◆ まずはイタリア旅行をお考えの方にも参考になる様、
イタリアの現在のコロナヴィールスについての様子をお知らせします。
イタリアの現在のコロナヴィールスについての様子をお知らせします。
◆ 3月8日 朝のニュース ◆
政府は昨日ミラノを含むロンバルディーア州全部と、他州14県を赤地域と指定、
すべての出入りが禁止となりました。
ロンバルディーア州以外の禁止県は、モデナ、パルマ、ピアチェンツァ、レッジョ・
エミーリア、リミニ、ペーザロ・ウルビーノ、パドヴァ、トゥレヴィーゾ、ヴェネツィア、
アレッサンドリア、アスティ、ノヴァーラ、ヴェルヴ ァーノ・クシオ・オッソーラ、
ヴェルチェッリ、 です。
現在の所4月3日まで上記の禁止地域措置と、イタリア全体で、映画館、劇場、
ディスコテーカが閉鎖、結婚式、お葬式の禁止となり、
上記赤地域でのバール、レストランの開店は18時まで。
昨日迄のイタリア全体の感染者数5883人、死者233人、治癒の方589人。
日本の外務省は昨日ロンバルディーア州への渡航をレベル3、渡航中止勧告、
エミーリア・ロマーニャ州、ヴェネト州はレベル2、不急不要の渡航中止勧告、
としていましたが、
多分今日のニュースで渡航中止となると思います。
既にイタリアにこの春お出かけ予定の方、とても残念ですが、
「イタリアは逃げません!」ので、またの機会をお考え下さいね!!
◆ 3月9日 朝のニュース ◆
まず昨日お知らせした隔離措置となったレッド・ゾーン地域の地図を。

下に見える図は、イタリア全体における禁止措置の様子で、
映画館、劇場、ディスコテーカが閉鎖、結婚式、お葬式、ミサも禁止されました。
現在の所、4月3日までと。
昨夕発表の全体の感染者数は、6387人 前日✙1326人
死者366人 +133人、 治癒された方622人。
イタリアは、死者の数では中国に続いてn.2になったそうですが、
感染者も死者も前日比が大きく、気になる所です。
土曜のレッド・ゾーンの政府発令の後、ミラノ発の南行きの最後の列車で逃げ出した
多数の方たちがいたようですが、
今朝のニュースではプーリアの知事が、帰られた人は必ず医師の診断を受ける様に、
と訴えました。 そうでないと犯罪になりますと。
受け入れる側としては、ヴィールスを持ち込まれてはたまりませんものね。
「家に居よう!」という歌が、シンガーソングライターが歌うのが
ニュースで流れました。 はい、shinkaiも家に居ます。
◆ 3月10日 朝のニュース ◆
昨日コンテ首相は記者会見を行い「もう猶予の時間はありません。
イタリアにレッド・ゾーンはなく、すべての州が保護地域に」とし、
イタリア全体に8日からのレッド・ゾーンと同じ措置が取られる事に
なりました。
「イタリアの未来は我々の手の中にある。 皆が一緒に何か全体の為に
自分の出来ることをしよう。
問題は我々の愛する人の健康であり、両親であり、息子であり、
祖父母なのです。
今私は「自分は家に居ます」の通達にサインした所です」
という事で、4月3日まで全イタリアにおいて、美術博物館、文化施設、
劇場、映画館、ディスコテーカ、スポーツ施設、学校、教会が閉鎖されます。
スポーツ大会も中止になり、
移動も禁止になるので、仕事などで必要なのは書類が必要になりますが、
食料品等の買い物で出かけるのはOKです。
という、緊急事態になっております。
が、我が家の一帯は街中ではないので、いつも通り平静です。
昨夕発表の現在の感染者は7985人、前日に比べ +1797人、
死者 463人 +97人 治癒の方 724人 +102人。
昨日届いた外務省のメールでは、ロンバルディーア州、エミーリア
ロマーニャ州、ピエモンテ州、ヴェネト州、マルケ州、サン・マリーノ国は
レベル3区域となり、渡航中止勧告となっており、
イタリア全土、ヴァティカン市国はレベル2の、不急不要の渡航は
おやめ下さい、という事でした。
はい、自分の出来る事は、つまり自分の健康に気を付け、家から出ない、
という事を守り、一日も早い終焉を願いましょう。
明日もまた、時差の都合で、日本時間の午後4時前にアップとなります。
*****
◆ 友人からの知らせで、スマホでブログを見るとタイトルは出るけど、
それをクリックしても、記事写真のみで、記事に飛ばない、とで、
確かめると、確かにその現象が。
それをクリックしても、記事写真のみで、記事に飛ばない、とで、
確かめると、確かにその現象が。
で、スマホで訪問して下さる皆さんにお願いです。
一旦画面の下までスクロールし、PC版を見る、をクリックして頂けると、
ちゃんと見て頂けると思いますし、宣伝も少なくご覧頂けますので、
宜しくお願い致しま~す。
一旦画面の下までスクロールし、PC版を見る、をクリックして頂けると、
ちゃんと見て頂けると思いますし、宣伝も少なくご覧頂けますので、
宜しくお願い致しま~す。
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15世紀のイタリア絵画、ちょうど国際ゴシック様式と呼ばれる、
ちょっとファンタスティックな趣のある絵画から、
油彩画の浸透もあり、自然な動きがあり、技術的にも一段と磨きが
かかるルネッサンス様式に移行していく、
ちょっとファンタスティックな趣のある絵画から、
油彩画の浸透もあり、自然な動きがあり、技術的にも一段と磨きが
かかるルネッサンス様式に移行していく、
その狭間にあり、遠近法を大いに取り入れた煌びやかな絵画、
それがパオロ・ウッチェッロ・Paolo Uccello(1397~1475)の
作品ではないでしょうか。
その彼の作品のテンペラ画の3部作、いずれも180x316~323cmの
大作で、ちょうど彼が59歳~60歳にかけてのいわば晩年、円熟期の
1438年以降に描いたのが、今回ご案内の「サン・ロマーノの戦闘」図。
大作で、ちょうど彼が59歳~60歳にかけてのいわば晩年、円熟期の
1438年以降に描いたのが、今回ご案内の「サン・ロマーノの戦闘」図。

上から、横並べにすると左側に来る、戦闘開始場面とも言える
「ニコロ・ダ・トレンティーノ、フィレンツエ勢の先頭に」
「ニコロ・ダ・トレンティーノ、フィレンツエ勢の先頭に」
真ん中、「ベルナルディーノ・デッラ・カルダの落馬」
これがフィレンツェのウッフィッツィ美術館にある作品で、
これがフィレンツェのウッフィッツィ美術館にある作品で、
下、右端の「フィレンツエ勢の勝ちを決めたミケーレ・アッテンドロの攻撃」
という事で、
実際に1432年6月1日に行われたフィレンツエと、シエナの
戦闘場面を、その6年後に描いた作品、という事になります。
戦闘場面を、その6年後に描いた作品、という事になります。
では「サン・ロマーノの戦い」のサン・ロマーノ・San Romanoって
一体どこにあるの? と好奇心から調べ始めたのが最初で、
戦闘に参加した騎士たち、傭兵隊長の名も調べ出すと、はは、
出るわ出るわ、興味深い事がずるずると引っ掛かり、
大いに楽しんだshinkai!
一体どこにあるの? と好奇心から調べ始めたのが最初で、
戦闘に参加した騎士たち、傭兵隊長の名も調べ出すと、はは、
出るわ出るわ、興味深い事がずるずると引っ掛かり、
大いに楽しんだshinkai!
という事で、絵画のご説明というよりは、その周辺事情あれこれを。
まず戦闘が行われたという「サン・ロマーノ」ですが、赤点の場所、
フィレンツエからだと50数キロ西の、ピサ・Pisaとの中間に位置し、
フィレンツエからだと50数キロ西の、ピサ・Pisaとの中間に位置し、

ジューリアの塔・Torre Giuliaという、後程名の出て來る塔が
この近くにあり、
この近くにあり、
付近を拡大するとご覧の様子で、ピサ県に含まれる「サン・ロマーノ」
という此処が戦闘の行われた場所なのですね。
北を流れる川がアルノ河で、この位置関係にちょっとご留意を。

これが「ジューリアの塔・トッレ・ジューリア」で、はい、現在も基礎部が
残っているのですね。
残っているのですね。

では、大作3部作をウッチェッロに依頼して描かせたのは誰か、と
いう事になりますが、
シエナの富裕な貴族で商業、銀行業を営むバルトリーノ・サリンベーニ・
Bartolino Salimbeniという一家が商業・銀行業をフィレンツェで
開く事にし、シエナからの移住を考え、ギベリン派の大支持者でもあったので、
様々な思惑から姓をバルトリーニ・Bartoliniに変えたのだそう。
Bartolino Salimbeniという一家が商業・銀行業をフィレンツェで
開く事にし、シエナからの移住を考え、ギベリン派の大支持者でもあったので、
様々な思惑から姓をバルトリーニ・Bartoliniに変えたのだそう。
でフィレンツエで羊毛の生産と売買で成功し、一段と富を増しますが、
1432年のサン・ロマーノの戦闘にリオナルド・バルトリーニ・サリンベーニ・
Lionardo自身、政治家でもあった様ですが、が参戦し、
フィレンツェ勢が勝って戻って来た後、6年後の1438年にパオロ・ウッチェッロに、
自分が参戦した戦闘図を依頼した、というのですね。
Lionardo自身、政治家でもあった様ですが、が参戦し、
フィレンツェ勢が勝って戻って来た後、6年後の1438年にパオロ・ウッチェッロに、
自分が参戦した戦闘図を依頼した、というのですね。
こちらがバルトローニ・サリンベーニ家の紋章でもある、指輪に3つの芥子の花。
彫られた文字は、「ペル・ノン・ドルミーレ・眠らない様に」
彫られた文字は、「ペル・ノン・ドルミーレ・眠らない様に」

現在もシエナの中心のカンポ広場の近く、サリンベーニ邸と呼ばれる
モンテ・パスキ・ディ・シエナ銀行の本部となっている大邸宅、要塞とも
呼ばれる建物がありますが、ここもきっと元は一族に繋がりがあるのだと。
「眠らない様に」という銀行家一族の格言は趣深いものですね。
モンテ・パスキ・ディ・シエナ銀行の本部となっている大邸宅、要塞とも
呼ばれる建物がありますが、ここもきっと元は一族に繋がりがあるのだと。
「眠らない様に」という銀行家一族の格言は趣深いものですね。
そしてリオナルドは戦闘後すぐに建設のフィレンツエの邸宅に絵を飾ります。
現在もフィレンツェのサンタ・トリニータ広場・Piazza Santa Trinitaに
バルトリーニ・サリンベーニ邸がありますが、これは1520年からの建設なので、
リオナルドが建設の物とは別物と。
1438年に絵の支払いが行われたというのですが、値段不明です。
ウッチェッロのオリジナルの絵は上部が少しアーチを描いたようになっており、
というのも、この新しい邸宅の天井アーチを支える持ち出しがあり、
そこに嵌め込む様に、板絵自体がその様にカーブを付けた物だった様で、
というのも、この新しい邸宅の天井アーチを支える持ち出しがあり、
そこに嵌め込む様に、板絵自体がその様にカーブを付けた物だった様で、
現在の絵は上下辺共に真っ直ぐですから、後に切り取れらたものと。
その後息子のダミアーノ・Damanoとアンドレア・Andreaはフィレンツエの
北西にあるサンタ・マリーア・ア・クイント・Santa Maria a Quinto、
現在のセスト・フィオレンティーノ市・Sesto Fiorentinoに含まれる位置
と思いますが、ここに夏の郊外の家を建設し、絵をそこに運び込みます。
北西にあるサンタ・マリーア・ア・クイント・Santa Maria a Quinto、
現在のセスト・フィオレンティーノ市・Sesto Fiorentinoに含まれる位置
と思いますが、ここに夏の郊外の家を建設し、絵をそこに運び込みます。
で、夏の避暑のお遊びにでも来たロレンツォ・デメディチ・イル・マニーフィコが、
または評判を聞き込み、見に来たのかもしれずで、
この絵に惚れこみ、執拗に譲る様に迫ったのだそうで。
美しいものに目の無い、鑑識眼の鋭い彼の事ですしね。
美しいものに目の無い、鑑識眼の鋭い彼の事ですしね。

勿論銀行家である、狡猾、勘定高い息子達は先々の事も考え、
絵をロレンツォ・イル・マニーフィコ・Lorenzo il Magnificoに
1484年に売り渡し、
絵をロレンツォ・イル・マニーフィコ・Lorenzo il Magnificoに
1484年に売り渡し、
ロレンツォは現在のメディチ・リッカルディ宮・Palazzo Medici Riccardi
当時はメディチ家の物だった建物の、1階にある大きな自分の部屋、
カメラ・cameraとあるので寝室、に飾っていたそうで、
1492年のロレンツォの亡後すぐの財産目録にその様に記されていたと。
当時はメディチ家の物だった建物の、1階にある大きな自分の部屋、
カメラ・cameraとあるので寝室、に飾っていたそうで、
1492年のロレンツォの亡後すぐの財産目録にその様に記されていたと。

その後サヴォナローラの扇動により、屋敷が略奪破壊の憂き目に遭ったり、
再度メディチ家のフィレンツエ追放があったりの後、時代の変遷の中で
屋敷は放棄された状態でいたのを、
1659年に裕福な銀行家で、メディチ家に忠実なガブリエッロ・リッカルディ・
Gabriello Riccardiが4万スクーディで買い取り、
この時に家具類一切等も売られ、現在の名メディチ・リッカルディ宮
となり残ります。
メディチ・リッカルディ宮 ・ フィレンツェ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464156876.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464156876.html
所で今回の我らが主役、パオロ・ウッチェッロの「サン・ロマーノの戦闘図」は
20世紀中、ロレンツォ・ディ・メディチの祖父コジモ・イル・ヴェッキオ・
Cosimo il Vecchioが注文依頼し、それが遺産として
伝わっていた物、と考えられていたそうで。
20世紀中、ロレンツォ・ディ・メディチの祖父コジモ・イル・ヴェッキオ・
Cosimo il Vecchioが注文依頼し、それが遺産として
伝わっていた物、と考えられていたそうで。
近年、記録の新発掘で判明し、リオナルド・バルトリーニ・サリンベーニ
が自身の戦闘参加の記憶から注文した事情も判明したのだそう。
が自身の戦闘参加の記憶から注文した事情も判明したのだそう。
3枚の板絵は1769年から開館されていたウッフィッツィ美術館に、
1784年に到着します。

が3枚は主題が似すぎていると、一番保存の良い中央部の
「ベルナルディーノ・デッラ・カルダの落馬」182X323cmを残し、
「ベルナルディーノ・デッラ・カルダの落馬」182X323cmを残し、
左の「ニコロ・ダ・トレンティーノ、フィレンツエ勢の先頭に」
182x316cmを、1857年ロンドンのナショナル・ギャラリーに、
182x316cmを、1857年ロンドンのナショナル・ギャラリーに、
右の「フィレンツエ勢の勝ちを決めたミケーレ・アッテンドロの攻撃」
182x316cmは、1863年にパリのルーヴル博物館に売られた、
という事なのですね。
182x316cmは、1863年にパリのルーヴル博物館に売られた、
という事なのですね。
という所で導入部を終え、次回に絵に登場の人物像も交え
お話を進めたいと思いますので、よろしくお願い致しま~す。
ご訪問よろしくお願い致しま~す。
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コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
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この記事へのコメント
ミ~タ
日本の場合、検査の件数が少ないので、感染者数が実際よりかなり少ないと言われていますが、それでも死者は10数名ほど(3/8現在)。私もいつも通り仕事をしています。幸い(?)、単科のメンタルクリニックなので新型コロナウイルス感染者と接する機会は少ないはずですが、ドアノブの消毒(やるのは看護師さん)や換気など気を付けています。
今年の夏休みの旅行はどうなることやら。既に航空券を手配しているのですが。半分諦めています。
それではshinkaiさんもお気をつけて。こまめな手洗い、換気を忘れずに。
shinkai
そうなんです、感染者はコネリアーノ市内ではなく、かなり東に行った農村らしいのですが、やはり、おお来たか、という感じでしたが、
毎日の感染者数の数、死者の数の増え様が大きいので、これは!と思っていましたが、遂に隔離となりました。
今朝予定していたメストレのお墓行きは、きっと高速の入り口で留められるだろうと出かけませんでした。
そうなんですよね、相手とは1m半離れて、という事も言われ、先日病院に行った時は、待合室の手前で看護婦さんが待ち構えていて、額の体温を測り、掌に液体消毒薬を塗ってくれましたが、これは大変だなぁ、と思ったです。
確かにイタリア人はお喋り好きで、知った人と出会うと抱き合ってほっぺにチュで、それから顔を突き合わせて長話ですものね。
幸いというか、白内障の手術後で、今月中はプールもいけないと言う事でずっと家に居るので、自宅監禁同様ですね。
今の措置は4月3日迄、という事ですが、さてそれからどうなりますか。
そうですか、ミータさんは既に夏休みの切符手配がお済ですか?
半分諦め? そうでない様に祈りましょう!
私は4月半ばのロンバルディーアの湖水地帯行きがダメになるのではないかと気になっています。 そうなったら、残念!
と、6月初旬のマドリッド方面行は、何とかそれまでに収まってくれると良いですが・・。
お気遣い、有難うございました!
YUN
イタリアの感染者がますます増えて、死者がまた多いですよね。
すごく心配になり見に来ましたが、わかりやすくまとめて下さってて、今の状況が想像できます。
お近くにも迫ってきているとのこと。やはり手洗いが重要だそうですね。
私はうがいもしてますが、これって日本だけとか? マスクもこちらではほぼ皆が付けていますけど、イタリアではいかがですか?
とにかく手洗いと免疫力だそうなので、どうか十分にお気をつけながら、しっかり予防なさってください。
「サン・ロマーノの戦い」、目にしますよね。
お家で過ごすにはやはりあれこれ検索して楽しむのも良いことです!
shinkai
そうなんです、考えてもいなかったコロナヴィールスの広がりで、そ手も大変早く大規模で、感染者、死者の数に驚いています。
お陰様で我が家の方は平穏で、幸いというか、白内障手術の後の1か月間はプールもダメ、という事だったのでそのまま家におり、一度した買い出しがまだ大丈夫で、一日家で好きな事をしています。
絵を描くのはまだ左右の視力の違いすぎで不自由なので、ぼちぼちと描こうと思っていたのの下描きをし、貯めています。
日本の方の感染者とか死者は、さすが、というか低いですね。 皆さん、政府の言う注意事項を良く守るからだろう、と納得していますが、これがイタリアと違う所ですね。
4月半ばのロンバルディーア州湖水地帯への旅行は半ば諦めていますが、6月までには何とかヨーロッパ全体が平静になるように願っています。
YUNさんも、どうぞ体調のお気を付けて下さいね!!
ご心配、有難うございました。
Panda
shinkai
そうなんです、ここほぼ3週間ほどの事なんですが、劇的な毎日の進行状況で、遂にイタリア本土全体が隔離状態となりました。
アメリカは既に大分前からミラノ行きの飛行機を止めていましたが、今はどこの国もあれこれ対策に追われている事でしょうし、オーストリアからの列車も国境で留められているそうです。
暫くはこうして様子を見て、進行を収拾するつもりなのでしょう。
我らの世代は戦争の後に生まれ、何とかずっと平和の中で生きて来れて、今、これが直接に即命にかかわらないにせよ、一番に厳しい現状に向かっているのだろうな、と認識しています。
世界中が戦っているので、じっくり構えて行きたいと思っています。
パンダさんもお元気で。 来年の春には東京でお会い出来る事を楽しみに頑張ります!