・ チワワ初の牧羊犬 オビ・ワン・Obi Wanのご紹介を。

はい、そうなんですって。 あの小さな体長は僅か22cm、
体重が2キロ強のこのワン君が、羊の追い方では他のどの犬も
真似が出来ない牧羊犬、なのだそうで!

この方ね。

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ラ・スタンパ紙の動物版ラ・ザンパの記事11月19日号からで、
チワワ初の牧畜犬、オビ ワンをご紹介。「彼の羊の追い方は他の誰にも真似できません」

記事に出ていた言葉、犬の名前オビ・ワン、そしてチワワの犬種での
最初のジェダイ、です、とあるのが、何、これ?!で調べましたら、

なんと、映画「スター・ウォーズ」の銀河系の平和を守る騎士が
ジェダイで、ルーク・スカイウォーカーや、オビ=ワン・ケノービ
それに当たるのだそうで!

はぁ、shinkaiめは、ああいうサイエンス・フィクションはまるでダメで、
同じ名前の騎士が出て来て驚き、ははぁ、このワンの名付け主は
映画の大ファンだったな、と。

確かに、どうやら最初の飼い主? ブリーダー?が彼を牧羊犬に仕立てる
訓練を施し、その功績ヴィデオをTikTokに投稿(@dampatenlair)

このチワワ犬は、羊飼いの世界で信じられない程の評判を築き上げ、
何世代にも渡って飼育されてきた主人の犬を越え、マイナーながら
有名犬になったのだそうで、はい。

このチワワ犬の勇気、進取の気性に富んだ性格、はたまた彼の声の
音声によるものかも、  ‥ふ~む、あの甲高い声が武器なのかな?!

つまり、オビ・ワン君はリーダーに成るべく生まれて来て、羊君達は
彼に従うのですと。

そしてどうなったかと言いますと、今のオビ・ワンのご主人は当時は
羊飼いでもない女性のダマリス・Damarisさんで、

彼を迎えて数か月後に住んでいたフランスのモンペリエ・Montpellier・
(南仏マルセイユから西に160km程の海沿いの街で、また
170km程西にスペインとの国境すぐのペルピニャン・Perpignan)

つまり、南仏からフランス・アルプスのイゼール・Isèreに引っ越し、
(地図で見ましたら、冬のオリンピックも開催されたグルノーブル・
Grenobleの南に位置し、緯度だとアルプスを隔てイタリアのトリノ辺り)

そこで彼女にとっての夢であった新しい仕事を始めたのですと!
犬も凄そうですが、ご主人の女性も凄い!のお話でしょう?!

で、彼女の言うには、「最初はただ見ているだけだったのが、すぐ
私を援け始めた」そうで。

「チワワはとても勇敢な犬で、危険の概念はなく、真の意味での
仕事意識と責任を引き受ける意欲を持っています」と。


「時に彼は馬鹿な事をしますが、学ばなければならず・・」 で、
この仕事の為に生まれて来るオーストラリアン・ケルピー・
Kelpie Australiani 種の犬から学んだそうで。

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上の写真に見える黒い犬が多分それで、この犬についても調べましたら、

19世紀頃にスコットランドからオーストラリアに旅立った移民が
連れて来たスムース・コリー種がオールトラリアン・ケルピーの始まり
と言われており、

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この雌のスムース・コリーと雄のディンゴ種の交配から生まれた
「ケルピー1世」という雌犬が牧羊犬として非常に優れていた為、

婿に来た雄のスムース・コリーとの間に子供をもうけ、その内の
雌1頭が「ケルピー1世」によく似た容姿で、母に負け劣らずの
実力の持ち主で「ケルピー2世」と名付けられ、

牧羊犬としての能力を常持する優れた犬種を作る基礎犬とし、
他犬種と交配させ、子犬たちに改良を加え、作出されたのが
オーストラリアン・ケルピー種なんだそうで!

「ケルピー2世」の優れた牧羊犬能力を受け継ぎつつ、さらに
丈夫で体力ある犬種として仕上がり、
オーストラリアでは毎年10万頭以上の登録がある程の人気犬種。

体高43~51cm、体重11,5~21kgの中型犬で、牧羊犬の仕事や、
主人家族と遊ぶのを生き甲斐にする犬種、というのですから、
何とも氏素性も正しく、性格もよろしい、正統筋の犬種なのですねぇ!!


きっとダマリスさんも、チワワのオビ・ワン君も多分フランス生まれの
ムッシュで、彼のヴィデオを見、評判も聞き、
長年の夢だった「羊飼いをして暮らす」の夢が現実に、なったのでしょうね。


ダマリスさんの話によると、チワワのオビ・ワン君と、仕事上の大先輩、
オーストリアン・ケルピー君は、幸いな事にとても仲良くやっているそうで、

が、チワワの方が羊達を強く掌握している、と言い、というのも、
他の同輩の犬たちは時々ためらい、群れへの影響を失う事があるのが、

オビ・ワン君は躊躇せず、勝つまであきらめず、最も忍耐力があり、
ブルドーザー効果を持つので、ボーナスとして非常に役立ちます、と。

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このブルドーザー効果、なるものが分からず調べると、ウィキ先生が
「1880年頃の米国における"bull-dose"の一般的な用法は、
「(強要したり脅したりして)強引に推し進める」というような意味であり、
牛に対してあらゆる種類の薬や罰を大量かつ効率的に与えることを意味する”
bull’s dose”(雄牛に薬を与える)を語源とするスラングであった。
 
その後スペルにわずかな違いがあったものの”bulldozer”が両方を
意味するようになり、19世紀末頃までに”bulldozing”とは、
強引な力を使用して障害物を押し退けたり通り抜けたりする事を
意味するようになった、のだそうで。

成程、チワワのオビ・ワン君の強力に押し通す姿、力は他の犬に
とっての模範、見せ場で、リーダーたる資格を見せつける訳ですね。

そしてまた女主人の言うには、このタイプの犬は羊を追いかけて
狂った様に走り回るよりも、バッグの中で過ごす事が多いのを
よく知っており、

一般的に人々はこの種を犬とさえ思っておらず、その為に彼らは
不機嫌になり、吠えてばかりで過ごす事があります。

 ・・ははぁ、その辺りはよく聞きますが、

しかし、チワワは元々警戒心の強い犬で、小型の獲物の狩りにも
使われていたそうで、

それには真の有用性があり、ソファの上で見栄えを良くする為に
だけ存在しているのではありません。 勿論!

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オビ・ワン君の弱点はむしろ寒さへの耐性が余り無い事で、
それが起こると、彼は羊飼いの腕の中に飛び込み、
羊飼いはいつもマントの下に彼にとっての快適な場所を提供し、
私はこの理由でもオビ・ワンが好きです、と、ははは。

良かった、お互いに理想的な共存関係が出来ているのですねぇ!


以前、子豚ちゃんが牧羊犬として大いに働き、競技会で優勝、という
映画があり、あれは確かニュージーランドが舞台で楽しみましたが、

そう、子豚ちゃんが出来るなら、犬であるチワワ君が
優秀でない事はないわけで、はい。

頑張れ、オビ・ワン!!

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posted by shinkai at 23:44Comment(0)・欄外

・ 南米ペルーの高地で、イギリス人ハイカーが野良犬に援けられたお話

今日は再掲記事でなく、ラ・スタンパ誌の動物版ラ・スタンパで
見つけた不思議でもある素敵なお話をどうぞ。

記事は11月10日付け、
Un escursionista smarrito a 5.000 metri di quota vede un cane randagio apparire dal nulla: “Ho deciso di seguirlo e mi ha salvato”
標高5000mで道に迷ったハイカーが、どこからともなく現れた
野良犬を見つけ、「後を追う事に決めて、援けられた」

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ペルーの山中、雪と高地の静けさの中で、スペイン語を愛し、SNSで
「エル・グエロ・イングレス・El Güero Inglés・金髪の小さな英国人」
として知られていた若い英国人が、いつもと違う特別な仲間と共に、
ユニークな冒険をしました。

ワラス・Huaraz市近くの有名なサンタクルス・サーキットの遠征中、
彼は海抜4750mにある、魅惑的なプンタ・ウニオン峠・Punta Unión
に到達する事を望んでいたものの、その道は簡単ではなかったのですね。

雪と寒さ、濃い霧の為、登山は更に複雑になり、

歩き始めて2日目、グループの他のメンバーを追い抜いた後、
彼は自分が完全に一人な事に気が付き、どの方向に進むのが
正しいのかの不確実性に翻弄されていた時、

まさにその混乱の時、一種の幻覚の様に一匹の犬が霧の中から
現れ、尻尾を振りながら友好的な態度で近づいて来たのですね。


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彼の不審感は大きく、どうして犬が、人里離れたこんな高地にいるのか?
が、驚いた事に、犬は道を知っている様子で、迷う気配はなく、

その時「エル・グエロ・イングレス」は、新しい友の本能に従い、
その無言のガイドに従うしかない事を理解し、
「私は彼の山に関する知識を信頼する事にしました」と。


犬はまるでその場所に慣れているかのように、機敏で決断力があり、
道にそって速足で歩き出し、

時々「四本足ガイド」のシルエットが霧の中に消え、まるでハイカーが
追いついて来るのを待っているかの様に再び現れ、

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最終的に、そのルートは「二人」をプンタ・ウニオンを示す標識に導き、
若者は道に迷ったものの、新しい毛皮の友人が彼の代わりに
頂上への道を見つけてくれ、


ゴールに到着後、犬は真の冒険仲間の様に「エル・グエロ・イングレス」
の隣で止まり他のハイカーが到着するのを黙って待ったのですね。
まるで彼にとっても、その景色は特別な価値がある様に。


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その瞬間から「4つ足ガイド」はグループの近くに留まり、次のキャンプ迄
同行し、そして皆が驚いた事に、別の犬が彼らを待っているのを見つけ!


翌日2匹の犬はハイカーたちと共に更に22KMを歩き続け、困難な
行程の間、彼らに静けさと安全を与え、

夜は、毛皮の彼らは新しい人間の友達を見守る忠実な守護者の様に、
テントの隣で眠り、

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そして最終日、ルートの終了前に「エル・グエロ・イングレス」
は犬達が消えている事に気づき、
旅の仲間が最後の別れもせずに去った事が信じられませんでした。

が、小道の終点、小さなコーヒー・ポイントのすぐ近くに到着すると、
最後の一目を待っているかのように、
4本足の友人が落ち着いて座っているのを見つけたのでした。


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地元住民はハイカーに、この犬達はその地域の村に住んでおり、
あたかも訓練されたガイドの様に、散歩中の観光客について行く
習慣があると説明したそうで。

でも「エル・グエロ・イングレス」にとっては、その犬はただ仲間を求める
野良犬ではなく、真の仲間であり、
彼のペルーでの冒険を忘れられぬものにしてくれた守護者だったと。


* 日本でもかって、山の神社などにお参りをする時に現れ、
  付き添って案内してくれる、という様なお話を読んだ事がありますが、
  
きっと動物達には人間には無い無言の洞察力の様な力があり、
それが上手く作用し、この様な素晴らしい話になったのでしょうね。


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posted by shinkai at 18:48Comment(0)・欄外

再掲  アンナリーザの馬 

「アンナリーザの馬」は2016年01月15日付け、絵ブログの2部に
載せた記事で、それ以前にも彼女の馬術関係の写真を撮っていましたので、
一緒にご覧頂きますね。

はい、今回のは付け馬とか、ははは、そういう意味ではなく、
本当の馬、白い馬のお話です。

1週間ほど前、以前のイタリア語の先生アンナリーザが、
忙しいスケジュールをやりくりして、朝1時間ほどお喋りに寄ってくれ、
お互いの近況をやり取りしている時、
  私、馬を買ったの!
  えっ、馬?! どんな? 幾らしたの?!
        
馬というのは高くて、大会に出るほどの馬だと家程の値がする、
と聞いていましたから驚いて訊ねましたら、
千エウロ、だったと言うのでなお驚き!
  
彼女の実家は乗馬教室をしていて、彼女も講師の資格を持ち、
障害物競走の馬を乗りこなしているのですが、
  
そこに馬を売りに来た業者がいて、その中の1頭を買ったのだそう。
なぜ千エウロ、なのかと言うと、
なぜか、この白い馬は買い手がないと屠殺場に行く運命だったのだそうで、
キロ250エウロとかの肉の値段で、千エウロ!!
ちょっと凄い話でしょう?!
  
でもサイトで馬肉の値段として調べましたら、
同じ様な話、自分の友達みたいな馬を救いたいのだけど、幾ら位する?
というのが載っていて、も少し高い値段、1500エウロ位と答えてましたので、
彼女の家の仕事からして、少し安く買えたのでしょうね。

写真を送って! と送って貰ったのがこれ。
暗くて、アンナリーザの顔が良く見えませんが、
でも馬の方もしっかり懐いた感じでしょう?!
     
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書いてくれた馬の名前はゼウスズ・Zeuszで、15歳。
馬の名は、年によって頭にくるアルファベットが決まっているので、
彼と同い年の馬は、皆Zから始まる名前なのですね。
        
で、こういう障害用の馬は20歳を越えて30歳位迄競技出場OKだそうで、
ちょうど良いのが見つかったと喜んでおりました。

他の人が乗ったりすると、ちょっと悪さをしそうになるそうですが、
アンナリーザには大人しいのですって!
分っているのですねぇ、自分の主人が!!



こちらはゼウスズと、同じく彼女の犬トト・Totò.
彼女の犬といっても、ははは、実家にいつも預けっぱなし!のワン君。
しっかり2人は友達になったみたいで、良い写真でしょう?!

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馬種も書いてくれていて、リピッツァーノ・lipizzanoと。
なんだろ、と調べてみて、これまた驚いた事に、
リピッツァーノ種というのは、
ウィーンのスペイン式乗馬学校で使われている馬種なんだそう!!

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元々は皇帝の馬車を引くようにと生まれた馬種なんだそうで、
軍隊でも使われ、大変に覚えが良いのが認められ、
ウィーンの乗馬学校で、その才能が完璧に引き出されたのだそう!
  
というのも、
日本語でなんと言うのか、4本の脚全部を空中に浮かせる事が出来る、
つまりジャンプを言うのだろうと思うのですが、
その部門で有名なのだそう。

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そうなのかぁ、アンナリーザがあんなに嬉しそうだったのも
分る、分る!!と私も嬉しくなった事でした。



その後ゼウスズはアンナリーザと練習や競技をして数年後、
元気でいたのが突然に亡くなったそうで、アンナリーザは愕然とし、
私にも即電話で知らせて来た後、肖像を描いてくれ、と頼まれ、
あれこれ写真も送って貰い、

彼女は厩舎から顔を出しているのが良い、と言ったのですけど、
馬だし、外の青空の下、緑に囲まれている様子が良いのではないか、
と言い、彼女も了承し、お家の馬場の様子の写真もあったので、
それで描き、喜んで貰え、良かったです。


で、今回実家の馬場のある写真もと思い探していて、
2回訪問したのがどちらもゼウズス君の来る前でしたが、

彼女が飛び越しの練習中の写真がありましたので、
一緒に見てやって下さい。 上の記事の1年前、2015年8月です。

お家の馬場での練習前

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アンナリーザのジャンプ、 この時の馬の名はグレンジャー。

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外の練習後、中の練習場での歩き

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とても興味深いのは、こういう時、お馬ちゃんは必ずカメラ目線なのですよ。
彼は薄い水色の目でしたっけ。

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お家から帰る時、最後の厩舎から顔を出したこの子は、
たてがみを綺麗に編んでもらっていて。 チャオ、またね。

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posted by shinkai at 01:26Comment(0)・欄外

・ 再掲 ティツィアーノの生家博物館 ・ ピエーヴェ・ディ・カドーレ 

今回ご覧頂くのは、先日フェースブックに「ティツィアーノの生家」を載せた際に

生家の写真も少し載せたので、記録庫の記事2014年9月3日を、ご覧下さい。


1-1-ティツィアーノの生家 ピエーヴェ・ディ・かドーレ.jpg

*****

       
先週初めに我が友が来伊し、3日程ドロミーティの方に出かけましたので、
ピエーヴェ・ディ・カドーレ・Pieve di Cadoreにある
ティツィアーノ・Tiziano Vecellioの生家博物館をまずご覧下さいね。


町に宿を取り、朝の6時過ぎベランダから眺めましたら、なんと素晴らしい朝焼け!
で、ちょいちょいと肌寒いベランダから身を乗り出し撮ったのをまずどうぞ!


部屋の位置が大変よく、横からずっと奥に長いカドーレ湖にも朝焼けが映え

ピンクに染まり、

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手前の山の雲から覗く峰も、朝日を受け、

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湖の奥に立ちはだかる山々に、光が差し込み始め、

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徐々に空のブルーがピンクに取って代わるという、
日の出に気がついてからその間30分程でしたか、の場面でした。


翌朝も当然のごとく朝焼けが見れるものと思いましたが、ははは、残念な事に、
涼しい朝の色でしたぁ。 まさにチャンスなのですねぇ、こういう色に会えるのは!


地図をどうぞ。
今回はピエーヴェ・ディ・カドーレに宿を取り2泊。
初日は家からコルティーナ・ダンペッツォ・Cortina d'Ampezzo
ミズリーナ湖・Lago di Misurina、アウロンツォ・Auronzoを回り宿に。

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翌朝ティツィアーノの生家博物館と、メガネ博物館を見学。

メガネはこのカドーレ一帯の地場産業で、有名メーカーもあり出来た新しい博物館で、

チラッと見たパンフレットに「ドージェのサングラス展」。


ドージェ・Dogeはヴェネツィア共和国総督の意ですので、えっ、あの時代にサングラス?
と、見に出かけましたが、内緒で撮った写真を、ははは、またご覧頂きますね。
       
そして北の町ドメッジョ・Domeggioのかねてから目に付いていた古い建物も見に出かけ、

最終日はロンガローネ・Longaroneに寄り、半世紀前に大災害を引き起こした
ダムを見つつフリウリ方面に抜け、
バルチス・Barcisのエメラルド色の湖を見て家に戻った、という3日間でした。


有り難いことに3日間大変良いお天気が続き、とりわけ初日のコルティナは
前夜降った雨のお陰で空気が透明に煌く素晴らしさ!
ドロミーティの山々も素晴らしい迫力の姿を見せてくれ、ここも改めてご覧に。


こちらはピエーヴェ・ディ・カドーレの町の地図で、一番上に我らが泊まった宿、
濃いベージュ色の部分は、ティツィアーノ広場・Piazza Tiziano
隣のサンタ・マリーア・ナシェンテ教会・S.Maria Nascenteにはティツィアーノの絵も。

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ティツィアーノの生家博物館・Casa natale di Tiziano
そして少し先にメガネ博物館・Museo dell'Occhiale.



朝日を見た後、朝ご飯までの時間を出かけます。


ティツィアーノ広場と、広場に立つティツィアーノの像。

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まだ観光客は居らず、すぐ横のバス停から出かけるお勤めの人だけ。


広場から10m程下った所に見えるティツィアーノの生家。 周囲をきちんと整備された
家々に囲まれ、ここだけが15世紀のままの家の姿を保つ不思議な空間。


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左奥の大きな家も、手前の泉の像もボヘミア出身の司教とか、ティツィアーノに関係なし。


ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1477-1576)は既に皆さんもよくご存じの、
その色使い、筆裁きの素晴らしい作品によりルネッサンスを代表する画家の一人で、
簡単にサイトで見ることが出来ますので、ここでは省略させて頂き、


今回は生家博物館の様子に絞ってのご案内です。

       
軒の木組みは撮っていましたが、

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今回正面からの姿は昼間撮っておらずで、へへ、サイトから拝借を。
 

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1階の一番左端、少し高い位置に見える扉内は貯蔵庫、ここは家の張り出し部に辺り、
そう大きくなく、その右の扉内はカンティーナ・ワイン貯蔵庫、倉庫でもあったか、
見える大きな金属の扉が、現在博物館の入り口。 外に見える木の階段を使い2階に。



屋根は木の板で葺かれており、こういう木の板葺きの屋根をスカンドレ・scandle
又はscàndoleという事を今回知りましたが、


木は栗の木で、25~30cmの長さの丸太を縦割りにし、枝の出た節の部分は使わず、
良い部分は小さくしたのを葺き始めの最初に使うと。

こちらでちょっと様子をご覧頂けます。

https://www.lavorincasa.it/tetti-in-scandole-di-legno/#google_vignette


さて博物館内に。 この町には何度も来ているのですが、博物館は夏季以外は
予約が要り、漸くに中を見ることが出来ます。


1階は一部屋の広間で、と言ってもさほど広くはなく、周囲の壁には

ティツィアーノの作品写真や関連写真が展示され、


真ん中のケースに、彼が使った色・粉絵の具があり、


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数えると、全部で28色、赤系の右は茶系の色で、その右に白と黒系が2色。
この28色を使っていたというのは、ティツィアーノ広場の北端の建物に研究所があり、
そこで調べた結果なのだそう。


こういう粉絵の具を油ですり混ぜ、描いていた訳ですね。


1階で切符を買った後、管理兼ガイドの女性がティツィアーノの家の変遷について
簡単に話してくれましたが、ウィキぺディアや市のサイトで読んだ事も織り交ぜると、
      
ティツィアーノの父親グレゴーリオは材木商、土地の有力者で、
兄のフランチェスコは評価された絵描きで、後にヴェネツィア共和国の軍で働いたりの
多能多才の人だった様子。後年故郷に戻り近くの家に住んでいたそうで、それに妹が3人。


フランチェスコとティツィアーノは、まだほんの若い頃12歳から9歳頃に

ヴェネツィアに絵の修行に出かけ、伯父の家に寄宿したとかの情報もあるそうですが、

未確認。
兄はその後上記の通り故郷に戻りますが、ティツィアーノのその後の大成功は
良くご存知の通り。


ティツィアーノ兄弟姉妹5人が生まれたこの家は、ヴェネツィアに住居を構えた彼が
不規則に訪れるほか、父親が1538年に亡くなった後は、誰も住んでいなかった様。


で、ティツィアーノの没後この家を相続した長男のポンポーニオ・Pomponio
ちょっとした厄介者だったらしく、じきに土地も含めて売り払い、続く世紀の間に
持ち主も変わり、最後の持ち主は家族が多く、この家の前に新しく家を建て拡張を。


そして1922年、時のイタリア王国はこの家を「国の記念物」に指定し、それに従い
前部の建物を取り壊し元の姿に修復。 こうして193287日に新しく公開。


ガイドさんの話では1階部分は現展示室として様子が変わっているものの、
2
階部分はオリジナルという事でした。 が、様子が分かって考えると、
オリジナルを尊重しつつ少し修復の手が入っている物と。

     

外の木の階段を上がった所のバルコニーから、ティツィアーノ広場方面を。 
ご覧の通り、すぐ近く。

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2階の入り口扉脇。 普通大きな貴族のお屋敷ではこういう部分装飾は大理石ですが、
ここでは木製で、勿論雪深い地方の事ですし、2階の各部屋の入り口も同様で、
かってはフレスコ画で装飾されてていた痕跡も残ります。

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2階入り口の扉。 ここは外から鉄の閂が掛かる様になっていて、

ガイドさんが来られて後、引っこ抜いて開けておられましたです、はい。

この虫食いと風雨と歳月による、素敵なちびり具合!!


       

2階の真ん中を通る通路部分の床模様。 いい味わい、趣でしょう?!


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2階の平面図 (上の図)をどうぞ。
4.
通路  5.炉のある台所  6.台所用備品貯蔵室
7.8.
寝室  9.書斎


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炉のある台所、兼居間と。 少し暗いですが、敢えて雰囲気を味わって頂く為、
こんな感じでした、と選びました。


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素晴らしい素敵な光の入る部屋で、足を踏み入れた途端、友人ともども、
わぁ、素敵ねぇ!と声が出ました。


この台所が、当時は家の中で唯一火のある、暖かい部屋だったと!


擦り減り、割れた床石の美しさ!

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炉と煙突、そして周囲を囲むベンチ。


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煙突の中は真っ黒に煤が溜まり、


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子供のティツィアーノもこのベンチに座り暖まり、マンマにまんまをねだったかも・・!


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いつもは訪問場所で記念写真を撮ることは無いのですけど、
余りにも良い雰囲気に、お互いを撮り合ったのを白状いたしますです、ははは。



横に見える小さな扉が、脇の食品貯蔵庫室に。
座の高い大人用の椅子が何脚かあり、冬の寒さも想像した事でした。


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隣の部屋の床は、そして他の部屋も全て木の床で、つまりこの囲炉裏の部屋は、

火事に対処しての石の床だったものと。



椅子の背の彫り。


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囲炉裏の部屋の、表側に向いた部分の一角。


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台所の奥、n.7の小さい方の寝室。 
全面木張りが施された小部屋で、子供達はこの部屋で生まれたのかも・・。


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この寝室の壁にあった家系図、この写真では到底名前は読めませんが、
下から3行目に黄色く記されたのがティツィアーノの位置で、


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その上4代目が一族に姓を与えた人物と考えられる公証人のグエチェルス・
Guecelus
、またはヴァチェルス・Vacelus.

ここに見えるティツィアーノの孫の世代に至る一族内に、画家と記されたのが
彼を含め9名数えられます。



n.9の大きな方の寝室で、ここは床も壁も剥きだしで、冬は寒いだろうと思いつつ、
ここの光の入り様も、素敵だなぁ!と。


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全面木が張られた書斎で、手紙、書類の展示も。


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2階から下への階段。


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こちらは家の西側の脇面。 土地の傾斜により向こうの泉側の広場から入る
裏の入り口は、2階に通じているのが分りますが、こちらにもう一段バルコニーが見え、
屋根裏への上がり口もどこかにあり、倉庫代わりだったかもと。


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という事で、夜の照明で撮った正面からの様子を最後に。


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見学は630日から914日までは、毎日開館
10:00-12:30
 16:00-19:00


ただしこれは2014年のカレンダーで、9月の後半は月曜休館、それ以外は
開館日がとても複雑ですし、見学ご希望の方、冬季は予約が必要とお考えを。
tel +39-0435-32262
または e-mail  info@magnificacomunitadicadore.it

入館料は3エウロ、シニア、学割では2エウロ。 どちらも2014年当時。


写真禁止の札が出ていますので、
控えめな態度で、ははは、フラッシュは無しでね。


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ご覧の通り、長い間ご愛顧頂いた絵ブログは先月末に削除させて頂きました。

今後とも、当ブログ、記録ブログの方はよろしくお付き合い下さいませ。

* ディスプレイを少し大きなのに替えましたら、見え様に今だ馴染めず、

編集後がどの様に皆様に見えているのか、気になりますが、御容赦を!



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記録庫ブログは、お陰様で無事引っ越しを終えています
 
今後ともの皆様のご訪問を、お待ち致しておりま~す!