・ 湖畔の、新石器から青銅器時代の杭上生活復元公園を訪ね

21日復活祭の日に、お天気が良くなりそうな予報で、この緑の素敵な時期、
どこに出かけようかと考え、友人のジュリアーナとコネリアーノから北に30分弱の
距離にある、ラーゴ湖畔の古代住宅復元村訪問を思いつきました。

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このラーゴ一帯は緑の美しい所で、四季それぞれに美しい風景が広がりますが、
今の新芽の時期、さぞ美しかろうと思ったのと、
予てから一度湖に張り出した杭の上の古代住宅を見たくもあったのですね。

案をジュリアーナに話すと大賛成で、朝の内はまだ少し雲がありましたが、
お天気になりそうな気配の中を出かけました。

10時からオープン、との事で少し早めに着き、車を止めた後近くを歩きます。

この何とも柔らかい緑色の雑木林が広がる一帯で、

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花も咲き出していて、

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草原も、野草の花、たんぽぽの落下傘部隊で埋まっています。

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湖畔脇を通る道は西に続き、すぐ北を屏風の様に山並みが伸び、
村落が点在する、とても美しい一帯なのですね。

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古いご案内ですが、どうぞ。
レーヴィネ・ラーゴ ・ Revine Lago の聖所
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784153.html

枯れ色の風景、そして蒼 ・冬の湖
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461343626.html



10時にオープンし、10時半からガイド付きツァーが始まるので、それまで
散歩しながら待っていてください、との事で、入り口から入りゆっくりと歩きつつ、
東には湖が広がり、若々しい緑の風景が広がり、

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こちらの復元住宅公園には入って来ずとも、湖畔を散歩する人びとも見え、

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公園の名は、杭上生活村考古学公園-Parco Archeologico Didattico del Livelet
とでもいうか、子供たちへの説明、案内、また様々な実習を含めての教育、という事で、
遊んで学べる広い地域に様々な施設建物があり、所々にこんな説明板も。

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こちらが一帯の地図案内で、左側の赤点の入り口を入り、水路、これは湖から
引き込んだ様子ですが、その右側に様々な施設があり、一番奥に古代住宅が。

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お浸しにでも出来そうな、はは、柔らかい新緑の芽吹きを愛でつつ、

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湖畔風景を眺めつつ進み、

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一番奥にこんな風に見えて来て、あ、あれだよ。

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手前右に白いカマクラ状のものが見えますが、



こんな形で、手前に火焚き場所を思わせるものもあり、

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中にこんな風に描かれた動物や人間の形も見え、おお!

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ですがね、これは後で尋ねると、子供たちが潜って遊べるように作ったもので、
絵も、他の場所でものを描いたので、ここのではないとの事。

明るく写った写真を見ればすぐに、あ、これは、と分かったのでしょうが、
暗い穴倉の奥の壁に何か見えた時は、この地の物の復元かと思ったのでしたぁ!



近くには、バード・ウォッチング用の塔も見え、

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奥に見える復元住居跡が覗け、手前に陸上の住居、そして左奥には、

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この様に湖上に杭を打った上の住居が見え、

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手前の陸上住居の奥に隠れもう一つ、半分陸上、半分水上の住居の3つが、
ここに復元されているのでした。



このラーゴ一帯の様子をどうぞ。 ラーゴ・湖は2つあり、西がラーゴ・ディ・ラーゴ、
家の印の見える所に我らが行った公園があり、
東に見えるのがラーゴ・ディ・サンタ・マリーアと呼ばれ、真ん中の茶色に見える部分、
コルマッジョーレ・Colmaggioreと呼ばれる村の部分で湖が東西に分かれています。

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この湖は太古の氷河期の物なんだそうで、2つの湖を繋げるために真ん中地区で
運河を掘った1923年に、青銅中期、紀元前6世紀の物と思われる青銅の剣が、
続いて紀元前15世紀の短い剣が、そして紀元前13世紀の短剣が発見。

そして1987年になり同地区の発掘が始まり、最初の住居跡が見つかった事で
この一帯が注目を集め、1992年、1997年の発掘が行われ、

紀元前約4500年の新石器時代、続いて銅時代、紀元前2300年の
青銅時代の初めに至る住居跡と分かり、おまけに青銅中期から以降にかけても
散在しているというのが分かったのだそう。

重要なのは、縦に杭を打ち込んでいる跡が確認された事、燃えた木々の破片、
杭の打ち込みの基礎としての石、バラスが見つかった事で、
つまり湖岸に工事を施したらしい事が分かった事なのだそう。

で、現在の杭上の住居跡は、こういった考古学の発見意義を高める為に、
この湖の西に2007年に出来たもので、
ジュリアーナは1度訪問しているそうで、その時と比べずっと設備が整っていると。



さて時間が来てガイドさん、ダニエレ・Danieleという男性で、上で見て頂いた
一番手前に見えた「地上にある家」から見学が始まり、
つまり時代として一番古い新石器時代の物に当たります。

これは横幅も広い大きな家で、入り口は南側に。

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屋根は平均30cmの厚さに、湖畔の葦を刈ったものを並べてあり、
この厚さで悪天候が防げるそうで、確かに家の中は3軒ともしっかり乾いておりました。



壁は葦を横に組み、その上から藁、粘土や砂を混ぜた天然の漆喰で塗ってあり、
如何にも手作り、という感じの指の後などが見て楽しく、

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造られた時には考古学者たちも子供達みたいに楽しんだのではないかと、ははは。
屋根の葦の辺りには、小さな昆虫やハチみたいなのが飛び交っていましたが、
人間たちに向かってくるわけではなく、家の中にも入り込んではいませんでしたね。



入口扉もこんな形で枝を指し違いに通したもので、勿論実際の生活では
やはり冬など毛皮をかけたりで工夫したろうと思いますが。

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屋根の勾配の下は貯蔵庫として利用したとの事で、寝るのは下で。 というのも
中で火を燃やすので、その煙が上に上がるからと。

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ここでは家が大きく真ん中に大きな柱があるので、火焚き場所を横にずらして
作ってありましたが、本当は家の真ん中にあった事の説明があり、

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火打石を打っても見せてくれ、炉石の上の茶黒の山形の物、これは茸の一種の
乾いたものだそうで、その粉を使ってその火花が火になり易い様にもしたのだとか。

石を削って様々な形にする為に、左側の手前に見える広めの石ので削るのに
砂を撒いたとか、様々な石器時代の石を使っての道具類の作り方の説明も。



壁にある棚の上段、右から2つ目の壺ですが、なんと口が四角で驚きましたが、
この北の地域にのみ見られ、ですが直にすたれたそうで、

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農具や狩りの道具も触らせてくれたり、説明も分かり易く、
家族と一緒に来ていた子供たちも学校の授業の補修みたいでしたね。



こちらが最初の家の背後にあった、少し時代が下がり青銅時代に入っての物で、
杭上の家ですが、半分地上、この写真では分かりにくいですが、家の右側は地上で、
左は水の中、という分類に。

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家の入口扉も木に代わっていて、入り口が凝っているでしょう?
こういうのを見ると、復元に当たって如何に考古学者たちがどの様にしたら、と
考えたんだろうなぁと思われ、それも楽しくなりますね。



家の中は水辺に張り出した方の屋根の下は、常に水面の光が反射して揺れ、
今見える服の胸元には、銅で作った飾り模様とか、ピンなども見え、

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つまり布を織る原始的な機織りがあり、それ以前に勿論糸をつむぐ器具もあり、
魚を捕まえる原始的な簗、銅を溶かす原始的な炉、小さな囲炉裏端みたいな
設備も作ってあり、



右に見えるのが機織りの原始的なもので、実際に動かしてみてくれたのですが、
経糸を交差させる部分の動きがこの機の姿ではイマイチ納得できずで・・!

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原始的な機織り機は、新石器時代の家にもも少し原始的は幅の狭い物が
ありましたし、確かに植物繊維を使って機を織っていたのでしょうが・・。

左に見える太い丸太を使った階段が、これは他の地域の工夫を模して
ここに作ったのだそうですが、これはアイディアで受けていましたね。



この青銅期に移行する家、地上と半分水上の家の水中部はこんな様子で、

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勿論実際には当時はこんなに太い木を杭に使ったり打ち込んだりは出来ずで、
もっと細い木をたくさん打っていたとの事ですが、

様々な生活上の工夫を長年に渡り重ねていたのだろうと思い、それが感嘆の元で。



そしてこちらが水上の杭の家、青銅期ですが、真ん中の家よりも少し後期と。

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銅を溶かし、錫を混ぜ青銅を作り、それで様々な生活道具、戦道具も作った、
と言うのは簡単ですが、銅を溶かすには1100度位の温度に上げる、というのを聞くと、
本当にあの時代に、そんな高温迄上げることが出来たのだろうか、とまずそれに感嘆!
前の家にも小さな炉がありましたが、ここでは奥に見えるフイゴも登場で、

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炉を囲む鋳型の石は、実際に発見された剣や道具類の鋳型を模したものだそうで、
本物の剣はコネリアーノの博物館にあります。 
という所でジュリアーナと2人顔を見合わせ、コネリアーノの博物館ってどこにある?!
尋ねると、お城の中にというので、ああ、あそこね、見に行こうかと。 ははは。

それにしても最初は炭を積み上げて隙間から管を差し込み口で吹いたのが、
フー、フーと吹く間が開くと温度が上がらないので、2人で交互に吹く事から始め、
吹く管に工夫を凝らしたりで、炭の色が赤色から真っ白に見える位になるとOK、
つまり1000度を超える、なんぞという事を何千年も前の人達が経験から知り、
次々と越えて行ったのかと思うと、頭が下がります、はい。

各仕事も徐々に分担、専門的になる事も出て来たり、武器をとって戦う事もで、
見た事も無い武器の姿もあったりで・・。



棚の上段に見える動物の姿は、犬ではなく、馬なんだそうで、
こんなのも出現したのですねぇ。

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これは窯、説明の為に動かせるよう、箱型に収めてあると言いましたが、
手前の蓋を取ると、奥に楕円の空間があり、パン的なものを焼いたのでしょうね。

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やはりここでも寝るのは床の上で、中二階は貯蔵庫だったそうで、
衣類も以前よりもしっかりした形になり、そうそう、ズボンの2本脚姿は未だなく、
片側づつ履いて止めていた、というのも知りました。

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杭上の家復元で使った杭の木はカラマツで、これは水中での耐久力からで、
実際にはこの緯度の地域には存在しない事や、
他の木材は実際に遺跡から出土した木の種類で、栗、樫、ハシバミ、ミズキなどと。

発掘品には狩りに使ったらしい柳の枝を尖らせたものとか、緑色岩を研磨したもの、
何に使ったかは記載なし、陶器の破片、紡錘とか織機の重しとか、
農耕作用の半月鎌とか、上記した火打石、挽き臼、そして牛や豚、羊、ヤギの
飼育も行われていた様子が分かっているそう。

これよりずっと北西に位置するトレント(ボルツァーノの南)のフィアヴェ・Fiavé
というトレントから南西に36k程の山間の村には、やはり氷河期に出来た湖の傍らに、
世界遺産に登録されている杭上の住居跡、そしてヨーロッパで唯一と言われる
たくさんの素晴らしい紀元前3800年から3600年の出土品の博物館があるそうで、

というのも、このラーゴの杭上住宅はこのフィアヴェの記録を参考にしている、
というのが今回読んでいて分かった事で、

特別考古学に興味を持っているわけではありませんが、やはり本で読むよりも
実際に目の前に見れ、説明して頂くと成程なぁ、と思うタイプなので、はは、
見学のチャンスがあればきっと楽しい事だろうと思った事でした。



それにしても、こういう美しく穏やかな場所を定住地に定めた我ら人類のご先祖様たち。
この穏やかな美しい日に訪問すると、なぜかとても親密感を感じたのでした。

約50分程のガイド付きの見学で楽しく過ごした後、
新緑に囲まれた美しい湖を眺め、

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オオバンの水中飛込を楽しみ、

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ジュリアーナも今迄まるで知らなかった事を知った、と大いに喜び、
ガイドをしてくれた大変優秀で丁寧だったダニエレさんに感謝し、

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彼の眼は周囲が濃い茶色で、中がグレイに少し緑が入った素敵な色で、
良い目だなぁ、と眺めましたっけ、はは。



さてとカフェを飲みながら、ではお昼を食べに行こう、と話していると、
shinkai! と声がかかり、なんと以前何度か見学でガイドをしてくれた
ファビオ・Fabioで、顔が見えたから挨拶しようと待っていた、と嬉しい事を!

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彼も今、ここで働いているのだそうで、サイトのスタッフ紹介を見ると、
どなたも皆それぞれに考古学や文化紹介などの専門を卒業しての優秀な方々で、
土日、祭日のオープンですが、子供たちのみならず大人も参加で楽しめる、
楽しい考古学公園なのでした。

サイトのスタッフ紹介ページでファビオが使っている顔写真は、
shinkaiが以前撮った物なので、笑いましたっけ。

公園のサイトはこちらに。
http://www.parcolivelet.it/villaggiopalafitticolo.php



ラーゴの村の家並を望み、

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この辺りは美しいからまた来ようと、湖の眺めを見納めし、

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駐車場の車に戻って来ると、なんと我が車のウインドウの上にバッタ君!

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この冬は我が家で3匹のバッタ君、いや、雌だったのが後に判明、が
無事に冬を越し、それぞれ2月27日と3月3日に旅立ちして行きましたが、
・・shinkaiはバッタに好かれるタイプなの?! ははは。

動き始めてもなかなか動かずでしたが、やはり少し走った所で飛んで行き、
我らは当日のお昼ご飯、コネリアーノのインド料理店に向かったのでしたぁ。


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記録庫ブログには、スコミーゴ村便りを 7記事 アップしています。 
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色鉛筆+水彩画ブログには、
花咲くカステルッチョ 途中経過 と、 インド料理店に を  
アップしています。 
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この記事へのコメント

  • YUN

    こんばんは!
    先日はありがとうございました。
    今回は古代住宅を巡られて、また違った雰囲気。
    湖の美しい長閑な場所で昔々の生活をあれこれ想像させられ楽しめましたね。子供さんもここなら面白く学べそう。
    日本の住宅と共通点がありますね~。本当に考古学者さんたちが工夫しつつ自ら楽しんで設置した感じがします。
    発掘された小さなお馬も可愛い。
    ガイドさんのお力も素晴らしい~ダニエルさんにファビオさん・・・素敵です♪
    バッタ君に見送られて充実のひとときでしたね。
    オーストリア方面にも行かれていて、やはり国境越えと言うのはヨーロッパならでは! 地続きで違う国の雰囲気を味わえるのはいいですよね。
    2019年04月26日 02:23
  • shinkai

    ★YUNさん、こんにちは! コメント有難うございます。

    いやぁ、この一帯はいつ行ってもとても美しい良い所で、復元住宅は一度行って見たかった所なのです。
    かなり以前グループでの参加のチャンスがあったのですが、日を間違え、待っていても誰も来ず、という、ははは、事がありました。

    日本でもこういう復元住宅はあるのでしょうが、見学するチャンスが無かったのと、でもやはりあれこれかなり共通する所があると思いました。
    長い年月がかかっているのでしょうけど、人類の先輩たちがあれこれと経験の中から学び、得たものが何と大きいものかと感心するばかりでした、偉いですよねぇ!

    本当に、ガイドをしてくれている彼らの力はとても大きいと思いましたよ。 楽しかったです。

    そうなんです、久しぶりにオーストリアだったのですけど、お天気がねぇ、美しい一帯だったので、それが一番残念でした。
     

    2019年04月26日 13:09