「英国王のスピーチ」 ご覧になった方も多いと思いますが、2010年の
大変素晴らしい映画でしたね。
大変素晴らしい映画でしたね。

兄エドワード8世王の退位に続き即位した弟ジョージ6世が、吃音に
苦しみ、言語療法士の治療を受け、最後は第2次大戦参戦に向けて
国民を鼓舞する演説を見事にこなす、という筋でした。
苦しみ、言語療法士の治療を受け、最後は第2次大戦参戦に向けて
国民を鼓舞する演説を見事にこなす、という筋でした。
今回これを書くためにもう1度DVDを見ましたが、緊張をほぐす体操や
呼吸法や、悪口を言ったりする場面も興味深かったですし、
呼吸法や、悪口を言ったりする場面も興味深かったですし、

こちらが実際の言語療法士ライオネル・ローグ・Lionel Logue.

始めは戦争神経症を患い帰還した兵士の言語障害治療から始めたのが、
次第に吃音症の原因がもっと深い所にある事に気が付き、
患者と個人名で呼ぶ親密な関係になる事から始めたりで、
後の国王とも深い信頼関係を結んだ友人となり、
戴冠式には妻と共に貴賓席に招待されたのも、映画にありました。
戴冠式には妻と共に貴賓席に招待されたのも、映画にありました。
ジョージ6世の吃音症の原因は、左利きだったのを右利きに、
またX脚を矯正する為に痛みを伴う機器を付けさせられた事による等の
原因があるのも治療中に分かる、という、
またX脚を矯正する為に痛みを伴う機器を付けさせられた事による等の
原因があるのも治療中に分かる、という、
X脚は父王のジョージ5世も自身がそうで、劣等感を持っていたそうで。
吃音の夫を支える妻、当初はヨーク公爵夫人エリザベスのさりげない
献身、一緒に治療に通ったり、そのエレガントさも、後のエリザベス2世女王
献身、一緒に治療に通ったり、そのエレガントさも、後のエリザベス2世女王
となる長女の子供時代も大変に賢く可愛く、

如何にも親密な家庭生活であったろう事も偲ばれ、心温まる思いも。
で、こちらが実のジョージ6世・Georgi VI(1895-1952).

写真は1940年代という事なので、即位後数年しての姿で、
映画で国王を演じたコリン・ファースもダブルの背広で素敵でしたが、
実際の国王の美男さに実は驚いたshinkai!
映画で国王を演じたコリン・ファースもダブルの背広で素敵でしたが、
実際の国王の美男さに実は驚いたshinkai!
こういう顔のハンサム、というのは、やはり世間一般の
美男とは違うお顔ですねぇ!
こちらが戴冠後のご一家の写真と思う、バルコニーでの写真で、

4人兄弟が揃った姿も見つかり、左から一番下のケント公ジョージ、
右に父王ジョージ5世を継いで国王となったエドワード、その右
ジョージ6世となったヨーク公アルバート、右が3男グロスター公ヘンリー。
右に父王ジョージ5世を継いで国王となったエドワード、その右
ジョージ6世となったヨーク公アルバート、右が3男グロスター公ヘンリー。

普通は最初の名前を取った国王名となりますが、ジョージ6世の正式名は
アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージで、当時ヴィクトリア女王治世下、
彼が誕生した12月14日はヴィクトリア女王の夫君アルバート公の命日。
アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージで、当時ヴィクトリア女王治世下、
彼が誕生した12月14日はヴィクトリア女王の夫君アルバート公の命日。
で、父のジョージは祖母に当たるヴィクトリア女王を喜ばす為に
アルバートと名付けたそうで、
アルバートと名付けたそうで、
後年即位するにあたり、アルバートは父王ジョージ5世の方針を引き継ぎ、
兄王の退位で揺れた王室への信頼を元に、という志だった様子。

次男として生まれ、自分が王位につく事など考えず、実際国王になる為の
教育も受けずに来たアルバートは、
教育も受けずに来たアルバートは、
兄が即位した後1年もたたずに退位し、自分が国王になるのが正式に
決まった時はかなり動転した様子ですが、
それでも1936年12月11日に即位、1937年5月12日戴冠式後2年、
1939年9月3日にはポーランドを侵略したドイツに宣戦布告という、
1939年9月3日にはポーランドを侵略したドイツに宣戦布告という、
イギリスの非常事態に即対応、チャーチル首相と深い絆で結ばれ、
英国民と親しく危険と窮乏生活を分かち合う不屈の姿勢で国民から
深い敬意を受けた国王。
英国民と親しく危険と窮乏生活を分かち合う不屈の姿勢で国民から
深い敬意を受けた国王。
1945年5月8日のヨーロッパ戦勝記念日で、チャーチル首相と共に
バルコニーで国民の喝さいを受ける国王一家。
バルコニーで国民の喝さいを受ける国王一家。

ジョージ6世は1952年2月6日朝、ベッドの中で他界したのが発見され、
戦時の心労で健康を害したと言われ、ヘビー・スモーカーだったのも
拍車をかけた様で、在位16年、56歳でした。
戦時の心労で健康を害したと言われ、ヘビー・スモーカーだったのも
拍車をかけた様で、在位16年、56歳でした。
こうした過去から考えると、英国は実に、国の一大緊急時に
素晴らしく相応しい国王を得たんだなぁ、と思うのも、
今回のタイトルに付けた、退位した兄のエドワード8世の退位理由、
「王冠を賭けた恋」なんぞと、言葉だけだと如何にもロマンチックですが、
はぁ、本人はそう考えてもね、かなり呆れる様な私生活、恋愛模様、
退位後の優雅な生活、自尊心、虚栄心を捨てきれない、王位を
諦め切れない様子等々、
「王冠を賭けた恋」なんぞと、言葉だけだと如何にもロマンチックですが、
はぁ、本人はそう考えてもね、かなり呆れる様な私生活、恋愛模様、
退位後の優雅な生活、自尊心、虚栄心を捨てきれない、王位を
諦め切れない様子等々、
こういう方が国の緊急時に国王でなくて英国は本当に幸せだったと、
まるで無知無関係なshinkaiが思う程で、はい、
まるで無知無関係なshinkaiが思う程で、はい、
今回あれこれ読み知った事が余りにも多く、どう纏めるか、から
では2回に分けて、という次第となりましたぁ、ご容赦、ご理解を!
では2回に分けて、という次第となりましたぁ、ご容赦、ご理解を!
両者の名前のみ、当時は大変だったろう、程度の知識でしたが、
関係人物名について調べるとあれこれ出て來るエドワード8世の生活、
恋愛関係で!
関係人物名について調べるとあれこれ出て來るエドワード8世の生活、
恋愛関係で!
まずはジョージ6世の兄、エドワード8世(1894-1972)としての在位は、
1936年1月20日から同年12月11日迄の、1年に満たない325日、
1483年のエドワード5世以来453年ぶりに、未戴冠の王に。
即位の時42歳、独身。 これは国王姿の、貴族院開会式の物と。

エドワード王太子であった彼はヴィクトリア女王のひ孫にあたり、
右後ろに祖父でヴィクトリア女王の次男で、後を継いだエドワード7世、
左背後が父の、後のジョージ5世、という英国王室の流れ。
右後ろに祖父でヴィクトリア女王の次男で、後を継いだエドワード7世、
左背後が父の、後のジョージ5世、という英国王室の流れ。

幼い頃より次代国王として育てられ、王室の伝統として海軍に入っても
激しい訓練になかなかついて行けなかった様子ですが、
激しい訓練になかなかついて行けなかった様子ですが、

気さくな性格、人当たりが良い事、この血統、失礼、血筋の高さ、
ハンサムさから、当時は人気スターの様な持て囃されぶりだったそうで、


アメリカ人、とはいえ、父も母も貴族ではないもののイギリスから移植の
裕福な家柄の、ウォーリー・シンプソン・Wallis Simpsonとの関係が
公になる前に、
裕福な家柄の、ウォーリー・シンプソン・Wallis Simpsonとの関係が
公になる前に、
16年程の長い交際が続いたフリーダ・ダドリー・ワード・Freda Dudley Ward
という既婚女性がいて、
そしてテルマ・ファーネス・Thelma Furness、アメリカ人で、イギリス人の
初代子爵・マルマドゥーク・ファーネス・Marmaduke Furness夫人が続き、
初代子爵・マルマドゥーク・ファーネス・Marmaduke Furness夫人が続き、
が、彼女はやはりアメリカからやって来たウォーリス・シンプソンをエドワードに
紹介し、あっさりと取り換えられ、関係が終わり、
紹介し、あっさりと取り換えられ、関係が終わり、
後は王位を退位し結婚したシンプソン夫人の独り舞台に!
これは「Double Exposure, Gloria Vanderbilt e Thelma
Lady Furness・二重暴露、グローリア・ヴァンダービルトとテルマ・
レディ・ファーネス」という、まさに暴露本で、
Lady Furness・二重暴露、グローリア・ヴァンダービルトとテルマ・
レディ・ファーネス」という、まさに暴露本で、

1958年出版の、テルマと双子姉妹のグローリアが、互いの恋愛模様を
あけすけに語っているそうで、
あけすけに語っているそうで、
アメリカ上流階級社会の深い恋愛模様と、エドワードの事もあけすけにで、
ベストセラーになったと。
ベストセラーになったと。
後年テルマは自分の人生を振り返り、同じことを再びでも良い、
但し、ウォーリス・シンプソンをエドワードの紹介した事を除いて、と。
但し、ウォーリス・シンプソンをエドワードの紹介した事を除いて、と。
shinkaiは上流階級の複雑な人間関係を読むだけで疲れ、リンクは・・。
最初に名の出たフリーダ・ダドリー・ワードは、エドワードの最初に続いた愛人で、
1918年の3月に知り合い、エドワードと同年、貴族でなく、小さくて可愛い、
濃い色の髪はカールし、青い目が輝く24歳。
1918年の3月に知り合い、エドワードと同年、貴族でなく、小さくて可愛い、
濃い色の髪はカールし、青い目が輝く24歳。

当時王室関係者は第一次大戦の支援に長いツァーに出かけており、
その合間に彼女に送った4ページものラブレターが最近競りに出されたり、
その合間に彼女に送った4ページものラブレターが最近競りに出されたり、
「ウォーリス以前」という、フリーダとの関係を始めて描いた本が出版されたそうで。

今回の最後は、この1枚をどうぞ。
一番左がテルマ・ファーネス、そしてエドワード、当時はウェールズ皇太子で、
3番目がフリーダ・ダドリー・ワード、右端はジョージ・ハノーヴァー皇太子。

この写真は1932年。 1926年にエドワードはテルマに出会っていて、
じきに愛人関係になった様子ですから、2人の愛人を引き連れ、劇場に
出かけた時の物! はぁ、良い神経をしておられますです。
じきに愛人関係になった様子ですから、2人の愛人を引き連れ、劇場に
出かけた時の物! はぁ、良い神経をしておられますです。
という所で、次回に続きますね。 少し疲れ・・、ははは。
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