アッシジのご案内、新しく整理した写真をご覧頂きたく、
既にアップしたのは極力少なくお目に掛けますので、
どうぞごゆっくり、中世からずっと変わらず続いているこの町、
イタリアの守護聖人の町でもあるアッシジ・Assisiの様子を
お楽しみください!
アッシジの町は前回ご覧頂いたように、スバシオ山の中腹に東西に細長く、
で、町の通りは東西に延びる線がいわば平行に4,5本あり、
それに連絡する縦、南北の道が建物の下をくぐる石段の道であったり、
斜めに通る坂道であったりしますが、
町の一番下側、南側を通る道がボルコ・サン・ピエトロ、
サン・ピエトロ教会の横から東に向かって続く長~い坂道で、
道の名が途中からヴィア・サンタッポリナーレ・Via Sant'Appolinaleと
変わり、坂道の突き当りが左にカーヴします。で、
上の小さなバラ窓はそのカーヴした道に見える、
サン・ジュゼッペ修道院・Monastero di San Giuseppe.
左側に見える建物、前からあった薔薇窓の建物に食い込んでいる形で、
ずっと修道院の付属教会だと思っていたのですが、
サンタッポリナーレ教会、というのを今回知りました。
カーヴした坂道を上って行き、左手に見える入口の上、庇屋根の下の
聖母子と聖人たちか天使に囲まれたフレスコ画。
建物はサン・クイリコ・クララ修道院・Monastero s.Quirico CLARISSE
の標識が出ておりました。
クラリッセ・クララ修道女、女子修道士というのは、聖フランチェスコに従った
聖キアーラが起こした、フランチェスコ会派の女子修道士会ですので、
ここアッシジにあるのも良く頷けます。
また少し坂道を上ると、サンタ・マリーア・マッジョーレ教会・S.M.Maggiore、
先回後陣の庇下の動物たちと鐘楼をご覧頂いた教会ですが、
の前、駐車された車でいっぱいの広場に出て、細長い広場にはこんな泉。
なぜか珍しく感じたのは、アッシジの町にはこういうタイプの泉が少なく、
コムーネ広場にあるような大きな立派な泉や、洗濯場を兼ねたのかな、
と思う様なのが多いので、
普通のこの形の泉が珍しかったのですね。
道なりに進むと、こんな立派な壁のフレスコ画、ニッキ・壁龕も。
これは町の下から2番目の通り、ヴィア・フォンテベッラ・Via Fontebella
通りの家。 道の南側にあり、地階は山の傾斜に沿っての建物と思われますが、
家の前のテラスが以前よりももっと整備され、ちょっとした骨董店式に!
この家の右側の窓を以前描いた事があり、やはり懐かしく、通った時は見つめますが、
ここも以前とはずいぶん変わりました。
これが通りの名フォンテベッラ・美しい泉、の由来とではないかと思う
美しい大きな泉。 背後のピンクの石にはフォンテ・マルチェッラ・
Fonte Marcellaと彫り込みが見えますが、
昔スケッチを取っていた時に覗きに来たシニョーレが、盾の泉・フォンテ・スクード
というのだと教えてくれたのを覚えています。
確かにたくさんの紋章が見えますものね。
中世そのものと思うアッシジも、時と共に変わっている部分もたくさんあり、
shinkaiが昔スケッチをした頃はこの泉も水があふれ、鳩たちが入れ替わり
立ち代わり水を飲みに来たり、朝は身づくろいしたりしていたものですが、
その後行った時は修復中で柵があり、今回見た時は柵は無くなったものの
周囲は駐車の車でいっぱいで、水の流れも止まっておりました。
暫くの間の断水、だと良いのですが・・。
お昼近くなると、客待ちで用意されたテーブルが目につくようになり、
日よけのテントや木陰の席が如何にも心地よく、美味しい物が食べれそう・・!
以前スケッチしたり、絵にした場所はやはりひと際思い入れがあり、
あの植木鉢の木が大きくなったね、とか、テラスに花鉢も置かれてる、と。
並行の東西の道と、それを繋ぐ連絡道の為、アッシジの町にはたくさんある
こんな角の建物。 上の家は以前正面に扉があったのですね!
歩きながら、左右を見渡し、ははは、常にモチーフになりそうな場所を狙い、
時間による影の位置が違うので、良さそうな場所はどんどん撮って行きますが、
こういう古い大きな窓も素敵でしょう?! 大きな古いお屋敷ですね。
これは町の目抜き通りサン・フランチェスコ通り・San Francescoにある
ロッジャ・デイ・マエストリ・コマチーニ・Loggia dei maestri comaciniの
建物、13世紀。
ロンバルディーアのコモ湖周辺の石工の匠たちが、サン・フランチェスコ聖堂の
建設のためにやって来て、滞在していた館なのだとか。
右に見える坂道はサンタンドレア小路で、サン・フランチェスコ聖堂の東からの
正面が見える場所に出て行きますが、脇にこんなかわいい泉が。
こちらはコマチーニの建物の右側に張り出している部分ですが、
ここにはこんな三つ丸の紋と上に1477の年号。
小さな窓の上にはコンパスの浮彫がみえ、やはり建築に関わった謂れがありそう。
所でこの建物を調べていて、このコマチーニの建物の内部が現代風に改装され、
アッシジ滞在のアッパルトメントとなっているのを知りました。
内部写真もありますので、ご興味をお持ちの方どうぞ!
東西に並行の通りもやはり坂道は大ありで、ははは、
ここはコムーネ広場の手前のヴィア・ポルティカの坂道・Via Portica!!
通る度に、いつもこの坂道を行き来するアッシジの人は偉いよなぁ、
と思いましたっけ、ははは。
コムーネ広場の、正面がインフォメーション。昔は郵便局だったっけ。
春のお祭りが素晴らしく、2度見に行きましたが、
次回はお祭りのない時、
平常の町の顔が見れる時期に行きたいな、としばし思う今日この頃。
コムーネ広場の東端で演奏していたグラス・ハープのシニョーレ。
妙なる音が、バッハのトッカータとフーガを奏で、
しばしの憩いのひと時を頂きましたっけ。
夕日の当たるサンタンドレア小路の上の泉を見たく、またやって来ました。
今回はお祭りのために西側に臨時の仮扉が付けられ、その影が泉に延びて。
古いごつごつの石の壁、そして手彫りの石の水盤を見ていると、
中世の人々の暮らしを思い、お祭りの面白さとは別に、
当時の人々と対面しているような想いが時にします。
嵐の後に停電したくらいでオロオロする今の時代の我々と比べ、
なんとも根強かったのだろうな、という敬虔の想い、です。
泉のすぐ横で、お祭りから戻られたシニョーレに出会い、写真をお願い。
この衣装だと、かなり高位の方に扮されているのですねぇ・・。
町の東のサンタ・キアーラ聖堂前の広場から見る夕暮れ。
夕暮れ、というよりかなり遅くなっての、サンタ・キアーラ聖堂。
コムーネ広場に向かう東からの通りで。
赤の地区・下町地区の衣装を着けた太鼓隊の少年に出会い、1枚。
この辺りは青の地区・上の地区の筈だけどなぁ。
後ろですかさず自分もポーズをとる女の子!
遅くまで賑わっているコムーネ広場。
細い小路を覗きながら、こちらも坂道を下りつつ宿に向かいます。
夜の青の中のサン・フランチェスコ聖堂。
そして、アッシジを後にする朝の、サン・フランチェスコ聖堂。
また必ずいつかね!!
以前のアッシジのご案内は
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この記事へのコメント
Panda
Panda
shinkai
はい、アッシジの町はやはり独特な雰囲気を持っていますよね。
元々は聖フランチェスコの生地、その聖堂への参拝地という事から始まった一種の観光地でもあるのでしょうが、
やはり単なる観光地ではない部分が大きいのだと思います。
と、町の人々が元のままの街の姿を保とうと努力している事が良く分かります。
特別な夜の娯楽が無い町ですけど、それが逆に良い感じでもあるので、またいつかチャンスを見てお出かけ下さいね。
はい、そうです、トップの写真があの薔薇窓の絵です!
絵の師である二木さんが昔長い滞在をしたアッシジの町で、良く知っている筈なのに思い出せずで、私が描きだした時に、これは何処?!と焦った事がありましたっけ、ははは。