今日のご案内は昨年春に訪問したトスカーナはキュズーレ・Chiusureにある、
有名なモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院・
Abbazia di Monte Oliveto Maggioreを。
素晴らしく大きな、オリージネは14世紀に遡る修道院で、
この眺めは隣にある村キュズーレ・Chiusureから見える様子。
この眺めは隣にある村キュズーレ・Chiusureから見える様子。
地図をどうぞ。 左斜め上にシエナがあるとお考え下さいね。 で南西に下り、
上に見えるアシャーノ・Ascianoがシエナのクレーターに位置する中心の町で、
モンテ・オリヴェートの修道院はこの位置に。
上に見えるアシャーノ・Ascianoがシエナのクレーターに位置する中心の町で、
モンテ・オリヴェートの修道院はこの位置に。
左下には、シエナからフランチェジーナ街道を南に下って来てのブオンコンヴェント・
Buonconventoがあり、右に見えるタルトゥーフォ博物館・Museo del Tartufoは、
お城にトリフ博物館があるサン・ジョヴァンニ・ダッソ・San Giovanni d'Asso.
Buonconventoがあり、右に見えるタルトゥーフォ博物館・Museo del Tartufoは、
お城にトリフ博物館があるサン・ジョヴァンニ・ダッソ・San Giovanni d'Asso.
白タルトゥーフォの町と、雨上がりの緑のクレーター風景
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461454649.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461454649.html
キュズーレのご案内で、村と修道院の間にボコッと深く広がるクレーターの凄さと、
モンテ・オリヴェート修道院のご案内もちょっとしていますので、こちらをどうぞ。
キュズーレ ・ シエナのクレーターの小さな村
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462560317.html
キュズーレの村には再度、修道院のクレーター越しの眺めを見たいと思って寄り、
村の外れからのズルズルと滑る急な坂道を行き、
足元脇すぐに崩れた土が見える、クレータのこんな眺め。
道を下り始めた時に上って来た3輪車が再度下って行き。
土肩にテープが張られ、デコボコのこんな道なのですよ! 谷下に何があるんだろ?!
村を北に出はずれ暫く行くと修道院への道が左にあるのですが、
これは多分その手前からだったと思う、クレーターのまさに崖っぷちに見える修道院。
右に見えるのが、かっての修道院の要塞、現在はレストランで、駐車場もここに。
という事で、これがかっての要塞で、この左部分には跳ね橋もあったのですね。
真っ直ぐに下る道もあるのですが、どうやら地道の様なので、右側の少し長くとも
舗装されたこんな杉並木の道をゆっくりと下ります。
近くには小さな礼拝堂も見えましたが、大きな水槽があり、何に使ったものか。
修道院内の美術館にもこれを描いた古いデッサンがありましたが、何かは分からずで。
200mほどか、も少し下った所で、こんな様子に修道院の建物が始まり、
モンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院がこんな風に目の前に現れ。
鐘楼と、その奥に見えるのは教会の後陣部。
入り口前に見える白い像は、どうやら14世紀初頭、1320年頃修道院の元となった
信心会を作り、建設を始めたベルナルド・トロメイ・Bernardo Tolomei(1272-1348).
彼については以前に書いた物を抜き書きコピーさせて頂きますが、
キュズーレの村の起こりを読むと、シエナの貴族トロメイ・Tolomei、伝説では
エジプトの王家に繋がるという家系が、へへ、12世紀シエナの記録に出る旧家で、
このキュズーレ辺りにも広く領土を持っていたとの事。
キュズーレの村の起こりを読むと、シエナの貴族トロメイ・Tolomei、伝説では
エジプトの王家に繋がるという家系が、へへ、12世紀シエナの記録に出る旧家で、
このキュズーレ辺りにも広く領土を持っていたとの事。
1313年にベルナルド・トロメイは隠者生活に入る事を決め、彼の土地であった
キュズーレに程近いデゼルト・ディ・アッコーナ・deserto di Acconaに居を定め、
オリヴェターナ信心会・Congregazione Olivetanaを起こし、
それがモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院の基となったと。
キュズーレに程近いデゼルト・ディ・アッコーナ・deserto di Acconaに居を定め、
オリヴェターナ信心会・Congregazione Olivetanaを起こし、
それがモンテ・オリヴェート・マッジョーレ修道院の基となったと。
ぐるっと回りこむと、左に教会の入り口扉、右に見える入り口が回廊、建物部入り口で、
先に教会の内部をほんの少し。 内陣、後陣部と、
上の明り取りのドゥオーモ内部。
ちょうどパイプ・オルガンの練習中なのか、音楽が聴けて幸せ。
ですが、ご覧の様に教会内は18世紀末にバロック様式に改装されており・・。
こちらが有名な合唱席背後の寄木象嵌細工で、これは1503~05年作、
ヨーロッパでも重要な作品の一つなんだそう。
ヨーロッパでも重要な作品の一つなんだそう。
フラ・ジョヴァンニ・ダ・ヴェローナ・fra Giovanni・da・Verona作と言い、
こちらのサイトで素晴らしいのが、アップでご覧になれます。
http://myelection.info/guide/f/fra-giovanni-da-verona.html
建物内部に入りますが、ここは入り口扉に「入場無料」とあり、何となし、おお!
広い長方形の回廊が広がり、大理石の井戸もあり、1426~1443年に整備の物と。
真ん中にこの修道院の規範となるサン・ベネデットの像があるのを撮っておらず。
そしてこの広い回廊を巡る4辺の壁がすべてこの様にフレスコ画で装飾されていて、
モチーフは「サン・ベネデットの生涯」の逸話で、ルーカ・シニョレッリ・
Luca Signorelliと、ソドマ・Sodomaが描いた物。
ルーカ・シニョレッリが描いたのは8面で1497~98年と言い、
残りがソドマ、1505年以降と。
それぞれの絵の下には、サン・ベネドットの逸話の説明があるのですが、
有難いお話には余り縁のないshinkaiは、修道僧が食事をしている横で
犬と猫が喧嘩したり、
修道僧たちの様々な労働の様子を眺めたり、
それにしても、なんとも美しい白い僧衣の描き方に感嘆し・・。
これは多分ルーカ・シニョレッリの、右には娼婦たちがいるのですが、
それを若いカップルがこんな風に見惚れているのを見たり、へへ、
犬の親子や、
悪魔が「ぎゃっ!」とやられているのを、ははは、楽しみましたぁ。
壁に開いた窓の、厚い壁にもこの様に装飾が施され、
廊下に置かれた壺、何に使った壺だろ?
この回廊で一番心に残ったのは、一つ一つの柵を脇に寄せ、
丁寧に掃除をされる僧の姿でした。
レフェットーリオ・Refettorioと呼ばれる食堂入り口で、
覗くと既に食卓の準備がされた広い長方形の部屋で、左手の大きな窓から
明るく光が射しこみ、とはいえ、奥の壁画がしっかり写る程の明るさでもなく。
15世紀に出来たもので、この部屋が唯一の大きな部屋で、かまぼこ型の天井、
見えるフレスコ画は17世紀の物。
見えるフレスコ画は17世紀の物。
が、正面の油彩画は20世紀半ばの物で、元々は正面にも古いフレスコ画があったのが
殆ど無くなった後に、同一主題の「最後の晩餐」を掛けたのだそう。
細長いテーブルの様子ですが、お皿とお水が既に。 で足の部分をどうぞ。
同じ型のコンクリート製?
こちらは2階の図書館への階段で、手前と向こうと2か所から上がれる優雅な形。
こんな螺旋状で、
踊り場に見えたフレスコ画は、どうやらソドマの作品、
こちらは階段の天井部。 優雅でしょう?!
図書館の内部、ここは下に食堂がある位置に当たり、やはり長方形の広い部屋で、
壁の両側にこのように書棚が。
入口に居られた老シニョーレに「ボン・ジョルノ」と入り際に挨拶しましたら、
頼まないのに説明をして下さり・・、
所謂手書き、手描きの羊皮紙の本、というのはこの図書館には無く、
後の時代の印刷された本のみなんだそう。 残念!
で、円柱が並んだ3廊式になっていて、奥にまた2か所から上がれる階段が付き。
下の食堂は広いままの円柱無しで、この円柱の重みなどは?というのはです、
ちゃんとわずかに傾き、重みは壁にかかる様になっているのですと!
で、上の奥にあった薬局・ファルマチーア・farmaciaで、テーブルの上には
かっての実験道具か、はたまた薬草の煮だし?用の道具かな。
様々な薬草が入れられた壺が並び、壁にある荘厳で美しい聖母子像。
下の図書館と薬局にあった、彫りと寄木象嵌細工の美しいのを。
2階の窓から見下ろす、下の回廊の庭と、
回廊の庭向かい側と、奥に鐘楼。
内庭にあるサン・ベネデット像というのはこれかな?
こちらは美術館。
こんな素晴らしい古い絵もありましたが、
中にはティツィアーノを真似た、がまるで酷いどなたか教皇の絵もあり、はは、失礼。
下に降りて来て、入り口脇に見えたどうやら元倉庫らしい物も見て、見学お終い。
古い時代の創設とはいえ、どうやらこの修道院はその歴史において常に教皇からの
庇護を受け、というか、かなりの特権を享受してきた様子で、
そんな事からもその大きさ、入り口に位置する要塞の砦、そして内部の優雅さが
説明できるのかなぁと。
サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html
サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html
サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html
プラーリア修道院 ・ パドヴァ その1
http://www.italiashiho.site/article/451142474.html
http://www.italiashiho.site/article/451142474.html
プラーリア修道院 ・ パドヴァ その2
修道院を出て少し進んだ先から見えた、中央右、丘の上のキュズーレの村。
北に道を辿りアシャーノに向かいましたが、靄があるものの晴れて来て、
これもきっと由緒ある領主の館か何かなのでしょうね。
谷の村落、そして糸杉の向こうには多分農家が。
という、シエナのクレーターのモンテ・オリヴェート修道院と、緑の風景でした。
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