先回トスカーナ州の7つの世界遺産登録地のご案内をした時に、最後
2013年に登録されたのがメディチ家の12のヴィッラと2つの庭園であると知り、
2013年に登録されたのがメディチ家の12のヴィッラと2つの庭園であると知り、
shinkaiはどのヴィッラも訪問した事がないので興味も沸き、どんな様子かを
知りたくもなり、そんなこんなで調べた事からご案内を。
知りたくもなり、そんなこんなで調べた事からご案内を。
で、第一回目は、名前だけ知っていて以前からいつか!と思っていた
ポッジョ・ア・カイアーノ・Poggio a Caianoのヴィッラのご案内を。
ポッジョ・ア・カイアーノ・Poggio a Caianoのヴィッラのご案内を。
参考にしたサイト、引用の写真は
「Alla scoperta della Villa Medicea di Poggio a Caiano」と、
ウィキペディア・イタリア版「Villa medicea di Poggio a Caiano」からです。
ポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラはどこにあるか、地図をどうぞ。
ご覧の通りフィレンツェから北西に20km程で、プラート市に含まれますが、車で45分
とグーグル地図に出ましたが、いやぁ、20kの距離に時間がかかるのですねぇ!
流石都会というか。 最後に電車、バスでの行き方を。
このヴィッラはロレンツォ・デ・メディチ・Lorenzo de’ Medici(1449-1492)、
イル・マニーフィコ・偉大な男と呼ばれ、フィレンツェが最盛期を迎えた時代の事実上の
支配者でもあったロレンツォが、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ・Giuliano da Sangalloを
設計者に、1480年頃から建設を始めたもの。
ポッジョとは丘の意で、文字通りカイアーノの丘の上に、古い要塞跡もあった様ですが、
そこに古代様式も取り入れたメディチ家の夏のヴィッラ・別荘を作った訳ですね。
そこに古代様式も取り入れたメディチ家の夏のヴィッラ・別荘を作った訳ですね。
ロレンツォが1492年に43歳で亡くなった後、跡を継いだ息子ピエロは失態から
フィレンツエ追放にもなったりで一時ヴィッラの建設は1495年から1513年頃まで
中断されますが、メディチ家は再度街に戻り、ヴィッラの再建もピエロの弟ジョヴァンニ、
後の教皇レオ10世によって引き継がれます。
フィレンツエ追放にもなったりで一時ヴィッラの建設は1495年から1513年頃まで
中断されますが、メディチ家は再度街に戻り、ヴィッラの再建もピエロの弟ジョヴァンニ、
後の教皇レオ10世によって引き継がれます。
中断当時は建設は約3分の一が出来た位の所だったらしいのですが、元の設計通りに
進められ、1520年の末頃に完成した模様。
進められ、1520年の末頃に完成した模様。
こちらが2階にある、多分「レオーネ10世の広間」と呼ばれるかまぼこ型の
ご覧の様に見事な漆喰細工が施された天井と、一面のフレスコ画装飾の部屋。
ご覧の様に見事な漆喰細工が施された天井と、一面のフレスコ画装飾の部屋。
フレスコ画の画家は当時16世紀トスカーナの有名な画家ポントルモ・Pontormoや
アンドレア・デル・サルト・Andrea del Sartoの手によるもの。
アンドレア・デル・サルト・Andrea del Sartoの手によるもの。
このヴィッラはメディチ家の夏の別荘として、勿論賓客の持て成しにも使われたのも勿論、
外国からお輿入れの姫を迎えての結婚式にも使われたのだそうで、
外国からお輿入れの姫を迎えての結婚式にも使われたのだそうで、
こちら1539年、トスカーナ大公のコジモ1世と、ナポリからのスペイン、アラゴン王家
副王の娘エレオノーラ・ダ・トレード・Eleonora da Toledoの結婚式の際の到着図。
副王の娘エレオノーラ・ダ・トレード・Eleonora da Toledoの結婚式の際の到着図。
その他の結婚式としては、コジモ1世の息子フランチェスコ1世と、最初の妻である
オーストリアからお輿入れのジョヴァンナ・ダウストリア・Giovanna d'Austria・
ハプスブルグ家のヨハンナ、1565年12月結婚、12年の結婚生活。
兄であるフランチェスコ1世の没後、枢機卿であったフェルディナンド・Ferdinandが
トスカーナ大公位を継ぎ還俗し、クリスティーナ・ディ・ロレーナ・Cristina di Lorena、
フランス王アンリ2世と結婚したカトリーヌ・ド・メディチは彼女の祖母に当たる、と
1589年5月に結婚。
トスカーナ大公位を継ぎ還俗し、クリスティーナ・ディ・ロレーナ・Cristina di Lorena、
フランス王アンリ2世と結婚したカトリーヌ・ド・メディチは彼女の祖母に当たる、と
1589年5月に結婚。
後にメディチ家の家系が途絶えた時に、このポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラも
ロレーヌ家のものとなりますが、ここで結びつきがあったのですね。
ロレーヌ家のものとなりますが、ここで結びつきがあったのですね。
他にもう一つ、傍系であるコジモ1世にメディチ家の流れが移る原因となった、
暗殺されたフィレンツェ公アレッサンドロ・Alessandroディ・メディチ(1510-1537年)も
この別荘で結婚を。
彼の父は教皇クレメンス7世、ロレンツォ・イル・マニーフィコの弟、パッツィ家の乱で
殺害されたジュリアーノの遺児。
殺害されたジュリアーノの遺児。
アレッサンドロはこの別荘で1536年に、マルゲリータ・ダウストリア・Margherita、
父は神聖ローマ皇帝カール5世、の庶子で、
結婚1年後に夫アレッサンドロが暗殺された後、彼女は1538年パルマの
父は神聖ローマ皇帝カール5世、の庶子で、
結婚1年後に夫アレッサンドロが暗殺された後、彼女は1538年パルマの
オッタ-ヴィオ・ファルネーゼと再婚。 オッタ-ヴィオは2代目のパルマ公、
兄はアレッサンドロ枢機卿、祖父が教皇パオロ3世。
そしてこのヴィッラでの結婚式はありませんが、他にメディチ家にお輿入れしたのが、
ルイ14世の従妹でもあるマルゲリータ・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=オルレアンス・
Margherita Luisa d'Orléansが、1661年にトスカーナ大公7代目のコジモ3世に。
ルイ14世の従妹でもあるマルゲリータ・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=オルレアンス・
Margherita Luisa d'Orléansが、1661年にトスカーナ大公7代目のコジモ3世に。
彼らの息子フェルディナンド、早世した彼がこのヴィッラが大のお気に入りだったそうで。
済みません、あれこれの関係を書くのはshinkaiの忘備録を兼ねておりまして、へへ。
それにしてもこうして縁組の相手を書き出してみると、フィレンツェのメディチ家が
如何にヨーロッパにおいて大きな存在であったかが良く分かりますね。
こちらは「テアトロの間」劇場を設えた部屋。
現在ポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラは国の持ち物となっていて、
内部に2つの博物館を抱えます。
一つは「アッパルタメンティ・ストーリチ・歴史的住まい」というか、
メディチ家の時代が過ぎた後、ロレーナ家の持ち物となりますが、
19世紀にはエリーザ・バチョッキ・Elisa Baciocchi、ナポレオンの妹で、
トスカーナ大公国の君主でもあり、ここが気に入りお住まいに。
そのベッド・ルーム。
そして同じ19世紀1865年から1871年の6年間、フィレンツェがイタリア王国の
首都となった際、国王ヴィットリオ・エマヌエレ2世がここを田舎の居として
首都となった際、国王ヴィットリオ・エマヌエレ2世がここを田舎の居として
様々な改装をします。
こちらが「玉突き・ビリヤードの間」に改装されたもの。
そして「接客の間・Sala da ricevere」
こちらは「聖餐の間・Sala dei pranzi」
他に国王ヴィットリオ・エマヌエル2世は狩りと馬が好きで、新しい厩舎も造っており。
そして3階にはもう一つの「静物画の博物館」があり、メディチ家のコレクションだった
静物画、殆どが小品で一番大きなのでも100x75cm、の約200点が揃っているそう。
画家の名もそうそうたるもので、ドューラー、ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、
ルーベンス等など。
各博物館の見学はそれそれが約1時間ほどという事ですが、ゆっくりすると約半日、
メディチ家の遺したものを味わえるという訳ですね。
メディチ家の遺したものを味わえるという訳ですね。
そして上に書き出したのは結婚式でしたが、ここで結婚したトスカーナ大公2代目の
フランチェスコ1世と、その2番目の妻ビアンカ・カッペッロ・Bianca Cappelloは、
このヴィッラで1587年10月8日、一日フランチェスコの弟フェルディナンド、
フランチェスコ1世と、その2番目の妻ビアンカ・カッペッロ・Bianca Cappelloは、
このヴィッラで1587年10月8日、一日フランチェスコの弟フェルディナンド、
当時枢機卿、後にトスカーナ大公3代目、と狩りをした後夕食を取り、
始めにフランチェスコ、続いてビアンカが止む事のない高熱と嘔吐に苦しみ、
11日後にフランチェスコが、そして一日置いてビアンカが亡くなりました。
熱病、マラリアによる死と発表されたものの、一緒にいたフェルディナンドは無事で、
彼により2人は毒殺されたと噂をされたと言います。
彼により2人は毒殺されたと噂をされたと言います。
近年になり2004年の検査により、どちらも肝臓からヒ素が検出されたという
報告があったのですが、2009年に新たに行われた検査ではマラリアの熱による死、
とヒ素による毒殺説を覆す報告が。
どちらが正しいレポートか分かりませんが、状況はかなりキナ臭さが残る様で。
報告があったのですが、2009年に新たに行われた検査ではマラリアの熱による死、
とヒ素による毒殺説を覆す報告が。
どちらが正しいレポートか分かりませんが、状況はかなりキナ臭さが残る様で。
いずれにしてもヴェネツィア貴族出身のしかも結婚していた女性が、
フィレンツエはメディチ家のトスカーナ大公、こちらも妻子持ちと愛人関係になり、
最初の妻が亡くなった後結婚し、トスカーナ大公妃となった、という経緯は、
フィレンツエはメディチ家のトスカーナ大公、こちらも妻子持ちと愛人関係になり、
最初の妻が亡くなった後結婚し、トスカーナ大公妃となった、という経緯は、
それはもうメディチ家のみならず、当時の大スキャンダルであり、彼らは内密に
していたものの最初から噂と中傷の対象でしかあり得ずだったのですね。
していたものの最初から噂と中傷の対象でしかあり得ずだったのですね。
で、フィレンツエにもピッティ宮にほど近く、ビアンカ・カッペッロの
住んでいた館がありますが、このポッジョ・ア・カイアーノにもフィレンツエから
身を隠したビアンカが住んでいた事があり、そのアッパルタメントが
残っているのですね。
階段というよりは、テラスの様ですが、この住まいは1階に。
そして「暖炉の部屋」の暖炉。
日本からの天正少年使節が1585年にフィレンツェを訪問した時には、
フランチェスコ1世が大舞踏会を開き持て成したそうで、豊満なビアンカが
伊藤マンチョと踊った、というのを読み、こちらも楽しくなりましたっけ。
庭園は最初は特別の物ではなかったようですが、こちらは後に設けられた
レモン園の建物と。
最後は、入り口の古典的スタイルのタンパン部、そしてその下のフレージョ・
軒下の帯飾り、青白緑のデッラ・ロッビア製テッラコッタが良く見える写真を。
軒下の帯飾り、青白緑のデッラ・ロッビア製テッラコッタが良く見える写真を。
見学についてのご案内。
Villa Medicea di Poggio a Caiano e Museo della Natura Morta
住所: Piazza de' Medici 14, 59016 Poggio a Caiano (PO)
Tel. +39 055877012
住所: Piazza de' Medici 14, 59016 Poggio a Caiano (PO)
Tel. +39 055877012
開館: 毎日
休館日: 月の第2、第3月曜 元旦、5月1日、クリスマス
休館日: 月の第2、第3月曜 元旦、5月1日、クリスマス
時間: 8時15分~16時半 1月 2月 11月 12月
8時15分~17時半 3月 夏時間になると18時半まで
8時15分~18時半 4月 5月 9月
8時15分~19時半 6月 7月 8月
8時15分~18時半 10月 冬時間になると17時半
8時15分~17時半 3月 夏時間になると18時半まで
8時15分~18時半 4月 5月 9月
8時15分~19時半 6月 7月 8月
8時15分~18時半 10月 冬時間になると17時半
館内見学、 歴史的アッパルタメントは 8時半から 毎時
静物画博物館は 9時から 毎時 13時の訪問は無し
管理人が付き添います。
静物画博物館は 9時から 毎時 13時の訪問は無し
管理人が付き添います。
静物画博物館の方は要予約
Tel. +39 055877012 に開館時間内にか、
villapoggioacaiano@beniculturali.it に。
Tel. +39 055877012 に開館時間内にか、
villapoggioacaiano@beniculturali.it に。
入館料 無料
ヴィッラの中に、軽食ポイントあり。
行き方: 電車でプラート迄、そしてバスの CAP Lam 青の
ポッジョ・ア・カイアーノ行きで。
またはフィレンツェ駅横のサンタ・マリーア・ノヴェッラ近くのバス駅から
COPIT か CAPの 51番で。
COPIT か CAPの 51番で。
という事で、ロレンツォ・ディ・メディチの面影を偲び、フランチェスコとビアンカの
ロマンチックで、ちょっと可哀そうでもあるロマンスも思い出してのビッラ訪問、
フィレンツエ観光から一歩足を延ばしてどうぞ!!
ご訪問よろしくお願い致しま~す。
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