・ ヴェネツィア ・ その美しさに、数を添えて見ましたぁ!

31年前、はは、最初にイタリアにやって来た時、即その魅力に陥落!
ヴェネト州の、ヴェネツィアに1時間ほどの距離に済むようになってから、
はたまたブログを始めあれこれ読む、知るようになって以来、
そして絵のモチーフにする様になり、
ますますヴェネツィアの魅力、世界で唯一の特異な街の魅力に
魅せられているshinkai.
  
先日こんなサイトを見つけ、
VENEZIA DIAMO I NUMERI  Una sola Piazza ma...
ヴェネツィアに数を与えよう  広場は一つだけだけど

そう、車が走らず、自力で歩くだけのヴェネツィアの街には、「広場・ピアッツァ」と
呼ばれるのは1つだけだけど、他にね‥、という記事で、

そう言えば、ヴェネツィアご案内の都度に関係ある数字は調べたり書いたりしますが、
相対的に纏めた事が無いっけ、と思い、改めてのご紹介で、

あ、まず最初にヴェネツィアの地図をご覧になっておいて下さいね。

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こんな風に本島は魚みたいな感じで、北の本土から道路と電車が連絡し、
駅前から始まる逆S字の大運河・カナル・グランデがサン・マルコの手前まで。

白く見える道、そして水色が縦横に見えるのは運河・リオで、
バラバラに散らばる各地区をたくさんの橋が繋ぎます。

今回の写真はshinkaiの想いの丈を籠め、はは、自分で撮ったのをなるべくと
探したので、古いのは小さくなりますがご勘弁を。 では参りましょう。


・ 広場・ピアッツァ・Piazza  1つ

そう、ヴェネツィアでは広場と名乗るのはサン・マルコ広場のみで、他のすべて、
存在する広場はカンポ、またはカンピエッロと呼ばれます。

それも「サン・マルコ広場」は、サン・マルコ聖堂から正面のコッレール博物館に
面しての広い広場の方で、

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こちらドゥカーレ宮の側面から2つの円柱のある細長い方は
「サン・マルコ小広場・ピアッツァーレ」と呼ばれます。

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・ カンポ・campo・広場 は、 102

カンポというのは畑、耕地、野原の意味で、ヴェネツィアの街が出来た当時は
そう、畑が広がり、サン・マルコや現在のムラーノ島や他の島に渡る船着き場の
フォンダメンタ辺りにも塩田があったそうですから。

で、カンポには教会とか公的な建物もあり、カンピエッロ共に大体中央に
井戸が1つか2つあります。

カンポ・サン・ボルト・Campo San Boldo.

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カンポ・サンティ・アポストリ・Campo San Apostori.

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・ カンピエッロ・campiello は、 134

カンピエッロは、カンポの小さいのを指し、いくつかの出入り口があり、
コルテ・corteと呼ばれる内庭式の物は出入り口は1つだけ。 つ
まりカンピエッロはカンポの小さなもので町の通路であるのにも対し、
コルテはそこの住民が利用する物と。

カンピエッロの写真が即見つからず、コルテのみでご容赦。
コルテ・デイ・プレーティ・Corte dei Preti.

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・ 橋・ポンテ・ponte は、 438! 

ヴェネツィアの街は元々がラグーナ・干潟を埋め立て、その上に建設されたもので、
その小さな干潟・埋め立て地を繋ぐための、438もの橋ですね。

まずヴェネツィアの橋と言えばこれ、大運河の真ん中に架かるリアルト橋・Riarto.

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駅から東にカンナレッジョの北に架かる、ポンテ・デイ・トゥレ・アルキ・
3つのアーチの橋。

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大運河のアッカデミア美術館の東にあるダリオ邸の裏の橋。
カンピエッロ・バルバロに降りる為に、階段が裾広がりなのですが、
橋の名が・・。

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はい、いつも教えて下さるpescecrudoさんがコメントで教えて下さり、
サン・クリストーフォロ橋、というそうです。
ペーシェクルード様、有難うございましたぁ!


忘れてはいけない、ドゥカーレ宮の溜息橋。

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こんな情けない姿にされていた時期もありましたっけ!



建物の間を通り抜ける小路の橋。  

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これは上の数には入らない、夏のサン・サルヴァドーレ教会に架かる仮の橋、

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そして冬のサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂参拝に架かる仮橋。

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と、本当にキリが無く、ヴェネツィアの橋は思い出を誘いますねぇ。



・ 島・イーゾラ・Isola は、 124!

えつ、そんなにあるの?! と驚きましたが、

そう、まずサン・マルコ小広場に面するサン・ジョルジョ・マッジョーレ島・
San Giorgio Maggiore.

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硝子の島ムラーノ島・Murano. 

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こちらは1度見学した事があるサン・ラッザーロ島・San lazzaro.

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サン・マルコの鐘楼から見る、南のリド島との間に広がる島々。
そう、こんな風に船の行路が杭により定められているのですよね。

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・ 運河・カナーレ・canale は、 178本!

最初に見て頂いた地図でもお分かりの様に、細い運河リオ・rioが
縦横に走ります。 この地図はヴェネティアの町の起こりの地図と。

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・ 大運河・カナル・グランデ は、 1本

長さ3247m. 中程の幅が一番狭まった所をリアルト橋が渡ります。

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・ 井戸・ポッツォ・Pozzo は、 2000!  かっては6000あったと。

井戸の周囲を囲った形のヴェーラ・ダ・ポッツォと呼ばれ、井桁には
それぞれに意匠が施されていて、
島の住民の命の水ですから小さな広場にも必ずあり、個人住宅にも
あるので、正確な数は分からないのだそう。

サイトにあった、これは素敵な模様の井戸で。

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ドゥカーレ宮の内庭にある2つの大きな青銅の井桁付き。

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こちらはカ・ドーロの内庭の井戸。 フランケッティ男爵がすべての熱情を
込めカ・ドーロを修復、この井桁はパリに売り払われていたのを買い戻した物と。

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・ 街の地区・セスティエーレ・sestiere は、 6地区

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北から 緑・カンナレッジョ・Cannaregio、 紫・サンタ・クローチェ・
Santa Croce、 赤・サン・ポーロ・San Polo、 
オレンジ・サン・マルコ・San Marco、 青・カステッロ・Castello、
黄土・ドルソドゥーロ・Dorsoduroとジュウーデッカ・Giudecca



ゴンドラの舳先の突き出した形も、6つの地区と、ドージェの冠を現していると。

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・ 小路・カッレ は、 3000!

街の中を縦横に行き来する小路、少し広めの道もあり、手を伸ばせば
両側に届きそうな、傘をさせないような小路もね!

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でもそれが魅力の、ヴェネツィアなのですよねぇ。



・ 敷石・マセーニョ・masegno は、 700万枚!

マセーニョ(複マセーニ)はヴェネツィア特有の敷石なのだそうで、産地はお隣
スロヴェニアはロヴィーニョ・Rovignoで、そう、かってはヴェネツィア共和国の、
確か第2次大戦まではイタリア国の領土だった所で、

敷石用に切られ、1つが約40キロもの重さで、19世紀まで使われていたのだそう。
雨が降った後も水捌けが良いというのか、滑らないそうで。

サン・マルコ広場にも使われているマセーニョ。

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こんなに重いにも拘らず、こんな風にずれたり、穴になったりすることもあり・・!

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このマセーニョの敷石以前は煉瓦を杉綾模様に埋めたそうで、そう言えば、
街の外れの広場にもまだ見かける場所がありますね。

これは確か、ミゼリコルディア教会、修道院・Chiese dell'Abbazia
della Misericordiaの前だったと。

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・ 教会・キエーザ・Chiesa は、 148!

こういう数は多いのか、少ないのか考え様がありませんが・・。

まずはヴェネツィアのドゥオーモ、サン・マルコ聖堂。

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そして、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂。

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂。 

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後は余りにも多すぎて、選択に困難・・!



・ 鐘楼・カンパニーレ・canpanile は、 170本

うん?! 教会の数より多い、と考え、そうか、教会は聖別から外されたものの、
鐘楼はそのまま残っている、という事かな、と。

では一番有名で欠かせない、ヴェネツィアのシンボル、サン・マルコの鐘楼を。

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・ そして、ヴェネツィアの住人は、 54000人!!

この数は、記事が2020年3月末なので、間違っていないと思いま~す。
本島のみで、メストレなどは含まれていない数字です。



最後は、ヴェネツィアの空からの眺めを、素敵でしょう?!

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一日も早く皆様に、ヴェネツィアにどうぞぉ!! と言える日が来ます様に!


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この記事へのコメント

  • pescecrudo

    shinkai さん、こんにちは。楽しく読ませて頂きました。
    特に写真、トレ・アルキ橋右袂の赤っぽい建物の左隣、角張った三つの窓が見える汚れたベージュ色の建物2階のアパートを借り、3ヵ月語学校に通ったので、この辺りは本当に懐かしく、特にヴェネツィアの西地区を能く歩きました。
    すぐ下のダーリオ館裏の欄干がカーヴした橋は地図に拠りますと、サン・クリストーフォロ橋と言うそうです。映画『旅情』でヘップバーンが休んでいると、少年が欄干を滑り台にして降りて来て、再会をします。懐かしいです。
    数字はデータの取り方で色々あるのでしょう。百科事典で118の島という記述、ほかも見た事がありますし、2013年5月9日の新聞で、58000人の人口が下回ったという新聞記事も読んだことがあります。
    ヴェネツィア共和国が扱った数字(死者とか)は、10の位まで信用出来る、他のイタリアは100とか1000の位だったら信憑性があるという記述を読んだことがありますが、数字は難しいです。
    例えば、1585年にヴェネツィアを訪れた天正の少年遣欧使節歓迎のために大曲のミサ曲を書いたアンドレーア・ガブリエーリの死が1586/7年と音楽事典に書かれていましたが、1987(?)年に出版された彼の評伝で、ヴェネツィア史料館で発見されたのか、1585年8月30日となったという事を読んだのですが、数字は本当に難しいです。
    2020年07月19日 12:17
  • shinkai

    ★pescecrudo様、こんにちは! いつも楽しい、詳しいコメント、有難うございます。

    そうでした、カンナレッジョに下宿された、というのはお聞きした事がありますが、トゥレ・アルキの橋の近くでしたか。 
    あの辺りは下町の雰囲気が結構強く、楽しい場所だろうと思っていますが、そうですね、ヴェネツィアは歩き回るのにとても良い街ですよね。

    ダリオ邸の裏のあのちょっと変わった橋、有難うございます、サン・クリストーフォロ橋ですね、 この後、記事に書き込んでおきましょう。
    ウッディ・アレンの映画で、あの橋をジュリア・ロバーツが渡る場面を撮影した、というのをニュースで見たのを覚えていますが、
    きっとRAIの地方ニュースだったのでしょうね。

    そうです、ヴェネツィアの住民数については、コメントを頂いた後検索して見ましたら、私が見たサイト記事と同じ2019年3月ので、53076人というのがあり、ですが実際にはその倍の10万人ちょっとだろう、という記事を見つけました。
    つまり公的には他の街にアナグラフェを置いていても、仕事で実際にヴェネツィアに住んでいる、という人がそれ位いる様子、というのも、水道使用量から割り出せるのだそうで!
    https://ytali.com/2019/03/12/gli-abitanti-di-venezia-oltre-centomila/
    をご覧になってみて下さい。

    私は5万人を切っているのではないかと心配していたのですが、ちょっと安心しました。

    はい、数字は難しいですが、でも記してあると実感しやすいので、やはり必要ですよね。
    2020年07月20日 01:57