ピサ・Pisa、トスカーナのリグーリア海に面した街ピサは、中世に大いに栄え、
歴史的にも芸術的にも世界に有名な宝、見所がある事で有名で、
歴史的にも芸術的にも世界に有名な宝、見所がある事で有名で、
ユネスコの世界遺産にも指定の「奇跡の広場・ピアッツァ・デイ・ミラーコリ」
には、世界中に有名な「ピサの斜塔」がありますね。
ピサの街に何があるか、と尋ね、「ピサの斜塔」という答えのみでも、はは、
可笑しくない程の有名さですが、
可笑しくない程の有名さですが、
暫く前からshinkaiの頭の中に「ピサにもう1度行ってみたい」想いが兆し。
そうなのです、35年前に訪問し、斜塔も、洗礼堂も、ドゥオーモも見ていて、
斜塔には上ってもいますが、
近くのルッカには2度行ったせいか、もう1度ピサも今の目で見たいなぁ、と。
で、実際ピサには世界遺産指定以外に何があるか、という事を知る為に
サイトを見ると、ちゃんとお勧め見所10か所がありましたので、
自分の下調べを兼ねて、皆さんにもご案内を、という事に。
サイトを見ると、ちゃんとお勧め見所10か所がありましたので、
自分の下調べを兼ねて、皆さんにもご案内を、という事に。
見所1位から10位の順に並べると、頭には即「斜塔」が来るので、ははは、
今回は逆に10位から始め半分の6位までを、で次回にn.2を、という事で
宜しくお願い致します。
所で「ピサ」と書きながら、Pisaですから、これはきっと「ピザ」の発音が正しい
だろうと思って聞くと、確かに「ピザ」ですが、まぁ、今回は「ピサ」のままで行く事に。
だろうと思って聞くと、確かに「ピザ」ですが、まぁ、今回は「ピサ」のままで行く事に。
では参りましょうか。 まずは街の地図に10~6の印をつけましたのでどうぞ。
地図を縮小したので文字が見え難いですが、ご案内の10~1までは
問題ありませんね。
駅から真っ直ぐコルソ・イターリアを北に向かって行き、渡る橋はポンテ・ディ・メッツォ・
Ponte di Mezzoで、渡っての右手がルンガルノ・メディチェオ。
問題ありませんね。
駅から真っ直ぐコルソ・イターリアを北に向かって行き、渡る橋はポンテ・ディ・メッツォ・
Ponte di Mezzoで、渡っての右手がルンガルノ・メディチェオ。
それに4~1までは上に固まっているので、楽勝!という感じで、ははは。
10. キース・ヘリングの壁画 トゥットモンド・Tuttomondo di Keith Hering
古くからの歴史を持つピサの街の見所はすべて歴史由緒あるものになりますが、
これのみは例外で、アメリカ生まれのポップ・アートの画家(1958-1990)の、
シンプルな線と色の壁画は、皆さんも写真でご存知と。
これのみは例外で、アメリカ生まれのポップ・アートの画家(1958-1990)の、
シンプルな線と色の壁画は、皆さんも写真でご存知と。
ヘリングは1989年にピサを訪れ、サンタントーニオ教会の修道院の裏の壁に
この壁画を描いたのでしたが、翌1990年に31っ歳の若さで亡くなりましたから、
この壁画が彼の最後の作品になるのだそうで。
この壁画を描いたのでしたが、翌1990年に31っ歳の若さで亡くなりましたから、
この壁画が彼の最後の作品になるのだそうで。
世界平和をテーマに、30人を図案化したもので、180平米の大きさで、
ヨーロッパでは1番大きな壁画で、
ヨーロッパでは1番大きな壁画で、
はい、ピサ中央駅からすぐの位置に。
9. アルセナーレ・造船所・Gli Arsenali
ピサは「ピサ共和国」を名乗った11世紀から1406年迄、イタリアの4大海洋国で、
アマルフィ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと共に現在のイタリア海軍の旗にも
アマルフィ、ジェノヴァ、ヴェネツィアと共に現在のイタリア海軍の旗にも
街の紋章が残りますが、
当時この場所にガレー船の造船場、修理所があったのだそうで、
後にフィレンツェ共和国に併合された後に、コジモ1世により再度造船場が
建設され、メディチ家の艦隊となり、ここは19世紀まで継続していたそう。
アルノ河に面し、すぐに海に出れる場所ですものね。
後にフィレンツェ共和国に併合された後に、コジモ1世により再度造船場が
建設され、メディチ家の艦隊となり、ここは19世紀まで継続していたそう。
アルノ河に面し、すぐに海に出れる場所ですものね。
で、第2次大戦時に爆撃を受け大きな損害だったのを、2013年から修復が始まり、
2015年から博物館として、さまざまな展示会場、映画館もある様ですが、
内部見学ができる様子。
2015年から博物館として、さまざまな展示会場、映画館もある様ですが、
内部見学ができる様子。
アマルフィに行った時にも古い造船場があり、博物館となっていたのを見ましたが、
このかなりモダンなイメージの造船場も楽しそう!
このかなりモダンなイメージの造船場も楽しそう!
昔斜塔に上った時、斜塔の壁に船の浮彫があるのを見て、当時は何で?と
思ったほど無知だったですが、へへ、現在でもかっての4大海運国の街、港では、
毎年持ち回りで競艇が行われる程ですから、
ピサの人々の心の中にも、きっと海洋大国だった誇りが根ついている事と!
思ったほど無知だったですが、へへ、現在でもかっての4大海運国の街、港では、
毎年持ち回りで競艇が行われる程ですから、
ピサの人々の心の中にも、きっと海洋大国だった誇りが根ついている事と!
8. ボルゴ・ストレット・Borgo Stretto
直訳すると「狭い村」みたいになりますが、歴史ある古い地区の名称で、
現在も1番の繁華街。
この地区にかって貴族や裕福な商人たちが住居、店を構え、
現在も1番の繁華街。
この地区にかって貴族や裕福な商人たちが住居、店を構え、
ポルティチの下で賑やかに商業活動をしていた名残りが残り、
ピアッツァ・デル・ポッツェエット・Piazza del Pozzetto・小さな井戸広場
となりますが、見える像はガリバルディ像。
となりますが、見える像はガリバルディ像。
そして背後に見えるのが、カジーノ・デイ・ノービリ・Il Casino dei Nobili、
18世紀中頃に建設の貴族のレクリエーション活動の為の建物、とか、
18世紀中頃に建設の貴族のレクリエーション活動の為の建物、とか、
でも、実際具体的に、何のレクリエーションを?!と思われません?!
この地区には「ピサの斜塔」程に有名ではありませんが、2本斜塔もあり、
1本は、サン・ニコラ教会・San Nicolaの鐘楼、というのですが、
写真では傾いでいるのが良く分からず、
写真では傾いでいるのが良く分からず、
もう1本はサン・ミケーレ・デッリ・スカルツィ教会・San Michele degli Scalzi
の傍にと。 これは凄い!
まぁ、ヴェネツィア辺りにお出でだと、何本も傾いだ鐘楼がありますし、
我が隣村のオリアーノの教会鐘楼もかなり斜めですよって・・。
我が隣村のオリアーノの教会鐘楼もかなり斜めですよって・・。
はは、すぐに脱線しますが、 このボルゴ・ストレットにはたくさんの
レストラン等もありそうで、夜のお食事、お出かけにも良さそうです。
レストラン等もありそうで、夜のお食事、お出かけにも良さそうです。
7. ピアッツァ・デイ・カヴァリエ-リ・Piazza dei Cavalieri・
騎士たちの広場
「サント・ステーファノ騎士団」と訳してよいのか、1561年にトスカーナ大公
コジモ1世により結成された騎士団の様で、彼の要請によりジョルジョ・ヴァザーリ
が広場と右に見える素晴らしい建物を設計したそうで、
ピサにおいてピアッツァ・デイ・ミラーコリに継ぐ、重要で美しい広場だそう。
コジモ1世により結成された騎士団の様で、彼の要請によりジョルジョ・ヴァザーリ
が広場と右に見える素晴らしい建物を設計したそうで、
ピサにおいてピアッツァ・デイ・ミラーコリに継ぐ、重要で美しい広場だそう。
パラッツォ・デッラ・カロヴァーナ・Palazzo della Carovanaの装飾は、
寓話と星座に因んでのもので、
寓話と星座に因んでのもので、
こちらに細部と、前に立つコジモ1世の像で、
現在この美しい建物は、スクオーラ・ノルマーレ・ディ・ピサと呼ばれるピサ大学が、
イタリアでも大変令名高い大学が使っているそう。
イタリアでも大変令名高い大学が使っているそう。
「スクオーラ・ノルマーレ・Scuola Normale」というと「通常な学校」ですから、
地図で見た時は、知らない者の強さというか、はは、何?小学校か何かなの?と!!
地図で見た時は、知らない者の強さというか、はは、何?小学校か何かなの?と!!
こちらは広場の角にあるパラッツォ・デルオロロージョ・Palazzo dell’Orologio・
時計のある建物」、かってはここに「飢えの塔・Torre della Fame」があり、
時計のある建物」、かってはここに「飢えの塔・Torre della Fame」があり、
ダンテが「神曲」に描いた「ウゴリーノ・デッラ・ゲラルデスカ伯爵の、飢えにより
子と孫の肉を食らった」牢獄があったと!
子と孫の肉を食らった」牢獄があったと!
ウゴリーノは実在の人物、ロンゴバルド系のピサの名家出で、海軍提督を務めた程で、
政治敵対立のグエルフ派により投獄され、食料を絶たれ、というのですが、
実話と神話の間の謎は未だ明らかにならず、の13世紀のお話。
政治敵対立のグエルフ派により投獄され、食料を絶たれ、というのですが、
実話と神話の間の謎は未だ明らかにならず、の13世紀のお話。
6. ルンガアルニ・ディ・ピサ・Lungarni di Pisa・アルノ河沿い
ルンガアルノと単数でなく、アルニと複数になっているのは、両岸の意味もあると
思いますが、その場所によって「ルンガアルノ・メディチェオ」等と特定するからとも。
ルンガアルノと単数でなく、アルニと複数になっているのは、両岸の意味もあると
思いますが、その場所によって「ルンガアルノ・メディチェオ」等と特定するからとも。
地図の6の上に5の印をつけた北岸には王宮・パラッツォ・レアーレがあり、
6の横に見える華麗で可愛い教会はこちら、サンタ・マリーア・デッラ・スピーナ・
S.M.della Spinaで、ここにはキリストが処刑の時の茨の冠の棘・スピーナが、
かって展示されていたのだそう。
S.M.della Spinaで、ここにはキリストが処刑の時の茨の冠の棘・スピーナが、
かって展示されていたのだそう。
パラッツォ・デイ・メディチ。 ポンテ・ディ・メッゾを渡って東に。
パラッツォ・トスカネッリ、真ん中の白い建物。
そして、サン・マッテーオ・イン・サオルタ・San Matteo in Saorta教会、
ここは国の博物館になっている様子で、かなり東のアルノの曲がり角近くかも。
ここは国の博物館になっている様子で、かなり東のアルノの曲がり角近くかも。
写真でも見える様に、たくさんのルネッサンス期のパラッツォが立ち並び、
風景を愛でながらの散歩は楽しそうですねぇ。
風景を愛でながらの散歩は楽しそうですねぇ。
地図に見える茶色になった道は、車両制限、歩行者用と思いますし、
念のため駅からアルノ河のポンテ・ディ・メッゾまでを調べると900m、
歩いて11分、そして奥のミラーコリ広場まではカヴァリエ-リ広場を通っても、
駅から計24分と。
念のため駅からアルノ河のポンテ・ディ・メッゾまでを調べると900m、
歩いて11分、そして奥のミラーコリ広場まではカヴァリエ-リ広場を通っても、
駅から計24分と。
となると、ゆっくり歩いて見て回るのもOKの街の様ですね。
という事で、ではまた次回に。
ピサの美味しいもの、食べるべきもの、等については、またのご案内に!
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それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
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この記事へのコメント
ゆかり
5月で還暦を迎えて、記念旅行?にフランス、イタリアと出かける予定でした。今回はルッカもピサ も初めて訪れるつもりでしたが残念な事になりました〜。
エアチケットは来年の12月迄変更可能ですが、行けるかなぁ?
時々こちらを覗いては出掛けたくてウズウズしてます。
昨年はボローニャに連泊して滞在最後の夜にオッちゃんが昼間に訪れたラヴェンナのバールで食べたコルネのカスタードに当たってて大変でした。
あれで終わったままは情け無い(/ _ ; )
是非ゆったり日程を組んで出掛けたいです。いつになるやらですが。
新開さんもお体ご自愛くださいませ。
shinkai
還暦?! 誰が?! と言いたい感じですが、そうですか、そうですか、でもね、還暦んなんて、まだまだよ! と言いたい感じですし、実際こちらにも良くお出かけの様で、お元気ですね。
そうなんですよね、なかなか終息が見えませんし、周囲のドイツもスペインも感染者が再度増えている様なので、それから考えると、イタリアはまだましかな、とか思う程で、
でも今の所今月半ば迄、と言っている緊急事態も伸びる可能性があり、「自由に動ける」のがいつになるか、ですね。
でもチケットが来年12月までなら、きっと大丈夫でしょうね。この秋はまだだと思いますが、来年に期待しましょう!
ああ、あのバールのカスタード・クリームの入ったやつね、あれは私も昔一度当たった事がありますよ。 そうなんだ、あれはやはり危ないんだ。
そうそう、来年にはルッカも、ピサも含め、ゆったりの日程でお出かけ出来る様に願いましょう。
ヴェネツィア辺りにお出での時は、声をかけて見て下さいね。
私も来春東京行きの予定なのですが、今の様子ではいつ実際に日程を組めるか、様子見の状態です。
チビ君、と言ってももうしっかり大人でしょうけど、と、ご主人にもよろしくお伝えくださいね!