・ ヴェネツィア  人殺しの橋  そして民間伝説

先回は、大運河に面する美しい館カ・ダーリオ邸の、その裏に潜む
様々な暗い歴史についてお話しましたが、

今回は続いて、はは、「人殺しの橋・ポンテ・デイ・アッサッシーニ」のお話を。

がこの名の橋は既になく、残念、いやなに、無くて良かったですねぇ、へへ、

人殺し通り・リオ・テラ・デイ・アッサッシーニ・Rio Terrà dei Assassini」
という小路の名が残っています。

1-rio terà dei assassini-2.jpg

内容はタイトルに比し、まるで怖かったりしませんので、ご心配なく!!



場所はどこかと言いますと、リアルト橋とサン・マルコ広場のちょうど中間位で、

2-ponte dei assassini.jpg

リアルト橋から南西、アッカデミア美術館の方に向かって歩くと、
カンポ・マニン広場・Campo Maninに出て、広場の中程から南に小路を入ると、
有名なコンタリーニ邸のボーヴォロ階段・カタツムリ状の階段があり、



コルテジーア橋・Cortesiaを渡り、まっすぐ行くと、アンゾロ広場(アンジェロ広場)
に出る小路がいわば大通りですが、

今日ご案内の「人殺し通り・リオ・テッラ・デイ・アッサーシーニ」はその1本南を
通る小路ですね。

3-1-map.jpg


「リオ・テラ・Rio Terrà・・」というのは、かって小運河があったのが
埋められて出来た小路を指しますので、

地図を見ながら考えると、多分北に向かって続き、大運河からの小運河に
繋がっていたのだと思います。

n.1 ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段  
http://www.italiashiho.site/archives/20170514-1.html

n.2 ヴェネツィアの新名所 ・ コンタリーニ・デル・ボーヴォロ の階段 
http://www.italiashiho.site/archives/20170515-1.html

アンジェロ広場は n.1 ヴェーラ・ダ・ポッツォ ・ ヴェネツィアの井戸
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472981530.html

「アンジェロ広場」と書いておりますが、イタリア語だと「カンポ・サンタンジェロ」
広場は他の街と違い「カンポ・原っぱ、または畑」を使い、
ヴェネツィアで「ピアッツァ」と呼ばれるのは、「サン・マルコ広場」のみです。


今日の記事の参考にしたのは、
殺人者の橋:ヴェネツィア人に長い髭を禁止する元になった場所
Ponte dei Assassini: il luogo che ha impedito ai veneziani di portare la barba lunga


で、本日主題の「人殺しの橋・ポンテ・デイ・アッサッシーニ」ですが、
単数だと「アッサッシーノ」が、「アッサッシーニ」と敢えて複数形で残るのは、
かっては大変に多くの殺人事件が起こった橋なのだそうで!

というのも、街でもここは大変に暗い場所、そして逃げる場所がなく、
一方殺人者にとっては、証人になる人間に見られたり、誰かと確認される事なく
殺す事が出来る! そんな暗黒の橋だったそう。

はい、現在はこんな風に街灯、照明がちゃんとあり、多少暗いながらも大丈夫、
安全な街になっていますが、これで照明が無かったら、という夜の暗さでしょう?!

3-2-A-Venezia-Un-Dicembre-.jpg



で、1128年35代のドージェ、ドメニコ・ミキエル・Domenico Michielの時に、
「ヴェネツィア人は「ギリシャ人風の」髭、または長くみっしりの髭にするなかれ」
というお触れが出されます。

つまり、当時のならず者達は「ギリシャ風」の濃くて長い髭を蓄え、つまり人相が
明らかにならない様な髭を蓄えていたからでもあり、

こんな感じかな?  モデルのシニョーレ、写真拝借失礼を!

3-3-barba-fashion.jpg


ギリシャ風のつけ髭をして犯行に及ぶと、例え捕まったとしてもつけ髭を取れば
言い逃れが出来る訳で!

で、昼も夜も「ギリシャ風髭」はダメというお触れが出され、それに違反すると
「絞首刑」にと。

ドージェ、ミキエルはもう1つ、暗く、余り安全でない橋のある場所の近くには、
夜中蝋燭を灯しておくように、

その近くには、聖人画像を掲げる場所も作り、暗殺者達が自分のしようとする
行動と罪についてもう一度考える様に、という事もしたのですね。

これは市内で最初の公共照明の例の1つですが、元々は殺人者達のお陰と
言うのかなんというか・・、なんですと。


長く濃い髭はダメ、というお触れは、ドージェ、ミキエルもお触れの2年後に
亡くなり、結局余り長く続かず、うやむやになった様ですね。

そしてこの「殺人者の橋」が実際どこにあったのかが確認できませんが、

元の小運河は1971年迄通っており、埋められたのだそうで、
そう遠い昔ではありませんね。



現在の「殺人者通り」はこんな様子で、細い小路が続きますが、

4-25981300648_1040eafeb0_b.jpg

5-Rioteradeiassassini_SANMARCO_03.jpg



「オステリーア・アイ・アッサッシーニ・殺人者食堂」なるレストランもあり、
中の写真もありましたが、かなり広く良さそう、美味しいものが食べれそうで!

6-osteria-ai-assassini.jpg



ほら、突き当りは運河ですね。

7-Rioteradeiassassini_SANMARCO_15.jpg



で、道突き当りから見る、カンポ・マニンからのコルテジーア橋の眺め。

8-Rioteradeiassassini_SANMARCO_20.jpg



グーグルのストリート・ヴューで位置を確認していて、あれ?と気が付いたのは、

橋の上からの眺めは、以前描いた「運河を渡る陽」の風景で、
https://italiashinkai.seesaa.net/category/26672310-2.html

絵の左側背景に描いた建物は、上の通りの突き当りの建物で、あれま!

次回ヴェネツィアに行った時は、「アッサッシーノ通り」に行って見なくては!



で、あれこれ写真を拝借のサイトに、
http://www.veneziatiamo.eu/Rioteradeiassassini_SANMARCO.html

殺人者通り・カッレ・デイ・アッサッシーニ」という記事があり、
見ると、上の地図のご案内に、カンポ・マニンから道なりに西に進むと
アンゾロ広場があるという、そのサンタンジェロ広場のすぐ近くで、はは、

いやぁ、こちらは本当に幅の狭い小路で・・、逃げ場がありませんねぇ!

9-Calledeiassassini_SANMARCO_03.jpg

10-Calledeiassassini_SANMARCO_01.jpg



で、「殺人者の橋」で検索していて引っ掛かったのがこの写真で、

11-fornaretto_di_venezia_scena_4b2dd.jpg

映画の1シーン、タイトルは「ヴェネツィアのパン職人・フォルナレット・ディ・
ヴェネツィア・Fornaretto di Venezia」という、
ヴェネツィアの民間伝承として有名なお話。



何度も映画化されており、これは多分無声映画時代の物から、

12-Fornaretto_di_Venezia_1923.jpg



懐かしいミッシェル・モルガン(お若い方はご存じないかも)出演の
フランス映画やら、

13-LE_PROCES_DES_DOGES_poster.jpg



若いジャック・ぺランが主人公の映画も。

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15-l400.jpg



お話は、1507年パン職人ピエロ・ファシォール・Piero Dasiolが朝
勤めの店に行く途中、「人殺しの橋」の近くで、小刀の銀の鞘を見つけ、
婚約者への贈り物としようとするも、婚約者は断り、誰かが落としたのを
探しているかも、というので、戻ると、

そこに貴族の、小刀で刺された遺骸があり、ピエロはやって来た警備隊に捕われ、
ドゥカーレ宮に連行。 無実だと抗議するものの、監獄に収監。

遂には殺人罪で死刑の判決を受け、斬首されますが、じきに真犯人が捕まり、
無罪の若者に死の判決を下した政府の裁判官たちは、大いに後悔を・・。


各映画により、様々なヴァリエーションがあると思いますが、shinkaiも昔1度
TVで見た事があり、 細かい筋はともかく、法廷場面で使われた背景が
パドヴァのラジョーネ宮の、あの密なフレスコ画の壁であったのが記憶に強く。

ですがこの事件は、1507年という年代にも、その前後にもまるで歴史上の
記録に無く、ヴェネツィアの年代記で名高いマリン・サヌード・Marin Sanudoの
日記(1496~153年)にも、当時は大変な評判を呼んだであろう事件の記載が
無いのだそうで。

なので、19世紀中頃に「パン職人。歴史のドラマ」を表した
フランチェスコ・ダッロンガロ・Francesco Dall'Ongaroが、歴史古文書を基に、
というのも怪しく、

様々な民間口承伝説を混ぜ合わせ、それに有名な「人殺しの橋」を
組み合わせた物ではないか、というサイト記事もありました。

ヴェネツィアには400もの橋があり、「拳骨橋」や「悪魔橋」等々様々に
名付けられた橋があり、ネーミングの良さについ観光客は惹きつけられますが、

作家の中にもその上を行く凄腕があると見え、幾つもの実際事件が起きた橋も
逆に作家宣伝に、そしてヴェネツィアの民間伝承にも花を添えたのかも、ですね。

パドヴァのラジョーネ宮  n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html



左の写真に見える、カッレ・デッラ・・マドネッタ・Calle della Madonnettaに
接しているこちら側が、
サン・タンジェロ広場のカッレ・デイ・アッサッシーニ・人殺し通り。

16-scollage nizioletti-2.jpg

すぐ近くに位置する「人殺し」関係の通りの名を並べ、驚かせ、喜んで
にやにやのヴェネツィア人の顔が見えそうでしょう?! ははは。


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