・ポンペイの新しい発掘フレスコ画、ピザの先祖?・ shinkaiんちに通いの雄猫! 「ポンペイの記事に追加」

先日ナショナル・ジェオグラフィックの記事で読んだ、新しいポンペイの
発掘記事が2つあり、どちらも素敵というか興味深いもので、

今回は先に昨年6月にポンペイ考古学公園「第9地区」で発掘された
イタリアの有名なピッツァ・pizzaに大変良く似た姿。

如何にもピッツァがその当時すでに食べられていた、と思わせる
フレスコ画ですが、写真をどうぞ。

1-panoramica-dellaffresco-trovato-Copia.jpg


発掘されたのは、「レージョ9・Regio IX」と呼ばれる新しい発掘が
行われている区画で、2023年2月から始められており、

この「ピッツァ」の発見記事は6月、7月なので、発掘が始まってすぐに
見つかったものの様ですね。

この地区はとりわけ新しい発掘が次々と発表されており、研究者達に
とっても、素晴らしい発見と驚きの贈り物が続いている事になります。

この「レージョ9」区画は、1888年から89年にかけ部分的に調査され、
埋められ、中断されていた部分のいわば改めての発掘で、

そこの「インスーラ10・島 10」で発掘された2つのアトリウム・ロビーの家、
これは19世紀に既に調査されていたものだそうで、

この家は元あった建物を西暦1世紀に工房に改造されており、その後
西暦79年のヴェスビオ火山の噴火で埋まった、という事になり、

実際奥の部屋で、噴火の犠牲者3人、女性2人と子供1人の白骨遺体
が見つかっているそうで。


2番目の家のアトリウムには洗濯場が設けられ、作業台、染色用の桶があり、
そしてオーブンのあるパン屋、石臼を置くスペース、食品加工や製造の部屋が
あるのだそうで、
となると、如何にもピッツァらしき壁のフレスコ画は的を得ていると!

で、こちらにちょっと大きめに切り取って見ました。

2-affresco-scoperto-nella-regio-ix-di-pompei - Copia.jpg

銀のトレイの上には、ワインのカップの隣に平らなパン・フォッカッチャがあり、
その上には様々なザクロとか、ナツメヤシとみられる果物が並べられ、
トレイの上にはドライ・フルーツと黄色い西洋ヤマモモも置かれていると。

いやぁ、このフォッカッチャのぷっくりとした膨らみ加減は素晴らしく
美味しそうで、ポンペイの壁画でいつも感じる達者な筆使い、表現技術ですね。


で、現在のピッツァとの一番大きな違いは、やはり当時はまだ「トマト」がなく、
はい、トマトやジャガイモはコロンブスのアメリカ発見のお土産でしたから、

この時はまだ一種のペースト・モレトゥムと、ナツメヤシで
味付けされていたのだろうと。

いやぁ、今迄も様々な食べ物のフレスコ画を見ていますが、今回の
この「ピッツァ」のご先祖様は、一番美味しそうな色艶で、
そう思われません?! ははは。


◆ 追加 ◆

昨日の記事に、現在の発掘現場の位置地図を載せたく、探したものの
なかなか良いのが見つからなかったのが、

今朝以前のポンペイ記事のURLから辿り、見つけましたので
これに追加いたします。

2-Pompei-a420-20Copia_GF.jpg


この記事で赤枠で囲った「レージョ5」の右下、つまりポンペイ発掘地域
の右上一帯がまだ殆ど未発掘地域、という事が分かりますね。

記事は
で、ここからあれこれリンクもしていますので、どうぞ。


*****

shinkaiんちに、通いの雄猫! が、はい、元・雄猫で、デブちゃん、
ブス、そしてデカバチ・顔が大きい、おっとりの猫ちゃんが通って来てます。

最初は、朝部屋の雨戸を開けたら、植木の下で寝ていた猫に気が付き、
夏などテラスの先の植木の下でお天気の時に涼んでいる猫ちゃんで、

顔を知っており、向こうも私を知っているので、「この寒いのにぃ!」と
驚いてテラスの方の鎧戸、ガラス戸を開け、入って、入って、と入らせ、

牛乳をちょっと温めて小皿を差し出すと、ぺちゃぺちゃと舐め、その後
私が台所で自分のお皿を洗ってから覗きに行くと、既にソファの上!

で、これが最初の朝、12日。 この初写真の顔が実物以上に撮れており!

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そしてその後来なかったので、また来るかな、と思っていた16日、
朝鎧戸を開けると、素晴らしい日の出の赤で、1枚、と思ってカメラを
持って窓辺に、

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の所に、必死の「にゃぁ~ん」の声と共に、お隣との境から現れ、
この時はソファーの上に彼用のタオルを敷き、

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で、10時過ぎ頃、陽が射して来て暖かくなった頃、ガラスドアを
開けると帰って行くのですね。

彼の家は多分1軒先のお家だろうと思いますが、まぁ、ご飯はそこで食べ、
夜も帰って自宅で寝ているのだと思っていたのですが、

ええとつまりです、お昼に一旦我が家から出て行き、1時間半位、
私めがお昼ご飯を食べた後にまた戻って来るのです、はぁい。
その次の日は45分で戻って来たので笑いましたが・・!


でこれはその翌17日、午後のミルクで、私は肉を食べないので
チーズしかなく、余りチーズは好きそうでなく、

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スーパーで猫用のスープ煮、チキンと野菜、とか3種の小さいパックを
買って来たのですけど、匂いを嗅いだのみで・!

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18日の午後は、勿論朝もお通いで、ははは。
大きな声で鳴く事も無く、殆ど鳴かず、ちゃんと時間を見て出て行き、
戻る、という、なんとなし、休憩所の小母さん役で、ははは。


19日。大きくて太っている証拠を見て貰おう、と撮ったのですけど・・、
毛並みはちょっと茶色っぽいグレイの濃淡で、顔と頭にのみ柄が。

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20日。 前夜はずっと、どうも家に帰らずか、締め出されて外歩きか、
野宿か、とずっと気になっていたのが、朝早くにやって来て、

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ミルクとちょこっとチーズを食べ、ゴロゴロとソファーの上でお腹をさすらせ、
甘えるのもちょっと控えめで、この子はお家で余りかまって貰えずかな、と。

shinkaiはこちらの奥でお絵描きしたり、PCで書き物、探しものの間に
覗きに行き、さすってやり、それで大体時間になると、ドアを開けると
出て行く、という様子で、面倒もないのですね。

ガラス戸は閉めているので、午後やって来た時など、鎧戸との隙間から
入って来て、ガラス戸をカリカリと引っ掻く、という知らせ方で。


昨日は撮っておらず、これは今朝22日、まだ暗い6時半頃に窓を開け、
舌をチィ、チィ、チィと、2,3度ならすと雨戸迄やって来る、という方法で、
入って来ると、冷たい毛皮で、ひょっとして野宿を我が家の近くでか、と
思ったり・・。

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昨日の午後、ひょっとして、とイワシの缶詰めを少しやると喜んで食べ、
これは良かった、と今朝は鯖缶・水煮を開けたのを少しと、その汁に
パンの小片を少し混ぜてやると、綺麗に食べて、熟睡中の彼!


うぅ~ん、本当に家に帰っているのか、どちらが本家か分からない状態に
なりつつあるのか、名前は知らずなので、db・デブちゃんと呼んでいますが、

何十年ぶりに猫ちゃんを触りまくれる状態で、午前、午後と締め出し、
彼の方もそれに文句を言わず、自分で出て行くので、
お通いの猫ちゃん、という事で、楽しんでおります。


今朝の日の出前、南の空の薄い朝焼け、7時35分。

11-deb 9.jpg


こちらは東、左の糸杉の根元近くからの日の出、7時55分。

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昨日が冬至だったというので、これからが寒さの本番ですが、
日の出が早くなり、日の入りが少しずつ遅くなるでしょうし、
春を待ちましょう。

おっと、その前にクリスマスで、
皆様、良いクリスマスをお迎えくださいね

ブオン・ナターレ!!

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・ ウクライナの戦争から逃れた、男性と犬、子猫、の過酷な旅のお話2つ

今日はタイトル通り、未だ終わりが見えないウクライナ戦争から、
犬を連れ、子猫を抱えて逃亡した男性のそれぞれのお話をどうぞ。

その1は、
イーゴル氏はマリウポリから逃亡。ロシアの検問所で目立たぬ様にし、犬のズーズーを連れて徒歩225キロ。
La fuga di Igor da Mariupol, 225 chilometri a piedi con il cane Zhu-Zhu cercando di essere “invisibile” tra i check point russi
記事はラ・スタンパ紙の動物版、ラ・ザンパ 2022年5月14日付け

はい、この記事は既に2年半前、ロシアのウクライナ進攻が始まって
2カ月半後に既に公開されていたのをコピー、保存していたもので、

一昨日かに、今回その2、でご紹介するもう1つのウクライナからの
逃亡者、元新聞記者で戦争への徴兵を逃れる為に、子猫を連れ
逃げ出した男性の話を知り、一緒にご案内を。


では、その1から。

225kmとなると、ローマからナポリまでをカバーする距離だそうで、
日本だと東京から静岡の手前、焼津辺りの距離であろうと。

その距離を分かれがたい忠犬を連れ、バックパック50kgを肩に担ぎ、
目立たぬ様に徒歩で、戦闘が激しくなったマリウポリ・Mariupol から
北西のザポリーシャ・ Zaporizhzhiaを目指した

イゴール・ペディン・Igor Pedin、 61 歳、
犬は9歳のテリア種のズーズー・Zhu-Zhu。

zhu-zhu.jpg

上の写真に見えるガーディアン紙の報じた所によると、

彼らがマリウポリを離れたのは、2022年4月23日午前6時、
「家々に侵入し、意のままに発砲」し始めたロシア兵の到着から
数時間内に、2人は包囲された街マリウポリから脱出。

マリウポリの激しい攻防についてはきっと日本でも報道されたでしょうし、
日本版ウィキで確認してきた所によると、

2022年2月24日から5月20日まで激しい戦闘が続き、
市街戦、そして最後は4月半ばから、かのアゾフスタリ製鉄所に
立てこもった兵士と市民への、ロシア側からの何とも凄まじい戦闘となり、

遂に5月20日、ウクライナ軍は戦闘停止を命じられ、降伏した、という
経緯でしたから、

イゴールが4月23日に街を脱出、というのは、まさに瀬戸際だったと。


地図をどうぞ。
マリウポリ、そして最初のロシア兵検問所があったというニコルスケ・
Nikolske、そしてその後の検問所の、ロジフカ・Rozivka、そして
ヴェルジナ・Verzhynaは、
マリウポリから北に進み、西にカーヴを切る辺り、と地図で見つけました。

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で逃亡の様子を続けると、

ペディンとズーズーのまずの目標は、ロシア兵の目に留まらない事で、
マリウポリからの5キロの道を、地雷や道路に残された死体をよけて移動。

途中で兵士達に出会ったのもの、「彼らの目には私は放浪者であり、
何物でもなかった」と。 
年を取っていた事も目くらましになったのでしょう。

マリウポリの街を出て、振り返って眺め、「街と別れる事は正しい
決断だったと自分に言い聞かせました」と。


マリウポリから20km離れたニコルスケに到着した2人は、
家のドアの外で16歳の息子を埋葬したばかりの男に出会い、
「彼は私に乾杯するするよう頼んだ」と。

ペディンは15年間アルコールに触れていなかったものの、断る事は出来ず。


翌朝町を出ると、2人はチェチェン兵士の検問所に遭遇し、
「彼らは私にどこに行くのかと尋ね、その後ニコルスケに連れ戻され・・」

オフィス内でロシア人将校が私に尋問し、「私は彼に嘘をつき、胃潰瘍を
患い、治療費を支払ったので、ザポリージャに行かなければならないと言い、

入れ墨を探す為に服を脱がされ、背中の打撲傷のせいで
ライフルを持っていると思われたのです」

そして彼は殺す、と脅されたものの、指紋採取と顔写真撮影の後、
ロシア軍は自称ドネツク人民共和国からの文書を渡し、タバコを
与えて釈放したと。


この文書でロジフィカでは2人は問題なくチェックを通過したものの、
次のヴェルジナではニコルスカの検問所と同じ場面が繰り返され、
更なる検索と脅威、ただ幸いな事に問題は起こらず、

ただもう1つ、自由に到達する前に、30mの高低差を残して
破壊された橋を渡らねばなりませんでしたが、

その後、車で通り過ぎた男性のお蔭で最後の行程がはかどり、
遂に遠くに、ウクライナの国旗が見え、

ペディンとズーズーはザポリーシャに到着。良かった、良かった!!


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地図で見るマリウポリからザポリーシャは、車で3~4時間位の距離ですが、
ウクライナの国は大きく、
ザポリーシャから首都キーウまでは、斜めの道路をずっとあの角度で
北西に進み、マリウポリから10~11時間、と出ました。



そしてその2のお話は、

戦争から逃れてきたウクライナ人ジャーナリスト、飼い猫のペルシクのおかげで凍死から救われる
In fuga dalla guerra, un giornalista ucraino si salva dal congelamento grazie alla sua gatta Persik

こちらも同じくラ・ザンパの記事、2024年12月13日付ですが、
実際に起こったのは、かなり前の事の様な気がしますが、
これは読んで頂くとお分かりと。


救助隊が彼を発見した時、ウラジスラフ・ドゥダ・Vladislav Dudaは
山の斜面に沈み、刺すような寒さで体が固まり、生後4か月の雌の子猫
ペルシク・Persik・小さな桃、を両手で握りしめていた、と。

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彼は28歳の若いウクライナ人で、戦争の恐怖から逃れ、ポーランドへの
絶望的な旅を敢行しており、

この2人が「マラムレシュ・Maramures北部」の深さ400mの渓谷の
底にたどり着いた為、この旅は悲劇で終わりそうになったのでした。

近年で最も複雑な任務の1つに23時間従事した救助隊員たちは、
ウラジスラフを発見した瞬間の感情を、
「彼は疲れきって低体温症だったにもかかわらず、子猫を離さなかった」と。


救急車で搬送されている間も、子猫ペルシクが同様の配慮をもって
治療される事を彼に納得させる必要があった、と言い、

マラムレシュ山岳救助隊の責任者、ダン・ベンガ氏はAP通信に対し、
「猫は暖かく、体を温めてくれたので命が救われた」と語ったそうで。

「私たちが見た中で彼が気にかけているのは猫だけで、彼は自分の
事など気にしていません。」と。


マラムレシュ山岳とはどこに、と地図で探すと、

ウクライナと、彼が辿り着きたかったポーランドは遥かに遠い左上で、
見つかった渓谷は、赤の点線で囲まれた、ルーマニアの位置に。

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ウクライナからの若者の逃亡を防ぐ為に、国境線はかなり厳しく警戒
されているのも読みましたので、きっと彼はそれを逃れる為に遠回りし、
その挙句に思ってもなかった山岳に迷い込んだのでしょうね。


必要な治療を受けるために一時的に別れた後、ウラジスラフとペルシクは
再び会って抱き合い、その光景には誰もが言葉を失った程で、

「猫が生きているので、私は幸せです。 私は神から新しい命の可能性を
受け取りました。 最も幸せな瞬間なのは、彼女が私と一緒にここにいるからで、
彼女のいない私の人生は想像できません。」と涙ながらに若いウラジスラフが。


彼は、2022年2月24日ロシア進攻のあったすぐ27日以降に数多くの
虐殺があった事で知られるブッチャ・Bucha,Buča近郊の村出身で、
記事は活字の1つが伏字になっており、

本職はジャーナリストだった彼は、徴兵されて前線で戦うことを避けるため
国を離れる決意をし、
ウクライナは徴兵制度を変えたので、きっとその恐れが大きかったのでしょう、


が、ポーランドへの旅は、国境での発見を避ける為に危険なマラムレシュ
山脈を越える事を選択した事で劇的な変化となり、

最初読んだ時は気が付かず、そんな険しい山岳地帯で、捜査隊に
見つけて貰ったのはどの様に、と思ったのですが、

そうなんですね、きっと他にもこの山越えで国を脱出する若者がいて、
それで事故防止の為に捜査隊が組織されているのでしょうね。


彼はデュダAP通信に対し、
「あらゆることを経験した後、ただ見つかって生き残ることを望んでいたのが
夢のようだ。 ペルシクのおかげで私の心は温かく保たれ、
私の信念は生き続けた」と語り、

道は険しく、逆境は容赦なかったものの、ウラジスラフとペルシクは
諦めず、遂に生還、

現在、慈善団体の援助を受けて、この若者はルーマニアに定住するか、
それともヨーロッパの別の国に留まるかを決つつあるそうで、

確かなことは、彼と彼の猫が将来直面するかもしれないあらゆる困難に
一緒に立ち向かうだろうということ、と。 良かった!!


***

現在世界中が何やら戦時真っ最中の様相を呈していますが、

その中で戦争に巻き込まれている国、その人々、様々な葛藤があり、
悲しみも涙も、そして血もたくさん流れ、どの様になるのかと思います。

が、負けずに生きる人々のお話は、自分にいささかの勇気を、と
励まして貰っている気がする時があり、それを忘れまい! と思います。

年の瀬も近く、どうぞご自身をも労り、お元気でお過ごし下さいね!!


*****

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・ 2016年イタリア中部地震 その8年後の様子は

先回2014年今年の新雪情報をお知らせした時、最後に見た
マルケ州アスコリ・ピチェーノの地図で、
山の向こうのウンブリア州のカステルッチョ・Castelluccioの
ほんの一部ながらの復興ぶりを見て、

そういえばここ暫くその後の様子に接していなかったっけ、と思い出し、
その後の様子をあれこれ調べて見ました。

これは2016年8月24日の震源地一帯の様子で、

1.terremoto-amatrice.jpg

震源地はアックーモリ・Accumoli、アマトリーチェamatriceから
9km程北、マグニチュード6.0、深さ8km、20秒ほどの揺れだったと。


このオレンジ色の帯はこの一帯の地殻断層、ユーラシアとアフリカの
2つのプレート間の衝突で、非常に地震活動が活発な事を示し、

2-Schermata-2022-08-19-alle-12.15.03.jpg

今回の地震はアックーモリの左に見える断層で、他の断層は1980年、
2009年など、イタリアにおける長年の大地震の原因となっていると。


名が挙がった土地の写真を探しつつ、改めて8年前の様子、復興の
しるし等もご覧頂きます。

これはアックーモリの被災後の村の様子。

3-accumori 2016.160436.jpg


4年後2020年5月の日付け、村の主教会、支えられた鐘楼。

4-2020.05.21_115218-Accumoli.jpg


2019年付けの、新道路の写真。 復興が進んでいる事を願いつつ。

5-accumori 2019.160631.jpg


そして一帯の地震地の中で中心的存在となったアマトリーチェ。
町全体が崩壊し、瓦礫に。

6-effetti-terremoto-amatrice.jpg


こちらは町内道路に従っての取り壊し、片付けが済んだ姿で、

7-amatrice centro-12-04 162046.jpg

中心に残る町のシンボルの市の塔、8月末の地震では頑張って
残ったのが、続いての揺れで、遂に塔の上部が落ちましたが、
この写真では上部のみの崩壊だったのを幸いに復興された様子で、
良かった。


ですが、経済活動、新しい住居などはかなり離れた一帯に別に設置され、
こちらで観光客なども迎えている様子です。

7-amatrice 2024.08. 170153.jpg

アックーモリ、アマトリーチェなどはラツィオ州になりますが、
北に延びる村々はウンブリア州で、こちらの被害も大きかったのでした。


ノルチャ・Norciaの大聖堂、長い間こんな姿だったのですが、

9-norcia 2022.09.163511.jpg

漸くに7年後の昨年10月に聖堂でのミサが行われた様子で、
が、まだ脇の方は工事中の姿なのが見えました。

ヴィデオはこちらからご覧に。 良かった、良かった!


広場の中心で手を伸ばされるサン・ベネデットはこのノルチャの生まれで、
現在の聖堂地下に、生家と言われる家屋跡が残り、
サン・ベネデットはまたヨーロッパ全体の守護聖人でもあります。

10-norcia 2022.09.163511.jpg


広場脇のかっての城は博物館で素晴らしかったのですが、どうやらまだ
修復が済まず、開かれていない様子。

11-norcia 2022.09.1635.jpg


ノルチャは豚肉製品でも素晴らしく有名で、どうやらこの店は
2022年9月時点でも修復中の様で、店頭には写真と豚ちゃん達が
頑張っており、その後の素晴らしい回復を願いましょう。

12-norcia 2022.09.163511.jpg


そしてノルチャから峠を越えて行く「大平原」の北に位置する
カステルッチョ・Castellccio. こちらがかっての姿。

13-castelluccio_di__norcia_umbria_italia.jpg


2019年8月の姿。 崩壊、半壊の家の片付けがほぼ終わった所でしょうか。

14-2019.08.04s.jpg


そしてつい先日見つけていささか仰天した村の入り口付近!
駐車の車、バイクの多さ、

15-castelluccio-webcam-6-aprile-2024.jpg

右奥の新しいクリーム色とピンクの建物の、奥のピンクは新しいB&B!


店の賑わいはこんな様子で、2023年夏。 右奥にも新しい店が! 

16-castelluccio 2023. 162538.jpg


そうです、ノルチャの自慢の豚肉製品が提供され、はい、お金が
落とされるのは大変結構ですが・・。

17-castelluccio 2021.162435.jpg


そして北に山越えをし、プレーチ・Preci. ここは村の中は
あちこち被害があったものの、大きな崩壊などは少なく、
とはいえ、あちこち半ば、で、逆に住めない、問題も大きかった様子。

2017年4月の写真。

18-PRECI1-2017.4.23.jpg



上の写真の右にチラッと見える教会も鐘楼は崩れず、正面の上の
修理がまだ終わらず、という2021年の様子。

19-preci 2021.161234.jpg


この写真に見る様に、プレーチは一見無事なのですが、

20-97465_preci_2_preci.jpg


少し離れた場所のサン・テウティーツィオ修道院・Sant'Eutizio。

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ここは中世の医家学校、外科も含めて、ヨーロッパ各地の宮廷医も
輩出したほどの学校であったのが、


奥半分、山側の上にあった鐘楼が落下という大被害となり、

22-preci.jpg


漸くに見つけた、修復工事中の写真2019年。 まだまだこれから、と
いう様子ですが、まずは修復が始まっている、という事で・・。

23-esdefault.jpg


カステルッチョに至る北からの道の基地は、マルケ州になるヴィッソ・
Visso.
ここは長い事まるでニュースが見つけられなかったのですが、漸くに。

未だ中心地はレッド・ゾーンで住めずですが、修復が進められており、
進行中を見学させたりも行われており、

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上の写真に見える教会内も、こんな風に開放しており、

26-visso s.maria-12-06 153818.jpg


時代衣装を着てのご案内もで、

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こちらは現市長のカテリーナ・モリナーロ氏。

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そして、伝統の回顧祭り、毎年夏の7月末から8月初めにかけての
「ヴィッソ・トルネーオ・デッレ・グアイーテ・Visso Tprneo delle Guaite」
のお祭りの触れ太鼓が漸くに廻った、という写真で、

29-1697370277111_Turismo_Cratere_Visso.jpg

被災地でのこういう祭り姿を見ると、ああ、人々の心の中にも、
少しは上向きの空気が出て来たのだ、と思えて、良かったぁ!と。

で、お祭りの様子を読んでいて、競技はアーチェリー、槍投げなど
伝統的な物で、一緒に中世の音楽、演劇、地元の手工芸品や
食品屋台も、と。

ヴィッソの歴史、中世には大変に繫栄し、1255年にノルチャ城など
7城をノルチャから買い取ったとか、

お祭りの名に出ている「グアイーテ」というのは、ヴィッソや近くの5つの
地区に住む古代民族の名称で、元はサビーニ族起源とか。

あれこれ探し物をしていて、思ってもみなかった新しい事に出会うと、
なんとなく嬉しくなり、‥でも、きっと皆さんもそうでしょ?!


という事で、イタリアの例により遅々と進まない復興事業、
と、記事をあれこれ読んでいると、地元民の要望と政府側対応の
違い、多額の修復金額の捻出についてのあれこれが山とあり・・!

でもそれでも何とか進んでいるのが分かり、ちょっと安心を。
地元の方々も、10年かかる、と忍の心。


最後は、カステルッチョの麓、大平原に見える「イタリア」を。

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私めも元気で、また出かけたいウンブリアの地です!!


古い記事のあれこれ、見てやって下さい。

n.2 カステルッチョ、 そして、大平原のお花畑
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309182.html

n.1 カステルッチョ、 そして、大平原のお花畑
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464308843.html

プレーチ と サンテウティツィオ修道院 ・ 中世の外科学校を誇る

ヴァッロ・ディ・ネーラ ・ 中世のまま、不思議な美しさ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307447.html

2007.05.15 ノルチャ ・ そして、カステルッチョ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307296.html


地震以降の様々な土地の様子、復興、修復についての記事はこちらに。

イタリア中部地震 速報 ・ 追記  最終
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464430147.html

大地震の後の、 歴史遺産と町の修復保存に付いて
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464430525.html

再度の復興の願いを込め、 地震被災地への追悼を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464430947.html

中部地震2年後の、カステルッチョの今は
https://italiashinkai.seesaa.net/archives/201810-1.html

イタリア中部大地震から1年  その後の復興状況は
https://www.italiashiho.site/archives/20170807-1.html


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・ 2014年 イタリアの(初)雪情報を

遂に12月となり、寒さも迫って参りましたねぇ! 
北日本にお住まいの方のブログで、雪景色を拝見する事も
しばしばですが、

こちらイタリアは?と「2024年初雪」と検索しましたら、
意外と遅めの雪情報、写真を見つけましたので、ご覧下さい。

まず南イタリアになるアブルッツォ州のグランサッソ・
Gransassoの初雪、とはいえ、遠い山頂に雪は9月14日付け。

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グランサッソは、イタリアではアペニン山脈と共に高山山脈で、
一番の高山は3000mに近く、広い高原も含まれる地。


地図でも山頂が白くなっているので、フフ、となりましたが、

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左下に見えるアクイラ・L'Aquila、2016年の中部地震で
町壊滅となった中心地も白く見える地域があり、
その後の復興状況が気になります。



そして11月18日付けの写真は同じアブルッツォで、
かなりな雪となったスキー場の様子。
 
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そして北、バルドネッキア・Bardonecchiaの雪景色。
正確な日付けが紛れましたが、最後のスキー姿には10月20日と。

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白くなった怪奇な山脈姿と、

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バルドネッキアと、トリノとの位置関係をどうぞ。 
赤、白の点々はフランスとの国境線。

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先回見て頂いた牧羊犬チワワのオビ・ワン君は、この西のアルプス圏で
活躍中だというので、寒さ苦手の彼には辛い事でしょうねぇ。



11月21日付けのピエモンテ州平地の雪! 本格的な雪ですねぇ。

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再度南イタリアのロッカラーゾ・Roccaraso. 村全体が雪!

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やはりアブルッツォ州の山岳地帯に位置し、南のモリーゼ州との境も近く。

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厳しい山岳の姿が白くなっているのを見るだけで震え上がるshinkai。



サイトを探していましたら、素敵な初雪の写真があり、ご覧下さい!
https://www.myvalium.it/2024/11/prima-neve/

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最後はアスコリ・ピチェーノ・Ascoli piceno 11月28日。

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こちら北イタリアも、奥にちょっと見えるフリウリ州の高山の頂は
既にかなり前から白くなっていますから、同じ位かな。


地図を見ていて、先回アスコリ・ピチェーノに行ったのは、
カステルッチョ・Castelluccioから山越えで行ったっけ、と思い出し、

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カステルッチョなどの写真も調べましたら、なんと驚くほどの
観光地となっており! 
鄙びたバール、食品などを売っていた店も賑やかな店で、
宿も北側に何軒か出来ており・・。

その後の様子も最近は見ておりませんでしたので、また調べてお知らせを。


皆様も風邪、インフルエンツァ、そしてコロナ菌なども拾われぬ様、
私めは既に対インフルエンツァ、対コロナのワクチンを打ちました。

皆様も十分にお気をつけ、お忙しい年末にお備えくださいね!!


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