メラーノ・Meranoの町ご案内その2は、先回正面入口をご覧頂いた
サント・スピリト教会・Santo Spiritoの内部ご案内からどうぞ!
建設オリジナルは13世紀ですが、その後川の氾濫による破壊があり、
現在見るこの姿は1483年に再建されたもので、
内部はこの一帯のスタイルであるドイツ・ゴシック様式、
9本の円柱による3廊式ですが、
天井全体がご覧の通り、蜘蛛の巣の様なヴォールトである事、
内陣後陣が一体となった丸い形なのでそちらに目が取られ、
そうか、そういえば3廊式だよね、と
そして内陣の祭壇の後ろ、十字架の掛かる円柱ですが、
中央の円柱上部には、余り例を見ない三位一体像、
暗くて見え難いですが、
キリストを父なる神と聖なる魂が両方から支える形があり、
内陣の脇から祭壇の後ろに繋がる形で通路になっており、
つまりこの中心の円柱を囲む回廊になっているのだそう。
気付かなく、確認せず・・。
内部には木製彩色、折り畳み式の祭壇の形の像がいくつかあり、
こちらはピエタ像。 いつもは聖母とキリストのみ、が多いのですが・・。
壁にあった14世紀の十字架像。 こちらも脇にお供するのは女性像。
教会内部はとても暗く、写真で見て頂いているほど明るくなく、
これは後陣のステンドグラスの細部。 多分後世の物と思いますが、
細かい柄が良く写っていたので、ご覧ください。
教会南面の壁に、1450年の十字架像のフレスコ画があるそうで、
画家の名もAmbrosuis Ganderと判明しており、
これは1964年の修復の時に発見された物で、大変保存状態が良い
そうですから、これからお出かけの方、どうぞ!
という所で外に出て橋を渡り旧市街方面に戻りますが、
橋の手前に小公園があり、そこにこのエリザベス皇后(シシー)の像が。
彼女はメラーノの町郊外にある城にも住んだり、のご縁なのでしょうが、
これではほっそり美人だったというのは分かりますが、
あまり美人に見えないので、はは、次のも。
こちら、1867年のという、写真をどうぞ。
エリザベート・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ(1837-1898)
オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。
17歳の時、姉の婚約者であったフランツ・ヨーゼフに見初められ結婚。
が、姑は実の伯母の上、窮屈なウィーンの宮廷生活が苦手な彼女には
大変だったとか、いろいろ逸話がありますが、
何よりも自分の一人息子が愛人と心中し後継者が無くなり、
甥を後継に決めた所がサラエヴォで暗殺、第一次大戦に突入となったり、
自身もジュネーヴで暗殺される、という難しい人生でした。
絶世の美人を謳われ、フランツ・ヨーゼフをイチコロにしたのも、
こういう高貴な方にとってはどうだったのか、・・それぞれの人生は本当に様々。
そうそう、後継者となった甥フェルディナンドも、後継となる以前体調が悪く
(肺炎だったか)ここメラーノで療養し良くなったと読みましたし、
また妻が王家の血筋ではない事から、オーストリア=ハンガリー帝国の後継に
なる前に、妻と子供達は王家の後継にはなれない事を了承させられたり、と
・・こういう逸話を読みだすとまさにゴシップまみれで、終わりがなく・・!
さてポスト橋を北に渡り、パッシーリオ川沿いの「冬の散歩道」を東に。
なぜ「冬の散歩道」なのか、多分川沿いの道に沿って、
こんなアーケードがあるからかもですが、薔薇の花が咲き乱れ、
小路の先にはバールなどもあり、心地よい散歩道が続きます。
ワンちゃんたちもたくさん連れられて来ておりましたが、
ほらね、この子は、なんね、お前は? という目つきでしょう?
それが了解を貰って写真を撮り見せ、飼い主が「この子はバブーというの」
「あれ、あんたはバヴーなの?!」と言った途端、
大ニコニコ尻尾パタパタで、口にピンクの豚ちゃんを咥え、遊ぼう!って、ははは。
こんな風に川のカーヴ辺りまで東に行き、北に入り込みます。
この先に古いローマ期からの橋があるそうですが、これも見ておらず残念!
両方からの石塀が作る小路を通って行くと、
古くからの住宅街というのか、懐古的スタイルがあちこちに見られ、
窓から猫ちゃんが覗いたりの、はは、とても良い趣の一廓で、
道の十字の角にこの大きな木。 何の木と思われます、桑の木なんですよ!
我が村のあちこちにも大きな太い桑の木がありますが、
こんな風に高く育った桑の木を見たのは初めてで、気持ち良い驚きでした。
やはり養蚕があったのかな、とも思いましたが・・。
そして辿るこの小路。
この道の中ほどに、こんな小さな碑が2つ埋められており、
この近くに住んでいたユダヤ人母子の名か、1943年、上のエーレナは6歳、
翌年アウシュヴィッツで、フランチェスカは39歳で拉致され、殺害、と。
ボルツァーノ県の大多数のユダヤ人はメラーノに住んでいたものの、
すでに大多数が他に逃れ町には約60人ほどだったのが、1943年9月
徹底捜査が行われ22名が逮捕、ここから絶滅収容所に。
イタリア国内から収容所送りが行われた最初だったと。
上の親子の小さな碑が語る、この町でも起こった暗い歴史のひとつ。
さて広場に出てきて、
広場の西には、町の中心教会でメラーノのドゥオーモとも呼ばれる
サン・ニコロ教会・San Nicolò の鐘楼、高さ83m、と後陣部分が見え、
後陣の斜め後ろに見えるこの建物、洗礼堂かと思うのですが、
中に入って見れずで、右隣の、接触している建物はドゥオーモ博物館と。
入り口脇に見える、サン・クリストフォロのフレスコ画。
教会脇を通る道筋のカフェでは、すでにアペリティーヴォ・食前酒の時間で、
羨ましく眺めつつ、ははは、我らは後陣の脇から背後に見える鐘楼の下の
アーチをくぐり、教会の入り口に回ります。
という所で今回のご案内を終わり、内部のご案内は次回に続きます。
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
****
水彩+色鉛筆画ブログには、
アップしています。
見てやってくださ~い!
*****
いつもブログご訪問、有難うございます!
この記事へのコメント