・ ヒットラーのお毒見役を務めた女性  マルゴット・ヴェルク

今日は少し怖いお話を。

タイトル通り、2年半に渡りアドルフ・ヒトラー・Adolf Hitler、
ナチス・ドイツ総統の食事のお毒見役を務めさせられた
15人の若い女性の中で唯一生き残った女性マルゴット・ヴェルク・
Margot Wölkが、

戦後70年を過ぎた2012年、95歳のマルゴットが亡くなる2年前に
始めてインタヴューに応えて明かした、第2次大戦時の恐怖の経験談。

「私の体は総督の食物を吸収し、総督の食物は私の血の中を巡った。 
ヒトラーは生きている。 私は再び食欲を感じた」と。

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今回参考にした記事は

マルゴット・ヴェルク:アドルフ・ヒトラーのお毒見役
Margot Wölk: l’assaggiatrice di Adolf Hitler
このサイトが最初に読んだもので、一番情報が多くあり。

マルゴット・ヴェルクの真実の話、ヒトラーのお毒見役
La vera storia di Margot Wölk, l’assaggiatrice di Hitler
上のマルゴットの顔写真は、このサイトから拝借です。

ウィキペディアのイタリア版 Margot Wölkも参考に。 
他にももう1記事読みましたが、ウィキペディアのほぼコピーでしたので。


マルゴットは1917年にベルリンのヴィルマースドルフ区域で生まれますが、
彼女の父親は「ドイツ国家社会主義労働者党」に加入せず、
彼女自身も「Lega delle ragazze tedesche・ドイツ女子同盟」に
参加せず、秘書として働き始めます。

1939年第2次世界大戦が始まると、ベルリンのヴェルク家は爆撃を受け、
結婚した夫のカール・Karlと一緒に彼の母親の家がある東プロシャ、
現ポーランドのパルチ・Parczに。

どこにあるのか、地図をどうぞ。

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戦況は日に日に厳しくなり、夫のカールも前線に出発して行き、
1人になったマルゴットは新しい仕事を、再度秘書か女中の仕事を探す事に。

所がそんな彼女の想定からは程遠い仕事が、1942年25才のマルゴットを
他の14名と一緒に市長が、アドルフ・ヒトラーの公認お毒見役として
選んだのですね。

というのも、「オオカミの巣」と呼ばれるヴォルフシャンツェ・Wolfsschanzeが
村から僅か数キロメートルの所、針葉樹の森林に囲まれた沼沢地に
1940年から建設されており、
これはヒトラーの各地に建設された耐弾薬式ブンカ―の、総督大本営の1つで、


1941年6月、ここに対ロシア侵攻戦・バルバロッサ作戦前に移って来て、
1944年11月20日にここを去るまでの2年半、ヒトラーはほぼここで過ごし、
つまりマルゴット達のお毒見役が、この期間必要とされた、という事で。



写真は1945年1月27日ソ連軍が東プロイセンに侵入してきた時、
全てがドイツ軍に爆破され残った、現在のヴォルフシャンツェの姿。

3-Adolf_Hitler's_Bunker_in_Wolfsschanze.jpg

4-Margot-Wolk-assaggiatrice-Hitler-2.jpg



1940年6月建造中に訪れた際の、幕僚たちに囲まれたヒトラー。

5-1940年6月、建造中のヴォルフスシャンツェ.jpg


8平米の広大な土地に、約40棟に及ぶ施設があり、6~8m厚さの
鉄筋コンクリートのブンカ―が大7棟、小40棟あり、全てトンネルで連絡し、
隠された鉄道引き込み線、駅、航空機発着場も2か所。



この大本営で「ヴァルキューレ作戦」と呼ばれるクラウス・フォン・
シュタウフェンベルク大佐による、
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件が起こった事でも有名ですね。
これは確か、トム・クルイーズ主演の映画があったので、ご存知の方も多いかと。

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既に世界を相手に闘い初めて3年、スターリンやチャーチルのライバルたちは
徐々に地盤を築き、最初は不可能と思われていた勝利を収め始めており、

上部に対し不寛容の兆候を示し始めた多くの階層と部下達、また彼への
多分SS関係からと思われる直接攻撃も生まれ始め、

おまけにこの「オオカミの巣」がある針葉樹林の森の中はいつも薄暗く、
ヒトラーの精神状態も不安定になり始め、夜も眠れなくなり始めたと言い、

彼は内部陰謀者の存在を恐れ始め、

マルゴット達が毒見役に選ばれた1942年当時、既に「総督が毒を盛られるかも」
という秘かな声が囁かれており、

大変危険な仕事である事は察せられても、彼女たちの状態では断れない、
という事ですね。


彼女たちの日常はどの様であったか、と言うと、

マルゴットは毎日SS・ナチ親衛隊に姑の家に迎えに来られ、近くの兵舎に
連れていかれ、総督用にコック達が料理した特別料理を
11時から12時まで、味見をしたと。

部屋に入ると、大きな木のテーブルがあり、各自がお皿いっぱいに盛られた
料理を食べる様にと。

最初に記したように、料理は大変美味しく、野菜、ソース、パスタ類、そして
外来種の果物などで、ヒットラーは菜食主義者だったので、肉は無し。

が、緊張と恐れですすり泣く声も聞かれ、幾ら料理が美味しくとも楽しめず、
最後を食べ終わると、安堵と喜びで再びの泣き声が洩れたそう・・。

こういうのを読むだけで彼女たちの気持ちが察せられ、こちらも辛くなりますね。

そして味見が終わって後1時間留め置かれ、完全に安全な料理であると
見極められてから、SSによって総督の下に運ばれたのだそう。


で、shinkaiが考えたのは、朝食はともかく、ここに出て來るのは昼食ですよね?
夕食はどうしたのか、と思われません?

昼食のみの味見だったとは思われず、多分インタヴューに応えた、唯1人の生き残り
だったマルゴットおよび数人が昼食係、そして他は夕食係だったとも思えますし、
案外朝食も味見があったかもで、
そうすると5人ずつに分かれて受け持っていたのかも、と考えられますね。



そして1944年7月20日の、ヒトラーの時限爆弾による暗殺計画が挫折した後は、
一層警備が厳重になり、15人の味見係は家に戻る事が出来なくなり、
近くの空の学校の建物に寝泊まりさせられるようになり、
毎日朝8時にSSが窓の外から、「マルゴット、起きろ!」と声をかけに来たそう。

ヒトラーを実際に見た事が無かったものの、その時点で、本営に総督がいるかどうか、
が分かったそうで、

ほとんど毎日ヒトラーの愛犬のジャーマン・シェパードを見たり、良く彼女たちの
建物の外で遊んでいるのも見たと。


ソビエト兵の侵入も迫り、「オオカミの巣」の安全も危うくなるとヒトラーは
ベルリンに戻る事を決め、1944年11月20日引き上げを。

マルゴットは1人の中尉にベルリン行きの列車に乗せられ、首都に戻りますが、
戦争終了後、マルゴットがこの中尉に再会した時に聞いたのは、
他の14人の味見係は皆、侵攻して来たソヴィエト兵に殺戮されたと。


最初に記した通り、15人の毒見係のうちマルゴットのみが生き残った、と読み、
最初は毒見生活の2年半の間に、1人、2人と亡くなったのかと思ったのでしたが、

4つほども読んだ記事で中尉の事を知り、どうやら中尉がマルゴットに好意を寄せ
援ける為に、彼女1人を何とか列車に乗せたのだ、と理解したのでした。


ベルリンで生まれ育った彼女が、遠く離れた夫の生まれ故郷に逃げたのが、
すぐ近くにヒトラーの大本営があった事から毒見係に選ばれ、
が、この中尉のお陰で生きて「オオカミの巣」から出れた、という、

なんとも悲しく凄まじく、大変な人生、運命を背負った人が、それでも何とか
生き抜けられた、という、どこか特別な運を併せ持った人なのでしょうね。



ですがベルリンに戻ったものの、1945年4月23日ソヴィエト兵はベルリン市の
郊外に侵入、包囲戦、凄まじい市街戦の後に、
遂に5月2日ドイツは降伏したのでしたが、

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マルゴットはベルリン戦の後ソヴィエト軍に捉えられ、2週間に渡り凄まじい
暴行を受け、後に子供を持つ事が出来ない体になったそうで、
彼女のみでなく、この時のソヴィエト兵士による婦女暴行の数は10万人を超えたそう。



ヒトラーは4月28日深夜に、長く付き添ったエヴァ・ブラウンと結婚、

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4月30日午後に2人ともに自殺、2人の遺骸は燃やされたと。



1946年、便りが届かず亡くなったと思っていたマルゴットの夫カールが
前線から戻って来たのに巡り合い、
1980年に彼が亡くなる迄、幸せに暮らす事が出来たそうで、せめてもでした。


マルゴットは戦後決してあの毒見係であった事を語らずでしたが、
それでも夢に中に何度も出て来て、
本当に食事を楽しめる様になるまで、何年もかかったと言い、

そして遂に2012年12月95歳の誕生日、Berliner Zeitungの記者の
質問に答え始めた時、初めて彼女の人生に起こった事を語ったのでした。

最初の写真をもう一度。 下の若い写真は、ちょうど毒見係を
していた頃の物と。

9-img - Copia.jpg


マルゴットの地獄にも似た経験は「オオカミのテーブル」、または「毒見係」
としてロゼッラ・ポストリーノ・Rosella Postorinoによって著され、
2018年のイタリアの文学賞「カンピエッロ賞」を受賞しています。

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ヒトラーが引き起こした戦争は世界中を巻き込み、なんとも表現できない
大きな苦しみをどちらの側にも齎しましたが、

こうして長い年月の後に漸くに語る人びとの話は、やはり忘れてはならない
人間全体の歴史で厳粛に受け止め、未来にも語り継ぐべき話と思いご案内を。


*****

お陰様で4月9日に受けた右目の白内障再発のレーザ手術は上手く行き、
なんと何年ぶりかと思う程に、はっきり見える目、メガネ3組が必要ですが、
本当に嬉しく、感謝なのです!

が、これで、目が良くないため、お絵描きが、という口実が使えなくなり、
はぁ、これがちょっぴり残った心配の種、へへ、ですが、頑張りま~す。


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この記事へのコメント

  • Yuko

    この記事を興味深く拝読しました。
    表に出ていない犠牲者がまだまだいるのですね。
    つい2~3日前にも日本の「戦時中の生体実験」を実際に見た方が96歳で亡くなられたというのを見ました。
    戦争という悲惨なことが今でも世界のあちこちで起きていることが悲しいです!
    愚かな少数の人のために何万もの人が犠牲になる世がいつまで続くのでしょうか。
    弱肉強食は言語を持たない動物だけの世界になってほしいです。

    コネリアノの美しい自然がまた見たいです。
    お元気でお過ごしください。
    2021年04月17日 11:39
  • shinkai

    ★Yukoさん、こんにちは! お元気の様子、何よりです。 コメント有難うございました。

    そうですね、近年あれこれ第2次大戦下でのエピソードがあれこれ出て出版されたり、映画になったり、少しばかり「もう話しても大丈夫かも」という時代の空気が感じられての反応かも、と思います。

    大国の間での戦争は今の所ありませんが、小さい、貧しい国での戦争が頻発、それも酷い状態で、終わりません。

    2,3日前に米のバイデン大統領がアフガニスタンから撤兵すると発表し、続いてイタリアも撤兵の発表がありました。
    きっと今のこのコロナで内国問題が大変なのも関係しているのだろうと思いますが、
    かと言って、撤兵したらあの国が良くなるのかなぁ、と思った事でした。
    難しいですね。

    はい、春の良いお天気になって来てますが、またイタリア、日本を自由に行き来出来るようになるのはいつの事でしょうね?!

    Yuko さんもどうぞお元気で、コロナには十分自衛して下さいね!
    2021年04月18日 04:23