先回9月末に出かけて来たミラノ行きについてお話、見て頂きましたが、
今回からブレラ絵画館・Pinacoteca di Breraについてご覧下さいね。
今回からブレラ絵画館・Pinacoteca di Breraについてご覧下さいね。
何せ35年ぶり、3度目の再訪という事でやはり大変嬉しく、写真もOKなので
好きな絵、新しく目に留まった絵はしっかり撮ったので、見てやって下さい。
好きな絵、新しく目に留まった絵はしっかり撮ったので、見てやって下さい。
まずは絵画館入口。

元は大修道院だったという建物を、1776年オーストリアの女帝マリア・テレーザの
お声がかりで絵画館となったという始まりで、これはミラノでも一番面積の広い建物
の1つなのだそうで、24000平米以上あると。
とりわけヴェネト、ロンバルディーアの絵画展示に集中されているそうですが、
これはどうやらナポレオンの統治時代に区分けされた事に因る様で、
現在の年間訪問者が30万人以上という大絵画館。
これはどうやらナポレオンの統治時代に区分けされた事に因る様で、
現在の年間訪問者が30万人以上という大絵画館。
正面も到底一枚の写真に納まらずで、古い図による建物の大きさをどうぞ。

入り口を入って見える中庭。 正面に見えるのはカノーヴァ・A.Canova作の
ナポレオン像で、

その上の2階の回廊正面に見えるのが、
この時計で、ここが絵画展示室の入り口。

中庭から入りこの階段を上り、右上に見える時計の下の入り口に、と言う訳ですね。

で、中庭を囲み、このようにぐるっと巡る展示室が続いているのですね。

実は我ら2人は日本領事館にまず寄り、歩いてここ迄来たのですが、ミラノに
出発前から、お昼をどこで、と考え調べると、ブレラ絵画館の中に新しいバールが
出来ていてそこで軽食もOKというのを知り、持ち時間制限も考え、ではそこで、と
決めていましたので、真っ先にバールに行きました。
バールのカウンターがあり、

かなり濃いブルーの壁で、落ち着いたイメージの部屋。

フェルナンダ・Fernandaという名のバールで、ちょうど食事時間が始まる所で、
待つ間もなく注文でき、ブレラのビールがあるのというので注文。
かなりピリッとした味の美味しいビールでしたね。

パン籠ならぬ、鉢に入ったぷっくり小さなパンと、フォルノで焼いた薄いパリパリで、
これがどちらも香味のある美味しい物でした。
これがどちらも香味のある美味しい物でした。

ジュリアーナが食べたのはパスタ・フジッリの、ジェノヴェーゼ・ソースに何か入っている、
と言ったパスタで、

shinkaiは、カボチャのスープと、モジリアーニという名の、野菜とチーズを挟み焼いた、
暖かくて美味しいサントウィッチで、これは一切れの半分をジュリアーナに。
暖かくて美味しいサントウィッチで、これは一切れの半分をジュリアーナに。

という事で、以前絵画館近くの小さな公園風の木の下のレストランで食べた記憶も
あったのですが、少しお急ぎの方はブレラの中のバールでしっかり美味しい軽食が
食べられますよ、というお知らせも。
あったのですが、少しお急ぎの方はブレラの中のバールでしっかり美味しい軽食が
食べられますよ、というお知らせも。
場所は最後の展示室の隣、つまり出口にあり、回廊沿いに我らは直行したのでした。
食べながらずっと眺め、光が美しいなぁ、と思っていた回廊の円柱の並び。

という事で、落ち着いて展示室に入り、観始めたのでしたが、
想い出にしっかり残っていた、アンブロージョ・ロレンツェッティ・
Ambrogio Lorenzetti(1290頃-1348) 「聖母とキリスト・Madonna col abambino」
板にテンペラ

余り保存が良くないのも、19世紀末頃までこの絵についての記録がないのだそうで、
シエナの市で買い取られたのが初めで、20世紀初にコレクターの手からブレラ所蔵に
なったのが1947年と。
シエナの市で買い取られたのが初めで、20世紀初にコレクターの手からブレラ所蔵に
なったのが1947年と。
多分この作品は多翼祭壇画の中の一作品で、アンブロージョの30歳代の
作品と考えられ、素朴な中に暖かで優しい母子の雰囲気が伝わります。
作品と考えられ、素朴な中に暖かで優しい母子の雰囲気が伝わります。
こちらはルーカ・シニョレッリ・Luca Signorelli(1445-1523)の「授乳の聖母・
Madonna del latte」 板にテンペラ

シニョレッリがまだ若い頃の作品と思いますが、大変繊細なタッチで描かれ、
聖母の顔もまだ後年の独特な味が無く、とても気に入った作品です。
聖母の顔もまだ後年の独特な味が無く、とても気に入った作品です。
衣服の胸を開いてはいるのですが、胸元は細かいレースが覆っており、と同時に
聖母のお決まりの赤い衣服ではなく金色で、濃い青色の衣服に見える
襞の明るい部分には細かい金の点描が施されている、装飾的な面も。
聖母のお決まりの赤い衣服ではなく金色で、濃い青色の衣服に見える
襞の明るい部分には細かい金の点描が施されている、装飾的な面も。

同じルーカ・シニョレッリの「キリストの鞭打ち・Stendardo della Flagellazione」
という作品。 板にテンペラ

「授乳の聖母」と対をなす作品という事だそうで、shinkaiはこれを見ておらずで、
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「鞭打ち」の作品にインスピレーションを受けたのが
良く分かる構図と。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「鞭打ち」の作品にインスピレーションを受けたのが
良く分かる構図と。
ペルジーノ、本名ピエトロ・ヴァンウッチ、ラファエッロの師匠として有名な
ペルジーノですが、これはどうやら彼の周辺画家の作品とみられるらしい、
「天使たちの輪の中の聖母子」
「天使たちの輪の中の聖母子」

ですが大変美しく、聖母子も、絵自体も素晴らしいものと思います。
ブレラ絵画館の宝のひとつ、アンドレア・マンテーニャ・Andrea Mantegna
(1431-1506)の「死せるキリスト・Cristo morto」68x81cm
キャンバスにテンペラ

マンテーニャが34歳から36歳頃の作品で、今回見た時の印象は、あれ、こんなに
優しいほのかな色だったっけ?で、色合いは最晩年の作品の
優しいほのかな色だったっけ?で、色合いは最晩年の作品の
「サン・セバスティアーノ」ヴェネツィア・カ・ドーロ博物館収蔵のと似ていますが、
描き方はまだ大変力強いもの。
描き方はまだ大変力強いもの。
キャンバス地にテンペラで、布地にこすりつけ、塗り込んだような肌合いで、
所々の剥落もあり、布目も現在のキャンバスの様に均一でないのが逆に良い趣で、


マリアの涙、顔の皺の表現にマンテーニャのまだ若い頃の表現の面影が見えますね。

マンテーニャの最晩年のサン・セバスティアーノを。
ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html
こちらは大変色も鮮やかで美しいジョヴァンニ・ベッリーニ・Giovanni Bellini
(1430-1516)の「聖母子・Madonna col Bambino」 85x118cm
板に油彩

86歳の長寿を保ち描き続け、作品に駄作がないという事でも絵描きの鏡、の
様な存在のジョヴァンニ・ベッリーニの、これは1510年、亡くなる6年前、
80歳を過ぎての作品!
様な存在のジョヴァンニ・ベッリーニの、これは1510年、亡くなる6年前、
80歳を過ぎての作品!
静謐な明るさが画面全体に満ち渡り、背景に描かれた風景も特別な意味を
持たせたものかどうか、そんな詮索は無用に思える静かな説得力を持ちます。
持たせたものかどうか、そんな詮索は無用に思える静かな説得力を持ちます。
ただ左下に見える、作者名を描いた碑の上の猿が何かな、と。

画面に見える青い小点は、何かの照明が写ったものと。
ジェンティーレ・ベッリーニ・Gentile Belliniと弟のジョヴァンニとの作品、
「エジプトのアレッサンドリアにおける聖マルコの説教」 347x770cmの大作
キャンバスに油彩

絵の注文主は当時のヴェネツィアにあって最大の組合のひとつであったスクオーラ・
グランデ・ディ・サン・マルコで、制作年は1504~07となっている物の、実際は
約70年後のジョルジョーネとティントレットの手になったものと。
グランデ・ディ・サン・マルコで、制作年は1504~07となっている物の、実際は
約70年後のジョルジョーネとティントレットの手になったものと。
アレッサンドリアはヴェネツィアの守護聖人のサン・マルコが葬られていた遺骸を
盗み持ち帰った地でもあり、描かれている聖堂は両側の翼部分の張り出しを
除けて考えると、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂に大変良く似た形で、
偶々ミラノ行きの前日にちょっと見たTVにこの絵が出て、多分行った事のない
土地の風景を描くのにあれこれ工夫したのだろうと言ったのを聞きました。
ここから我が町コネリアーノ出身の、チーマ・ダ・コネリアーノ(1459頃-1517頃)の
作品3点で、
まずは「玉座の聖母子と(左から)聖セバスティアーノ、洗礼者ヨハネ、
マリア・マッダレーナ、聖ロッコ と注文者の信心会の人々」、
マリア・マッダレーナ、聖ロッコ と注文者の信心会の人々」、
または「聖なる対話」と。 制作は1490年、板に油彩、301x211cm

チーマがまだ若い、30歳になった頃の作品で、周囲に空が見えるのは
自然というか、大気の明るさを取り込むためにヴェネトの作家の間で
好まれた趣向なのだそう。
自然というか、大気の明るさを取り込むためにヴェネトの作家の間で
好まれた趣向なのだそう。
こちらは「玉座のサン・ピエトロと、洗礼者ヨハネと、右はサン・パオロ」
1516年作 板に油彩 155x146cm
1516年作 板に油彩 155x146cm

初代教皇になったサン・ピエトロが手に十字のついた杖を持ち、脚元に
天国への鍵が見え、漁師の指輪も付けて。
天国への鍵が見え、漁師の指輪も付けて。
色も明るく大変美しく、背景に風景と空が見えますが、
玉座に下に見える天使は、
こちらで、リュートかな、楽器を奏しているのですが、この目つきに笑いました。

「殉教者サン・ピエトロと聖人サン・ニコロとサン・ベネデット」
330x216cm 1505年頃の制作 板に油彩

殉教者サン・ピエトロは頭に大きな鉈が乗った姿で表現されますが、ドメニコ会派の
白と黒の僧服で、右のサン・ベネデット、彼はヨーロッパにおける修道会の規則を
最初に制定された方で黒の僧服と、背後のアーチのすっきりさと、絵全体を引き締め、
白と黒の僧服で、右のサン・ベネデット、彼はヨーロッパにおける修道会の規則を
最初に制定された方で黒の僧服と、背後のアーチのすっきりさと、絵全体を引き締め、
一方、背後の風景の中で羊飼いが犬を相手に楽器を奏し、騎士が道を進む姿、と
一服の緩やかな情景を醸している様な、大変美しい絵と思います。
一服の緩やかな情景を醸している様な、大変美しい絵と思います。
各展示室は大きくどっしりとしていて、訪問者もあまり多くなく、ゆったりと落ち着いて
鑑賞できます。

こちらはマンテーニャの「聖母子と天使たちの合唱・Madonna col Bambino e
un coro di cherubini」 制作1485年頃 88x70cm 板にテンペラ

展示の下の説明に、マンテーニャはこの作品の中から天使達を、ケルビーノ・Cherubino・
青い羽、セラフィーノ・serafino・赤い羽、と描き分ける様になったとあり、
ケルビーニは歴史の順序の中で天使のタイプ、 セラフィーノは天使の特性を持つ、
または神々しい精神、と読みましたが、あまり良く分からず・・。
赤い羽のセラフィーノの方が少ないのは、やはり格として上なのかな?
青い羽、セラフィーノ・serafino・赤い羽、と描き分ける様になったとあり、
ケルビーニは歴史の順序の中で天使のタイプ、 セラフィーノは天使の特性を持つ、
または神々しい精神、と読みましたが、あまり良く分からず・・。
赤い羽のセラフィーノの方が少ないのは、やはり格として上なのかな?
この絵はずっとジョヴァンニ・ベッリーニの作として通っていたのが、古い写真の中の
この絵は現在の絵とまるで違い、1885年の修復により、ベッリーニらしき絵の下から
マンテーニャのこの絵が現れたのだそう!
ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子、またはギリシャの聖母・Madonna greca」
と呼ばれるこれも大変美しい聖母像。1460~64年の制作 板にテンペラ 82x62cm

ギリシャの聖母・グレーカと呼ばれるのは、多分ニックネームと思われるものが
絵の上方の背景に描き込まれているのが見えるのだそうで。
子のキリストは少し悲しい雰囲気で、窓の下枠に足を乗せ、手にパッション・
フルーツの実を持っていて、これは後のキリストの受難を現すシンボルで、
パッションという言葉が受難を現し、ご存知の様に、花の(トケイソウ)中央に
十字に見える雌蕊がありますね。
フルーツの実を持っていて、これは後のキリストの受難を現すシンボルで、
パッションという言葉が受難を現し、ご存知の様に、花の(トケイソウ)中央に
十字に見える雌蕊がありますね。
ベッリーニの絵としては初めてブレラに購入されたものだそうで、ヴェネツィアの
ドゥカーレ宮からで、当時の状況から多分政治的な理由で実行されたのであろうと。
ドゥカーレ宮からで、当時の状況から多分政治的な理由で実行されたのであろうと。
同じくジョヴァンニ・ベッリーニの、これもブレラの宝のひとつ「ピエタ・Pietà」像。
1455~1460年頃の作 86x107cm 板にテンペラ

制作年から見るとベッリーニはまだ25~30歳、マンテーニャは1つ年上で26~31歳。
なぜかずっとベッリーニが年上と思い込んでいたのが、今回違っていたのを発見ですが、
資料によってそれぞれ生年が違うので、まぁ、大体同年だったと。
なぜかずっとベッリーニが年上と思い込んでいたのが、今回違っていたのを発見ですが、
資料によってそれぞれ生年が違うので、まぁ、大体同年だったと。
1453年にジョヴァンニ・ベッリーニの妹ニコロシジーア・Nicolosiaとマンテーニャが
結婚しているので、画家のベッリーニ一家とマンテーニャとの結びつきは一層近く硬く、
絵についても同主題「寺院へのお目見え」や「ピエタ」もあり、
絵についても同主題「寺院へのお目見え」や「ピエタ」もあり、
この「ピエタ」はベッリーニがマンテーニャの影響を受けた事をよく物語っていると。
でもやはり、それぞれの持ち味が違い、ベッリーニの絵はマンテーニャと比べると
大変に優しく美しく、マンテーニャのは力強く大胆で、という事でしょうか。
大変に優しく美しく、マンテーニャのは力強く大胆で、という事でしょうか。
何室にあったか、威風堂々の、カノーヴァ作の「ナポレオン像」。 中庭にある
青銅像はこれから型取りをしたのだそうで、1811年作。

実は本物と言って良いのか、1803、06の作の大理石像は、現在ロンドンの
アプスリー・ハウス・Apsley Houseにあるのだそうで、
アプスリー・ハウス・Apsley Houseにあるのだそうで、
マルス紳をかたどったこの裸体のナポレオン像が手元に届いた時、一見したのみで
気に入らず、「オール・ヌードだ!」と倉庫に片付けさせたそう、ははは。
ナポレオンは自分の軍服姿の像を希望していたらしく、まぁね、そうなると背が低かった、
と伝わる彼自身の身長の問題もあったでしょうしにね。
と伝わる彼自身の身長の問題もあったでしょうしにね。
不評のナポレオン像でも、こう見る横顔は、いつも見かける顔によく似てますよね?!

これはちょっと毛色が違うのですが、陳列棚の横にあったマリーノ・マリーニ・
Marino Marini、(1901-1980)の「男の顔」

正面からの顔は優しいのですけど、この横顔は凄いなぁ、と思い。
ブレラ絵画館のあちこちに彼の彫像がありましたが、どこか尖った、動きのある作品より、
こんな丸いズドンとした形が好き。
こんな丸いズドンとした形が好き。

という所で、ブレラ絵画館のその1を終え、また次回、よろしくお願い致します。
◆ 新開志保展のお知らせ の追記を ◆
10月29日(火)~11月4日(月)迄 広島三越7階画廊にて
新開志保展を開催させて頂きます。
新開志保展を開催させて頂きます。
今回もまたこちらイタリアの風景を主に、猫ちゃん、植物、静物など、
新作21点を含め約30点余の展示となります。
どうぞお出かけ下さり、ご高覧賜ります様、お願い申し上げます。
新作21点を含め約30点余の展示となります。
どうぞお出かけ下さり、ご高覧賜ります様、お願い申し上げます。
私は毎日会場におりますので、秋の素晴らしい広島で、
また皆様とお会い出来るのを楽しみにしております。
ご訪問よろしくお願い致しま~す。
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それもご了承下さいませ。
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この記事へのコメント
Corsa
ブレラ絵画館、ミラノに来たばかりの頃に一度行ったきりで、その後はフオリサローネのときに、展示会の会場として訪問するだけで…。数々の貴重な作品、30年近くぶりに拝見させてもらいました、笑。素敵なバール情報も、全然知らなくて、まさに、灯台下暗し状態です。今度、利用してみようと思います。情報ありがとうございます。って、週末は町中には行かないという意味では、変にミラネーゼみたいになっちゃて、ダメダメですね~、笑。
shinkai
そうなんです、ミラノに行って来たんですよ。 3年前の旅券書き換えの時はヴェネツィア・メストレへの出張サーヴィスを利用したので、ほんと久し振りのミラノでしたし、何せ時間が少なくて残念でした。
いやぁ、やはり大都会!で、田舎者には目が回りそうで、ははは。
それに電車賃がフレッチャ・ロッサの往復で52エウロ位だったので、友人はすっかり気に入り、また行こう!と行ってます。
週末に街中にはいかない、これは良いですねぇ! お仕事で行ってるんでしょうしね、のんびり緑陰の陰で一杯、というのが良いですよねぇ。
でもね、やはり好きなお宝ものを久し振りに眺めるのは、素晴らしかったですよ。