先回ご紹介のメラーノから西に続くヴァル・ヴェノスタの
西の端にある小さな町グロレンツァ・Grolenza.
駆け足で見て回ったのでしたが、
常に見る「イタリアで一番美しい村々」とはまるで雰囲気が違い、
南ティロルにおける6世紀の歴史を滲ませる小さな町でした。
そんな様子をご覧頂けますように!
トップは、町の門。 正式名かどうかはっきりしませんが、
トゥーブレ門・Porta di Tubreが町への門とあり、多分これ、
メラーノ方面から来ての町の門に当たります。
車もバスも通り、人間は門の横の通路から通り抜けも出来、
通った所にインフォメーション。 我らが行った時は既に閉店でしたが、
門の塔の上にも上がれる様で、かっては住居にもなっていた様子。
グロレンツァの町の位置地図は先回載せましたので、
町の中心部の地図を。
1.2.3.に町の門があり、上の門は1の門で、
まっすぐ行った4に中心の広場、5は教会、
6はず~っと続く古いアーケードの道。
町の南を通る水色の線は、アディジェ川で、
7は町の教区教会サン・パンクラツィオ・S.Pancrazio
さて町の門1から入り、まっすぐ中心に向かって進みますが、
見えるすぐの家、煉瓦の窓の様子からどうやら納屋の様ですが、
その壁にGLORENZA と書かれたのが剥げかけて見え、
並んでドイツ語表記のGLURNS・グルルンスはほぼ消えて・・。
ちなみに町の標高は907kmで、人口は900人足らず、
ドイツ語を話す人の割合が96%を越す比率なんですと!
この町からスイス国境までは約10kmほど。
せっせと歩きながら道の左右を見回し、脇道も覗き込み、撮りつつ、
今回知り合ったグループの一人が話しかけてきて、
自分の従弟はカトリックの神父で日本に既に50年も行っている。
日本が気に入ってる?
とても!! 3年に一度ちょっと戻るけど、日本をとても愛していて、
きっと日本で満足して死ぬだろう、と。
日本のどこにいるの?
最初は大阪で、そのあとはあちこちと転勤で・・。
そんな嬉しい話を聞きながらも、せっせと撮って行きます、ははは。
これは地図5の教会。 全体の様子は通り過ぎてからのものですが、
16世紀の再建だそう。
オスペダーレ教会・Ospedaleという名の様で、
元々は徒歩旅行者達の救済も兼ねた教会だったのかもですね。
入口と内部。
教会の横、東並びに見えた長い通り、ポルティチ・アーケードの通り。
建物の前側下を低くくり抜いた道で、頑丈そのものの太いアーチの柱!
冬の積雪の深さが想像されますね。
道はちょっとカーヴして、奥の中心広場に続きますが、
この建物の看板文字に、Gasthof Steinbock とあるのは、
ホテル・カモシカというのは、絵解きでもあるのでOKですが、はは、
出窓にリストランテ、マチェッェリーア・肉屋とあるのに一瞬ギョ!
・・まぁさか、肉の生き作りというのは無いよね?! とひ弱な日本人・・。
横の壁に見た、にっこりティロル衣装の僕。
お祭りの時には大人もこんな衣装なんでしょうね。
道の向かい角の建物。 これが町で一番派手な装飾だったと。
グロッレンツァの町が記録に最初に登場するのが1163年。
既にオーストリア、スイス、そしてロンバルディーア(ミラノ)との通商交易の
街道の要所として栄えており、1304年(1309年とも)「町」に昇格。
現在でもヨーロッパで一番小さな町のひとつだそうで、
上に人口900人足らずと書きましたが、町の城壁内には400人程と。
で、スイスの独立を掛けたシュヴァーヴェン戦争、
スイス連合側とオーストリアのハプスブルグ家との戦争のいくつかの
戦闘のうちの、1499年のカルヴァ・Calvaの戦いの際、
敗北したこのグロレンツァの町は完全に破壊されつくし、
「私の宝石」と呼び、町を愛していたオーストリ皇帝マッシミリアーノ1世、
この方はインスブルックの町の広場の「金の屋根」を造られた方ですが、
破壊された町を再建し、その際に城壁をめぐらし、スイス側との国境近い
この町をハプスブルグ家の橋頭保とした、という事で、
現在残るこの町をめぐる城壁は当時のままの姿を保ち、
最初にご案内の様に3つの門を持ち、城壁の上には巡回の兵士通路
があり、350の銃眼、7つの角に塔、といった具合。
上記の様に、町は東西南北の通商道の要所として栄えてきて、
とりわけインスブルック近郊のハル・イン・ティロル・Hall in Tirolo
からの岩塩の取引の町として長い世紀の繁栄があったと。
町の中心広場から、東の門と、その右に橋が見え、
門の入口上に見える町の紋章。
やはりこの門の塔の上にも上れるようす。
橋の向こうに見えるのが町の教区教会サン・パンクラーツィオ。
鐘楼の玉ねぎ型の頂上は17世紀に加えられたものですが、
鐘楼自体はロマネスクのもの。
鐘楼の北の壁には、15世紀末の大きな「最後の審判」のフレスコ画が
あるそうで、残念、見ておらず。
屋根がチカチカと見えるのは、ボルツァーノやウィーンでも見ていますが、
様々な色の丸い(うろこ型)の小さな瓦を張り付けたもの。
町の人々の言葉には、
町が小さすぎるので、我々は教会のミサに行くのに城壁の外に
行かなくてはならない、というのがあるそう!
通常の橋の横に、こんな木製の屋根付き通路があり、
これもきっと冬の積雪の際の通り道なんでしょうね。
ここを流れる、この慎ましいのがアディジェ川!
ヴェローナの街横を滔々と流れるアディジェ河とはえらい違い、ははは。
外側から見る町の門。 堂々としているでしょう?!
城壁への渡り廊下に見えるPaul Flora・ポール・フローラというのは、
この町生まれの画家、イラストレーターで、
この塔の中にも展示会場があるのだそう。
町の中心広場に戻り、仲間はバールのテラス席で一服中。
奥に北側の門が見えますが、
後程この横の城壁の上に上り、この門の所に出てきた様子も。
という所で、その2にご案内を続けます。
*****
水彩+色鉛筆画ブログには、
アップしています。
見てやってくださ~い!
*****
いつもブログご訪問、有難うございます!
この記事へのコメント