・ コッド・ピース ご存じですか? その短い歴史と、肖像画を残した方々

先回先先回と、ミラノでのG.B.モロー二展の様子をご紹介
しましたが、

16世紀のベルガモ周辺のほぼ男性方の肖像画が殆んどで、
その中に、皆さんお気づきだったろうと思いますが、

短いズボンの隙間からチラッと、今回の主題であるコッドピース
覗かせた肖像画がありました。

こちらで~す。

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時代としては16世紀半ばでも、まだ彼奴は健在だったんだ、と。

正しい名前は? で、実際はいつ頃流行ったんだろ、と検索を
かけると、サイト記事はたくさんあり、読むのに草臥れる程!


で最初に見つけた記事のタイトルが、
上がったものは必ず下がる:コッドピースの簡単な歴史 (!)

という、当時ケンブリッジ大学博士課程にあったビクトリア・
バーテルズ氏の学術的な記事の紹介、大学のサイト、だったのですが、

私めはまずタイトルで笑わせて頂き、そこから入門を、はぁい。


という様なきっかけで、今回は、男性方の下半身の局部を覆った、
約5世紀前の当時には、必須だった男性の服装のアイテム、
につき、ここに取り上げる事に。

とはいえ、学術的研究論文では勿論なく、その辺りは読んだ事を、
はい、そうでしたか、の最低教養で乗り切るしかなく・・、

ご了解いただけます様、あらかじめお願い申し上げますです。


バーテルズ氏の博士論文、並びに歴史のジェンダーに関する会議では、
16世紀の最後の四半世紀に、かっての姿が完全に消滅した様に
見える急速な終焉についても、斬新な説明があった様ですが、

なにせ事柄を示す言葉自体も、口にするのは少し難しく、はぁ、
書くにも躊躇いながら、という感じになると思いますが、
頑張って乗り切る事に!


まずこのパーツは、いつ、どこから始まったか、ですが、
少なくとも当初は男性の謙虚さを保つために考案された、という
実用的な始まりだった様ですが、


15世紀の男性の衣類は、上着用のタブレット・ウェストまたは
ヒップ迄のパッド入りのジャケット、またはチュニック
ファルセット、という言葉もイタリアのファッションでは使われ、

モロー二展の「仕立師」の上着がそれですね。


4-DSC02862_01_GF_01.JPG


下半身用のホース、と衣装の上に着用のマント、で構成されており、

ホースとは、上着に固定された2つの別々のウール、またはリネンの
レギンスだったと。

最初は片方を縫い付けたり、紐で結んだりだったのが、
ボタンホールが発明されると俄然便利に。

こんな感じですかね。 かっこいいお尻!

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それに紳士、貴族でなくとも、ピーター・ブリューゲルの描いた
「農民の婚礼ダンス」1566年作、での賑わいにもしっかり見られ、

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これはやはり説明にある通り、当時の服装の決まりであった様子。



それが上着の丈が短くなり、マントの長さも短くなるにつけ、
男性の秘部の膨らみが下着の下で明らかになり!

これは道徳主義者たちがすぐに非難し、

1463年のイギリスのエドワード4世は、男性が
「自分の秘密メンバーとバットケ・(言葉の正確な意味が見つかりませんが、
大体あそこらへん、ね)をカバーする長さである事」の法律も可決。

但し貴族はこの規則から免除、だったそうで!

で、様々に残る証拠から、初期のコッドピースは、三角形の布片
から作られた事が分かっており、

三角形の下端はホース・レギンスに縫い付けられ、残りの角は
上着に固定され、一種のガセット・服の脇の下や手袋の指の付け根
などにみられるマチ、の事で、立体になる、という訳。

そこから、詰め物とパッドが入った形に置き換えられたのだそうで!


この絵は、画家の名も、モデルも、制作年も分からず、
若者の肖像、とのみですが、説明通りの・・!

5-3--portrait-of-a-young-man_GF.jpg



16世紀のヨーロッパでは、騎士道、名誉、ロマンスの概念と共に
男らしさが重要で、

コッドピースは、最もあからさまな方法で男らしさを証明する
目的で迅速に進歩、変化をし、

最も精巧なバージョンは際立って派手で、肖像画では16世紀
半ばには、コッドピースが壮大な規模に達します!

こちら!

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イギリスのヘンリー8世の肖像が極めつけで! 1536-37年作、
ハンス・ホルバインが描いた肖像。

7-After_Hans_Holbein_the_Younger_-_Portrait_of_Henry_VIII_1536-37__GF.jpg


ヘンリー8世というと、離婚を巡ってのローマ法王教皇との衝突、
結婚、離婚、処刑、等などと話題に事欠かず、

ハンス・ホルベインの描いた肖像画は、これはもう伝説的なほどの
見事さで、
「一番豪奢な王様」、という誉め言葉がぴったり!


コッドピースは贅沢なシルク・ベルベットで作られ、宝石が飾られたり、
刺繍が施されたり、

若い男の子でも着用する事が義務づけられていたそうで。



こちらはやはりヘンリー8世、ハンス・ホルバイン作 1540年、
4番目の妻アン・オブ・クレーヴスとの結婚記念と。

8-enrico-viii-ritratto-nel-1540-in-occasione-delle-nozze-con-anna-di-cleves-da-hans-holbein-il-giovane-GF.jpg



ヘンリー8世の鎧には、金属製のコッドピースを付けたものもあり!!

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これはロンドン塔の博物館に収蔵と。


またコッドピースは武道の強さについての概念と密接に結びつき、
ドイツ、スイスの傭兵が着用する衣装の不可欠な部分でもあったと。


そしてヘンリー8世が離婚、結婚を繰り返した一番の目的であった
嫡子は3番目の妻ジェーン・シーモアとの間に生まれた
後のエドワード6世で、

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こんな未だ幼い少年でも、王ともなると、コッドピースがきちんと
見える衣装ですものね。

この息子は体が弱く、9歳で父ヘンリー8世の後を継ぎますが、
政争の中でももまれ、結核だったか、15歳で世を去ります。

母親はこの子の産褥熱で世を去り、父親も9歳でという、哀れ!



コッドピースを付けての他の肖像画をあれこれ見つけており、
必死で画家の制昨年を調べたりで、


こちらはティツィアーノ作 1533年「犬を連れたカルロ5世の肖像
プラド博物館収蔵

11-Tizian_081_1533-GF.jpg

この作品は実際にモデルを前にしてではなく、オーストリアの画家
ヤーコブ・ザイゼネッガーが描いたカルロ5世の絵から
インスピレーションを得て描いたものだそう。

実際よく似た印象ではありますが、ティツィアーノ作の方が
奥が深い印象で、彼が描く男性像はやはり凄いなぁ、と。

ここに描かれたコッドピースは特別に大きくも目立たせてもいませんが、



パルミジャニーノ描く、ピエル・マリーア・ロッシ・ディ・
サン・セコンド、 1535-38年作

12-Parmigianino-ritratto-di-pier-maria-rossi-di-sansecondo-1535-38_GF.jpg

これはもうパルミジャニーノの凄さが印象強い作品で、


コッドピースも力強く目立ち、上のティツィアーノ作よりも
2,3年の違いでグンと力強い作りとなっており・・。


名前のピエル・マリア・ロッシは、トッレ・キアーラの素晴らしい城を
造った方のひ孫にあたるのだそうで。

サン・セコンドには現在も城が残りますが、平地の余り大きくない城で、
見に行ったものの、ガイドして下さった方は丁寧な説明でしたが、

まるでピエル・マリア・ロッシに関する説明がなく、
今残る城の、私めには余り上等に見えない!あれこれの説明のみでしたぁ。


n.1 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
https://www.italiashiho.site/archives/20181110-1.html

n.2 トッレキアーラの城、パルマ ・ 美しく、守備堅固、そして愛の巣の
https://www.italiashiho.site/archives/20181115-1.html


パルミッジャニーノの作品は今迄余り見る縁がなかったのでしたが、
パルマ近郊のお城で壁画を見て、わぁ~お!と。

n.1 パルマの城 フォンタネッラートと、パルミジャニーノの城
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461920023.html


コッドピースが余りにも大きくしっかりの作りになると、
靴を履くにも不便な位に、という逸話を読んで笑いましたが、
いつの時代でも、御洒落心の行き過ぎはあるのですねぇ。


こちらはアレッサンドロ・ファルネーゼ(1545-1592) 
第3代パルマ、ピアチェンツァ公. 作品は1559年

13-Alonso-Snchez-Coello-Ritratto-del-duca-Alessandro-Farnese 1559_GF.jpg


この方の母親は、神聖ローマ帝国、スペインのカルロ5世の庶子
マルゲリータ・ダウストリア。

つまりカルロ5世の孫でもあり、父方曽祖父がパオロ3世、という血筋。

コッドピースは未だしっかりの大きな形を採っており、



これはジョヴァン・バッティスタ・モロー二描く、
アントニオ・ナヴァジェーロ、1565年作。

14-Pinacoteca-di-Brera-Moroni-Ritratto-di-Antonio-Navagero-1565.jpg


これはもうコッドピースの形と言い、衣装の色と言い、モデルの傲岸さ、
というか・・、
避けて通りたい、知りませんでしたぁ、と言いたい作品なのですがぁ・・。

ヴェネツィアからベルガモに来て、総督を務めたかの方だそうで。
ミラノのブレラ絵画館収蔵と。



この後のコッドピースの形は、一番最初に見て頂いたモロー二描く
3枚の肖像に見える様に、チラッと覗く形に収まりつつ、

男性ファッションは様変わりし、16世紀後半から17世紀にかけて
コッドピースは下方に絞られてサイズが縮小し、

ピースコッド、ピーコッドと呼ばれる、丸みを帯びた先細りの外観となり、
が、コッドピースと同じ程の男らしさの概念が染み込んでいたと言い、
強力な性的象徴でもあったと。


いずれにしても、服装を使って自分の内面の外側のイメージを構築
するのであり、
我々が自分達を飾る為に選んだものには、複雑な文化的イメージが
込められています。

16世紀の男性ファッションの興味深い点は、当時の男性にとって
何が重要だったか、つまり男らしさ、武勇、へのこだわりを明らかにして
いる点が、興味深い所です、 と、バーテルズ氏は言います。


今の時代には、当時の直接的な主張には、ちょっとへどもどさせられる
のですけど、当時の女性にはどうだったのでしょうか、
逆にお尋ねしたい位で・・。


英国のヘンリー8世の写真が3枚も出たので、

最後にフランスのフランソワ1世の、足元までの全身肖像は
コッドピース付きが見つからず、

乗馬姿で、でもコッドピースが少々邪魔みたいなだぁ、でもこちらを
向いて愛想のよいお顔なので。 1540年作。

15Antoine-Jean-Gros-Charles-Quint-recu-Francois-Ier-abbaye-Saint-Denis-1540_0_GF.jpg


という所で、ちょっと迷い込んでしまった主題が漸くにお終いに。
お疲れ様でしたぁ!


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posted by shinkai at 01:55Comment(0)・欄外