◆ 3月31日 朝のニュース ◆
コロナヴィールスの感染者は、前日+1648人 計75528人、
死亡者+812人 計11591人 治癒の方+1590人 計14620人。
死亡者+812人 計11591人 治癒の方+1590人 計14620人。
ですが、亡くなった方の数と感染者数が減り、とりわけロンバルディーア州、
ウンブリア州、フリウリ州で初めて感染者の数の減少が見られたと。
ウンブリア州、フリウリ州で初めて感染者の数の減少が見られたと。
お医者さんの死亡が66名となり、まだまだ治療に当たる方の数が不足で、
先日アルバニーアから30人の応援団が駆けつけてくれています。
先日アルバニーアから30人の応援団が駆けつけてくれています。
今朝の新聞では、4月12日の「復活祭は、家で!」というタイトルが
幾誌か見られ、本格的な再始動は5月3日からだろう、というのも。
幾誌か見られ、本格的な再始動は5月3日からだろう、というのも。
ですから4月3日迄封鎖となっている現在の状況が少なくともあと2週間、
復活祭後迄は続くものとみられ、
復活祭後迄は続くものとみられ、
昨日shinkaiは眼科のクリニックで検査を受け、新しい眼鏡レンズの処方を
貰ったのものの、あと半月は店が開くのを待たないといけない事になりそうです。
でも、少しでも先が見えそうかも、というのは嬉しい事です。
日本の皆さんも、辛抱して、頑張りましょうね!!
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シエナのプッブリコ宮・Palazzo Pubblicoについてご案内し始めたのが、
昨日も今朝もクリニック、病院に行ったりで落ち着かず。
では未だ見て頂いていなかったマンジャの塔からの写真なら、楽ちんかも、
と写真整理はしたものの、その後wikiを読み始めたら、これが大変!
にゃに?!という様な鐘と「マンジャ」なるものの説明が飲み込めずで、
はぁ、楽ちんどころか、はは、大いに時間と小さな脳を絞られる羽目に。
まぁ、何とか納得できましたので、やれやれで、ご案内致しますね。
写真は2008年7月の、はは、パリオを見に行った時のもので、カンポ広場周囲には
しっかり土が入れられ、柵も桟敷席も作られ用意万端。 試走も2度ほど見れ、
絵画館に行っても外を通る太鼓の音が響き渡る、という、
はぁ、こう書いていても、またあの日の興奮が蘇りますです。 楽しかったなぁ!
しっかり土が入れられ、柵も桟敷席も作られ用意万端。 試走も2度ほど見れ、
絵画館に行っても外を通る太鼓の音が響き渡る、という、
はぁ、こう書いていても、またあの日の興奮が蘇りますです。 楽しかったなぁ!
こちらで見てやって下さいませませ。
n.1 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779099.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779099.html
n.2 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779309.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466779309.html
n.3 シエナのパリオ ・ 2008.7.2
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466784900.html
マンジャの塔に上った様子は、こちらにほんの少しを。
シエナのパリオ 2008.7.2 ・ その前日
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678205.html
シエナのパリオ 2008.7.2 ・ その前日
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678205.html
カンポ広場の西の端にまで伸びる、マンジャの塔の影。
ここはプッブリコ宮の内庭、パリオの時には、広場を行進して来た馬達がここに入り、
競馬が始まるのを待つ内庭で、いつもは煉瓦敷きですが、馬たちの為に土が入り、
シニョーレたちが整備中。
競馬が始まるのを待つ内庭で、いつもは煉瓦敷きですが、馬たちの為に土が入り、
シニョーレたちが整備中。
上の写真、正面に2つ見えるアーチの左に、茶色に見えるのが平日のプッブリコ宮の
切符売り場で、その斜め上にはシエナの街のシンボルである「双子に乳を与える雌狼・
ルーパ」の像が。で、マンジャの塔には、左のシニョーレの内側に上り口があります。
切符売り場で、その斜め上にはシエナの街のシンボルである「双子に乳を与える雌狼・
ルーパ」の像が。で、マンジャの塔には、左のシニョーレの内側に上り口があります。
狭い暗い階段を400段以上上り、
はぁはぁと、こんな古い壁を見ながら一息入れ、上ります。
で、このマンジャの塔・Torre del Mangiaは、建設が1325年~1348年、
塔の基礎の一番下には凝灰岩の大きな石が埋められ、後はすべて煉瓦、
白く見える部分は大理石ですね。
高さは88m、あれっ、103mとか書いた覚えがあったっけ、と探し回り、はい、
88mというのが、最上階の「メルレット」と呼ばれる塀の高さまでで、
その上に鐘があり、避雷針の先までで102mになるんだそう!
イタリアの古い塔の中では4番目で、1.クレモナのトラッツォ 112m.
2.ボローニャのアジネッリの塔 97,2m 3.フィレンツエのアルノルフォの塔 94mと。
アルノルフォの塔、ってご存知ですか? 覚えが無い者はまた探しに走り、はは、
なんだぁ、あのヴェッキオ宮の上にある塔がそうなんですと!
なんだぁ、あのヴェッキオ宮の上にある塔がそうなんですと!
で、マンジャの塔の「マンジャ」なる名の由来は、良く言われるように、
最初の鐘付き男の1人であるジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョ・Giovanni di
Barduccio が浪費癖の、とりわけ食に関しての悪癖から
「マンジャガダーニ・Mangiaguadagni・給料食いつぶし」とか、単純に
「マンジャ・食べる」というあだ名で呼ばれ、
それが塔の名の由来になったというのですね。
それが塔の名の由来になったというのですね。
で当時は鐘が時刻毎に打たれ、市民に時を知らせていたのが、
1360年には自動時計が設置され、鐘付き男は必要無くなった訳で、
1360年には自動時計が設置され、鐘付き男は必要無くなった訳で、
でも鐘の横に、手に槌を持ち、鐘を突く仕草をする突き男を模した人形というか、
像というかが取り付けられていたのだそう!
像というかが取り付けられていたのだそう!
こちらが1578年のスケッチで、マンジャの塔の上、鐘の横に姿が見えるのがそれで、
そうですね、鐘付き男はヴェネツィアの時計塔にも、トリエステの市庁舎にも
ウーディネにもいますが、ですが、このマンジャの塔には今は見えずで、
かっての事を知らずですし、意味が分からず驚いたのでした。
ウーディネにもいますが、ですが、このマンジャの塔には今は見えずで、
かっての事を知らずですし、意味が分からず驚いたのでした。
像も最初は木製だったのが、布製に替わったり、最後は石で戦士の様な大男、
それが何年の時か、地震の際に塔の上で激しく揺れるのを、いまにも落ちるかと
市民が恐ろしく見つめていたとかで、はは、
それが何年の時か、地震の際に塔の上で激しく揺れるのを、いまにも落ちるかと
市民が恐ろしく見つめていたとかで、はは、
で、時計自身が、時を告げる鐘を鳴らすようになった1780年にはお勤めを解かれ、
その後の変遷を経て、現在は上で見て頂いた「ポデスタの内庭・Cortile
del Podestà」に置かれているそう。
その後の変遷を経て、現在は上で見て頂いた「ポデスタの内庭・Cortile
del Podestà」に置かれているそう。
で、現在取り付けられている鐘はカンパノーネ・大鐘と呼ばれる大きなもので、
1344年の最初のよりもっと大きなのが1349年に鋳造され、1366年まで活動、破損、
1344年の最初のよりもっと大きなのが1349年に鋳造され、1366年まで活動、破損、
1665年に再鋳造され、53人の男が2日かけて引き上げたと言い、
当時この鐘はイタリアで一番大きいもので、高さ2,34m、直径1,98m、
重さ6764kだそう。
重さ6764kだそう。
大司教に祝福されたこの鐘の名は、マリーア・アッスンタ・Maria Assunta、
つまりシエナの聖堂のサンタ・マリーア・アッスンタから頂いた名で、
市民達から「スント・sunto」と呼ばれ親しまれている鐘なのだそう。
ですが、この鐘は1831年に大きな損傷を受け突けなくなり、新しく鋳造するには
莫大な金額が必要で、遂に修理し、悪い箇所を削る妥協案を取ります。
莫大な金額が必要で、遂に修理し、悪い箇所を削る妥協案を取ります。
ご覧の様に、ほら、裂け目が見えますね。 この事を言っているのと思いますが、
この欠陥から鐘の音は曖昧な音、ハスキーな音となるのだそうで。
ですが、中に下がる打ち金を手で打つとこの欠陥は弱まるそうで、
パリオの日だけ、手で打っているのだそう。
ですが、中に下がる打ち金を手で打つとこの欠陥は弱まるそうで、
パリオの日だけ、手で打っているのだそう。
そうなんですよね、TVでパリオの中継を見ると、耳にイヤホーンを当てた男性が、
鐘の下で打っているのを見た事があるので、納得です。
鐘の下で打っているのを見た事があるので、納得です。
そして年間で鐘の音の必要な他の日は、鐘の外に取り付けられている自動ハンマー
によって打たれていると。
によって打たれていると。
カレンダーもあって見ると、パリオの日以外に外のハンマーで打たれるのは、
4月25日の戦争解放の祭日と、5月1日の労働の祭日ですね。
4月25日の戦争解放の祭日と、5月1日の労働の祭日ですね。
ご存知パリオは、7月2日と8月16日で~す。
やれやれ、漸く基礎のご案内が済みましたので、塔の上からの眺めをどうぞ!
こちらは先回のロッジャで見て頂いた、プッブリコ宮の裏のメルカート広場の
右手で、 谷に添って奥に行く道の先に見えるのは、
右手で、 谷に添って奥に行く道の先に見えるのは、
サン・ピエトロ・アッレ・スカーラ教会・San Pietro alle Scaleと、
すぐ横にあるシエナ国立絵画館の固まりと分かりました。
すぐ横にあるシエナ国立絵画館の固まりと分かりました。
こちらは、プッブリコ宮の並びが伸びる南角で、パリオ用の作が作られているのが
「カザートの角」と言われる急角度のカーブで、ここから最後の上り坂でゴール。
そして同じ角から上に視線を移すと見える、シエナのドゥオーモ。 この時は
修復で上部が覆われていましたっけ。
修復で上部が覆われていましたっけ。
カザートの角から西を辿り北西となり、左上に見えるのが、サン・ドメニコ教会・
San Domenico.
ぐるっと、カンポ広場の貝殻状の上辺を辿り、ここから下り坂になる角。
こんな風にカンポ広場が見え、
上辺にある、ガイアの泉・Fonte Gaia. アップして。
カンポ広場に落ちる、マンジャの塔の影と、影に集まる観光客、はは。
郊外の緑と、広がる平野を見晴らして頂き、
塔の脚元に見える、中世がそのまま残るシエナの家並。
一番上まで上れ、これは一段下にある鐘。
途中の窓から覗き見し、
やはり途中の階から見るドゥオーモと、左に飛び出すファッチャトーネ。
こちらでも、シエナのパノラマがご覧になれます。
シエナのドゥオーモ博物館 と ファッチャトーネの上から
http://www.italiashiho.site/archives/20180711-1.html
シエナのドゥオーモ博物館 と ファッチャトーネの上から
http://www.italiashiho.site/archives/20180711-1.html
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