北海道での大地震、そして先日の関西地方を襲った大台風、
いずれもこちらのニュースにも出る程で、
いずれもこちらのニュースにも出る程で、
友人たちが知らせて下さったメールから、早速に淡路島の姉に電話し
無事を確認、という様な事でしたが、
被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
***
さて今日は、このお盆過ぎに出かけて来ましたドロミーティの麓の町、
シロールは義理の息子セルジョの家で、また連日出かけた各所で食べたもの、
そんなあれこれを見てやって下さいね。
シロールは義理の息子セルジョの家で、また連日出かけた各所で食べたもの、
そんなあれこれを見てやって下さいね。
まずはセルジョの家、シロールの村の細い道を抜けて行った突き当りにあり、
彼らの家は2階の花鉢が出ている所。

セルジョ達は既にここに夏の家を持ってから10年になるそうですが、
1階は以前とは別の家族が1年かけて修復し住んでいますし、
3階はまだ住んでいますがご主人が亡くなり、「売り物」の札が。
1階は以前とは別の家族が1年かけて修復し住んでいますし、
3階はまだ住んでいますがご主人が亡くなり、「売り物」の札が。
屋根裏にある倉庫から見えるドロミティの山並み。
奥の並びの右に三角に尖っている山頂が見えますが、ピラミッドと呼ぶと・・。

村の家並、屋根も変わらず、

屋根裏には、セルジョが育てているというサラダ菜がご愛敬で。
彼の口に入ったら、これ位の量では1回分にも不足と・・、ははは。

玄関前から見える、入り口前広場の奥の家の猫ちゃん。
いつもと変わらずですが、ちょっと丸くなってきたような。

今回家の中にあった新しいものは、セルジョが補修したという古い腰かけ、
というか、ほら、農家の乳しぼりの時に腰掛ける持ち運びできる小さな椅子です。
傷だらけ、埃まみれで屑同然になっていたのを見つけ持って帰り、
脚は彼が付けたんだそうで、

裏には、持ち運びしやすいような掘り込みがありました。

きっと農家の人の手作りの品で、長い年月を働き、乳牛を飼わなくなって
お払い箱になっていたのでしょうね。
さて初日のお昼前に到着しましたが、いつもだと2時間ほどで行ける道が、
8月17日金曜とあってかなりの混雑、おまけに何か事故があったか、途中で迂回も
させられて、2時間半かかりました。
到着のお昼は魚介のスパゲッティ、 shinkaiのお皿と、セルジョの鉢!


取り分けた私めの野菜とチーズのお皿、

そして出て来た果物。

デザート、シロールのパン屋さんのスペチャリタだそうで、中にクルミや果物の餡が
詰まった美味しい物でした!

目の前いっぱいに並べられた、ははは、リキュール類。

パランパンポ、だったっけ、一回では到底覚えられないような名前の、美味しい味。

この日の夜は、近くのトランザックワ・Transacquaという村の夜祭に出かけ、
大いに楽しみましたので、またご覧頂きますね。
大いに楽しみましたので、またご覧頂きますね。
翌日は東のベッルーノの方角に峠道を越え、あちらこちら細道の村を探検しつつ
アーゴルド・Agordoに行きましたら、町はちょうど手作り品の市が開かれていて、
アーゴルド・Agordoに行きましたら、町はちょうど手作り品の市が開かれていて、


でも面白いものを見ましたよ、これです。

中を覗くと、こんな風に向かい合っての木製の小さな席が作られていて、

付けられていた説明によると、1956年のコルティナ・ダンペッツォの冬季オリンピック、
そう、我らが猪谷千春選手が銀メダルを取った時ですね、に作られたものだそうで、
もしもの積雪に備えた物なんだそう。

観光客用ではなく、競技選手、係員たち用の物だったのでしょうね。
アーゴルゴでは彼らが以前に行った事のある中華料理店に行き、きゃはは、
2人は海老のスパゲッティと、海老と野菜のサラダを、


shinkaiは野菜炒めと、麻婆豆腐、肉抜きをね。
ほんと、中華料理を食べるとホッとするのですよねぇ、ははは。


アーゴルドから北に行ったチェンチェニーゴ・Cencenigoという山腹に沿った村の
細い上り道を辿っていると、家から出て来た中年のシニョーラが古い家の中を、
既に2世紀程かな、経っている家を見せてくれ写真も撮りましたので、
また整理が出来たらご覧頂きますね。
細い上り道を辿っていると、家から出て来た中年のシニョーラが古い家の中を、
既に2世紀程かな、経っている家を見せてくれ写真も撮りましたので、
また整理が出来たらご覧頂きますね。
夜はお隣から差し入れの採りたて茸、キオーディ(ナラタケ)とポルチーニが少しと、
トマト、これは毎日食べましたが、スーパーで買うトマトとはダンチの美味しさ!
そしてshinkaiが持参した大袋のエビをたっぷり茹でたもの、とチーズ。

この茸炒めは本当に美味しかったですねぇ!
どれもこれもシンプルな調理ですけど、これとパン一切れでお腹いっぱいの美味しさ。
一帯の地図をどうぞ。 右上のシロール・Sirorにセルジョの家があり、
アーゴルド方面には、シロールの下に見える右に抜ける白い道、ここを行くので
また別のチャンスに地図をご覧頂き、
その下のトランザックワ・Transacquaが、夜祭を見に行った村で、
左に山の中を行きカオリーア・Caoria、ここに長男のパオロとジューリア夫婦が
来ていたのを訪ねがてら翌日はカオリーアに行き、そこから山の中の細道を辿り
山中に復元されていた製材所、これはレオナルド・ダ・ヴィンチの設計が元の物で、
これが今回のshinkaiにとってはちょっとした目玉となりました。
そしてこの日のお昼は、もっと山の中に入った所の、印をつけた山小屋で。
まずはカオリーアへの道ですが、どんどん山道を辿り、

道脇の滝も見て、

到着。 今は道も整備されていますが、かっては山間の閉ざされた村だったと。

こんな丸太を積んだのを何か所も見ましたし、今もやはり主産業なのでしょう。

村の中を流れる川。 製材所には、この川を辿って遡る感じでしたが、

今見える鐘楼、教会の隣に第一次大戦時の博物館もあり、それも見ましたし、
かっての山村の暮らしを見せる博物館も見学、はい。
かっての山村の暮らしを見せる博物館も見学、はい。
で、これがお昼を食べた山小屋、と言うと、ははは、嘘みたいでしょう?
ほんのちょっと開けた所にありますし、山小屋というイメージとは違いますが、
上の地図をご覧になると、かってはここに辿り着くのも大変だったのが、ね。

建て増ししたらしい張り出しのテラスでの食事で、満員御礼でしたよ。

サラダはセルフ・サーヴィスになっていて、各自が好きな物を取って来て、

パオロとは2年ぶりくらいかな、あまり変わっておらず、

彼はパスタが大好きなんだそうで、

ジューリアも変わらず、

彼女は野菜のラザーニャを頼み、でもあまり好みではなかったみたいで、へへ、

セルジョとドナテッラ、

セルジョは肉とポレンタ、チーズの焼いたの、夜祭の時も同じ献立で、ははは。

ドナテッラは、クヌーデル、パンをお団子にした物で中にハムや香草入りで、
バターたっぷりで美味しかったそう。

shinkaiは茸のクリーム、というのを注文したら、予想していたのと違い、ははは、
茸のスープでして、
茸のスープでして、

パルミッジャーノをたっぷりかけ、パンも浸して美味しく頂きましたです。
うん、茸はかけら位だったのが残念。
うん、茸はかけら位だったのが残念。

誰かが注文したポテトのオーブン焼き、適当に焦げていて、美味しかったっす。

山小屋の隣は流れを堰き止めて釣り池風になっていて、家族連れがね。

こんな風に結構大きいのが泳いでいるのが見えるのですよね。
見える魚は釣れないと言いますしね、誰の餌か、鱒たちは見てるんではないかと、
ははは。 いつもはここでは鱒が食べられるらしいのですけど、夏は無しで残念。

山小屋からすぐ脇の道を10mも辿った所に見えた、かってのアルプス兵の
洞穴利用の貯蔵庫、第一次大戦時の物。


夜はshinkai持参の鮭が出て、但し3人前のつもりだったのが、急遽2人増えたので
切り身が細めになってしまったぁ。

翌日最後のお昼もまた鮭のパスタと、

サラダとズッキーニの炒め煮とチーズ、

という、まずは今年のドロミーティ行き、恒例の食べ物一覧で、
これで少し時間稼ぎをして、写真整理に励みますです、は~い。
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