イタリアのコロナヴィールス感染者数は、昨日16000人に迫る数となり、
死亡者数も127人と増え、集中治療室への患者数も800人程。
死亡者数も127人と増え、集中治療室への患者数も800人程。
で、遂にロンバルディア州、ラツィオ州、そしてカンパーニア州では
州条例により、夜23時または24時から翌日5時までの外出禁止が、
今週末から来週月曜にかけ11月半ば迄実施される事になりました。
州条例により、夜23時または24時から翌日5時までの外出禁止が、
今週末から来週月曜にかけ11月半ば迄実施される事になりました。
遂にイタリアも他のヨーロッパ諸国並みに、コロナ第2波の集中攻撃事態に
入った様ですが、
入った様ですが、
落ち着いて、自分で出来る予防をしつつ、過ごすつもりでおります。
我がコネリアーノ、そして我が家周辺は全般に平静ですので、
余りご心配なく、 皆様、お気持ち、有難うございます!
余りご心配なく、 皆様、お気持ち、有難うございます!
*****
こんな現況ですが、昨21日午後は参加しているグループの20人程で、
コネリアーノの西に位置するヴィドール・Vidorの、
ベネデッティーノ派のサンタ・ボーナ修道院・Abbazia di Santa Bona
の見学に出かけて来ました。
コネリアーノの西に位置するヴィドール・Vidorの、
ベネデッティーノ派のサンタ・ボーナ修道院・Abbazia di Santa Bona
の見学に出かけて来ました。
写真は丘上に見える、かっての城跡にある記念納骨堂だそう。
ヴィドールはどこにあるか、コネリアーノ・Coneglianoから27km程、
車で約30分、ご覧の様にピアーヴェ河・Piaveの添った崖上に修道院が。
修道院の下、ピアーヴェ河を渡った位置に赤の四角を付けたのは、
モンテッロ・Montelloと呼ばれる丘が広がる地域で、
ここが第一次大戦における最激戦地となったのをご記憶に置いて下さいね。
モンテッロ・Montelloと呼ばれる丘が広がる地域で、
ここが第一次大戦における最激戦地となったのをご記憶に置いて下さいね。
地図を拡大するとこんな感じで、現在西にピアーヴェ河を渡る
ヴィドール橋が架かりますが、
この橋は1732~40年にかけての建設で、それ迄はピアーヴェ河を渡る
橋が無く、サンタ・ボーナ修道院の下から対岸を結ぶ舟橋、船を繋いで
その上を歩けるように板を渡した橋が架かっていたのだそうで、
勿論渡し賃、税を徴収していた訳で!
橋が無く、サンタ・ボーナ修道院の下から対岸を結ぶ舟橋、船を繋いで
その上を歩けるように板を渡した橋が架かっていたのだそうで、
勿論渡し賃、税を徴収していた訳で!
修道院がどの位の力を、土地を持っていたかをちょっとご想像して頂きたく、
衛星地図をどうぞ。
下に修道院が見え、北に赤で囲った位置、大体500m程の距離に
現在の市役所Comune di Vidorがあり、斜め前に教会があり、
現在の市役所Comune di Vidorがあり、斜め前に教会があり、
ずっと道が修道院に続きますが、中程の赤い印をつけた所で、
グーグルのストリート・ヴュウが消え、道も細くなります。
グーグルのストリート・ヴュウが消え、道も細くなります。
最初は何とか車で修道院前まで行けそう、柵の前に集合、と言ってたのが、
車は教会前の駐車場に止めて、という事で、歩いて中程の赤点の位置まで。
車は教会前の駐車場に止めて、という事で、歩いて中程の赤点の位置まで。
でガイドさんとも、修道院の管理人さんに迎えて貰い、この中程にある
高い大きな鉄柵を開けて頂き、左に広がる広大な林の中の道を辿り、
修道院前に到着、という様子だったのです。
高い大きな鉄柵を開けて頂き、左に広がる広大な林の中の道を辿り、
修道院前に到着、という様子だったのです。
この広大な林の広さ、そして修道院の東に広がるトウモロコシ畑、教会前から
辿る道に並ぶ家並、左側は小さな家が続きますが、右側は広い庭を持つ
建物も大きなのが続いていましたので、
きっとこの一帯全て、かっての修道院の土地であったのだろうと!
辿る道に並ぶ家並、左側は小さな家が続きますが、右側は広い庭を持つ
建物も大きなのが続いていましたので、
きっとこの一帯全て、かっての修道院の土地であったのだろうと!
こちらがヴィドールの市役所で、この前の道は大変に交通が激しい道。
そしてこちらが町の主教会で、ここから左に修道院への道が続きます。
大きなワンが上から、野太い声で最初は吠えたものの、黙って見送ってくれ、
ここがグーグル・ストリート・ヴュウが消える所で、右側に
この高い鉄の柵があり、真ん中には王冠が付き、Aの文字。
現在のこの修道院跡、土地の持ち主は伯爵アルベルト・ダ・サッコ・
conte dottor Alberto da Sacco殿だそうですから、
彼の名から来ているのかも。
conte dottor Alberto da Sacco殿だそうですから、
彼の名から来ているのかも。
で、鉄柵の位置でざっと説明を聞いたのですが、他の皆さんは前日に
ガイドさんからあれこれ資料も見せて貰ったり、説明を聞いておられたので、
簡単に現在の様子を話され、
shinkaiは皆の前にそろっと位置を移し、お庭の様子を、へへ。
落葉が既に進んでいるのですが、それでも彩の対比が美しく、
門の位置から見える左から右への様子を。
門の位置から見える左から右への様子を。
衛星地図で見て頂いたように、奥が深くうっそうと暗く、
写真の明度をかなり上げています。
写真の明度をかなり上げています。
門の鉄柵の右奥にあった建物で、伯爵は暫くここに住んでおられたものの、
現在92歳、今は少し離れた建物にお1人でお住まいと。
現在92歳、今は少し離れた建物にお1人でお住まいと。
背の高い木々の彩。
奥に誘う小径。
太い大樹も多く見られ、
種々様々な形と色の葉が見つかりますね。
緑の芝と、落ち葉の散った地との違いも美しく。
薄暗い地に射し込む陽の光。 少しボケて、ご容赦。
もう一度衛星地図からの修道院の建物の様子をどうぞ。
真ん中に囲った四角い9の形、丸く開いている部分が回廊で、上側が教会、
左側の辺が現在残っている部分で、左に飛び出して見える白い部分が
テラス、
左側の辺が現在残っている部分で、左に飛び出して見える白い部分が
テラス、
そして下側の囲っていない部分が倉庫、納屋部分で、赤線を引いた所から
外に出て、木々の部分をぐるっと回り外側の樹々の中を下って行くと、
テラスの先っちょに当たる部分に、かっての舟橋の停留所部分が。
こちらがテラス側から見た建物。
で、実は少しややこしい話ですが、こうしてヴィドールのサンタ・ボーナ修道院
としてお話している「修道院部分」は実は第一次大戦の爆撃で
大きな損傷を受け、今はもう無いのですね。
としてお話している「修道院部分」は実は第一次大戦の爆撃で
大きな損傷を受け、今はもう無いのですね。
で、教会とその横の回廊は残っており、今ここに見える建物部分は、かっての
修道院の建物の一部が、後に私的財産として買い取られて貴族の館、土地と
なり、こうして修復され残っている、という事なのです。
修道院の建物の一部が、後に私的財産として買い取られて貴族の館、土地と
なり、こうして修復され残っている、という事なのです。
実は私もそれを知らずのまま、検索にも、地図にも「ヴィドールの修道院」と
して出ますから、千年に渡る歴史を持つ修道院の訪問のつもりで行った所が、
話しを聞きつつ、あれ?と思い、徐々に意味が飲み込めたのでした。
して出ますから、千年に渡る歴史を持つ修道院の訪問のつもりで行った所が、
話しを聞きつつ、あれ?と思い、徐々に意味が飲み込めたのでした。
かっての実際の修道院の建物は、今の正面の壁を大きな回廊の奥の壁として
手前にグンと張り出し、今のこの芝の部分は修道院の前の壁と大きな回廊部、
という事だったようです。
手前にグンと張り出し、今のこの芝の部分は修道院の前の壁と大きな回廊部、
という事だったようです。
で、今右端に半分隠れて見えている教会が、
こちらです。 教会内部と、回廊部分の様子は次回に。
そして、テラスからの素晴らしい眺め! 奥に見えるのがヴィドールの橋で、
ヴィドールの橋は、どうやら新しい橋の計画が出来ている様子。
shinkaiも一度この橋を渡った事がありますが、狭く、片側1車線のすれ違い、
それも皆ビュンビュン飛ばしているので、わっ、わっと思い、はは、
それ以降アーゾロに行く時も別の道を選んだり!
丁度修道院の下で湾曲していて、白い川原も広くなっていますが、
こうして上から水面を見ると、かなり深く、流れも激しいのが分かります。
テラスの横から、河に下る道がある部分で、
そしてこの樹の太さ! うっそうと茂る大樹の枝の下はかなり暗く、
据えられた白い像が一際白く、素晴らしい雰囲気を醸しており、
気が付かれましたか? 落葉樹の葉の散り積もった所はそのままですが、
その他の場所、芝生などには落ち葉が見えないのですね。
その他の場所、芝生などには落ち葉が見えないのですね。
とにかく大変に心を配り、落ち着いて静謐な、そしてエレガントな雰囲気が
満ち満ちている事に暫くして気が付きました。
特別に高価な建物でも、装飾もないのですが、木の刈込はきちんと形が整い、
雑草のざわつきもなく、多分イタリアでこれほど心配りに満ちた風景に
お目にかかったのは初めてかも、と思った事でした。
雑草のざわつきもなく、多分イタリアでこれほど心配りに満ちた風景に
お目にかかったのは初めてかも、と思った事でした。
はい、先程の女性像は、こんな風にかっての壁の前に設えられており、
奥に続きます。
奥に続きます。
ね、ここにも余分な落ち葉は落ちておらず、見事でしょう?!
古い城壁は奥で、左側の納屋、倉庫の建物に続き、
テラス側から見る、主の建物の右側はこのように奥に広がり、
ここが納屋の門から外に出る扉。
もう一度、テラス側からの建物の様子を見て頂き、
ここが角の高い部分。
建物がヴェネツィア風の窓になっているのは、この元修道院の建物、土地が
ヴェネツィア共和国の元で売買されたのが1774年。
ヴェネツィア共和国の元で売買されたのが1774年。
1107~1110年にかけて建設された修道院も、遺贈や寄贈、修道士たちの
働き、開墾で農業の繁栄、また文化の中心としての大きな繁栄の後、
時代の変遷とともに、不在の高位聖職者たちの手により運営される様になると
徐々に衰退し、代々の貸借小作人となり、
ヴェネツィア共和国の下で退廃した修道院の宗教活動が廃止された様子。
働き、開墾で農業の繁栄、また文化の中心としての大きな繁栄の後、
時代の変遷とともに、不在の高位聖職者たちの手により運営される様になると
徐々に衰退し、代々の貸借小作人となり、
ヴェネツィア共和国の下で退廃した修道院の宗教活動が廃止された様子。
で、ヴェネツィア貴族のニコロ・エリッツォ・Nicolò Erizzoが購入し、
別荘として建物を使い、幸いな事に続く貴族の子孫たちが手入れをし、
農業収益も上がり、養蚕やワイン生産も向上したそう。
別荘として建物を使い、幸いな事に続く貴族の子孫たちが手入れをし、
農業収益も上がり、養蚕やワイン生産も向上したそう。
が、1917年の第一次大戦において、このピアーヴェ河一帯が大戦場となり、
修道院の建物も爆撃で大被害を受けますが、
修道院の建物も爆撃で大被害を受けますが、
幸いに教会、回廊部分が残り、ご覧の様に見事に修復され、
現在の所有者は先に出たアルベルト・ダ・サッコ伯爵、という事。
現在の所有者は先に出たアルベルト・ダ・サッコ伯爵、という事。
彼はガイドさんによると、ヴェローナに住んでおられ、仕事もあちらだったのが、
この元修道院、土地の跡継ぎとなる事を承諾されこちらに来られたそうで、
5人のご子息もご一緒に来られたと。
この元修道院、土地の跡継ぎとなる事を承諾されこちらに来られたそうで、
5人のご子息もご一緒に来られたと。
子供さん達はご結婚やらで独立し離れ、この土地を、耕作人達を
維持するのもかなりの数で大変だったのも、土地もあちこち少しづつ
売り払ったり、という様な事も聞きました。
維持するのもかなりの数で大変だったのも、土地もあちこち少しづつ
売り払ったり、という様な事も聞きました。
最初に見て頂いた門の隣の建物に奥様とご一緒だったのが、先に
亡くなられたのかな、今はお1人で別の所にお住まいと。
亡くなられたのかな、今はお1人で別の所にお住まいと。
かなり細かく気を配られる方、気の付く方で、ガイドさんに先立ち
建物の扉、門扉の開閉もして下さった方の話によると、毎日散歩され、
植物にも詳しく、手入れについても詳細に様子を聞き、指示されるとか!
建物の扉、門扉の開閉もして下さった方の話によると、毎日散歩され、
植物にも詳しく、手入れについても詳細に様子を聞き、指示されるとか!
ガイドさんはこのヴィドールの生まれで、お父様が第一次大戦から戻られ、
市役所にお勤めだったのが、この元修道院の管理をされるようになり、
彼女は子供の頃からここに入り込み、伯爵夫人なども良く知っていたそうで、
市役所にお勤めだったのが、この元修道院の管理をされるようになり、
彼女は子供の頃からここに入り込み、伯爵夫人なども良く知っていたそうで、
このヴィドールの修道院についての本を出版されたり、まさに適材の方。
彼女が言われるには、今の伯爵がお元気でおられる間はここは大丈夫、
その後は何とか上手く次代にに受け継いでいく方法が見つかると良いが、と。
ここは中央の入り口扉で、
上のテラスに彫られた紋章、ガイドさんも、どこのか知らないと言われましたが、
ほら、針鼠みたいなのがいますね。 上の両脇には小さな可愛いライオン君。
大きな、多分元石棺の鉢にも、壁に添わせたツル植物も、手入れが行き届き、
建物端の高い部分の裏側で、右の壁は回廊に面したかっての修道士達の
食堂部分、修復中でしたが、建物内の部屋などはどこも公開されておらず。
最後は、角端の飛び出したテラス部分と、灯を。
ほんの少しの修道院の成り立ちを知ったのみで出かけたのが、今は修道院は
無いものの、それにしても、なんとも見事な全体の佇まいに気品さえも感じ、
本来の貴族とはこういうものか、等とかなり感じ入って戻って来たのでした。
無いものの、それにしても、なんとも見事な全体の佇まいに気品さえも感じ、
本来の貴族とはこういうものか、等とかなり感じ入って戻って来たのでした。
次回は教会と回廊のご案内、そしても少し分った事等もご案内致しますね。
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それもご了承下さいませ。
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この記事へのコメント
高野 和久
またまた、まだまだヨーロッパが大変な状況だとニュースで伝えています。パリ、スペイン、北イタリア……。気を付けて日々をお過ごしください。
東京の今日のウイルス感染者は203人。1週間ぶりに200人を超えた。北海道が過去最多となる60人。長野県今日の感染者は1人。
第二波が落ち着いてきたこの機に、日本は鳴り物入りで経済最優先へとシフトチェンジを試みています。(GO TO キャンペーンと言います。) とは言え一般の日本人は皆、これから猛威を振るうインフルエンザとの同時流行を神経質なほど恐れています。ここはバランス感覚の優れた日本人気質に頼るしかないのかもしれません。科学の力とともに。
個人的には、やっと心から楽しめるモノに出会えました。上記のHPアドレスは私のYoutubeチャンネルリンクです。一日一本の投稿でないとだめだと言われていますが、今は週1ペースがやっと。せめて週2ぐらいにしないとまずいよな~、という日々です。
「一日一生」 今日も一日、前を向いて生きていきたいと思います。
今日も、お身体を大切に、素敵な一日をお過ごしください。
shinkai
はい、Youtube拝見してきました。 ご自分が心から楽しめるものに出会えた、というのは、本当に良かったですね!
こうして描きながら、また再見しながら、どうして行こうか、という事も検討できるでしょうし、Youtubeの方も積み重ねが出来ますし、
何はともあれ、描くことが大事ですものね、頑張って下さいね!!
そうですね、日本の感染者の少なさには驚きですが、この調子で上手く行く様に願いましょう!
ヨーロッパのイタリア以外の国は、マスクの使用についてもかなり自由選択を取っていたのですが、今の状態になり、やはり規制するようになっています。
その分イタリアは遅くなっての第2波なのですが、やはりヴィールスの力が強いのか、今日は遂に2万人を超えた様子です。
寒さに向かう事でもあり、しっかり家にこもり、はは、お互い、お絵描きに励みましょう!