・ ブレンタ川沿いの、ヴィッラ・ヴェネタ  ほんの少し  n.1

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  先日ヴェネトのブレンタ川・Brenta沿いの写真の欲しいのを
  思い出し、探していて、そういえばこれはまだご案内していなかったっけ、
  という事で、はい。

  ブレンタ川というのは、アルトアディジェ州のトレント辺りから流れ下り、
  バッサーノ・デル・グラッパからヴェネト州に入り、
  このヴェネトの平野を流れる頃にはゆっくりと、そしてヴェネツィア湾に。

  かってはヴェネツィアからパドヴァへの連絡の船が通っていて、
  現在は観光客用の船が夏の間運行中。

  というのも平野の眺めも美しいのですが、その中に点在する
  ヴェネツィア貴族の館、別荘が色を添え
  長閑で大変美しい趣なのですね。

       
  今回ご覧頂くのは7年前の、へへ、ちょうど5月のもので、
  あれこれご案内して来たのの落穂拾いとも言えますが、ははは、
  美しい川の流れ、周辺のヴィッラの様子をごゆっくりどうぞ!

  トップは釣り人、そしてイタ鴨の家族。





  今回の写真は殆どドーロ・Dolo周辺ブレンタ川沿いですが、
  地図をどうぞ。
  ドーロは赤く囲った位置にあり、西に見えるストゥラ・Straから
  続く細い水色の線、これがブレンタ川で、ミーラ・Mila、
  オリアーゴ・Oriago、マルコンテンタ・Malcontentaを通り、
  矢印を付けた先、フジーナ・Fusinaでヴェネツィア湾に。

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  パドヴァ、ヴェネツィアどちらからも観光船が出ており、
  途中こんな風にレストランで昼食をする場合もあり、
  船での昼食もあります。

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  ヴェネツィアからのブレンタ川遊覧船の様子。 その1と2

  ドーロの骨董市





  川の幅はそう広くはなく、とても穏やか。

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  ちょうど長男の家に遊びに行き、お昼ご飯を食べに出た時、
  この辺りにたくさんヴィッラがあるから、とぐるっと一回りを。
  で、その時に見た内から3つご案内です。

  ヴェネト各地に点在するヴィッラの数は一致幾つあるのか! 
  ですが、有名なパッラーディオのヴィッラ、そしてその壮大さでは
  群を抜くと思われるのもいくつかあるのですが、

  今回ご覧頂くのは、そんなに有名なのではありませんが、
       
  まずヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・Villa Ferretti Angeli.
  我々は背後から近づいたので、こんなトウモロコシ畑も見え、はは、

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  正面はこういう感じで、

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  上部、タンパンの装飾。

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  こちらは横に続く倉庫部で、

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  正面部とはこういう感じでつながっており、

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  横には、こんな広い庭園が広がります。

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  ヴィッラを造ったのは、ヴェネツィア貴族の分枝ヴィチェンツァの
  フェッレッティ家で、
  その後リゴーニ・Rigoni、アンジェリ・Angeli家を経て、
  19世紀にはモチェニーゴ・Mocenigo家のものに。   
  で、正式のヴィッラ名はヴィッラ・フェッレッティ・アンジェリ・モチェニーゴ!
    
  20世紀初めに戦争の影響で衰退があり、がその後修復され、
  現在の持ち主はヴェネツィア県なんだそうで、
  ENAIP Venetoという事務所が使っている様子ですが、
  何の関係なのか、はぁ、読んでもさっぱりわかりませんで、ははは。
  ・・と笑いでごまかす。





  ぐるっと横から回り込むと、こんな風に先程の倉庫部があり、

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  きちんと正面から撮ると、こんな感じで、

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  今回これを書くのに調べ、なんとヴィンチェンツォ・スカモッツィ
  Vincenzo Scamozzi 1596年の作、と知りました!

  スカモッツィはヴィチェンツァ生まれで、パッラーディオが手掛け、
  彼の死で中途になったテアトロ・オリンピコ・Teatro Olinpico
  なども彼が仕上げたことで有名ですし、

  パッラーディオより40歳若かった彼は、パッラーディオの弟子の
  様にみなされ、偉大な名を遺した先輩パッラーディオの陰に
  半ば隠れていますが、実際は大変博識な勉強家であり、
  真のルネッサンスの建築家であったと言われます。
       
  最初の建築依頼がヴィチェンツァの貴族ですので、
  その関係もあったのかもですが、
  当時のヴェネトの第一級の建築家の彼に依頼というのは、
  やはり裕福な貴族であったのでしょう。





  shinkaiが撮ったのは、前庭がかなり広いでしょう?
  がサイトで、ブレンタ川からこんな風に見える写真を見つけ、

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  えっ、ひょっとして別棟があった?!と焦って平面図を探し!
  が、そうか望遠で撮ったか、と気が付き、ほっとした事でしたぁ。





  そして2番目のヴィッラは、やや小ぶりですが、こちらです。

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  これを撮るのに、目いっぱいに下がっておりまして、





  屋敷の門はこんな風にブレンタ川に面していて、
  今はちょうど門の前を通っている道も、当時は無かったかも・・。

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  門の両脇柱上の立像。

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  こちらが脇にあった門の彫像と、ヴィッラの名前。
  ヴィッラ・バドエル・ファットレット・Baroer Fattoretto.

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  隙間から覗くお屋敷。 
  一見手前は小さそうですが、奥は建て増しが見え広そう。

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  ヴィッラは名前にもある様に、著名なヴェネツィア貴族バドエル家、
  14世紀の初め頃からこの一帯に土地を持ち、その管理の為の
  田舎風館があったのだろうと考えられ、
  現在の形になったのは18世紀になってからの事と。

  左に見えるのが多分バルケッセ・barchesseと呼ばれる倉庫・
  納屋部分で、他に管理人の住居もあるそうで、
  1846年バドエル家はここを売り払い、その後数回持ち主が変わり、
      
  第2次大戦中にはドイツ軍の軍病院、その後英軍の倉庫となり、
  かなりの変革があった様子で、

  1945年にここを買い取ったのが現在の持ち主、門柱に
  名の見えたファットレット・Fattoretto、
  ワイン醸造業という事で、サイトを見つけました。


  サイトの最初のページに2つ項目があり、左がワイン醸造で、
  右がヴィッラのページに。
  ワインは特別高級ワインではなく、一般向け赤の様ですが、

  右のヴィッラのページからMUSEO・博物館に行くと、
  ヴィッラ内にある、土地とかっての農民文化、職人道具の
  大コレクションのVillano・ヴィッラーノ博物館の様子も見れます。

       
  奥は広大な庭園で、そうそう、持ち主があれこれ変わった内に、
  1903年に買い取った男爵シャンタール・Chantalが
  掘った池があるそうで、というのも、何世紀も前に
  僧侶たちが隠した宝物があるというので掘ったのだそう!
  見つかったどうかは・・、書いてありませんでしたぁ、ははは。


  サイトによると、ヴィッラとお庭、博物館の見学はガイド付きで、
  4月、5月、6月、9月、10月の祭日、15時、16時半、18時に。

  グループ10人以上は、予約すると年間を通してOK、
  予約すると、ここのワインとおつまみのサーヴィスも、という事で~す。





  前から見る庭園の奥、 木陰にはあれこれ隠れた像も見え、

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  という、ヴィッラ・バドエル・ファットレットでした。





  長閑なブレンタの流れを愉しんで頂き、

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  続きは、その2の方でご案内を。



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