもので、
パンチと呼ばれる、当時のシエナの優秀な金細工師の技法に
詳しかった彼が同じ技法で、金箔に打ち込んだものだそう。
詳しかった彼が同じ技法で、金箔に打ち込んだものだそう。
これは勿論シエナの顧客たちの高級志向に合わせたのでも
あったでしょうが、経済的にも繫栄していたのを示すものと。
あったでしょうが、経済的にも繫栄していたのを示すものと。
幼児キリストが手にしている紙、これは実の羊皮紙を貼ったもので、
書いてあるのは、
«DILIGITE IUSTITIAM QUI IUDICATIS TERRAM»
地を裁くあなた方、正義を愛しなさい と。
«DILIGITE IUSTITIAM QUI IUDICATIS TERRAM»
地を裁くあなた方、正義を愛しなさい と。
つまりこの画はかなり政治的、世俗的な性質も持っており、
描かれた人物は宗教的ですが、
描かれた場所が、一番政治的、世俗的な市庁舎であり、
シエナ市民へのメッセージを伝えているのでしょうね。
シエナ市民へのメッセージを伝えているのでしょうね。
で、shinkaiが、あれこれ気になった装飾細部、描き込みを
探りますが、
探りますが、

聖母の衣装はオリエンタル調の織物の柄だそうで、
聖母の王冠は形が見えますが光っておらず、きっと本来は
燦然と光を放っていた筈と思うのと、
燦然と光を放っていた筈と思うのと、
胸元に丸くぷっくりと光るガウンの留め金、
幼児キリストの光輪、背後のあちこちに散りばめられた光る菱形、
光線の加減により黒くも見える形は、前を動くと光り、
聖母の胸元には何が?! と俄然興味を持ってアップし、
現在風に言うと、猫ちゃんの首の鈴式!に光るぷっくりで、

私めは金属かと思ったのでしたが、クリスタルなのだそうで!
そして幼児の光輪に、背後に光るものは、ガラスの嵌め込みと!
聖母子を始め、聖人たちの光輪は縁を見ると、かなりの厚さに
盛り上げられており、
これだけ光るというのは、金箔もかなり厚く貼られているのだろうと。
で、聖母の、形のみが残って見える王冠と、
こちら前部で花や果物を捧げる天使の器をどうぞ。

所々光りますが、これだけ剥落したのは、きっと金属を貼り付け、
はい、シモーネは金属片の貼り付けもしており、
その上から塗ったものと想像。
それにしても器の右背後に見える柄が、なんとなしに後世の
ウィーンのアール・デコ調で、クリムトを思わせません?!
ウィーンのアール・デコ調で、クリムトを思わせません?!
2人の画家の間には6世紀程もの隔たりがありますが、
絵画の中に装飾要素を豊富に持ち込んだ、という点では
相通ずるものを感じますね。
絵画の中に装飾要素を豊富に持ち込んだ、という点では
相通ずるものを感じますね。
そして「マエスタ」像の装飾美を確かめていて気が付いた
画面右下の説明板に、シモーネの「天使の手」とあり、
この様な写真と共に、かなりの説明が付いているのを撮り、

絵の上部にある、というので見まわし探したものの見つからず。
「世界地図の間」というのは勿論この部屋の事、と思うものの、
見つからずで、隣の部屋やその奥も確かめに行ったものの
見つからずで、どこにあるんやぁ、と
見つからずで、隣の部屋やその奥も確かめに行ったものの
見つからずで、どこにあるんやぁ、と
戻って来てふっと見上げると、あったぁ!!

ほら、絵の前から1本前の梁の、左右に下がっているでしょう、
はい、これがシモーネの「天使の手」なんですと!!
絵の前と言われると、絵のすぐ前を探し、無い無い、だったのですが、
はい、梁1本前の天井から、高さ約10mの位置に下がった手で、
はい、梁1本前の天井から、高さ約10mの位置に下がった手で、
こちらが向かって左の手で、

つまり広間に向かって、左右の手の指を軽く握り、人差し指が
奥側に延びる形なのですが、折れていて、
こちらが向かって右手の形ですが、斜め後ろから撮っていて、
前から撮っておらずで・・!

これは説明板にあった写真で、天井の梁に取り付けられた様子。

説明文を撮った写真の半分が酷くブレており、情けない、
読めずですが、半分は読めましたのでご説明すると、
読めずですが、半分は読めましたのでご説明すると、
奉納のランプを吊るす2本のロープ、または鎖の上げ下げを
支える手、天使の手、としての役割を果たしていたもので、
支える手、天使の手、としての役割を果たしていたもので、
側壁の近くに多くの滑車が存在し、ロープを動かし、
このロープが天使の掌中をスルスルと滑り、
このロープが天使の掌中をスルスルと滑り、
奉納のランプが絵の前で上下した様子、を想像下さいね!
はい、この絵の前で、宗教的祭日、シエナの町の祭日に灯が
上下し、観衆を沸かしたのだろうと想像しますが、
上下し、観衆を沸かしたのだろうと想像しますが、
残念ながら、長年にわたり引き起こされた摩擦で、両手の
人差し指が失われ、そのまま使われなくなったのだそうで。
人差し指が失われ、そのまま使われなくなったのだそうで。
はい、掌に擦れた跡が見えますね。
この2本の腕は、クルミの木の丸太を半分に割り、梁に接着する
部分を少し四角くしたもので、上の写真には滑車も写っており、
多彩色に塗られ、掌を丸めた形もすらっと美しく、
11個の小さなブリキの袖のボタンもあるのだそうで・・。
11個の小さなブリキの袖のボタンもあるのだそうで・・。
という様な、シモーネが作った、おまけの「天使の手」でしたが、
わぁお、ここまで顧客に、はたまたシエナの観衆にサーヴィスする精神、
というのも凄いなぁ、と思った事でした。
というのも凄いなぁ、と思った事でした。
皆さんも次回にシエナ、プッブリコ宮ご訪問の時は、是非是非
「シモーネの天使の手」の見物をお忘れなく!!
「シモーネの天使の手」の見物をお忘れなく!!
天井の格子はこんな柄で装飾されており、


白と黒のみでなく、白の中に赤で明暗の形を作っており、
こちらは床の石の減り具合。 はい、700年の減り具合。

広間の東に面した窓ガラス、彩が可愛いでしょう?!

ふっと開いていた窓から眺めると、奥に、訪問したばかりの
サンタ・マリーア・デイ・セルヴィ聖堂が見え、おお!
サンタ・マリーア・デイ・セルヴィ聖堂が見え、おお!


という、シエナのプッブリコ宮、シモーネ・マルティーニの「マエスタ」
のあれこれのご案内でした。
シエナ サンタ・マリーア・デイ・セルヴィ聖堂と、パリオのお話
https://www.italiashiho.site/article/497600507.html
https://www.italiashiho.site/article/497600507.html
2018年5月、春たけなわのオルチャの谷、シエナのクレーターを
巡り、その戻りにシエナに10年振りに寄り、
巡り、その戻りにシエナに10年振りに寄り、
その時驚いたのが、プッブリコ宮のゴシック様式で埋め尽くされた
フレスコ画の壁で、えぇ、こんなにゴシック満載だったっけ?!と、
フレスコ画の壁で、えぇ、こんなにゴシック満載だったっけ?!と、
その時「シエナ」に対し、新しく目が開いたのだろうと思います。
n.4 シエナのプッブリコ宮 内部の1
https://www.italiashiho.site/archives/20200407-1.html
https://www.italiashiho.site/archives/20200407-1.html
n.5 シエナのプッブリコ宮 内部の2
https://www.italiashiho.site/archives/20200410-1.html
https://www.italiashiho.site/archives/20200410-1.html
n.1 シエナのプッブリコ宮 ・ ロッジャ・ディ・ノーヴェ
https://www.italiashiho.site/archives/202003-1.html
https://www.italiashiho.site/archives/202003-1.html
n.3 シエナのプッブリコ宮 と カンポ広場
https://www.italiashiho.site/archives/20200404-1.html
https://www.italiashiho.site/archives/20200404-1.html
n.2 マンジャの塔 シエナ
https://www.italiashiho.site/archives/20200401-1.html
https://www.italiashiho.site/archives/20200401-1.html
シエナ点描 小路と、黄昏どき
http://www.italiashiho.site/archives/20180626-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20180626-1.html
そして今、シエナがフィレンツェに下った際のあれこれを知るのに
すっかりはまり込んでおり・・!
その内に「シエナ頑張れ!」式に賛歌を歌い出すかも、がはは、
のshinkaiで~す。
のshinkaiで~す。
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