・ n.1 サン・クイリコ・ドルチャ 再訪 ・ 中世街道の主要地点

今日ご覧頂くのは、トスカーナはオルチャの谷の西、東西南北を結ぶ街道の
主要な交差点に位置し、
イギリスはカンタベリーからローマに向かう巡礼道のヴィア・フランチージェナ・
Via Francigenaがシエナから下って来る、
またウンブリア、マルケからのシエナ、フィレンツェ行きの街道が交差し繁栄した町、
サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaの様子 n.1を。

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2008年初夏に初めて訪問した時の様子はこちらにご案内で、
サン・クイリコ・ドルチャ ・ 中世街道の分岐点
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html

2014年にも訪問したもののそのままで、昨年5月に訪問した時の写真でご覧下さい。

今回は町の東にあるホテル兼レストラン兼ガソリン・スタンドに3泊した朝早く
町の様子を見に出かけた時の物で、前夜は大雨でまだ少し曇り、時に陽が射し。

小さな町の真ん中をダンテ・アリギエーリ通り・Via Dante Alighieriが通り、
この南北に抜ける道をかってはフランチージェナ街道も通り抜け、
道の両脇にかっての主要な教会、建物等が散らばり、観光には楽な町。

上の写真は、そのダンテ・アリギエーリ通りを南から入ってすぐにある
サンタ・マリーア・アッスンタ教会・Chiesa di Santa Maria Assunntaの
後陣部と、アーケード式鐘楼。



道から後陣の背後が通れる様になっているので、入り込み、鐘楼も。

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後陣の軒先に並ぶ飾りを。 

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オルチャの谷一帯のサン・クイリコの町から一つ西の山の上にあるモンタルチーノ・
Montalcinoから南にあるサン・タンティモ修道院・Abbazia di Sant’Antimoの
装飾を思わせますね。

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html



屋根の上での、鳩たちの朝の語らい。 左上から顔を出すのもおり。

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そのままぐるっと教会の背後を通り抜けますが、教会建設が11世紀後半とみられる
古い白い石組で、何かちょっと印らしきものが見えたので。

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この白い石は石灰華というそうですが、これは温泉、鉱泉の湧き口などに出来る
炭酸カルシウムの沈殿物で多孔質で柔らかい、と言い、すぐ南に
バーニョ・ヴィニョーニの有名な温泉があるので納得ですね。

バーニョ・ヴィニョーニ ・ ローマ期からの温泉保養地 再訪
http://www.italiashiho.site/archives/20180611-1.html



ぐるっと教会背後を回ってきた所で、教会の正面壁の前からの通りと出会い、
すぐ横に高台になった薔薇の公園があり、

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バラの花は整備された少しで、小さな生垣を巡りながらゆっくりと散策できる様子。



脇にこの表示があり、ホルティ・レオニーニ・Horti Leoniniの開園時間があり、
このバラ園もかっては教会を取り囲んでいた幾つかの菜園の一つで、それらが後に
現在のホルティ・レオニーニの元になったものと。

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という事でそのままホルティ・レオニーニの方に入れるようになっています。



ここでサン・クイリコの町、中心の地図をどうぞ。 実際はもう少し縦に起きた形で。
shinkaiは右から入ってきた形で、中心のダンテ・アリギエーリ通りを挟み、
サンタ・マリーア・アッスンタ教会、そしてその下の薔薇園・Giardino Rose、
緑に広がるホルティ・レオーニニで、ホルティとはラテン語で「庭園」の意。

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同じ枠で囲った道の向かい側のスカーラの病院・Ospedale della Scalaの
ご案内は次回に。
中心にサン・フランチェスコ教会があり、旧市街の北西にコレッジャータ・
Collegiataと呼ばれるこの町の一番格式ある古い教会があり、
その横にパラッツォ・キージ・Chigiで、現在市役所に。

この時はホルティ・レオニーニを抜けコレッジャータまで行き、そこから戻って再度
サンタ・マリーア・アッスンタ教会に、だったのですが、ここでは先にご覧頂きますね。



こちらが現在のダンテ・アリギエーリ通りに面した教会の前景で、脇の入り口が
右に見える正面入り口より立派なのは、かってはヴィア・フランチージェナ、
大巡礼道に向いてだった訳で。

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中世における大巡礼道ヴィア・フランチージェナについてはこちらに。
モンテリッジョーニ ・ 市壁と、中世巡礼街道の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678404.html



脇の入り口上部。

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で、左側の壁のかなり細かい装飾と、入口上の如何にもユーモラスな中世の彫り。

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口の左に脚が一本くわえられていて、口の真ん中が欠けているので、案外かっては
2本脚が見えたのかも! 余り怖くないライオン君ですが、はは。



こちらは入り口右側で、こちらも人間かな、をくわえてますが、左には迫力負け。

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この教会はいつもshinkaiの訪問時には閉まっていて内部を見た事がなく、
サイトから見つけた写真で。
一廊式の素朴な、逆に精神的な想いの湧く、素晴らしい物ですね。

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ホルティ・レオニーニの庭園の壁の横には、この小路がダンテ・アリギエーリと平行に
延びますが、こちらは地形がかなり下り坂。

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庭園内部は前日の大雨もあり、かなり足元が緩く、

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この時の大雨では、フィレンツェで観光バスの上に街路樹が倒れ、亡くなった方もいたと
いうニュースでしたっけ。



バラ園のとの連絡口を振り返り。

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中心の幾何学模様の植え込み部は、雨の為荒らされるのを恐れてか、立ち入り禁止。

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そういえば、以前に寄った時も中には入れずの記憶があり、
サイトで中を歩いている皆さんの写真を見て、ああっ! と思いましたっけ。



中央に立つ石像の主は、コジモ3世デ・メディチ・Cosimo III de' Medici.

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というので、メディチ家の何代? 時代は? どうしてここに、と例によりあれこれと。

このホルティ・レオニーニは1581年、メディチ家の当時トスカーナ公国の当主であった
フランチェスコ1世からこの地がディオメデ・レオーニ・Diomede Leoniに贈られ、
当時の堡塁があった場所に造られたと。

ディオメデ・レオーニという方についてはほんの少しサイトで見つけ分かったのは、
ミケランジェロの弟子で、枢機卿フェルディナンド・メディチの腹心の男であり、
このサン・クイリコの地をフランチェスコ1世大公から贈られた、という物。

少しややこしいのは、トスカーナ公国となった初代のコジモ1世の息子2人、
長男がフランチェスコ1世でトスカー公国2代目、次男フェルディナンド、枢機卿で
後にトスカーナ公国3代目を継ぎます。
が、かってはフランチェスコの死因は急病死だったのが、フェルディナンドによる毒殺と
近年の調査で分かっており、

この地をフランチェスコから贈られ、素晴らしい庭園を造ったディメーディオという人が、
フェルディナンドの腹心だったというので、焦って少し年代も調べ直したりでしたぁ。

n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html

n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html

ですがこのホルティ・レオニーニ庭園は、当時のルネッサンス期にどれもが
そうだった様に、内部にヴィッラを造ったりして関係者のみが楽しむ庭園ではなく、

最初からヴィア・フランチージェナを行く巡礼たちも楽しめる様に、という意図で
造られた公園だった様で、これはフェルディナンドに送った手紙にも明らかだそうで、

その辺りに、ディーオメデなる方がミケランジェロの弟子であった、石彫の仕事かな、
が持った公園の明確な目的が、メディチ家内部の当時の暗さを拭ってくれますね。


話がそれましたが、中央に立つ石像のコジモ3世という方は、初代のコジモ1世から
数えると6代目(1642-1723)で、メディチ家の中では最長命の81歳で亡くなりますが、
政治的にはかなりなぼんくらで、ははは、
ここに像があるのも、何かのチャンスに建てられたものであろうと想像。

悪口をもう一つ書くと、はは、像に見えるかなり厚い唇も、描かれた肖像通り!
で、1975年からこの公園は市の持ち物となり、造園当時の姿と造園主の名を保ちます。



背後に見えるうっそうとした森もやはりかって堡塁があった時のままの様で、

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奥にあった高さ39mだったかの塔、第2次大戦で爆撃された、の跡が残ります。



内部からでは分からない、幾何学模様の植え込みの様子をどうぞ。

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こちらは庭園の西側、町の城壁部で、

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この様に出入口に連絡し、

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外から見る門。

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すぐ横にある城壁の門を出ると、やはり昔見たままの投石機があり、

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でも何でこんなのを作って町の門に置くのか、その辺りの神経がね?? 



ちょうどこの日は町の市の日で、サン・フランチェスコ教会前の広場・
ピアッツァ・リベルタも、城壁の門の外も市の為の屋台、車の大型バンが
たくさん並んでの人出で、早々に退去。

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ダンテ・アリギエーリ通りの端にあるコレジャータ・Collegiataの姿が見えて来て、

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右手手前にあるのが、



このパラッツォ・キージ・Palazzo Chigi、現市役所ですが、

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17世紀に枢機卿フラービオ・キージ・Flabio Chigiによって建設されたもので、
彼についてちょっと面白そうなサイトが見つかったものの、まだ読んでおらず、
コレッジャータのご案内ともども次回にさせて頂きますね。



所でこちらは偶然サイトで見つけた「元アバーテ・ナルディ・abate Nardi・」の
歴史的邸宅のお宿は如何、というもの。

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素晴らしい部屋の様子ですが、こちらサイトで
https://www.dimorestoricheitaliane.it/dimora/casa-abate-naldi/
内部の様子などの写真も見る事が出来、予約もできます。

なぜアバーテ・修道院長、というのか、他の意味があるのだろうと思うのですが、
屋敷を17世紀に造ったマッテオ・ナルディ・Matteo Naldiという方はシエナ出身の、
教皇アレッサンドロ7世・Alessandroの主席侍医だった方。

教皇アレッサンドロ7世(在位1655-1667)は俗名をファビオ・キージ・Fabioと言い、
シエナ出身なのですね。 という事で繋がりも分かりますし、
現市役所のパラッツォ・キージ建設の枢機卿フラービオ・キージの叔父さんでもあり。



どこにあるか、地図をどうぞ。 ほら、コレッジャータの横、パラッツォ・キージから
サン・フランチェスコ教会前のリベルタ広場との中間に。

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サイトには、素晴らしい中庭の様子や、あれこれエヴェントの写真もあり、ご覧を。
1階で、プロ仕様の台所も使える、が一日800エウロ、
2階の、貴族の階使用が 一日1000~1800エウロだそうで~す。

世界遺産のオルチャの谷の観光のお供に、こんな瀟洒なお屋敷で過ごすのは如何?!

と、現在のお屋敷の持ち主が近くに「イル・リーゴ・Il Rigo」というアグリトゥリズモ、
http://www.agriturismoilrigo.com/_it/home.html
を持っており、そこでも16世紀の素敵なお部屋と朝、夕食のおもてなしがあるそう。

省略しましたが、町中の屋敷の持ち主の変遷、その人物像も分かり、なんとまぁ、
古い町にはそれなりの古くからの家、人間の繋がりがあるもの、という感慨も深くに。

では、次回もお楽しみに!


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