◆ 3月22日 朝のニュース ◆
コロナヴィールスの感染者は、前日よりも+4821人 計42681人
死亡者+793人 計4825人 治癒の方✙943人 計6072人。
未だ大幅に増加の毎日です。
死亡者+793人 計4825人 治癒の方✙943人 計6072人。
未だ大幅に増加の毎日です。
一層の封鎖状態を保つ為に、公園、コンドミニオの庭園も封鎖され、
家から200m以上は出歩かぬよう、2人以上の集合はダメ、ecc
という新しい条例が出て、4月3日迄と延長されました。
家から200m以上は出歩かぬよう、2人以上の集合はダメ、ecc
という新しい条例が出て、4月3日迄と延長されました。
が、スーパーや食料品店、薬局、銀行、ポストなどは開いていて、
道に人の姿を見る事が殆どなく、家の近くでは車の音も聞こえません。
道に人の姿を見る事が殆どなく、家の近くでは車の音も聞こえません。
神父さんは既に50人亡くなっているそうで、イタリア中では
7000人以上のボランティアが働いているとの事。
キューバから52人のお医者さんが応援に来てくれているそうです。
7000人以上のボランティアが働いているとの事。
キューバから52人のお医者さんが応援に来てくれているそうです。
一日も早く増加に歯止めがかかります様に!!
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中世のパリの街の様子を3D映像に再現したDVD、
「中世のパリ・Paris au Moyen Age」が数年前に
Grez Productionsにより発売されたものを紹介したもの。
「中世のパリ・Paris au Moyen Age」が数年前に
Grez Productionsにより発売されたものを紹介したもの。

当時パリの街は約20万人程の住民がおり、ご覧の様に
かなり広い地域に渡り広がっていた様子で、
かなり広い地域に渡り広がっていた様子で、
橋の上にも建物が立ち並び、100もの尖塔が空に延び、
ノートルダムの正面壁は未だ多彩に彩られ・・、
という当時の街の歴史の証言なのですね。
で、これを書いているshinkaiは未だパリの街を知らずで、はは、
大いに興味を持ち、どこにあるのか、今の様子は?と
写真を見ながら「いつかの時の為に」確認しつつ追いかけたのを
ここにご案内しますね。
大いに興味を持ち、どこにあるのか、今の様子は?と
写真を見ながら「いつかの時の為に」確認しつつ追いかけたのを
ここにご案内しますね。
このサイトで紹介しているのは、地図で確かめると
セーヌ川が蛇行して流れ、シテ島・L'Île de la Cité、
いわゆる中の島と呼ばれる場所とその周辺を中心に紹介していて、
実際当時の政治経済の中心はこの一帯にあったのかもしれずで、
セーヌ川が蛇行して流れ、シテ島・L'Île de la Cité、
いわゆる中の島と呼ばれる場所とその周辺を中心に紹介していて、
実際当時の政治経済の中心はこの一帯にあったのかもしれずで、
上の写真はシテ島を西の上空から見た様子で、
数字1の島のとっぱしに現在架かっているポン・ヌフ・Pont Neuf
は当時はまだ架かっておらず、1578-1607年に建設、
シテ島の奥に位置するサン・ルイ島・Saint-Louiには住民が
まだいなかったと。
地図に打った番号は大方サイトに写真が載っていた順で、位置が
あちこち飛びますがご勘弁を。


1. シテ島の先っちょ、 王宮と当時はこの一帯が果樹園だったのですね。
2. ノートルダム聖堂・Notre-Dame
3. ルーブル宮・Luuvre 城と書いてあり、現在の姿とは大いに違うと。
4. かなり飛んで、バスティーユの要塞・Bastille.
5. サント・シャペル聖堂
6.7. プチ・ポン・プチポンテ橋・PetitーPont とプチ・シャトレ
8. 市宮殿、現在のコンシェルジュ・Conciergerie
9. シャンジュ橋・Pont au Change
10. 市役所・Hôtel de ville と グレーヴ広場・Place de Grève
12. グラン・シャトレ・Châtelet 裁判所
2. ノートルダム聖堂・Notre-Dame
3. ルーブル宮・Luuvre 城と書いてあり、現在の姿とは大いに違うと。
4. かなり飛んで、バスティーユの要塞・Bastille.
5. サント・シャペル聖堂
6.7. プチ・ポン・プチポンテ橋・PetitーPont とプチ・シャトレ
8. 市宮殿、現在のコンシェルジュ・Conciergerie
9. シャンジュ橋・Pont au Change
10. 市役所・Hôtel de ville と グレーヴ広場・Place de Grève
12. グラン・シャトレ・Châtelet 裁判所
中世のパリ、と言っても1555年というと、すでにイタリアではルネッサンス期に
入っていますが、当時のパリはね、へへ、で
まだ建設されていなかったというポン・ヌフ。 新しい橋、という意味ですってね!
入っていますが、当時のパリはね、へへ、で
まだ建設されていなかったというポン・ヌフ。 新しい橋、という意味ですってね!


ノートルダム聖堂。 この極彩色の艶やかさ! 信じられないような。
1163~1344年のゴシック様式の建築。


ノートルダム聖堂前に墓地があるのですか? または以前あったとか?
当時はここに市・メルカートが開かれていた様で。

ノートルダム聖堂正面。

この横からの眺めがなんとも素晴らしい物でしたが、shinkaiは観ずで・・。

昨年4月の炎上以後、再建に掛かっている姿ですが、
再びあの見事に美しい姿が戻ります様に!!

現在のルーヴル美術館のあるルーブル宮・城。 現在とはかなり
様子が違い、街の西側を護る意味もあったと。
様子が違い、街の西側を護る意味もあったと。

河岸にネスレの塔・Tour de Nesleがあり、対岸とを結んでいた、
というのですが、これはセーヌ河ではなく、ルーヴル宮の堀なんだろうか?
というのですが、これはセーヌ河ではなく、ルーヴル宮の堀なんだろうか?

現在のルーヴルの、大ピラミッド。

上空からの写真を見ると、かってのルーヴル宮の位置が分かりますね。

バスティーユの要塞・Bastille. 1370年~1382年の建設で、
ルイ11世時代からずっと監獄で、拷問や処刑が行われていたと言い、
ルイ18世時代より国の監獄となったと。

今回初めてバスティーユの要塞、監獄なる建築物の姿を見て、
おお、これだったのか、と一番驚いたものです。
おお、これだったのか、と一番驚いたものです。
現在は無くなっていて、記念の塔があるというのは知っていましたが、
以前はどうだったか、というのを調べた事が無かったので。
以前はどうだったか、というのを調べた事が無かったので。
これが1789年7月14日の怒った民衆が押し寄せ、長い闘いの後
遂にボルボン王家の独裁に対しての市民革命の発端となった図。

現在の広場に立つ記念塔。

シテ島に戻り、サント・シャペル聖堂・Sainte-Chapelle.
ルイ9世により1246~1248年建設の、王宮のパラティーナ礼拝堂と
して、またキリストの処刑の際の「茨の王冠」の保管所としての物と。
ルイ9世により1246~1248年建設の、王宮のパラティーナ礼拝堂と
して、またキリストの処刑の際の「茨の王冠」の保管所としての物と。

「茨の王冠」ですか?! ふむ。
それはともかく、このサント・シャペルは大変ステンド・グラスが美しい事でも
知られていますね。
知られていますね。


見事ですねぇ、光りが射し込む時の色が見たいものです!
地図を確かめつつ見ていると、パリはそんなに大きな街ではないですよ、
と皆さんが仰る通り、意外に近く、中心は歩いて回れる程、というのが
実感できたのが、今回の収穫の1つでした。
という所で今回はお終いで、また次回を宜しくお願い致します。
ご訪問よろしくお願い致しま~す。
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