今回オルチャの谷訪問の基地としたサン・クイリコ・ドルチャの宿からだと、
南に約5㎞、6分程で着く距離のバーニョ・ヴィニョーニ・Bagno Vignoni.
10年ぶりに懐かしく再訪した様子をご覧くださいね。
南に約5㎞、6分程で着く距離のバーニョ・ヴィニョーニ・Bagno Vignoni.
10年ぶりに懐かしく再訪した様子をご覧くださいね。
以前の訪問の様子は https://italiashio.exblog.jp/9727830/
朝食を済ませ出かけ、確か8時過ぎのまだ観光客が来ないうちに、
・・自分は観光客ではないと思っている、ははは、
・・自分は観光客ではないと思っている、ははは、
車を止め横道を辿り、最初に見えたロッジャート・ディ・サンタ・カテリーナ・
Loggiato di Santa Caterina.
Loggiato di Santa Caterina.
サンタ・カテリーナ(1347-1380)はシエナ生まれ、イタリアとヨーロッパの
守護聖女の彼女は何度かここに母親と保養に来たそうで、
出家したいという願いをなだめる為だったと言いますが、
守護聖女の彼女は何度かここに母親と保養に来たそうで、
出家したいという願いをなだめる為だったと言いますが、
ロッジャートの中にある礼拝堂。 中にはサンタ・カテリーナの肖像画が
ありましたが、お目にかける程の作でもなく・・。
ありましたが、お目にかける程の作でもなく・・。
続く壁に見えた聖母子像。 素朴なロッジャの壁に相応しいですよね。
こちらがロッジャの北側に広がる大きなプールの様な浴槽。
これは16世紀に作られた浴槽だそう。
これは16世紀に作られた浴槽だそう。
現在はここの浴槽は使用されておらずで、周辺にあるテルメ施設や
ホテルでの保養となりますが、
ホテルでの保養となりますが、
このバーニョ・ヴィニョーニの温泉は、古くエトルスクの昔からローマ期を通じ、
関節炎やリューマチに良く効くという評判で、
それに何も病気持ちでなくとも、こういう風景の良い、食べ物の美味しい
場所での保養は何に増しても良いものですよね。
関節炎やリューマチに良く効くという評判で、
それに何も病気持ちでなくとも、こういう風景の良い、食べ物の美味しい
場所での保養は何に増しても良いものですよね。
サンタ・カテリーナ以外にも著名人としては、ピエンツァ生まれのピオ2世教皇、
そしてルネッサンスの偉大なロレンツォ・デ・メディチなどの名が上がります。
そしてルネッサンスの偉大なロレンツォ・デ・メディチなどの名が上がります。
それにすぐ傍をイギリスのカンタベリーからローマへの巡礼道として名高い
ヴィア・フランチェージナ・Via Francesinaが通っていましたから、
巡礼たちも旅の合間の一時の至福を味わった事でしょう。
ヴィア・フランチェージナ・Via Francesinaが通っていましたから、
巡礼たちも旅の合間の一時の至福を味わった事でしょう。
そして中世の騒乱の中でも、この保養地は大きな被害にあう事もなく、
ずっと平安の内に過ごしたというのですから、これは大変な遺産ですよね。
ずっと平安の内に過ごしたというのですから、これは大変な遺産ですよね。
上の写真に見える手前の小さな屋根の建物、この囲われて突き出した
小さな一廓が薬草園と。
見ていると、鳩たちがここに集まってはチャポンと浸かっていて、朝湯かな?
ロッジャートの突き当りに見える、エルボリステリーア・薬草専門店。
大浴槽の北東側。 今回大浴槽を見て、ありゃぁ!と思ったのは、
浴槽の真ん中に、こんな風な芸術品が設えられていた事で、
浴槽の真ん中に、こんな風な芸術品が設えられていた事で、
手前側が鏡面、裏が赤茶で、見る角度によって写し出すものが変化する、
ですが、う~ん、こういうのは余計な気がするのはshinkaiだけ?
ですが、う~ん、こういうのは余計な気がするのはshinkaiだけ?
サイトでは白い針金細工の様な女性像が大浴槽の周りに、という様なのも
見かけましたので、この鏡面だけが常設、というのでは無い様子。
見かけましたので、この鏡面だけが常設、というのでは無い様子。
この品ならず、一体全体に整備されて来ている、という感じを受けましたです。
この右奥の建物もカフェ・レストランになっていましたし、
建物の壁もどこもがちょっと綺麗になっている事にも気が付きました。
この右奥の建物もカフェ・レストランになっていましたし、
建物の壁もどこもがちょっと綺麗になっている事にも気が付きました。
オルチャの谷一帯がユネスコの世界遺産になった恩恵が、確かに
昔ながらのこの小さな温泉町にも齎されている感じで、
昔ながらのこの小さな温泉町にも齎されている感じで、
小奇麗でモダンなバールに寄りましたら、そこの主人は客の言葉に合わせ
英語やドイツ語を喋っていましたから、
町の住人30人ほどというこの町は、国際化されているのですねぇ!
英語やドイツ語を喋っていましたから、
町の住人30人ほどというこの町は、国際化されているのですねぇ!
大浴槽の西側の通り。
階段下にある古い古い壁の入り口。 倉庫なのか、如何にも中世のまま、
という感じで。
という感じで。
通りを逆に見た所で、左に見える柵の付いた入り口が薬草園。
覗いてみましたら、こんな感じ。 まだ茂るには早い時期だったのかも。
大浴槽を覗きこんで見る温水。 朝の陽に煌き。
隣の建物の窓に何か動くもの、はは、朝帰りの猫ちゃんかな?
今帰りましたぁ、入れて下さ~い。
今帰りましたぁ、入れて下さ~い。
北側から見る大浴槽。 手前側に3か所ほどボコッ、ボコッと湧き出る湯の塊。
アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア・Nostalghia(1983)」
の中に登場するこの大浴槽。
の中に登場するこの大浴槽。
蛇足ながら、同じ映画の冒頭に出る地下礼拝堂のシーンの舞台となったのは、
こちらラツィオ州のトゥスカーニア・Tuscaniaのサン・ピエトロ聖堂。
こちらラツィオ州のトゥスカーニア・Tuscaniaのサン・ピエトロ聖堂。
北側の古い建物の壁も少し整備された様子で、洒落た白い窓枠が。
西側の建物と、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会。
ぐるっと浴槽の周囲を回り、町の南に続く道。
まだ朝早いので、店を開けているのはバールのみでしたが、
まだ朝早いので、店を開けているのはバールのみでしたが、
帰る前にもう一度大浴槽を眺めに行きましたら、出会った黒猫ちゃん。
ちょうど店開け準備の最中で、猫ちゃんはこのお店の看板猫らしく、
入口で目を光らせているのが見えますか? ははは。
入口で目を光らせているのが見えますか? ははは。
この店もまだ開いていませんでしたが、このハリネズミ、可愛いでしょう?!
アイディアですねぇ!
アイディアですねぇ!
古い井戸も健在。
朝日の当たる扉とベンチ。
ずらっと並んだワイン瓶。 夜の賑わいが想像できますね。
先回の訪問では行かなかった、水車の公園・Parco dei Muliniという、
町入り口の公園の南に行って見ると、こんな無骨頑丈な遺跡が残っており、
町入り口の公園の南に行って見ると、こんな無骨頑丈な遺跡が残っており、
大きな岩をくり抜いたのか、槽になっているのが見え、
大浴槽の源泉からの流れ、町中では蓋をされた状態で流れて来たのが、
この公園近くからこういう流れとなっていて、
この公園近くからこういう流れとなっていて、
手を入れて見ましたが、ぬるま湯の温度。
それがこんな風にかっては溝を通り導かれ、深い槽に流れ込むようになっており、
ここは柵があって中には入れませんでしたが、
上から見るとこの通り、かって中世にはここに水車が設けられていたのだそうで、
夏に川の水が干上がっても、ここはずっと変わらずに水車が使えたというのですね。
夏に川の水が干上がっても、ここはずっと変わらずに水車が使えたというのですね。
で、夜は水車は止められ、上に見えた大きな槽に温水が貯められ、
高所から落ちる温水の勢いで水車が回り、水量も自在に調節できたのだと。
高所から落ちる温水の勢いで水車が回り、水量も自在に調節できたのだと。
この発掘は1950年代にされたのだそうで、最初shinkaiは温泉と水車という
関係が分からなかったのですが、つまり夏でも干上がらない滝水と同じに
利用されていた、という事で。
関係が分からなかったのですが、つまり夏でも干上がらない滝水と同じに
利用されていた、という事で。
現在は水車が使われていないので、温水はこんな風に町の外れまで流れ、
最後は、豪快に崖を流れ下り、下のオルチャ川に注ぎますが、
崖を流れ下った所に温水が溜まるような場所があり、そこでは無料で
温泉気分が味わえるそう。 ですが、本当にぬるま湯だろうと!
温泉気分が味わえるそう。 ですが、本当にぬるま湯だろうと!
写真を撮った位置が悪く、これでは余り様子が分かりませんが、
シニョーレの乗っかかっている位置は、まさに崖に張り出した鉄柵の上で!
シニョーレの乗っかかっている位置は、まさに崖に張り出した鉄柵の上で!
奥さんが撮られるのにshinkaiめも承諾を得て便乗したのですが、
ほら、あのシニョーラも! と笑っているのですね、ははは。
ほら、あのシニョーラも! と笑っているのですね、ははは。
南西すぐ近くに見えるカスティリオーネ・ドルチャのロッカ・要塞。
このロッカはオルチャの谷一帯のどこからでも見えますし、
夜はまた照明されるのでとても印象的で、遠くからも見えます。
南に見えるアグリトゥリズモ・ポッジョ・コヴィーリ・Poggio Coviliの
有名な糸杉の並木道がこんな風に見え、
有名な糸杉の並木道がこんな風に見え、
バーニョ・ヴィニョーニの見学を終えた後南に向かって走り、この糸杉の前を辿り、
またガッリーナ・Gallinaという街道筋の道から西への田舎道に入り込み、
どうやらかってのヴィア・フランチェジーナの道の一部だった様で、
また様子を見て頂きますね。
またガッリーナ・Gallinaという街道筋の道から西への田舎道に入り込み、
どうやらかってのヴィア・フランチェジーナの道の一部だった様で、
また様子を見て頂きますね。
南には穏やかなオルチャの谷風景が広がり、
これは崖の下を流れるオルチャ川。
shinkaiが行ったのは先回も今回も既に初夏にかかる頃なので、
朝夕に温泉から湯気が立ち昇る、という時期ではなかったのですが、
冬など路地にも湯気が流れ、とても良い雰囲気だというのを読みましたし、
朝夕に温泉から湯気が立ち昇る、という時期ではなかったのですが、
冬など路地にも湯気が流れ、とても良い雰囲気だというのを読みましたし、
火山地帯ですので、あちこちから湯気が立ち昇る、というのもあるそうで、
夜の明かりが灯る頃の大浴槽の眺めも、なかなか雰囲気が良いですね!
車に戻る頃、ちょうど大型観光バスが到着し、ドイツ人観光客がどっと
降りてくるのに出会いましたから、
この小さな町とも言えない集落は、今日も賑わいの一日となるのでしょう。
*****
色鉛筆+水彩画ブログには、
アンギアーリの壁 途中経過と、オルチャの谷の糸杉の小さな林 周辺 を
アップしています。
見てやってくださ~い!
http://italiashinkai.seesaa.net/
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それもご了承下さいませ。
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この記事へのコメント
みよ
湯気の立つ朝の光景でしょうか、素敵ですね。
秋のVia Francigena歩きでは、私たちはサン・クイーリコに泊まり、早朝に出発してこの町に差し掛かるのはきっと8時前だと思います。まだバルは開いていませんよね。
朝のコーヒーは諦めて、ガッリーナへ向かうことになるでしょう。
前日のうちにサン・クイーリコで買い込んだ朝と昼用の食料と水を背負ってひたすら歩きます。景色を楽しみながら。
shinkai
ああ、ここに寄られますか、良いですねぇ。 バーニョ・ヴィニョーニは10年前よりもかなり整備された村になっていましたが、それでも鄙びた昔からの面影があって良かったですよ。
イタリアのバールは大体7時か7時半には開きますから、場所によってはもっと早くからの所もありますが、ですから大丈夫ですよ。
サン・クイリコでは私も食料品を調達しましたが、町の中心通り、ダンテ・アリギエーリに一軒ありましたから遠くまで行かずとも
大丈夫ですよ。
メールも頂きました。 明日お返事いたしますね。
pescecrudo
私自身は訪れていないのに、大変懐かしいバーニョ・ヴィニョーニ!
以前書かれたものも読んでみようとブログ内の検索を掛けてみました。もう10年近くにもなるのですね。もっと時間の飛翔があったような感じでしたが。本当にデジャヴュのような懐かしさです。その序でにモンテプルチャーノのサン・ガルガーノ修道院跡にも再開し、懐かしさのエンネズィモ倍です。全てはイタリア映画に教えられた事でした。
shinkai
はい、そうなんです、私も10年ぶりの再訪だったのですが、周囲の建物類が少し整備されたかな、という位で、のんびりの鄙びたイメージはまるで変っておりませんでした。懐かしかったです。
少しモダンになったかな、という村のイメージなのですが、大浴槽やロッジャートはまるで変っておりませんし、こういうのがイタリアの良い所だな、と思います。
サン・ガルガーノも見て頂いたようで、有難うございます!
あそこはちょうど雨の日に当たったので、いつかまたお天気の良い日に、そして夜景も、見れると良いなぁ、と思っています。