ミラノで開催されたジョヴァン・バッティスタ・モロー二展
の様子を、先回に続きご覧下さい。
の様子を、先回に続きご覧下さい。
先回ご案内した全身黒ずくめの男性像も少し残るものの、
鮮やかに着飾った女性肖像や、男性達も見事な色の
着こなしを見せて下さりで、
鮮やかに着飾った女性肖像や、男性達も見事な色の
着こなしを見せて下さりで、
単なる気難しい肖像画に対面するのとは違う、各人が
見守る我らの対面から、
見守る我らの対面から、
こんなのどう? どんな様子に見える? で?等と
話しかけてくる様子が一段と感じられる肖像画、の数々をどうぞ!
話しかけてくる様子が一段と感じられる肖像画、の数々をどうぞ!
まず最初に、ジョヴァン・バッティスタ・モロー二(1520-1579)
は肖像画同様に宗教画にもすぐれた作品を残しており、
その内の1枚 サンタ・カテリーナの神秘の結婚 1568-70作
このサンタ・カテリーナは、シエナのカテリーナ・白薔薇を持ち、
白と黒の僧衣ではなく、
白と黒の僧衣ではなく、
荷車の車輪と手に持つ王冠、そしてマリーア様の頭にかかる
花嫁のヴェール、が、アレクサンドリアのサンタ・カテリーナを示し。
花嫁のヴェール、が、アレクサンドリアのサンタ・カテリーナを示し。
キリスト教に改宗し、夢の中で、聖母マリーアが幼子キリストと
婚約させた、という幻視体験をし、
婚約させた、という幻視体験をし、
聖母の被る薄いヴェールがたなびく様子! 幼子キリストに
カテリーナを指さして示す様子。
カテリーナを指さして示す様子。
全体の色調がしっとりと落ち着き、彼の絵の師モレット・Morettoの
描いた同様のテーマと比べ、
描いた同様のテーマと比べ、
登場人物が3人に絞られ、師のは多数、で、如何にも
「神秘な結婚」主題に相応しいと。
「神秘な結婚」主題に相応しいと。
モロー二展の予告、彼本人、そして会場風景などのお知らせは、
画家ジョヴァンニ・バッティスタ・モロー二、の「仕立て師」をご存じですか
https://www.italiashiho.site/article/502194185.html
先回ご覧頂いた黒い衣装の男性達の肖像画は、
1550年代に流行したスペイン風の衣装で、その時代に描かれた
作品でもあったのですが、
今回もまだ男性達の衣装は黒が残り、
ジョヴァンニ・アントーニオ・パンテーラ・Giovanni Antonio Pantera
詩人 1558-60頃の作
詩人 1558-60頃の作
読書中にふっとこちらを見、という感じで、本のページに指を挟んでおり、
Monar di Christo・「我らの主イエス・キリストの君主制」と読める
手に持つ本を著したのが、上記名の方、という事ですが、
手に持つ本を著したのが、上記名の方、という事ですが、
この作品はジャン・ルイージ・セラドバティ・Gian Luigi Sradobati
と、今回の展覧会場では示されており、
と、今回の展覧会場では示されており、
整理で気が付いた、写真禁止の印付き! 会場内は大変鷹揚で
他にも何枚か! フィレンツェのウッフィツィからの出品でした。
他にも何枚か! フィレンツェのウッフィツィからの出品でした。
そしてこちら2枚は、横の掲示を撮っておらず・・、
この紳士の示す意味など、知りたかったのに。
こちらは足元まである肖像で、優しそうな雰囲気が素敵でしょ?
で、この女性像。 余りにも緻密な描き込みに驚き、掲示を撮らず。
髪にも飾り、リボン、首の高いフリル、ブラウスの繊細な刺繍、
赤い上着もお高い柄布、そしてこのたくさんの装飾品!!
赤い上着もお高い柄布、そしてこのたくさんの装飾品!!
描いたモロー二が気の毒になる程の、いっぱいいっぱいの装飾品を
身に纏い、モデルになったこの女性。
裕福な貴族の奥方でしょうが、でもこんなの全部身に着け描かせ、
見せびらかせたい女性など・・、
あなたお好き?! と思ったのでしたぁ!
この目つき! ・・ ははは、失礼をば。
で、こういう細かい装飾品も描く画家モロー二には、工房に
細部を描かせる弟子がいたんだろうか? どの位の時間が
掛かったんだろう? 等などと、疑問も湧いたのでしたぁ。
細部を描かせる弟子がいたんだろうか? どの位の時間が
掛かったんだろう? 等などと、疑問も湧いたのでしたぁ。
こちらは有名な イゾッタ・ブレンバーティ・Isotta Brembati
(1533-1586) ベルガモの貴族家出身、詩人 1554-57年頃作
(1533-1586) ベルガモの貴族家出身、詩人 1554-57年頃作
制作年から計算すると、この彼女は21~24歳位ですが、
落ち着き、ゆったりと。
落ち着き、ゆったりと。
shinkaiめは、この白とピンクのフワフワのぷっくりが、バッグかな、
と思っていたのでしたが、
はぁ、扇、なんだそうで! これで仰ぐと、温かい香水の香りが
ふわ~っと届きそう、と思われません?
彼女はいわゆる才女で、ラテン語、フランス語、スペイン語を話し、
音楽と歌にも深い知識を持ち、
音楽と歌にも深い知識を持ち、
出身家、そして後にベルガモの重要な貴族家との再婚は、
彼女の能力を公にする機会となり、当時の貴族が集まるサロン
として有名だったと。
会場の展示はこんな風で、右に見えるのも彼女の肖像で、
はい、確かに見たのでしたが、撮っておらずで、サイトから拝借を。
こちらはやはりモロー二の描いた彼女で、制作年が1550-55年、
だと、彼女は17~22歳となり、
髪の装飾に真珠がある事などからもセッコ・スアルディ・Secco Suardi
との結婚後の姿であろうと。
彼女はこの結婚により4人の子をもうけますが、その後夫が亡くなり
未亡人で過ごします。
未亡人で過ごします。
で亡き夫の妹が亡くなり、寡となったジャン・ジェローラモ・グルメッリ・
Gian Gerolamo Grumelli(1536-1610)と1561年に再婚を。
Gian Gerolamo Grumelli(1536-1610)と1561年に再婚を。
で、展覧会場の様子はこんな風で、右にイゾッタ・ブレンバーティの
肖像があり、真ん中の大きな肖像がジャン・ジェロラモ・グルメッリ、
という配置になっておりました。
肖像があり、真ん中の大きな肖像がジャン・ジェロラモ・グルメッリ、
という配置になっておりました。
そうなんですよね、出品作品、その背後関係を知っている方には、
ああ、この人、この方ね、と大いに納得できたでしょうね、という・・。
ああ、この人、この方ね、と大いに納得できたでしょうね、という・・。
はい、この肖像画は、描かれた主の名でも勿論呼ばれるものの、
「バラ色の騎士」と言う名でも有名な様子で!
1560年作 216x123cmの大作。
このバラ色はピンク色とは違い、コ-ラㇽ・ピンクというのか、
当時24歳の彼の頬の赤さがなお目につく、はは、
当時24歳の彼の頬の赤さがなお目につく、はは、
それにしても何とも見事な色と布地の豪華さで!
描かれたのが1560年で、1550年代の黒一色の流行とは
変わって来ており、このスタイルもまたスペイン風とはいえ、
さぞ人目を引いた事でしょうね。
変わって来ており、このスタイルもまたスペイン風とはいえ、
さぞ人目を引いた事でしょうね。
これはピン甘でよく見えないのを先にお許し願い、
半ズボンに合う、長ストッキングをはいた姿で、リボン飾りの
ついたストッキング止めをつけ、 男性方の流行にね、ははは。
半ズボンに合う、長ストッキングをはいた姿で、リボン飾りの
ついたストッキング止めをつけ、 男性方の流行にね、ははは。
そしてストッキングの上部はちゃんとニットの網目が分かるのを、
嬉しがりのshinkaiが、おお、おお、と撮ったもので~す。
嬉しがりのshinkaiが、おお、おお、と撮ったもので~す。
裕福なお家のお遊びお坊ちゃま、という印象が強いのですけど、
なんの何の、当時のベルガモにおいて大変重要な家柄であったは
勿論ですが、
なんの何の、当時のベルガモにおいて大変重要な家柄であったは
勿論ですが、
パドヴァ大学で法律の勉強を終えベルガモに戻って来た所で、
生涯で数々の公職を果たした役割は大変に大きかった様子。
生涯で数々の公職を果たした役割は大変に大きかった様子。
パドヴァから戻った1960年に結婚したフランチェスコ・セッコ・
ダラゴーナの娘マリアは突然に亡くなり、
上記した様に1561年にイゾッタ・ブレンバーティと再婚、5人の子が
生まれますが、最後の2人の男児は生後数か月で亡くなったとあり、
生まれますが、最後の2人の男児は生後数か月で亡くなったとあり、
妻のイゾッタは1586年、夫と食事中に突然に亡くなったそうで、
夫のジャン・ジェローラモは2度目の寡となったものの、翌1587年
ブレーシャのカミーラ・ペドロッカと再婚を!
ブレーシャのカミーラ・ペドロッカと再婚を!
裕福な貴族家系となると、結婚相手に似合いの相手となる人も
なかなか見つからず、亡くなった相手の兄弟姉妹からであったり、
見つかったら即結婚、という事も大いにあり得たろうなぁと。
同1560年頃作、プロスペーロ・アレッサンドゥリ・Prospero Alessandri
の肖像。 ウィーンのリヒテンシュタイン美術館蔵
の肖像。 ウィーンのリヒテンシュタイン美術館蔵
ゆったりした態度のこの男性は、どの様な、何をされていたのかと、
あれこれ検索しましたが、絵についてのみで他は分からず残念。
ただこの素敵なスペイン風のたっぷりの半ズボンが、織の技術の向上
からの産物で、サテンやタフタの贅沢な品を生み出したのだ、という
ファッション関係の記事から見つけました。
からの産物で、サテンやタフタの贅沢な品を生み出したのだ、という
ファッション関係の記事から見つけました。
そうなんですよぉ、このズボンの折り目の端から、糸目が出ており、
何と贅沢な布だ、と驚き撮ったものの、へへ、少々ピンボケで・・。
何と贅沢な布だ、と驚き撮ったものの、へへ、少々ピンボケで・・。
それに両袖が見えるブラウスの手の込んだ洒落たデザインと、渋い色。
黒のベスト・上着とピンクのズボンですものねぇ、
黒のベスト・上着とピンクのズボンですものねぇ、
それに髪の毛も、長めを後ろで括っているのではないか、という感じで、
何をしていたのか、知りたくなるでしょう?!
何をしていたのか、知りたくなるでしょう?!
額が白いから、いつもは帽子を被っている軍人だったのかも、ですね。
体の左下に見える碑文には、分からずのまま記します。
恐怖と希望の間
貴族のプロスペロ・アレッサンドロ・デル・フヴェ・ノービレ・
貴族のプロスペロ・アレッサンドロ・デル・フヴェ・ノービレ・
ジェロニモ 1580
ドンナ CVI 高貴な淑女イザベラ・デル・フブ
ノーブル・ペドロ・ゴッツィ
ドンナ CVI 高貴な淑女イザベラ・デル・フブ
ノーブル・ペドロ・ゴッツィ
1580 という数字で、画の制作が1580となっているのもありますが、
既に1978年にはモロー二が亡くなっており、その後の追記かも。
既に1978年にはモロー二が亡くなっており、その後の追記かも。
こちらのモデル名は、ガブリエル・デ・ラ・クエヴァ・
Gabriel de la Cueva 1560年作 ベルリンの州立ドイツ美術館収蔵
名前だけでは様子が分かりませんが、実は公爵様で! 1515年に
スペインのクエヤル生まれ、肩書が物凄い数並びますが、すべて略。
スペインのクエヤル生まれ、肩書が物凄い数並びますが、すべて略。
兄が2人居り、後継者の望みはないと軍事騎士団に入っていたのが、
兄達が死に、訴訟を起こし公爵位に。
自国の王であり、領土の領主でもあり、ナバラ副王の副官も務め、
兄達が死に、訴訟を起こし公爵位に。
自国の王であり、領土の領主でもあり、ナバラ副王の副官も務め、
当時ミラノ一帯はスペイン領だったので、
1564年にミラノ総督兼総司令官に任命され、
1564年にミラノ総督兼総司令官に任命され、
ミラノにいる間にこの肖像画が描かれたのでしょうが、
1571年に後継者がいないまま、ミラノで亡くなっています。
1571年に後継者がいないまま、ミラノで亡くなっています。
で今になり気付いたのが、上のプロスペーロ・アレッサンドゥリの
服装と似た感じのデザインの服装と思われませんか?
となると、上の彼もミラノ総督の下の軍人だったのかも!
で、なるほど。
で、お待たせいたしましたぁ。 今回の一番のお宝、ロンドンの
ナショナル・ギャラリーからお里帰りの、仕立て師・Il Salto.
ナショナル・ギャラリーからお里帰りの、仕立て師・Il Salto.
こうして改めてみると、会場で見た他の肖像画とのかなりの差が
思い出され、
モデルの服装の色のみならず、逆に服装、色の派手さはないものの、
モデルの服装の色のみならず、逆に服装、色の派手さはないものの、
描く目の冷徹さというか、モデルの方も画家の力量を見極める様子、
というか、
モロー二の腕の見事さを知っての依頼で、彼も逆に凝視している訳で、
この絵の空気だけが、一種特殊だったのをとても強く感じました。
たくさん、記憶に残したいのと、見返した時に、との思いで
あれこれ撮ったのが、近くの照明の反射が強く、斜め取りになったり、
油彩の筆使いの後が細かく光ったりで、
あれこれ撮ったのが、近くの照明の反射が強く、斜め取りになったり、
油彩の筆使いの後が細かく光ったりで、
上の1枚は部屋の入口から撮り何とか大丈夫だったもの以外の
2枚は、サイトから色が大丈夫なのを探したのをご覧下さい。
2枚は、サイトから色が大丈夫なのを探したのをご覧下さい。
いやぁ、モロー二の絵をこの様に纏めて見る事が出来たのは
本当に幸せでした!!
本当に幸せでした!!
これ程に凄い、とはそれ迄見ていた写真ではとても考えられず、
未熟なのでしょうが、
未熟なのでしょうが、
それに、会場の肖像画の方から、自分が見つめられる
思いをしたのも初めての事でした!!
思いをしたのも初めての事でした!!
モデルの服装が凄く精密に描かれ、というのはフィレンツェに行き
ブロンズィーノ展でも見つめたのでしたが、
その人物自体がこちらを見返す鋭さは、感じなかった、という違い。
この違いは物凄いものがあり、繰り返し思い出します。
ベルガモのアッカデミア・カッラーラ博物館には、何枚かの
モロー二の作品が展示されており、
またベルガモの町の西側にあるパラッツォ・モロー二には、
元の伯爵邸、「ピンクの騎士」などもあるらしく、
今回会場に来ていなかった、 出し惜しみめ!
「レデッティ家の少女」に会いに行きたいと願っております。
ミラノからベルガモにお出かけの皆ささま、どうぞお時間を取って、
アッカデミア・カッラーラ博物館訪問を是非どうぞ!!
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