・ 海賊同士の「マテロタージュ」と、 7人の悪名高い女海賊の生涯は

人物、行動を描いた月刊雑誌で、申し込むと毎週土曜に
メールで月間本誌の記事内容のお知らせが届きます。

そのメールから、私めは興味を持つお勧め記事に飛び、
有難く読み、恩恵にあずかっておりますが、

2年前の10月1日に届いた冒頭記事が
「マテロタージュ・Matelotagè, 海賊同士の愛と友情」というもの。

言葉自体も勿論知らず、考えた事も無かったので、これは何?!と
好奇心を駆られ読み、へぇ~、だったのでしたが、
   
これはその時の本誌記事、カリブ海のハイチ北部の「タルトゥーガ島」、
17世紀後半に西インド諸島の沿岸を荒らした海賊たちの天国と
なった島、そしてその統治についてのいわば前書きだったものと。

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つまり17~18世紀にかけての男性が支配する海賊の世界で、
船乗りたちは仲間と強い絆を築き、仲間は遠く離れた新しい
家族となり、

怪我や病気の場合にお互いの世話をするという約束と、戦利品を
平等に分かち合うという義務において、2人の男性を結ぶ一種の
契約で、

当初はこの合意にロマンチックな意味が無かったにせよ、船上での
多数の同性愛関係が、最終的に一部の船員にとって一種の
法的組合となった、のだそうで、

もし死亡した場合には資産を相手に遺贈する事が出来るという。

このタイプの関係は地球上では殆ど知られておらずとも、女性が
ほぼ完全に排除された環境では珍しい選択肢ではなく
フランス語のmetelot・船乗り、から来る「マテロタージュ」は、
海や陸からの襲撃で冒険や不幸を分かち合う多くの事実上の
カップルの法的カバーとなった、と。

で、古代ギリシャの様に、これらの関係はしばしば不均衡であり、
ベテランは愛人としての彼の引き換えに、仕事を教えた少年を選び、

同性愛的な意味合いは別として、マテロタージェは当事者間の
単純な口頭協定ではなく、

私生活の多くと同様に厳しく規制されており、乗組員が同意した
基準に従わねばならなかった、拘束力のある契約であったと。

とはいえ、これは海賊が支配する港と、その船上のみで認められている、
犯罪者間の違法な同意ではあったのですね。

で、いずれにせよ3年以上続く事はなく、殆どの場合、各当事者は
いつでも契約を破る事が出来たのだそうで。

それに例えば、1645年にトルトゥーガ島の新しい総督が、
フランスから1500人(1650人とも)の売春婦を連れて来て、
島での同性愛関係の増加を止めさせた、という例もあり!

トルトゥーガ島の位置は、

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その機会に多くの乗組員がマテロットを放棄し、これらの女性の
1人と結婚する機会を得たり、

また17世紀最後の数年間は、ジャマイカとトルトゥーガの港は
海賊に対し閉鎖されたり、

18世紀の初めには海賊の黄金時代は終わり、その慣習や制度は
全て衰退したそうで、

そして300年後になり、デンマークで同性婚が合法化され、
1989年10月1日、40年間の関係の後エイギルとアクセル・
EigilとAxelが史上初の同性結婚を!


という記事ご案内でしたが、読んだのち例により興味を持ち
ちょっと検索すると、まぁなんとたくさんの記事がヒットし、

中には、海賊は男だけの世界ではなく、末代まで悪名高く
残った有名女性海賊もいたんだぜぇ! というのもいくつかあり、
 
7人の悪名高い女海賊・Sette famigerate donne pirata

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この記事を参考に、女海賊たちの生涯と行動をご案内致しますね。

日常生活からひととき離れ、かっての冒険と危険に満ちた
世界探訪にお出かけを!


女性が海に出る事は歴史上珍しい出来事と思われるかもですが、
必ずしもそうではなく、

多くはその時、場所、文化、そして明らかに状況に依存し、
例えばヨーロッパの船長や士官の妻が、商戦で夫の海上に同行、
という事もあり、

軍艦に徴兵された夫の妻たちは、軍艦にこっそり乗り込み、
公海上に出て初めて姿を現す、とか!

女性が客席乗務員に変装し、商船の同伴者を欺いた、という
歴史的な事例もあったそうで。

最後の例としては、男性と一緒に海で働く女性もいて、何世紀
にも渡り、海上で漁や捕鯨をする船では女性の姿は珍しく無かったと。

イギリス海軍の戦艦には、女性の使用人が乗船している事が多く!

一部の文化圏、特にアジアでは、女性は船員であるだけでなく、
漁船や商戦の船長も務めていたそうで。

これらの女性船員の内、何人が海賊になったかとなると難しく、

例えばカリブ海の多くの海賊は、性的行為や暴力行為を巡る
口論を避ける為に、女性と客室乗務員の船への乗船を
厳しく禁止する規則を設けていたそうで。

とはいうものの、我々は伝説、通俗物語、歴史的事実
(裁判文書の情報源により証明されている)から、
女性海賊に関する幾つかも具体的事例を挙げる事ができ、

また海賊船には海賊の妻も乗せていた事もわかっており、彼女達は
戦闘に参加しなかったため、夫が捕らえられた時にも裁判には
かけられなかったそうで、

最後に、個人的利益の為、または国家の利益促進のため、
海賊行為を行う男性に金を払った女性が主権者であったことも。

とありますが、即、これは想像理解できますよね?

そう、その一番の大物は、かの大英帝国の祖となられた、
エリザベス女王1世。

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という事で、いよいよ7名の女海賊の紹介ですが、時代順に。


1.テウタ・Teuta  紀元前3世紀

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テウタは西バルカン半島のイリュリア族であるアルディエイ・
Ardieiの女王で、

と読んでも、shinkaiには一体どの辺りかも見当が付かず、ウィキの
イタ版にあった地図を調べたり、ホンマに実在の、と改めたりで・・!

で、どうやらイタリア半島東側、アドリア海沿岸の最南端の海向こう、
現在のアルバニアに位置していた様で、これで正しいのかな?

で、かなり詳しい歴史が残っているのは、アドリア海で海賊行為を
しており、ローマとの衝突、交渉などの記録が、という様子で。

つまり、彼女はアグロン(紀元前231年)の2番目の妻で、
王の死後義理の息子ピンネの摂政となり統治。

亡き夫の攻撃的な外交政策を引き継ぎ、高速軽量船艦隊で
アドリア海の海運を攻撃、

ローマ人は大使を派遣し、海賊行為の停止を交渉したものの、
を、紀元前2世紀のギリシャの歴史家ポリュビオスが書き残しており、

が、当時は戦争行為と海賊行為の区別が余り無く、テウタの船は
商船も、連合海軍の軍事目標も攻撃しており、

テウタはローマ大使に、臣民の海賊行為を阻止する事は出来ない、
なぜなら海賊行為は彼らが常に行ってきた活動だから、と語ったそう!

おまけに派遣したローマの大使数名も殺害され、229年にローマは
宣戦布告したと。

で、第一次のイリュリア戦争ではローマが勝利をおさめ、
テウタはファロスのデメトリオスに裏切られ、彼は義理の息子
ピンネの後見人ともなり、彼女は隠居。

後にローマと平和条約を結び、定期的な貢納、2隻以上の
海賊船が現アルバニア北部以南を航行しない事を約束した、と。


うう~ん、紀元前にも海賊船を護り働かせていた、という、
後の英国エリザベス女王1世並みの、主権者がいた、という事で!



2. アルウィルダ・Alwilda  5世紀

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この肖像は19世紀に描かれた時代考証も何もない事をお断りし、

名前のアルウィルダも、アウィルダ、またはアルヴィルダとも
呼ばれる、現在もスウェーデンの伝説に残る女海賊。

彼女については、1185-1208に活躍したサクソン人聖職者
グラマリオン・Grammatico・伊 が書いた「デーン人の冒険」に。

5世紀にスカンジナヴィアの王女アルウィルダは、デンマーク人の
アルフ世継皇太子・Alfとの見合い結婚を拒否し、

男装し、最も信頼できる仲間たちと出航、船長を失ったばかりの
海賊団と出会い、彼らは彼女に新船長の理想的な人物を見出し!

海賊行為が得意な彼女は、バルト海での船の追跡で大混乱を
引き起こし、デンマーク王国は彼女を捕まえる為に軍隊を送るも、
そのデーン人を率いるのに選ばれたのが、アルフ王子!

アルウィルダとその海賊達はフィンランド湾で見事に防御したものの、
アルフは勝利したのみならず、その勇敢な男性的な男に感銘した
アルウィルダの愛情も勝ち取り、はいはい、

2人は結婚し、アルウィルダは最終的にデンマーク女王になりましたとさ。



はぁ、何やら最近のフレデリック10世デンマーク新国王戴冠と、
オーストラリア出身のマリー女王のお話に重なる様で、
はい、おめでたい事でございましたぁ。

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いやぁ、お2人の結婚前の逸話の映画を見て後、本物の皇太子を
拝見し、映画の中の彼よりもずっ~と優しそうな美男なのに
本当に驚いたのでしたぁ、ははは。



3.グレース・オマリー・Grace O'Malley 1530~1603年頃

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グレース・オマリーは1530年頃アイルランドのコンノート生まれ。

多分船上生活での便宜上短い髪をしており、そこからグラヌアイユ・
大胆な、という仇名が付けられ、アイルランドの民間伝承で、
彼女は不滅になったのだそう。

彼女の父親はクルー湾近くで活動していた船長で、子供の頃父親の
船を襲った鷲の巣を破壊していた時、鷲が彼女の額をひっかき、
彼女は生涯その傷跡を残していたそうで。

16歳でドナル・オフラハティと結婚、ブノウェンにある彼の城に
住んでおり、3人の子がいたのが、夫が亡くなると、当時の女性は
財産相続が出来ず、引っ越しを余儀なくされ、

それでグレースは海賊行為に手を出し、父親の艦隊20隻を指揮し
商船の積み荷を略奪、ピストルとサーベルで白兵戦を戦ったのだそう!

彼女は合法的な貿易にも船を使用していたものの、海賊行為と徴収した
貢物で告発され、

英国海軍は軍艦を派遣し、グレースは何度も撃破したものの、

グレースの艦隊は、多分1566年に結婚した2番目のアイルランド人夫
リチャード・バーク・Richard Burke のアドバイスに従い、

エリザベス1世女王に仕え、時折航海するように。

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1577年グレースはデスモンド伯爵の邸宅を攻撃中捕らえられ、
イングランドとアイルランド間の紛争が激化する中、リムリックで
18カ月間投獄されたと。

1593年9月、おそらく息子1人の釈放を交渉する為に、
エリザベス女王に謁見を許され、多分アイルランドにおける女王の
政策支援のために艦隊を与えた事に対し、
褒美として定期年金を受け取るようになったり、

グレースの息子ティボット・Tibbotがナイトに叙爵、セオボルド卿・
Theobold卿となった事で、両者の友情は更に強まったそうで!

グレースの艦隊は1597年に活動に戻り、彼女はメイヨー州の
ロックフリー城・Rockfleetで、1603年おそらく老衰で亡くなったと。

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伝説では、グレースは9トン以上の金の宝物を埋めたのが、
呪いにより守られており、未だ見つかっていないそうで、はい。



4.アン・ボニー・Anne Bonny   1719~1720に活動

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アン・ボンニーとも呼ばれる彼女はアイルランドに1690~1700年
の間に生まれ、カリブ海の海賊としての悪名を響かせましたが、

1719年夫と別れ、キャリコ・ジャック・Calico Jackとして知られる
愛人のジョン・ラッカムと共に出帆。

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乗組員の中にはメアリー・リード・Mary Readという、これまた
名の残る女性海賊もおり、この3名の名が今も残ります。


ボニーは少なくとも戦闘中は男装しており、海賊として彼女らは
重大な行為を犯してもおらず、

つまりボニーが有名になった唯一の本当の理由は、
男性のみの海洋犯罪の世界で、女性であるという事で!

彼女は誰にも自分を貫く事が出来、必要な時にはピストルを
持って勇敢に戦う事も出来た様で、

ボニーとラカムには息子が出来たものの、キューバで生まれると
すぐに捨てた、と!

1720年11月にジャマイカ近郊で当局に船に乗り込まれた際に
捕らえられ、抵抗したのはボニー、リード、そしてもう1人だけで、
ラカムと他の乗組員は酔っぱらっていたそうで、・・なちゃけない!

海賊行為で裁判にかけられ、彼女は有罪となり絞首刑の判決を
受けたものの、彼女が妊娠している事が判明し、執行は延期に。

ラカムは絞首刑に処せられたものの、ボニーは彼に優しい言葉ならぬ、
「もし男らしく戦っていたら、犬の様に絞首刑にはならないだろう」と。

ボニーの処刑は最終的に実行されず、残りの生涯については殆ど
知られていない、という事ですが、

名の残る大きさに比し、活躍は短かったのですねぇ。



5.メアリー・リード・Mary Read  1721年没

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メアリー・リードは、いくつかの情報によると1690年頃生まれとも、
他の情報ではそれより10年前とも、多分イギリスのプリマス生まれ。

メアリーの長兄は幼くして亡くなったのを、母親は亡き夫の母親から
経済援助を受け続ける為に、メアリーに兄のふりをさせたそうで!

こうして男装する習慣の付いたメアリーは使用人として雇われたものの、
海での生活がより多くの機会と冒険をもたらすだろうと決心、

変装したまま海軍の艦船に乗船、その後陸軍に入り、対フランスの
9年戦争(1688~1697)に参加。

ここで彼女は騎兵将校と恋に落ち、2人は軍隊をやめ、オランダで
「スリー・ホース・シューズ・3頭の馬の靴?」なるパブを経営。

が、リードの夫が亡くなり、パブは破綻。 彼女は船の乗組員に加わり、
新しい生活のためカリブ海に!

船員の1人に恋をし、別の船員から決闘を申し込まれ、ヤヤコシイ!
彼女は決闘の為に剣とピストルで彼を殺し、

その後リードの船は海賊に拿捕され、1717年に海賊に加わりますが、
自発的にか、殺害の脅迫を受けてかは不明なものの、
多分これがジョン・ラカムの乗組員に加わった経緯だろうと。

そして女のもう1人の乗組員のアン・ボニーと同様に、戦闘では
男物の服を着用して他の海賊たちと戦ったのは、
裁判中の証人にも報告されているそうで。


弱小海賊のリード達は、武装が不十分な小型商船で輸送される
煙草等商業貨物を狙っていたものの、

1720年11月、上記の通りボニーとラカムらと共に捕らえられものの、
2人の女性ともう1人の男性以外誰も抵抗しなかった、酔っ払って出来ず。


ジョン・ラカム、アン・ボニー、メアリー・リードの裁判の通知。

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ある目撃者によると、彼女らは2人とも自堕落で、悪口を言いあい、
船内であらゆる役割を果たしていた、と述べたと。

ボニーと同様、リードも裁判にかけられ有罪、絞首刑の宣告を
受けたものの、妊娠していたため延期となり、
1721年に刑務所内で熱病のため死亡と。 

カリブ海の2人の女性海賊。

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世の底辺に落ちて行った女性達の哀れさ、を思います!



6.マリア・リンゼイ・Maria Lindsey   18世紀初期

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伝説的な英国人女性海賊マリア・リンゼイは(コブハムとしても知られる)
エリック・コブハムが既に有名な海賊だった時ポーツマスで出会い、
海賊同盟を結び、

彼らは18世紀初頭、西大西洋のブレトン岬周辺の海域を巡行し、
主として貴重な毛皮を運ぶ船に興味を持っており、

捕らえられた船員に残虐な行為を加えた事で知られ、犠牲者の中には
袋の中に縛られて海に投げ込まれた人もおり、

マリアはライバルの船長を刺し、捕虜をピストル練習の標的にしたそう。

海賊行為で富を築いた後、コブハム家はル・アーブルにある宮殿の様な
邸宅と船を購入、より立派な生活を送り始めます。

とはいえ、ある日渡航中に彼らは昔の習慣に戻り!、2本マストの帆船
ブリッグ船を拿捕、乗組員を殺害、ボルドーで転売を。


しかしコブハム家はすぐに立派な雰囲気を取り戻し、エリック・コブハムは
地元の判事にさえなりますが、

マリアはアヘンチンキの中毒となり、崖から転落の自殺という最後に。


この記事は参考サイトにあった様に、余り彼女の残酷さを詳細にはして
おりませんが、

見つけたサイト、日本語に翻訳し「カナダの海賊女王」なる記事には
詳細に説明しており、

カナダのニューファンドランド島の西海岸、セント・ローレンス湾に
本拠を置き、カナダの船員たちを震え上がらせた、という
彼女のあれこれの逸話が。 興味のある方どうぞ。


こちらは1717年に作成されたカナダ大西洋の地図で、真ん中の黄色が
ニューファンドランド島。

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7.ジェン・イーサオ・Zheng Yi Sao  1844年没

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さて7人の有名な女性海賊の最後を〆ますのは、19世紀初頭の
シナ海に出没した巨大な海賊船団の司令官のお話で、

彼女はチン・シーとしても知られ、
亡き夫鄭義・ジェン・イーの跡を継ぎ、海賊船団を更に拡大し、

7万人を乗せた800隻以上の船とし、それぞれが異なる色の旗を掲げた
6つの艦隊に編成された、のだそうで!


標的とされたのは主に広州やマレーシアとの間で絹、香辛料、
磁器等を運ぶ商船で、

獲物の中には外国船も含まれており、その船員は身代金が払われる迄
捕虜となる事が多く、

海岸沿いの集落は定期的に残忍な攻撃を受けたそうで。

チン・シーによるこの海域支配は広範囲にわたる為、船長達は
保護費を支払う事を余儀なくされ、
海賊の攻撃を逃れる事を保証する通行証を購入する始末で、

軍の艦隊ですら歯が立たず、1808、09年には艦隊を3隻撃破したそう。

ジャンク船

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女性達は誘拐されたく無く思っていたが、チン・シーの乗組員により
捕らえられた女性達は他の場所よりも手厚い保護が提供され、

記録と規制に細心の注意を払うチン・シーは、海賊が捕虜の女性に
性的虐待する事は、死刑を条件に許可しなかったそうで、偉い!

チン・シーの恋人で、紅旗艦隊司令官の張寶・チャン・パオにも困難が、
というのも、

100隻の黒旗艦隊の司令官クオ・ポタイは、チャン・パオの高い役割に、
またチン・シーの愛情を独占している事にも嫉妬していただろう彼との
問題に、1809年12月に艦隊同士の決戦が始まりそうになり、

海賊同盟の崩壊に直面したチン・シーは、海賊同盟を終わらせる事を決意、

大司令官は果敢に広東に出航し、1810年知事からの恩赦を交渉。

その後ジェン・イーサオ(チン・シー)は、チャン・パオと結婚し、
1844年に亡くなるまで密輸に従事したそうで。


こうして7人の女海賊の生涯を読んでくると、最後のチン・シーが
海賊ながらあっぱれ、さすが大艦隊を指揮するだけの人柄だった、と
感心したりですが、ははは、

多くの人が男性、女性の両方で、史上最も偉大な海賊である、
と考えています、とのサイト記事の〆にありました。


今も時々中近東や南シナ海辺りで出没しするらしい海賊船で、
海の生活は当時とあまり変わっていないのかも、ですね。

長いお付き合い、有難うございましたぁ!!


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posted by shinkai at 03:16Comment(0)・欄外