トスカーナ州はアレッツォ・Arezzo のご案内を続けますが、
街のドゥオーモとか、サン・ドメニコ教会とかあれこれまだ有名所はあるものの、
まぁ、古い教会ばかりでは書く本人も草臥れますし、ははは、
読んで下さる方の方がもっと、ですよね、 で、パスして、
今回は「アレッツォ点描、古い下町散歩」というタイトルで、
グランデ広場の南西の端から入り込んで辿った町並みの様子をどうぞ。

アレッツォは旧市街中どこもかしこが古い建物でうずまり、
その重厚さに圧倒されそうなイメージがありますが、
今回ご覧頂く通りは、多分余り観光客が歩く道ではない様な、
それにちょっと下町風なイメージがありましたし、興味深かったのですね。
上の写真はグランデ広場の北西の角から見た、東から南への家並で、
まだ街のお祭り「ジオストラ・デル・サラチーノ」の、各紋章が飾り付けられた
にぎにぎしい窓のあれこれ。
正面東側の、高さの違う塔が二つ並ぶのは、カーザ・デル・ラポッリ・
Casa del Lappoliと言い、オリジナルは13世紀に遡るというもので、

あれこれの説明が余り詳細ではないのですが、
ひょっとしてその左に並ぶ低い、一番上階に木のテラスのついた建物も
同じラポッリ家の物で、後の建て増しなのかも、です。
中世の建物らしく、間口の狭い細長い建物が並びますが、
それぞれの建物の木製のテラスが設えられ、かっての様子を偲ばせますね。

このグランデ広場は元々市が立ち、商業交易の広場として始まったのだそうで、
これら東から南面に並ぶ古い建物は、裕福な商人達の家だったのでしょう。
広場の東南の端から入り込む道、少しカーヴしてほんの少し上りの道が
shinkaiが入り込んでみた道で、ボルグント通り・Via Borgunto.

写真左下に見える祠には、
こんな女性像があったのですが、今回説明を見つけられず。

広場の西側。 この塔の家も13世紀のファッジョラーナ・Faggiolana家で、
左隣の建物はコファーニ・ブリッツォラーリ・Cofani-Brizzolariだそう。

で、この間に開けるボルグント通りに入って行きますが、
何よりも興味を持ったのは、この道端で古い鋳鉄の作品の手入れをするシニョーレ、
子供2人がすぐ傍で遊んでいましたが、それに惹かれたからでした。


アレッツォでは、このグランデ広場をはじめ主だった通りで毎月最初の土日に
大骨董市が開かれるので、こういう仕事も盛んなのかも、ですね。
昔初めてこの町を訪問した時、ちょうど骨董市の開かれていた日で、
その賑やかさに驚きましたが、グランデ広場で真鍮の「油さし」を買い、
何度か静物画のモチーフに使った、懐かしい想い出も。
道の向かい側には、小さな古物を売る店や、その修理専門みたいな小さな店や
工房が並んでいて、

写真の一番右端に見える写真と、上に宿の丸い標識が見えるのに興味を持ち、
ははは、アップして見ましたら、確かにアパート形式の宿で、
ラ・コルテ・デル・レ・La corte del Re と読め、サイトも探し出しました。
グーグルの地図を大きくアップして見ていくと、他の町でもそうですが、
小さな宿があちこちに見つかり始め、
で、そのサイトを探し、部屋の様子を見たり値段を調べたりで楽しみますが、
ここアレッツォでもかなりの宿がグランデ広場周辺に見つかりましたっけ。
道はこんな風に坂道ですが、

この道角にも塔があり、

今も十分に住んでおられるのですねぇ!

古い古い石の、半分欠けたバルコニーもあり、

この道角は2つ目ほどのヴィア・ピショーニ・Via Piscioniへの角の祠。

自分が通った道をブログに載せる時は、グーグルのストリート・ビューで
確かめていますが、
この角辺りでどう動いたのか、確かめられなかったアーチの下り道。

アレッツォの大通りの方ではこんな雰囲気の道は無かったので、へぇ~と嬉しく。
かなり大きな建物の壁沿いに、スクーター。 良い雰囲気でしょう?

このすぐ近くで友人のmkちゃんがスケッチしているのに出会い、はは、
アレッツォらしくない風景ねぇ、と撮ったのがこれ。
ね、トスカーナの田舎町、みたいでしょう?!

ヴィア・ピショーニを行きますが、ロッビア工房作の壁の聖母子像。
聖母子と子供のキリストが並んでいて、親しみの持てる像ですね。

この一帯は、上に見える赤と緑に塔の紋章が入ったのが地区の旗なんでしょう。
あちこちの窓に見かけます。
そんなに古くない扉なのに、如何にもの頑丈な扉で、
家に入るのに、一帯幾つ鍵を開けるのかと、ははは。

こちらも古い石組の、高い家。

門扉のアーチの石組はどこのも古く、時にこんな顔も見下ろしますが、

こちらはもっと古い石組みが残り、紋章も鎖!

そして出て来た道脇の広場というのか、一面に地区の色の旗が下がり、
テーブルが見えますから、お祭りの後地区の人々が集まって食べたり飲んだり、ね。

この辺りから道の名ヴィア・コルチトゥローネ・Corcitroneと変わり、
この先の右にある広場辺りまで行きましたが、その後の記憶が朧でして・・、
いずれにしても高台のような場所に場所に出て、
大きなワン君が叱られて哀しそうな声を出していたのはよく覚えていますが・・。

高い家並の続く狭い通りを抜けて行き、

これはグランデ広場の北東の端を上に上って行く、ピアッジャ・サン・マルティーノ・
Piaggia San Martinoの通りに出て来たのだと。
ピアッジャという名が付く通りがアレッツォに多いのを地図で気が付きましたが、
これは、「傾斜地」という意味がある様で、成程なるほど!
大きな扉のある建物の入り口扉に斜めの陽が射し込み、

古い古い扉口と窓が並ぶ坂道。
とてもグランデ広場のすぐ近くとは思えないでしょう?

そしてグランデ広場に出てきて、北面を占める大きな16世紀のパラッツォの1階、
ヴァザーリのロッジャ。


広場の西側を占める、建設された世紀によりスタイルが違う建物の一番北寄り、
パラッツォ・フラテルニタ・デイ・ライチ・世俗の兄弟愛信徒会の館、とでも?

その左側にあるのは裁判所で、
一番西端に先回ご案内のサンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ。
で、アレッツォの街には重厚な古い建物や石組みの古いのがしっかり残っているのは
ご覧頂きましたが、
そこにある店々の中はともかく入口扉の外、通常シャッターなどが降りる代わりに
なぜか古い厚板の扉がしっかり残っているのにも目が行きました。
ほらね! これはグランデ広場からサンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ教会の
表に出る道で見た店の扉で、

これは本当に不思議な思いに駆られて撮った店の入り口で、
これはトラットリアーアで、小さな張り紙には営業時間が書かれているのですけど、
あの重厚な木の板を折り畳むと、真ん中が店の中への通路で、両側はガラス窓。

こちらはもっと道の広場側だったと思いますが、何の店だったのか、
ここも同じ造りで、ただ両側の石の部分が張り出しているのですね。
この前に石段式に何段か張り出している店も見ましたから、
案外ここは昔は商品の陳列棚だったのかもなぁ、と思った事でした。

そしてサンタ・マリーア・デッレ・ピアーヴェ教会の斜め前の店と左の店。
やはりここも、厚板の扉がちゃんと残り・・。

それにしても、未だに何世紀も前の姿のままで店をし、木の厚板で塞いでいる、
というアレッツォの店、そして人々はしぶとい、と思われません? ははは。
という大衆クラスでの、はは、古さの残り様にしびれた、
アレッツォ点描でしたぁ。
最後は、サンタ・マリーア・デッレ・ピアーヴェ教会の側面と、
コルソ・イターリアの坂道を!

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