フィレンツェはウッフィッツィ美術館の名品、ピエロ・デッラ・フランチェスカ
(1412-1492)の「ウルビーノ公夫妻の肖像」(1472-74頃 各47x33cm)

右がウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ・Fderico da Montefeltro、
(1422-1482) ですから肖像画の当時は50歳位、
左側が妻のバッティスタ・スフォルツァ・Battista Sforza(1446-1472)
2人は1460年に結婚していますから、この肖像の彼女は当時26歳、というか、
ちょうど亡くなった頃に出来上がった作品という事になりますね。
少し脱線しますが、幸せな結婚生活だったと言いますが、14歳で結婚し12年間の
結婚生活で7人の子を産み、夫の庶子3人もウルビーノの宮廷に引取り、
自分の子同様に育てたという、大変によくできた妻だった訳ですが、
結婚生活で7人の子を産み、夫の庶子3人もウルビーノの宮廷に引取り、
自分の子同様に育てたという、大変によくできた妻だった訳ですが、
最初にこの肖像を見た時、また彼女の年を知った時は驚きでした。
勿論夫よりはずっと若く見えますが、やはり多産の疲れか、と思いますよね?
勿論夫よりはずっと若く見えますが、やはり多産の疲れか、と思いますよね?
とまぁ、それはさておき本日の主題、対面する2人の背後に描かれた風景に戻りますが、
とりわけ右のフェデリコの背後の風景、遠くになだらかな平野が広がり、山が点在、
そして手前には広々とした川か、入江の様にも見える水面が広がり、帆船も2艘見え、
何とも穏やかな広がりの風景。
そして手前には広々とした川か、入江の様にも見える水面が広がり、帆船も2艘見え、
何とも穏やかな広がりの風景。
初めてウフィッツィでこの作品を見た時に、画面の中を自分も歩きたい感じになる程に
大好きになった作品で、後年自分の絵の中にこの背景を拝借した事もありました。
大好きになった作品で、後年自分の絵の中にこの背景を拝借した事もありました。
そして暫く前に「ピエロ・デッラ・フランチェスカの、フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ
の背景が明らかに」という記事をサイトで見つけ、
ロゼッタ・ボルキア・Rosetta Borchiaと、オリヴィア・ネーシ・Olivia Nesciという
2人の女性、ロゼッタは写真家ヴィデオ作家で、オリヴィアはウルビーノ大学の地形学の
先生が、この一帯を歩き調べ、ピエロ・デッラ・フランチェスカのこの絵の背景を突き止め、
論文を発表した、という物なのです。
2人の女性、ロゼッタは写真家ヴィデオ作家で、オリヴィアはウルビーノ大学の地形学の
先生が、この一帯を歩き調べ、ピエロ・デッラ・フランチェスカのこの絵の背景を突き止め、
論文を発表した、という物なのです。
こちらが実風景にフェデリコの肖像を重ねた物で、

如何、手前の川がないだけで、山の感じなどはよく似ているのが分かりますね。
この風景はメタウロ谷・vallata del Metauroという、マルケ州の西から東に流れる
メタウロ川、サンタンジェロ・イン・ヴァード、ウルバーニア、フェルミニャーノ、
メタウロ川、サンタンジェロ・イン・ヴァード、ウルバーニア、フェルミニャーノ、
フォッソンブローネと流れ、最後はファーノでアドリア海にそそぐ、全長110kmの、
川の周囲に広がる谷の風景との事。
これが肖像の左側上部で、モンテ・フロンゾーソ・monte Fronzosoとあり、

検索しましたが、このフロンゾーソ山がどこにあるのか確証できず。
ですが、他の説明から考え、ウルバーニア近くにあるものと。
ですが、他の説明から考え、ウルバーニア近くにあるものと。
こちらは肖像の右で、ロッカ・デル・ペーリオ・rocca del Peglioと。
確かに右の山の形、そして奥左の山の流れも似ていると思います。

ペーリオという町はウルバーニア・Urbaniaの北にあり、ロッカも大文字ではないので、
そこにある要塞の事と思いますし、メタウロ川はぺーリアの南を流れ、ウルバーニアの
そこにある要塞の事と思いますし、メタウロ川はぺーリアの南を流れ、ウルバーニアの
町を通っています。 ここは行ったままでご案内無しで・・。
そしてこの肖像の左下に広がる広い川ですが、写真は現在のウルバーニアに続く道で、
調べた2人によると、ピエロの絵の中の川に相当するものであり、多分ピエロは
ウルバーニアの北にあるイル・バルコという、メタウロ川の蛇行にある、
かっての猟の為の公爵の館当たりを描いたのであろう、と。

確かに絵描きは実際の風景を、頭の中でふくらましたり省略しますので、ね。
フェデリーコの背景同様に、二人は、ピエロのこの対の肖像画の裏に描かれた「凱旋」、
そして「聖ジローラモと寄贈者」の背景に描かれた場所も特定した、というのです。
そして「聖ジローラモと寄贈者」の背景に描かれた場所も特定した、というのです。
フェデリーコのあの豊かに広がる風景は、ピエロの想像を交えた風景だろうと思っていたので、
記事を読んだ後、そうか、そうだったのかぁ、やはりある程度モデルがないと想像だけでは
難しいよね、という感想を持ちましたが、
何か他にもあるかなと検索をしていて、こんなプロジェクトが進行中であるのを知りました。
「ピエロの地、マエストロの旅のしるし・手掛かりについて、ピエロ・デッラ・フランチェスカ」

つまり、ピエロが残した数々の名品が残る、エミーリア・ロマーニャ州、マルケ、トスカーナ、
そしてウンブリアが州境を越え、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品鑑賞にどうぞ!
というキャンペーン、
そしてウンブリアが州境を越え、ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品鑑賞にどうぞ!
というキャンペーン、
また作品の背後に描かれた風景の、元の風景、インスピレーションを受けた風景はここ!
という、今回上でご紹介した場所を7か所、「ピエロ・デッラ・フランチェスカのバルコニー」
または「モンテフェルトゥレ・ヴェドゥーテ・リナシメンターリ・Montefeltro Vedute
Rinascimentali」と、案内プロジェクトをしているのですね。
という、今回上でご紹介した場所を7か所、「ピエロ・デッラ・フランチェスカのバルコニー」
または「モンテフェルトゥレ・ヴェドゥーテ・リナシメンターリ・Montefeltro Vedute
Rinascimentali」と、案内プロジェクトをしているのですね。
「ピエロ・デッラ・フランチェスカのバルコニー」では、こんな風に場所を設け、
説明板も設置していて、
説明板も設置していて、



ガイドがついて、グループで訪問し、という様な事も行われている様子。

という事で、我がブログも負けじと、ははは、ピエロの7作品のどれが、どこの風景か、を
ご案内致しますね。
地図の上で探し出すのが大事でしたが、いつか自分も行くかも、という事で頑張りましたぁ!!
で、まずは最初の「フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ」ですが、

ウルバーニアの北西のここに。 蛇行して流れる川がメタウロ。

住所は61049 Urbania PU としか出ませんでしたが、
「balcone Federico da Montefeltre」という道標が出ているという事で、
これはどの場所についても同様の様です。
そして、妻のバッティスタの背景は、

ここ、かなり北になりますが、サン・マリーノ共和国、そしてサン・レオの中間で、
住所はVia Tausano 55, 47865 San Leo RN

で実はこの住所は、この「サン・ジローラモと寄贈者」の背景の地図と同じのが出ます。

何度しても同じ場所が出るので、地図が馬鹿になったか、はは、と焦ったのでしたが、
こんな写真も見つかりましたし、説明にも「近くに・・」とあるので、同じ道の近くと。

「サン・ジローラモ・・」のバルコニーの写真で、

こちらが「バッティスタの肖像」の方。 どちらもかなりの岩場の少し高い場所の様ですね。
背景の山の姿が、やはり特徴あるもので、如何にもピエロ好みと。

こちらが、フェデリーコとバッティスタの対の肖像の裏側の「凱旋図」

この山の姿が、という訳で、500年前とほぼ同じ山の区分けの姿に笑えるほどですが!

地図はこちらで、住所はVia Piave del Colle, 61041 Acqualagna PU.

そしてこれはshinkaiが大好き、一度見たいと思っている「生誕図」ですがぁ、
これはロンドンのナショナル・ギャラリー収蔵品で・・遠い。

今回地図が見つからなかったのがこれで、住所はVillagrande di Montedopiolo の
Palazzolo というのは分かったのですが、地図に出ません。

この様に説明板は見つかっていますので、その内に! 分かったらまたお知らせしますね。
「洗礼図」

地図はこちらで、これもなかなか分からずでしたが、47866 Petrella Guidi RN

ペトゥレッラ・グイディという小さな村落は、とても趣のある素敵な村で、やっと見つけた
写真がこれで、右に掲示板が見えますね。

こんな感じに。 村に到着すればすぐ分かるような、何世紀もそのまま、という感じの、
本当に素敵な村落の様子を知りました。 いつかのチャンスに!

「キリスト昇天図」。手前中央のこちら向きの兵士の顔が、ピエロの顔と言われますが、
彼の生地のサン・セポルクロの美術館に。
彼の生地のサン・セポルクロの美術館に。

地図はこちら、サン・レオの南で、Località Pugliano,4, 61014 Pugliano PU

というピエロ・デッラ・フランチェスカの7点の作品の、背後風景の場所認定でしたが、
共通しているのは、エミーリア・ロマーニャのサン・レオ周辺、そしてウルバーニア周辺に、
という事でしょうか。
いずれにしても広い土地を歩き回り、出かけた先で大いに気に入り、スケッチを
していた場所なのでしょう。
で、上記したように、エミーリア・ロマーニャ州、マルケ、トスカーナ、そしてウンブリアの
4州が共同でしているキャンペーン、「ピエロの地・テッラ・ディ・ピエロ」ですが、
ご覧の様に行程図もあり、ここに行くと、この作品が見れますよ、という事で、
1.リミニ・Rimini 2.ウルビーノ・Urbino 3.サンセポルクロ・Sansepolcro
4.モンテルキ・Monterchi 5.アレッツォ・Arezzo 6.ペルージャ・Perugia
各地毎に、上で出た作品以外の一作品をご覧頂くとして、
1. リミニ「マラテスタ廟のシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタの壁画」
リミニ・マラテスタ廟について
2. ウルビーノ 「キリストの鞭打ち」、他に「理想の都市」も。
ウルビーノのご案内は
3. サンセポルクロには、ピエロの生家があり、
4. モンテルキ「出産のマドンナ」。最近美術館にかなりの大金で新しい設備が、
どんなのか具体的に分かりませんが、そんなニュースも。
モンテルキの「出産のマドンナ」については
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129166.html
5. アレッツォ、 サン・フランチェスコ教会の「黄金伝説」の一連の大壁画が。

ニュースで、教会の隣に、ピエロ・デッラ・フランチェスカに関する
ヴァルチャー博物館が出来ているという事、壁画拝見の折には是非
お忘れなくこちらにも。
サン・フランチェスコ教会の「黄金背景」については
6. ペルージャ、「サンタントーニオの祭壇画」
という様に、ピエロの名品が揃っておりますので、近くにお出かけの時は是非どうぞ!
shinkai個人としては、アレッツォの「黄金伝説」の戦場面のちょうど中央に描かれている
この川の流れと家、手前の木の風景がとても好きで、
どこをモデルにした物か、これも知れると面白いのになぁ、と思っていますが・・。

という、大好きなピエロ・デッラ・フランチェスカ、お好きな方はきっと多い事と、
に関する新しい、とは言え既に進行中プロジェクト2つについてのご案内でした。
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それもご了承下さいませ。
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この記事へのコメント
稲葉馨子
shinkai
そうですか、アレッツォ、サンセポルクロをご訪問されるのですね。
サンセポルクロはブログに載せていませんが、素晴らしい美術館があり、小さいですが素敵な町です。
アレッツォともども、是非楽しんでくださいね。
そして時間が許されるのでしたら、是非モンテルキの「出産の聖母」を見にお出かけ下さい。
私はこの聖母が、ピエロ・デッラ・フランチェスカが描いた女性像の中で、一番優しい女性像だと思っています。
良いご旅行を!