先回に続きヴェネト平野を流れる、自然あふれる美しいシーレ川・Sile
の航行の様子、その2回目をごゆっくりご覧下さいね。
の航行の様子、その2回目をごゆっくりご覧下さいね。
先回ご案内した通り、カザーレ・スル・シーレで一旦船を降り、
カッラレージ家の14世紀の塔を見た後、
カッラレージ家の14世紀の塔を見た後、
近くの通りの奥にガイドさんに連れられ、修復中のヴィッラを外から。
で、表に見えた看板がこれで、
「ヴィッラ・コルネール・Cornerを改修中」と。
で、表に見えた看板がこれで、
「ヴィッラ・コルネール・Cornerを改修中」と。
外から見えるのはこれだけなんですが、
shinkaiは扉の隙間から覗きまして、へへ、これを撮りました。
直に一人が来て、隙間を残して閉めましたが、ははは。
直に一人が来て、隙間を残して閉めましたが、ははは。
というのもガイドさんが、このヴィッラでヘミングウェイが
「川を渡って木立の中に」を書いた、と言ったのですが、
「川を渡って木立の中に」を書いた、と言ったのですが、
以前TVで、ヘミングウェイは、ヴェネトのヴィッラでこの小説を書いた、
というのを聞いた記憶があったので、そうか、ここだったのかと。
というのを聞いた記憶があったので、そうか、ここだったのかと。
所がこれを書く前に裏付けを取ろうとあれこれヴィッラ・コルネールで探しても
同名のヴィッラは見つからず、ヘミングウェイの方から検索してもダメ。
ひょっとしてガセネタだったのかと、半ば諦め、ブログに写真を載せまいか、と
思った所で、見つかりましたぁ!!
古い修復に取り掛かる以前の写真ですが、窓の形、数、2階のテラスの
飾りのついた手すり、軒下の飾り、間違いないですよね?
飾りのついた手すり、軒下の飾り、間違いないですよね?
説明によると、16世紀建設の物を17世紀に改築した、とあるので、
元々がコルネール邸だったのを改修し、2階の両脇の窓は元はアーチ付き
だったのを潰した跡も見えますし、マリピエール家が所有、後に婚姻により
今迄呼ばれていた名の、ヴィッラ・マリピエール・フレッツァとなったと。
元々がコルネール邸だったのを改修し、2階の両脇の窓は元はアーチ付き
だったのを潰した跡も見えますし、マリピエール家が所有、後に婚姻により
今迄呼ばれていた名の、ヴィッラ・マリピエール・フレッツァとなったと。
で、今回修復するにあたり、2階の窓は元通り5つとも半円付きの窓とし、
元々の持ち主名ヴィッラ・コルネールとする、という事なのでしょうね。
元々の持ち主名ヴィッラ・コルネールとする、という事なのでしょうね。
やれやれ、こんな所で探偵もどきの探し物と推理をして回り、ははは、
でも、見つかって良かった良かった!!
でも、見つかって良かった良かった!!
さて町の主要通りに出て来て、すぐに目に着いたこの立派なヴィッラ。
ヴィッラ・ベンボ、カリアリ、トノーロ・Bembo, Caliari, Tonoloと
名前が並びますが、現在は町の図書館と。
建設は17世紀以前の建設と見られますが、飾りつけは18世紀の物と。
ヴィッラの名にかのヴェネツィア貴族出身の枢機卿でもあり文学者であった、
ピエトロ・ベンボ・Pietro Bembo(1470-1547)の名があるのは、
1542から1547迄この町の教区を治めていたのだそうで。
ヴィッラの名にかのヴェネツィア貴族出身の枢機卿でもあり文学者であった、
ピエトロ・ベンボ・Pietro Bembo(1470-1547)の名があるのは、
1542から1547迄この町の教区を治めていたのだそうで。
が、ベンボがパオロ3世教皇により枢機卿となったのは1538年、
既に68歳の時。 これは1539年のティツィアーノの作、素晴らしい!!
それまでは文学の研究と著作、各国の宮廷巡りをしており、
1502,03年頃にはフェッラーラ公妃ルクレツィア・ボルジャとの関係も
あったと言いますが、つまり俗生の人間だったわけで、
1502,03年頃にはフェッラーラ公妃ルクレツィア・ボルジャとの関係も
あったと言いますが、つまり俗生の人間だったわけで、
枢機卿になって以来はローマに住み、ローマで亡くなっていますので、
このヴェネトの地に住まわれていたのではありませんですね。
ベンボと当時の上流階級、文化の高い階級との交流ぶり、またその
有名なコレクションをうかがえる展覧会の様子はこちらに。
有名なコレクションをうかがえる展覧会の様子はこちらに。
そしてこのヴィッラの横には礼拝堂があり、グエルチーノ・Guercino作
というのから調べましたら、17世紀の物の様子。
多分ベンボ邸の方の後世の飾りつけも、この方の作なのでしょうね。
と、礼拝堂前の泉。
建物は多分、市役所だと思うのですが、アーチの影を楽しみ、
シーレ川沿いにある教会、サンタ・マリーア・アッスンタ・S.M.Assuntaに。
正面上に見えるフレスコ画は、ガイド嬢によると、ティツィアーノ作という
説もある、との事ですが、 ・・ふ~ん。
説もある、との事ですが、 ・・ふ~ん。
ティツィアーノが描く男性像の凄さはいつも襟を正す感じで見つめるshinkaiですが、
教会内に収められている彼の祭壇画には、時々?!という印象を受ける時があり、
画家としてより商才豊かな彼の素顔の一面が出たか、と思う時があるので、
まぁ、この頃は驚かなくなりましたですね、はい。
教会内に収められている彼の祭壇画には、時々?!という印象を受ける時があり、
画家としてより商才豊かな彼の素顔の一面が出たか、と思う時があるので、
まぁ、この頃は驚かなくなりましたですね、はい。
ティツィアーノの家始末記 その1~3
http://www.italiashiho.site/archives/20170404-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170405-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170420-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170404-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170405-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170420-1.html
さて教会内部ですが、ご覧の通り18世紀建設の物で、
天井画と祭壇画はジャンドメニコ・ティエポロ・Giandomenico Tiepolo、
ジャンバッティスタの息子の方、なんだそうで、光が射し込み見にくく済みません。
当時のこの小さな町、川の港で栄えていた様子も窺えるもの。
ジャンバッティスタの息子の方、なんだそうで、光が射し込み見にくく済みません。
当時のこの小さな町、川の港で栄えていた様子も窺えるもの。
という様子で船に戻ると、なんとテーブルの上にスプマンテとおつまみが出ており、
船のシニョーレの話に拠ると一テーブル5人の割で用意しているとの事で、
750cc÷5=150ccね、ははは、冷たく美味しいのを喜んで頂きましたぁ!
船のシニョーレの話に拠ると一テーブル5人の割で用意しているとの事で、
750cc÷5=150ccね、ははは、冷たく美味しいのを喜んで頂きましたぁ!
久し振りに出会ったジャンナ。
隣のテーブルも。
てな事でちょっとお喋りしている間に、船はするすると出発していくので、
これはいけんとまた上のデッキの上り、ははは。
これはいけんとまた上のデッキの上り、ははは。
上天気となり、緑の素晴らしさ、風景の見事さがなおの事引き立ちます。
水縁の家がこんな風に見え、どこもがとても広いゆったりした土地の様で、
こういう場所の生活はどんななんだろうと少し羨ましさも感じ・・!
こういう場所の生活はどんななんだろうと少し羨ましさも感じ・・!
水鳥たちも広い川の中で自由に飛び回り、バシャバシャやっており、
耕作された畑と、奥に広がる若い緑。
奥に葡萄畑で、手前はトウモロコシかな?
またすれ違う船。 良い光景でしょう?
素晴らしく手入れされた感じの、広い広い庭園が見えて来て、
お屋敷の方は前面からはまるで見えずで、遠く離れたあたりから。
ここのお家の煙突の上に、コウノトリが巣を作っていたらしいのが、
先年嵐で落ちて、かなりの損害を被ったのだとか・・!
またコウノトリが戻って来ると良いですがね。
という所で、再度シーレ川の地図をどうぞ。
中ほど下に見えるコウノトリの写真の右上、14の番号の位置をどうぞ。
中ほど下に見えるコウノトリの写真の右上、14の番号の位置をどうぞ。
こちらは左隣、番号13の、ヴィッラ・マントヴァーニ・オルセッティ・
Villa Mantovani Orsettiで、19世紀のネオクラッシック・スタイルと。
左には十字の付いた礼拝堂も見え、この一帯の農作管理の為の屋敷と。
Villa Mantovani Orsettiで、19世紀のネオクラッシック・スタイルと。
左には十字の付いた礼拝堂も見え、この一帯の農作管理の為の屋敷と。
湿地というか、小さな池になっている場所も見え、
これは地図真ん中上の右岸辺12、ヴィッラの説明が切れておりますが、
ヴィッラ・リーヴァ・Villa Rivaと言い、ヴェネツィアのリーヴァ家の物で
1650年建設。
ヴィッラ・リーヴァ・Villa Rivaと言い、ヴェネツィアのリーヴァ家の物で
1650年建設。
現在の持ち主はゾルジ家・Zorziというそうですが、これまでにも何代も
持ち主が入れ替わっており、
持ち主が入れ替わっており、
何人もの庭師が働いている姿も見える広い広い素晴らしい庭園も見ましたが、
shinkaiが見逃した隣接のバルケッサ・元々は農作業用の別棟 には、
有名な音楽グループ「イ・プー」の1人、レッド・カンツィアンが
住んでいるそう。
ポプラの木も、こういう場所で見るとなおの事素敵ですよね?!
shinkaiはポプラの木を見るといつも「青春の樹」という言葉が
頭の中に浮かびますが、そう思われません?
近づいてきて、急に旋回を始めたアホなボート。
止まって待つ我らを横目に、
止まって待つ我らを横目に、
岸辺に寄って止まり、我らに手を振ってくれましたが、ははは、
ワンちゃんも2人乗っておりましたぁ。
ワンちゃんも2人乗っておりましたぁ。
こちらが船の案内役のシニョーレで、笑い話や昔話など飽きさせません。
ね、長閑で、美しいでしょう?!
そしてこちらが、番号10 ヴィッラ・ベンボ・グラデニーゴ・Bembo Gradenigo、
地図上方サンテーレナ・S.Elenaと見える左です、16世紀の物と。
地図上方サンテーレナ・S.Elenaと見える左です、16世紀の物と。
広くシーレ川に面して開ける土地にあり、正面階段は上階の大広間に
続くものと見えます。
続くものと見えます。
またも出て来たベンボ家ですが、ヴェネツィア貴族でしたので、あちこちに
ヴィッラも持ち、ここは元々はベンボ家の物だったのが、グラデニーゴ家の
物となった、という事なのでしょうね。
ヴィッラも持ち、ここは元々はベンボ家の物だったのが、グラデニーゴ家の
物となった、という事なのでしょうね。
ヴェネツィアからパドヴァに向かうブレンタ川に沿ってのヴェネツィア貴族
の多数のヴィッラも有名ですが、
ヴェネツィアの狭い街の夏の暑さを逃れる為、気晴らしに出かける為、
また所有する土地や農産物管理の為、はたまたペストなど流行り病から
逃れるためにも、内陸部にヴィッラを持った様子ですね。
ヴェネツィアの狭い街の夏の暑さを逃れる為、気晴らしに出かける為、
また所有する土地や農産物管理の為、はたまたペストなど流行り病から
逃れるためにも、内陸部にヴィッラを持った様子ですね。
ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると その1と2
http://italiashio.exblog.jp/14714267/
http://italiashio.exblog.jp/14719479/
http://italiashio.exblog.jp/14714267/
http://italiashio.exblog.jp/14719479/
ヴィッラ・フォスカリ、または、ラ・マルコンテンタ
http://italiashio.exblog.jp/14731966/
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イタリアで一番素晴らしい 植木の迷路・ラビリントを
http://italiashio.exblog.jp/13657736/
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広~く続く庭園で、手入れも良く行き届いている様子。
赤いポピーが咲き乱れている場所もあり、
これも同家の庭の一部なのか、かなり立派な礼拝堂が。
ヴィッラ・ベンボ・グラデニーゴ家の説明にあったので、多分間違いないと。
ヴィッラ・ベンボ・グラデニーゴ家の説明にあったので、多分間違いないと。
緩やかな流れが、船の進行により光る波を作り・・。
という所で、シーレ川の航行 その2を終わります。
最初は2回に分け、と思っていたのですが、やはりちょっと無理で3回に。
余り端折っても眺めを楽しんで頂けないでしょうと思い、はい。
あともう1回お付き合い願いま~す。
余り端折っても眺めを楽しんで頂けないでしょうと思い、はい。
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それもご了承下さいませ。
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この記事へのコメント
mitsu
地面すれすれに流れてゆき氾濫が心配にもなるほどですが、その風景こそが日本にはありません。川下りというのは自然につつまれても急流ですし、町村の中はコンクリートで固められた堤防と決まっています。
ヴィッラの風景もイタリア独特で、小説の世界が今も変わりなくあることが不思議なくらいで溜息が出ます。
新緑に染まる川の水の色は、すくいあげても緑色?と思うほどですね。
トゥレッヴィーゾでは、シーレ川は川上になるのですか?平坦な地を流れるようですが源流は山からでしょうか?
shinkai
そうなんですよね、余りにも緩やかな平地を流れ、どこのヴィッラの川岸の柵が低いので私も心配になったほどですが、
考えて見ると、結局このシーレ川の源は高山からではなく、カステル・フランコの東辺りの湧き水が寄ったものなので、大雨での洪水、という様な心配はないのだろうと思います。
本当に、日本の川は安全第一でコンクリートの堤防で、こういう味わいのある川は見かけませんね。
それに流れ下る川はやはりかなり急流になりますものね。
本当にちょうど良い季節にクルージングを楽しむことが出来て、良かったと思いますが、また秋の紅葉の色に染まる頃も美しいのでしょうね。
ヴィッラの持ち主も次々に代わるようですが、それでも未だに維持して行けるお金持ちの世界もあるのですね、ははは。
そうです、このクルージングの最後はトゥレヴィーゾの東手前ですね。 それ以上は航行が出来ない、カヌーを漕ぐのはトゥレヴィーゾでも見ますが、大きな船は堰もあるので航行できないのだと思います。