・ n.2 ヴィドールのサンタ・ボーナ修道院 ・ 重戦禍からの蘇り

先回n.1のご案内では、今もサンタ・ボーナ修道院と呼ばれながら、
実際は18世紀末に修道院としての働きを廃止されたヴィドールの修道院。

その後はヴェネツィア貴族の別荘として購入使用、広大な農地運用も
上手く行われていた、という様な様子をお話いたしましたが、

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修道院設立は1107~1110年、ヴィドール領主のジョヴァンニ・グラヴォーネ・
Giovanni Gravoneが1096~1099年の第1回十字軍に参加した際
持ち帰ったサンタ・ボーナ・聖女Bonaの聖遺物(骨壺)を祀り保管する為に。

サンタ・ボーナはエジプト人処女、つまり殉教した方だろうと思いますが、
検索では個人については何も見つからずでしたが、
トゥレヴィーゾの北西にサンタ・ボーナの地名があり、これはかってジェルサレム
から持ち帰ったサンタ・ボーナの遺物を、ヴィドールの修道院が出来る迄
置いていた所で、近隣の住民たちの信仰篤く、地名として残っているのだそう。

この後1915年~18年の第一次大戦ではこのヴィドールも戦場となり、
当時ここにはオーストリア・ハンガリー軍がおり、1917年11月10日の戦闘で、
何せピアーヴァ側の対岸にはイタリア軍の前線があり!

これから中をご覧頂く教会もこの様な被害を受けたのでしたが、

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現在見事に修復されている内部正面。 

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内部の暗さと、入り口扉からの光り、内陣奥からの強い光、という事で
うまく撮れずでご容赦を。



右側の壁に残るサン・クリストフォロ像のフレスコ画。 
そう、サン・クリストフォロは川渡しの守護聖人ですものね。

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サン・クリストフォロ像は、中世に大変好まれ描かれており、大男の力持ち、
肩に子供のキリストを乗せた姿で描かれます。

この修道院の下には、ピアーヴァ側の対岸とを結ぶ舟橋・舟を繋いで板を渡した
舟橋が唯一の渡しとして、19世紀の末に木製の橋が架かるまで存在しました。



天井の格子装飾。
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内陣の祭壇。 色大理石を使った重厚な物。

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この背後にサンタ・ボーナの骨壺が収められている、というのをころっと忘れ、
見ておりまへん。



細工の込んだ机。 祭壇の前の、聖書を置く書架用と。

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内陣手前右側から段を2,3段下りた所が回廊となっており、

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これは東側の壁に描かれたフレスコ画。 フレスコ画は見やすいように
少し色を濃い目にしています。

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フレスコ画は1459年頃のもので、聖母子を囲み天使、聖人たち、僧侶、
これが分かりませんが、手前聖母の足元に小さく描かれたのは巡礼たちと。
つまりこれが当時の修道院の姿で、後の高位不在聖職者の管理による
退廃腐敗になる以前ですね。



回廊の壁にあった碑。 上の年号が読めずに残念ですが、下にVIDORIと。

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回廊の建設は1262~1283年、教会正面がロマネスク様式なのに対し、
こちらはゴシック様式。



壁の天井下、アーチにも見える装飾模様。

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回廊は四角で、こちらは西側、開いて見える扉内が教会。

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一辺の円柱は4本で、角にこの様に結び目の装飾柱。 
shinkaiは勝手に結び目と呼んでいて、ガイドさんも「ノード・結び目」と
呼びましたが、正式イタリア語ではセルペンテ・蛇だそう。

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で、角の3本はこの結び目ですが、南西角は爆撃を受けた被害で、
円柱のままのが使われておりました。 一番下の写真の奥の角柱を。



ここは回廊の南東端から延びる廊下の突き当り部分。
なんとも静謐な雰囲気で、良いなぁ、と。

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奥の右に空いている部分から庭に出れ、



静かで平穏な風景が広がります。 秋の色もちょっぴり。

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少し表側に進むと見えるバルコニーと、先にうっすら霞むヴィドールの橋。

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という所でご覧頂くのが、この1704~1705年の修道院の地図。
つまり現在残っているのは真ん中から右側部分で、道脇の三角形が
Cimitero・墓地で、その下の白い部分がChiesa・教会、
その下の黄土色部がキオストロ・回廊で、周囲をカピートロの間や、
食堂が囲み、右下端黄色はHorto・農園。

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で、真ん中の棟の左側に大きな回廊が広がり、周囲を建物が囲み、
深緑色の右のBrolloは荒地の意で、開墾されていない、でも城壁内。



先回見て頂いた現在のこの建物が、絵図の真ん中の棟で、手前に
大きな回廊が存在していた訳ですが、

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これが第一次大戦での爆撃で損傷を受けた姿で、ほぼ完全に廃墟と。
教会も上で見た写真よりも損傷が酷く、多分こちらが最終的な姿だった物と。

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この壁は絵図の荒地部から見た、現在は小さな1か所を囲み菜園になっていて、
そこからの建物の東側外の壁。 かなり痛んでいますが装飾が残ります。

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菜園脇に残る紫陽花。 葉も色が美しいでしょう?! 

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こちらが屋敷を管理する方、名前を忘れましたぁ。

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端の方でお馬ちゃんが飼い葉を食べていて、サイトでは2頭いましたが。

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これがグーグルの衛星地図で見えた入り口。 が、今はずっと閉まっている様子。

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納屋の長い建物の扉から出て来た所で、見える石塀は城壁ではなく、

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絵図にあった「荒地」部、この広さで今はトウモロコシ畑に。

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で、この畑の真ん中を通り抜け、右下にカーブを切るとこの下り坂で、

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つまり考えてみると、古い絵図のぐるっと囲んでいる城壁部分迄来て曲がる、
という訳なのに気が付きました。



城壁の下の部分が見えて来て、

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道なりに左に曲がって下ると、



かっての舟橋の港、連絡口。 多分この辺りも修復されていると思いますが、

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こんな風に対岸が見え、午後遅めの太陽が霧で少しぼんやりと。
流れはかなり深く、早く、大きな流れになっているのも見えます。

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ヴィドールの橋がぼんやりと。

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我が車で一緒したエレオノーラ。 あの薄めダウンは、ジーロ・ディターリアの
記念色で、コネリアーノの市で安く10か、15エウロだったと!

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戻り道で見えた納屋の建物、右側は管理人の住まいだったとか。

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で、これ。つまり南側の建物の被害模様。 窓、扉が同じで分かりますね。

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角にあった第一次大戦の被害についての案内で、上でご覧頂いた写真も見え、

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納屋の建物の壁に残るこの銃痕跡と、

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これは1917年4月に、ここの建物が怪我をした兵士の収容に充てられた時の
イタリア兵の残した名前など。

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これはヴィドールの、先回の最初に見えた北の山の向こう側に備えられた
オーストリア・ハンガリー兵の対飛行機用機関銃、1918年初め、ですと。

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今回ガイドをして下さったヴィドールにお住まいで、子供の頃からよくこの
元修道院に出入りしていたと言われるマウリツィア・マント・Maurizia Mantoさん。

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この修道院の説明のみならず、ヴェネト一帯の土地の歴史にも大変詳しく、
近くのエッツェリーノ・ダ・ロマーノ、ヴェローナのカン・グランデ・デッラ・スカーラ
等との交錯も話に出て来て、この日参加した仲間達は大いに楽しんだのでした。



最後は彼女の著書からの写真で、ピアーヴェ河対岸からの修道院の姿を。

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長い歴史を持ち、一旦は衰退退廃、廃止された修道院を受け継ぎ、第一次大戦で
ほぼ壊滅状態になった建物を、幸いな事に教会と回廊はなんとか残ったのを、
今の状態にまで見事に修復し、後の世代に残すという大仕事をなされた、

貴族精神の神髄を示されたサッコ伯爵にも、おおいなる敬意を表します。
どうぞお元気で長生きされます様に!!


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