・ カトリーヌ・ド・メディシスが、フランスお輿入れに持ちこんだお菓子は

遂に12月となりましたが、世界中がまたまた昨年同様ワサワサと
する年末となりました。
今年のクリスマスは何とかすんなりと、という皆の気持ちもあっという間に
ひっくり返された状況ですが、
でもね、落ち着いて、自衛の姿勢を崩さずに乗り越えたいと思っています!

という事で、今回のご案内は少しでも楽しく、と「お菓子と、料理」。
それも16世紀にフィレンツェのメディチ家からフランス王家にお輿入れの
カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)が持ち込んだものと。

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後の国王アンリ2世となるオルレアン公と結婚したのが、2人とも14歳の時。
そして40歳の時にアンリ2世は騎馬試合での大事故により死亡したものの、
69歳で亡くなるまでを王妃、そして国王母としての55年に渡るフランス生活。

結婚後10年以上子供に恵まれず、でしたが、その後は次々と10人を出産!
で、国王になった息子が3人、という、大いにフランス王家に尽くした彼女。

が息子の国王達も余り長生せず、国内では新教徒との長い闘争期もあり、
波乱万丈の彼女の人生でしたが、


イタリアから持ち込んだ物はフォーク、テーブル・マナー、料理、そしてお菓子!
として有名で、とりわけお菓子類となると即彼女の名が出る程!


そしてまたこんなのも持ち込んだと、こちらで。
カトリーヌ・ド・メディシス  フランスへの香水貢献とちょっぴりの暗黒面と


で今回のご案内は、明るい美味しい面の、料理とお菓子についてを。

参考にした記事は
カテリーナ・デ・メディチとお菓子への自由奔放な情熱:真実のお話

Caterina de’ Medici e la pasticceria francese 

カトリーヌはフランス宮廷の料理人に完全には満足せず、イタリア人料理人を
強く望み、そしてこれが結果的にフランスとイタリア料理の融合ともなり、
新しい、素晴らしい発展を遂げた事になるのですが、


まず1533年オルレアン公との結婚式の宴に用意され、現在では世界中に
広まり、フランスのお菓子として現在に至っているマカロン・macarons!

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shinkaiも完全に、マカロンはフランスのお菓子、と思っていましたが・・。
美味しいですよねぇ!

マカロンは元は多分16世紀にヴェネツィアで始まり、フィレンツェを通り
パリに到着、という経過になるのであろうと。



フランス宮廷にお輿入れした将来の王妃、とは言え、夫には20歳年上の、
始めは家庭教師でもあった、大変に美しく賢く、信頼も厚い、という
ご愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエ・Diane de Poitiersがおり、

おまけに結婚式で初めて顔を合わせた2人。 アンリは明らかにハンサムで、
彼女の外見に非常に失望し、気の毒にねぇ、そしてフランスの民衆一般は
王家の出身ではない、血統、身分の低い外国人と見なしたと。


そんなこんなもあり、結婚後10年も妊娠しなかったカトリーヌですが、
賢い彼女は気力を失わず、当時一般に信じられていた様に、宮廷医師が
妊娠を援ける筈の食品を摂取する食事療法を勧めた時、

イタリアから連れて来た料理人、パティシェ、菓子職人達にそれを伝え、
彼らの仕事が成功したのかどうかは分からずとも、
まぁ、お菓子に使う食材はカロリーの多いものが多いですしね、

一旦生まれ始めると、10年間に12人(双子も1組、1年間に2人もあり!)
という多産を実証、王妃存在の確立を。


そして、ソルベット・sorbetto. 現在のシャーベットの元となった冷たく
香りのよい氷、で、

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ジェラート・gelato、も同様に、砂糖と香りの氷水で、フィレンツェの鶏売り
ルッジェーリ・Ruggeriが発明したものと言われ、

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「凍ったお菓子」をテーマにフィレンツェで催された大会で優勝したのだそうで、
これらもフランス宮廷でデヴュー!


カテリーナはずっと抵抗する彼をフランス宮廷に留める事を望み、兵士に
強制的にパリに連れてこさせたものの、

フランスにうんざりした彼は秘密にしていたレシピを、メッセージと共に
カテリーナに届け、
「あなたの許可を得て、自分は私の鶏のもとに戻ります。 私のジェラートを
味わうだけで人々が満足し、私の事を忘れ、ほって置いてくれる事を望みます」と。

このお話、なかなか良いでしょう?! 宮廷、それもフランス宮廷も、名誉も、
彼にとっては何ほどの事もなかった訳で、ははは。



そしてザバイオーネ・zabaioneも、

6-zabaione_GF.jpg

確かスタンダールの「パルムの僧院」の中に、訪問先のお家で、パドヴァの
カフェ・ペドロッキ・Pedrocchiからザバイオーネを届けさせ、もてなしを、
という一節をよく覚えていますが。



カスタード・クリーム、こちらではクレーマ・パスティッチェリーア・
crema pasticcera!

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そして、シュー皮・pasta choux. カテリーナが連れて行ったパティシェの
パンタネッリ・Pantanelliが発明したそう。

7-pasta-choux-bimby_GF.jpg

フランス語で「シュー」というと芽キャベツを示し、出来た形がよく似ている、
という事からの命名だそうですが、

カスタード・クリーム、そしてシュー皮となると、シュー・クリームが即
どうゆう経過でできたか、分かりますよねぇ。

フランス人にシュー皮はとても愛され、エクレアはフランス人が作ったものと。



こういったデザートのみでなく、カテリーナが連れて行ったフランス宮廷の
イタリア人シェフや料理人にカテリーナは自分の好きなレシピを作らせ、
一般的に広まったフィレンツェ料理もあるそうで、

彼女はカルチョッフィ・アーティチョークの料理が大好きだったそうで、 
この丸い形はロマーナと呼ばれるもので、細長く尖った形の物も。

8-raccolto-carciofi_GF.jpg



左上はグリル、右上はマリネ、下が揚げ物。 どれもが美味しいのですよぉ!!

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肉汁

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クレープにホワイト・ソース。 野菜をクレープで巻き、ホワイト・ソース
をかけフォルノで焼いたもので、上品で美味しい一皿。

11-crespelle-al-forno-2_GF.jpg



玉ねぎのスープ。 写真は所謂オニオン・グラタン式ですが、イタリアではもっと
単純に、玉ねぎをさっと炒め、スープにした形もあり、美味しいですよぉ。

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カリフラワーのパスタ。 

13-pasta-e-cavoli_GF.jpg

記事にはpasta con il cavoloとあり、カーボロとはキャベツの事で、
開花したキャベツ・cavoli fioriがカリフラワーなので、ブロッコリではないと。



そして、魚の卵! これがちょっとした驚きの発見で、これです。

14-DSC_0801ok2ghok2_GF.jpg

分かります? pesce d’uovo・シチリア風のオムレツ。 中身はハムと
プローヴォラ・provolaという水牛のミルクから作ったチーズを、
溶いた卵で巻いたもの。
簡単に作れ、夕食用にも美味しく、時間の無い時に助かるレシピと。


でもなぜ、これが「魚の卵」という名? と考えながら写真を眺めていて、
ああ、そうなんだ、魚のお腹の中の卵、いわゆる「子持ち」に似ているからだ、と!
多分、これが命名の由来でしょう。

興味深かったのと、簡単に作れそうなので、今回の「絵ブログ」にレシピを
載せますね。 お試しを!



これはお砂糖のペーストを作り、そして花の形を作り出すもので、
カテリーナがこうしたお花を食卓に飾り、陶器を使い、フォークを使う
テーブル・マナーをフランスに伝えた、という訳ですね。

15-SH_cupcake_pasta_di_zucchero_GF.jpg



と言う様な、16世紀にイタリアはフィレンツェから、シェフや料理人、パティシェを
引き連れてフランス王に嫁いだメディチ家のお姫様が、

当時は未だ手で食べていたフランス貴族たちにフォークを教え、美味しいお菓子を、
料理を味合わせ、後々にまで残り、世界中に広がって行った元となった、
というお話でした。

16-Caterina-de-Medici-_GF.jpg



ですがね、こうしてレシピ名を見ると、当時はお姫様、そして貴族たちのみが
口にしていた料理なのでしょうが、

今となるとレストランのメニューにも乗らないような、一般家庭で一般庶民が
食べる料理ですよね?

こんなにも我々の口は奢り、もっともっと贅沢な美味も時に、しばしば、いつも、
の方々もおられるでしょうが、ははは、


カテリーナのお蔭で、こうして料理革命、お菓子革命が起こり、彼女の名が
しっかり歴史に残っている、というのも興味深い事ですね。


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この記事へのコメント

  • YUKARI

    新開さんお久しぶりです。
    お元気そうですね♪
    我が家も貧乏暇なしでワタシはシニア枠の働くおばあちゃんになってます。(孫はいないけど)
    オットーは実母の介護で松山とこちらを行ったり来たり、母96歳です。(本人はすっとぼけて、まだ83歳とか言ってるそう)
    来年あたりは行けるようにになるのかな、ヨーロッパ遠いなー。
    フランスとイタリアに行きたいっ!コネリアーノも!
    イタリア料理人はフランスは非衛生で食べ方も汚い田舎もんとか思ってたんでしょうか。
    面白いお話ですね、
    オニオングラタンスープ美味しいですね。
    いつも沢山作って、フリーザーに常備してます。
    寒くなってきましたね、お体、ご自愛くださいませ♪
    2021年12月09日 00:47
  • shinkai

    ★YUKARIさん、こんにちは! お久し振りで~す、コメント有難うございます。

    はい、お陰様で元気でおります。 そちらも皆さんお変わりなく、お元気の様で! これが一番ですねぇ。

    そうなんですよねぇ、なかなかコロナの収まりの目途が付かずで、今年初めまで、でしたっけ、の切符を買ってあると言われてましたけど、ダメだったんでしょう?!

    私も来春3月の東京行きの、隔離3日間の申請を出して貰っているのですが、オミクロンのお蔭で審査がそのまま停止しているそうで、どうなりますか。

    はい、またお出でになられ、コネリアーノにお出での時はお会いいたしましょう。

    ははは、カテリーナの時代は、イタリアの方が文化が高く、フランスはまだ手で食べている時代でしたし、
    好きな食べ物はやはり手慣れたイタリア人のコックの方が美味しく感じたのでしょうね。 
    それにあの当時はやはり「毒」の心配もあったんではないかと思います。

    そう、YUKARIさんは料理がお得意ですから、オニオン・グラタンなどお手の物ですね! 冬にはとりわけ美味しいですものね。

    有難うございます。 ご主人にも、ボクもお元気ですよね、ご結婚されたのかな、宜しくお伝えくださいね。


    2021年12月09日 22:26