クリスマスももうすぐ! で、昨夜はいつもクリスマスに我が家に来る
ジュリアーナから電話で、彼女が何を持ってくるか?の打ち合わせを!
いつも美味しいパネットーネと果物が定番ですが、今年はなんと
ルイーザから彼女に電話があって、24日の夕方にプレゼントを取りに来い、
との事で、中にはきっとワインとスプマンテも入っている事であろう!!
ならば明日午後のshinkaiの買い出しでは飲み物は要らないね、イヒヒ!
てな事で、明日からの忙しさの前に、ブログ更新をまず!で、
はい、クリスマス前という事で、タイトル通り、
フラ・アンジェリコの「受胎告知」についてのあれこれを。
勿論、はい、クリスマスは、キリストさまの受胎告知の日でもない事は
よぉく知っておりますが、
で知った、
フラ・アンジェリコの「サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知」。
これは知らずにいたのと、その美しさにいつか必ず見たいもの、と思いつつ、
で、フラ・アンジェリコは一体何枚の「受胎告知」を描いたのだろう?
それは今どこにある?
という疑問が沸き、調べ始めました。 なかなか正確な数が掴めなかったのが、
ベアート・アンジェリコのすべての「受胎告知」が1分間で
というYoutubeを見つけ! 皆さまも、まず是非ご一見を!
はい、世の中には奇特な方、いや、これはフィレンツェのサン・マルコ博物館の
物ですから、きちんとした! 研究者のヴィデオなのでshinkaiも報われ、はい。
で、この中で紹介されているのが、世界も含め、祭壇画、フレスコ画、
板にテンペラ画、羊皮紙の細密画、などで少なくとも、13枚と。
で、今回はそれをご案内しようと、絵の細部なども集めたのでしたが、
最後にウィキペディア、イタ版の「フラ・アンジェリコの作品」を検索すると、
また少し違った結果が出て、こちらでは15枚!という事に。
多分皆さんも、これだけの数があるとはご存じないでしょうから、
年末一掃展示、という事で、ははは、お忙しい事でしょうが、
一服のご休憩方々、ご覧くださいね。
1枚すべてが「受胎告知」というのではなく、画家にとっても「聖なる場面」は、
様々な画面の中に現れ、
まずはサン・マルコ博物館のヴィデオに従い、
1.サン・ドメニコの細密画 Graduale 558 1425年頃 Museo S.Marco蔵
2. 殉教者サン・ピエトロの祭壇画 1428年 Museo S.Marco蔵
これは祭壇画の上部に、なんと呼ぶ? に描かれたもの
◆追記 シニョレッリさんからコメントにて教えて頂きました。
クスピデ・cuspide と呼ぶそうです。
殉教者サン・ピエトロは、ヴァティカンのサン・ピエトロとは別人の、
ドメニコ会派の殉教された方で、頭に斧、が刺さった、または頭から血を、
がシンボルで描かれ、
祭壇画の中の下に並ぶ、右から2番目の方ですね。
3. フランチェスコ会派の三幅対祭壇画 1420年頃 Museo S.Marco蔵
trittico della certosa del galluzzo
サン・マルコ博物館に収蔵、とありますが、検索しても全体図が見つからず、
遂に執念で見つけた、はは、
元はフィレンツェのヴェッキオ橋から歩いて1時間程、南西にあるガルッツォ・
Galuzzoの、フィレンツェ修道院にあった祭壇画。
現在は中央パネルはサン・マルコ博物館にあり、裾画・プレデッラは散逸し、
あちこちにコレクションされているそう。
4. コルトーナの祭壇画 1436年頃 ディオチェザーノ博物館収蔵
こちらも祭壇画の聖母子脇の聖人たちの上に。
5. ペルージャの祭壇画 1437年 ペルージャの国立絵画館収蔵
脇聖人の上に見える大天使ガブリエレと聖母マリア像が四角なので、
一瞬あれっと思いますが、額により、随分と見栄えも違う事が良く分かりますね。
6. 壁祭壇-聖遺物箱 4つの内、「受胎告知と4博士の礼拝」 1430-1434
Museo S.Marco蔵
これは聖母に関する4連作で、上の作品の他に「聖母被昇天」「星の聖母」が
サン・マルコにあり、「聖母の死」は現在ボストンに。
黄金背景の金を貼っての仕事振りが良く分かる部分を見つけましたので。
フラ・アンジェリコの作品は、最初から色が鮮やかで明るい、という特徴が
あったと言いますが、確かに、明るく軽やかで、金箔、金を使い、
青は高価なラピスラズリも用い、作品としての価値も随分とお高いもので
あったろうと!
当時は金箔や金、そしてラピスラズリ、もちいる絵の具、溶剤もすべて計算し、
注文主と画代を決めたそうで、画家はそれらを使う時には大変注意したと。
フラ・アンジェリコは、ご存じの様に、僧侶アンジェリコ・天使、の意味で、
描く画風からそのように呼ばれたそうですが、
またベアート・アンジェリコ・福者アンジェリコ、とも。 実際没後にはカトリック教会
から「福者」の祝福を受けていますが、
ドメニコ会派に属し、生涯を「聖なる絵」を描くことに捧げた画家(1395-1455)
で、「画家彫刻家偉人伝」を現したヴァザーリもべた褒めの画家でした。
生まれはフィレンツェから北東に、車で約1時間程のヴィッキオ・Vicchioで、
本名はグイド・ディ・ピエトロ、父親の名がピエトロ、と分かる程度で、
地元で徒弟の後、フィレンツェに出てロレンツォ・モナコ、
ゲラルド・スタルニーナの下で修業した様子。
1418年、23歳ですか、この年の記録に、画家グイド・ディ・ピエトロと名が残り、
この年にドメニコ会派に入り、フィエーゾレのサン・ドメニコ修道院で誓願を。
ドメニコ会派の規則によると、いわゆる初心修学者は厳しい修行と禁欲が
課され、最初の年は描くのもダメで、
この後の最初のフラ・アンジェリコの作品は1423年に記録が。
作品群に戻り、
7. 2枚のパネル 米デトロイト・イスティトゥーテ・オブ・アーツ
これはサン・マルコ博物館のヴィデオに出たものの、制作年も分からず。
ですが、素晴らしい天使像の描写アップが見つかりました。!
8. 銀の箪笥・アルマーディオ・デッリ・アルジェンティの1場面 1451-1453
Museo S.Marco蔵
全体は様々な意匠と、場面が描かれている箪笥、というのか、アルマーディオ
という元の言葉自体が「武器収蔵」から来ていると思われ、
現在残っている以外に、かなりの場面が失われたものと。
注文主はピエロ・ディ・コジモ・デメディチ・Piero di Cosimo de'Medici
(1416-1469) ゴットーゾ・痛風病みピエロ、と呼ばれた、
「偉大なロレンツォ」の父親。
サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂、同名の広場にあり、向かい側には
捨て子養育院がある場所ですね。
箪笥は聖堂に奉納されたもので、聖堂礼拝堂と修道院図書館との間に
ピエロは家族の礼拝堂を造る大きなプロジェクトの一部だったそう。
フラ・アンジェリコの工房に依頼されたもので、彼自身が描いた部分、
デザインをしたのであろう部分などがあり、
最後の支払いは1453年の記録があるそう。
フラ・アンジェリコは1455年にローマで亡くなっておりますが、1461年に
「武器庫の絵を教える」という名目で、ピエトロ・デル・マッサイオという画家に
支払いがされており、当時まだすべて出来上がっていなかったか、
途中で場所を移したか、など、いろいろ考えられますね。
さてここから、フラ・アンジェリコの「受胎告知」の最高3作が続き、
9. マドリッド、プラド博物館の「受胎告知」 1433-35年
お告げを受ける聖母の顔色がとても青白く、気になる程ですが、
室内の天井の星の装飾も美しく、
庭園の草花の描写が大変に美しく華やか。
左側に描かれている楽園追放のアダムとエヴァの姿は、3作の内では一番大きく
描かれています。
こうして全体を見ていて、初めて室内の床の色模様が、天使の衣に対応して
いるのかなぁ、と気が付いた次第です。
10. コルトナのディオチェザーノ博物館蔵 「受胎告知」 1430年
3大作の「受胎告知」の内でこの作品のみに、大天使ガブリエルとマリーアの
間に言葉が交わされており、上と下の言葉が天使がマリアにかけており、
真ん中のマリーアが答えている言葉は逆さまに、つまり天の神に答えている形に。
天使の羽、翼も光り輝き、マリーアに向ける目もしっかりと見つめ、
指は天とマリーアを指していて、雄弁に。
庭の草花の典雅さ!
コルトナでこの作品の前で、美しさと仕事の見事さに見惚れた事を思い出します。
11. サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのサンタ・マリーア・デッレ・
グラツィエ博物館蔵の「受胎告知」 1430-32年
マリーアと天使の関係も、穏やかな中にも強い緊張感が漂いますが、
とりわけ、このマリーアのつぶらな瞳! しっかり天使の言葉を受け止め、
受け入れている表情に見えますね。
12. サン・マルコ教会内 部屋3番 の「受胎告知」 1438-1440
現在のサン・マルコ博物館は、かってはドメニコ会派の修道院であり、
各僧の私室があり、その部屋部屋にフラ・アンジェリコがフレスコ画で描いており、
質素な部屋の素晴らしい装飾となっていて、
背後にいるのは、殉教者サン・ピエトロ。
13. サン・マルコ修道院 北廊下の「受胎告知」 1440年頃
この廊下に描かれた「受胎告知」を初めて見た1984年、だったと。
この場所は階段を上がってすぐ前の壁、
つまり階段下から正面に見える場所で、
修復が済んでまだすぐの事だったと聞きましたが、色も鮮明で、
すっきりとした構図の中にゆったりと広がる全体が素晴らしい印象でした。
テンペラ画と違い、金箔も、金も使っていませんが、「受胎告知」の主題に
一番合った素晴らしい表現なのかも、と。
という所で、サン・マルコ博物館のヴィデオにあった「受胎告知の
13作は終わりですが、
ウィキペディアのイタ版にはもう2つあり、
14. ドイツ、ドレスデンのGemäldegalerie Alte Meister・オールドマスターズ
ピクチャーギャラリー、 「受胎告知」1435年頃 27,5x44cm
同時代の作品と比べ、構図も印象も違い、本当にフラ・アンジェリコの作品?
と思うのですが、一応そうなっている様子で。
15. ドイツのHildesheim ディオチェザーノ博物館「受胎告知」1450年
と出たのですが、
フラ・アンジェリコの絵は見つからず、博物館のみが! ご勘弁を。
◆追記 こちらはクリスさんが、コメントにて博物館のサイトを教えて下さり、
そこに雰囲気が如何にもアンジェリコな、フィエーゾレの祭壇画、と呼ばれる
作品があるのも見つかりました。
こちらです。
数年ぶりに再展示されたそうで、天使も素晴らしく、全体がアンジェリコの
雰囲気を持っていると思うものの、マリア様の顔がちょっと気になりますが・・。
シニョレッリさん、クリスさん、いつも教えて頂き、本当に有難うございます!!
と言うような、フラ・アンジェリコが画業40年程の間に、
心を込めて描いたと思われる15点ほどの「受胎告知」の作品の数々で、
作品のテーマと、彼の思いが重なる部分が多いのかも、と。
やはりテンペラの3点と、サン・マルコ博物館のフレスコ画が本当に素晴らしく、
マドリッドのプラド博物館は遠くとも、フィレンツェには改めて見に行きたいもの!
フラ・アンジェリコの肖像は、ルーカ・シニョレッリがオルヴィエートの
大聖堂の壁画に残した彼自身(左)との肖像が有名の様ですが、
シニョレッリが1505年に描き、ルーカ・シニョレッリは1441-45生まれ
1523年没の生涯で、フラ・アンジェリコは1395-1455年と、
シニョレッリとは10年ほどしか重なっておらずですが、
オルヴィエートの壁画の仕事をどちらもしているので、アンジェリコの
作品を見て感銘を受けたのかも、と推測し、大変興味深く思った事でした。
◆追記 こちらもシニョレッリさんからコメントで教えて頂きました。
1447年、フラ・アンジェリコと、ベノッツォ・ゴッツォーリが請け負い、
描き始めた所で教皇ニッコロ5世から、ローマの仕事の請求で
オルヴィエートを離れ、描きかけのヴォールトはそのままになり、
それを1499年になり、ルーカ・シニョレッリが描きさしを補筆する事から
完成させた、という経過でした。
shinkaiもオルヴィエートのこの礼拝堂を見たのをブログに書いており、
その引き継いだ様子なども書いておりますので、どうぞ。
オルヴィエートの煌き、 大聖堂
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471737591.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471737591.html
一方こちらは、サン・マルコ教会(フィレンツェ)の祭壇画、と
呼ばれるもので、近年修復されたとか、
この中に右側に並ぶ3人のドメニコ会派の僧侶の一番奥、こちら向きが、
フラ・アンジェリコの自画像ではないか、と言われているそうです。
彼の作品に登場する丸顔で、ほぅ~とした様な目で、白百合を持ち・・。
シニョレッリの描いたアンジェリコは、バリバリと力強い絵を描きそうで、はは、
こちらは、如何にも彼の作品に相応しい顔に思えるのはshinkaiだけ?
と言う事で、クリスマス前にあれこれフラ・アンジェリコの作品に触れ直し、
改めて、かっては可愛いなぁと、あまりピンと来なかった彼の作品ですが、
漸くに彼の精神の強さにも触れた思いがした事でした。
ではでは、皆さま、良いクリスマスをお迎え下さ~~い!!
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それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント
シニョレッリ
>これは祭壇画の上部に、なんと呼ぶ?
多翼祭壇画の頭頂部のパネルなどは、通常クスピデ cuspideと呼ばれているようです。
「殉教者サン・ピエトロの祭壇画 1428年」の「受胎告知」も、クスピデに描かれた受胎告知とすれば通じると思います。
オルヴィエート大聖堂のサン・ブリツィオ礼拝堂のフレスコ画は、1447年からベアート・アンジェリコとベノッツォ・ゴッツォーリなどの弟子によって、ヴォールトのフレスコ画から開始されましたが、「審判者キリスト」と「預言者たち」の二場面を描いている途中に、教皇ニッコロ5世から「直ちにローマに来てニッコリ―ネ礼拝堂の装飾に従事せよ」との命を受けたので、ベアート・アンジェリコと弟子たちはローマに立ち去りました。
途中で放棄されたサン・ブリツィオ礼拝堂装飾は、それから42年後の1489年にペルジーノに依頼されました(制作契約書が残されている)が、何故かペルジーノは製作に着手しませんでした。
1499年、今度はシニョレッリに依頼され、シニョレッリによって、ベアート・アンジェリコと弟子たちが手懸けた二場面(未完成でした)の補筆・完成から始められたのです。
その様な経緯があったために、シニョレッリは、サン・ブリツィオ礼拝堂の「アンティクリストの説教」の左端にベアート・アンジェリコの肖像画と自画像を描いたとされてます。
クリス
https://www.dommuseum-hildesheim.de/de/content/stern-%C3%BCber-bethlehem
記載のあるディオチェザーノ博物館はおそらくイタリア語で調べられたと思いますが、こういうときは原語でないと。ディオチェザーノは日本語だと司教区博物館と訳すと思いますが、ドイツ語で表記がドーム博物館なっていますのでまず見つからないでしょう。ヒルデスハイムの大聖堂はザクセン朝の由緒ある大聖堂ですがその美術品のひとつにあるようです。フェゾーレの祭壇と下に表示のある画像がそれですが、アンジェルコの作品を思われるとあり、やはり断定はしていませんね。
ドレスデンの物と比べるとこちらの方がそれらしい雰囲気はありますが、画像が小さいので細部を伺う事は難しい。
という事でよろしく。
では、Buon Natale! Shinkaiさん
shinkai
そうでした、クスピデ、でした。 へへ、この頃はすぐ忘れてしまい、横着でちゃんと探すこともせずで・・!
はい、オルヴィエートのサン・ブリツィオ礼拝堂を見た事をブログに書いているのを思い出し、読みましたら、ルーカ・シニョレッリが引き継ぎ、その場面はどこ、というのも書いておりました。
有難うございます!
はい、今回探した資料の中にも、1447年の夏にオルヴィエートで、ベノッツォ・ゴッツォーリと一緒に働いたことが書いてあり、
なので仰る通り、アンジェリコ達の描き残し部分の補筆から、という事があり、シニョレッリが2人並べての肖像画を残した、というのも、納得です!
あの肖像のアンジェリコの顔は、ハリウッド映画のヴィクター・マチュアに似ているなぁ、と即思った私めでしたぁ。
shinkai
そうなんです、ディチェザーノ? イタリア語やん、と思ったものの、ドイツ語を調べに行かず、出ていたまま検索したのでした、横着で。
はい、小さな画像が見つかりました、有難うございます!! これは雰囲気がありますねぇ。
天使は美しい雰囲気が十分で、ただマリア様の顔がちょっと気になりますが。
天使の翼も切られたのでしょうか? 2人の姿に比して、横幅が少し狭い気もするのですが。
なんでこんな小さい画像を載せるんでしょう? 他のは皆大きいのにぃ。
横の説明を翻訳して読みましたら、暫くぶりに再展示されたフィエーゾレの祭壇画であり、画家としてベアート・アンジェリコの名が挙がる、と言うような事でした。
額装の下部分の色が少しドイツっぽい感じ、というのは勝手に渋すぎるブルーグレイ色、と思ったり・・。
でも、もう一つのドイツにある作品というのよりはずっと良い作品ですねぇ。
はぁい、有難うございました。
ブオン・ナターレ、クリスさん!!
裕子様にも、ブオン・ナターレを!!