
暫く前に、イタリアには一体いくつのお城があるんだろ?
と疑問がわき検索を掛けましたら、
へへ、いくつあると思し召す?
なんと、全部で3177!!
この数は城も要塞も含めてで、美しいのもそうでないのも、
堀のあるもの無いもの、城壁に囲まれたもの、
古い村の小高い頂上にあるもの、などなど、
近年になり、博物館やホテルに様変わりしたのも、
また観光客の訪れない土地にあるもの、未だその貴族の子孫や、
はたまた趣味が高じての方の持ち物となったもの様々ですが、
2007年の調査によると、
歴史的また高雅な貴族の城や邸宅に住む家族は
2404に及ぶそうで・・!
詳しくお知りになりたい方は www.icastelli.it に、とあり、
のこのこ訪問したshinkaiは、そこでサイトの一つのテーマ、
トップの写真にある「城に滞在する」というのに出会いました。
ふ~んとあれこれ眺めていて、知っている城が見つかったり、
わぁ~お!というのがあったりで、
では皆さんにもほんの少しご案内をと、ここに。
サイトで紹介されているホテルとなっている城や要塞、塔は、
ざっと数えても90以上あり、イタリア全土に渡りますので、
興味のお有りの方はサイトをご覧頂くともっと写真も多く、
ホテルの直接のサイトにも行けますので、どうぞそちらから。
今回、とにかく最初に目を惹かれたのが、これ、
オルシーニの城ホテル ネローラ

ローマから北東に50kmほど、車で1時間程の距離にあり、

ネローラ・Nerola村の頂上に君臨するオルシーニ・Orsiniの城。

詳しい資料は無く、10~11世紀の城と想定され、
オルシーニ家の物となったのが1235年、塔を嵩上げし、
城壁で囲んだ城にしたのだそう。
オルシーニ家と言うのは、教皇を2名も輩出したほどの古く著名な
ローマ貴族ですが、ブラッチャーノ公爵でもあったフォラーヴィオ・
Flavio Orsiniの没後1698年は、彼の直系は子孫がなく
途絶え、分枝であるデッラ・ローヴェレ家のものに。
その後も持ち主は変わったものの、20世紀になってCA.DI.というのが
買い取り修復、現在に至っているそう。
こんなプールも有り、

食堂、レストランか、これは結婚式の披露宴会場と。

ローヤル・スウィートのお部屋!
上の会場にしろ、この部屋にしろ、
何とも石壁の威圧感がすごく・・!

こちらはスウィートのお部屋、

へへへ、シングルのお部屋も見つかりましたが・・!

全部で50室あるそうで、
ホテルのサイトは
北イタリアはボルツァーノから電車で30分程の
メラーノ・Meranoの山奥にある、
ホテル・カステル・フラウスブルグ

地図をどうぞ。

こんな朝の光を見れる高所に在るようで、

ここは対ナポレオン戦の英雄でもあったアンドレアス・ホーファー・
Andreas Hoferが、
1624年に狩猟用に建てたものだったそうで、
1954年に現在の持ち主Ortner家に、ホテルに改築改装、
このタイプのものとしては唯一の5つ星と。
北の香り、ティロルの香りというのか、

緑に囲まれた食卓。

こんなテラスでの体操も出来、

スウィートのお部屋。

11月から4月の初め、つまり復活祭前まではお休みと。
他にもそのお知らせの在るホテルがありましたので、
もしお泊りご希望の方は、ご留意を。
カステルブランド、 ヴェネトの我が家の近く。

地図をどうぞ。

いつも歩いているカルページカ・Carpesicaも、オリアーノ・
Oglianoも載っているのに、我がスコミーゴ・Scomigoがない!
悔しいので、ははは、赤点を打ちましたぁ。
かってはここまで馬車で乗り入れた、というフロント前、

右に見える大階段は、
この様に一番上まで続きますが、横に各階に連絡、

食堂・レストラン。

ローヤル・スウィートのお部屋。

城は一度訪問見学した事があり、こちらに。
あれっ、あそこの城だ、と懐かしかったのが、
カステッロ・ディ・レオニーナ・ルレ

地図をどうぞ。
シエナの東南から、シエナのクレーターと呼ばれる侵蝕地を
アシャーノに向かう途中、細い地道が続いているのを見て、
どんなのかと辿ってみた村にあったのでした。

その時の様子はこちらに。
地図に見えるアシャーノ・Ascianoから地道を
Monte Sante Marie, Torre a Castello
と辿った様子は、
表から中をそっとしか覗けず、元修道院かと思ったのでしたが、

村の名の通りカステッロ・城、村、というより要塞が
シエナによって築かれたのが中世で、
1234年には、ここはシエナとオルヴィエートの領界争いの
戦闘の舞台となり、破壊が酷く打ち壊すしか無かったそうで、
15世紀になり、同じ場所にルネッサンス様式で建設されたのが
現在の元になるもので、
その後徐々に持ち主の農家が要塞化したものだそう。
20世紀になり、荒廃していたのが元のように修復され、
2003年から現在の姿と。
食堂、レストラン。

そう、ここは土地が高く、眺めも素敵なんですよね!

ただ、サイトの写真には小さなまやかしがありましてぇ、
サン・クイリコ・ドルチャの東の有名な眺めの写真が使ってあり、
それはまぁ、車で行くと50k足らずの行程で、
1時間ほどで行けますがぁ・・・!
スイートのお部屋。

壁に、シエナのパラッツォ・プッブリコ・現市役所にある、
シモーネ・マルティーニ作の「グイド・リッチョ将軍」の絵が
見えますが、彼に関係のある戦だったのかどうか、調べてみよう。
という所で、その1を終え、次回に続けます。
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