・ オルタ・サン・ジューリオ  春の色、いにしえの香りたっぷりの

先週グループ旅行で訪門したオルタ・サン・ジューリオ、そして
イーゾラ・サン・ジューリオ・サン・ジューリオ島のご案内を。

生憎の曇り空だったのですが、新緑の萌え出す緑色が美しく、
気温も肌寒くはなく、大変素晴らしい旅行となりました。

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所で、ラーゴ・ドルタ・Lago d'Orta・オルタ湖、
オルタ・サン・ジューリオ・Orta San Giulio、
イーゾラ・サン・ジューリオ・Isola San Giulio・サン・ジューリオ島 と
似た言葉が続きますので、ちょっと地図をご覧下さいね。

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オルタ湖はミラノから西のノヴァーラ・Novara市の北35kmに位置し、
ピエモンテ州になります。

オルタ湖は南北に細長く、最長部で13,4kmあり、
サン・ジューリオ島が唯一の島で、
オルタ・サン・ジューリオ市に含まれます。



これがオルタ湖に付き出した、オルタ・サン・ジューリオ市と島の関係で、

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ちょうど赤枠で囲ったオルタ・サン・ジューリオの所に駐車場があり、
そこから皆でせっせと坂道を下り、緑の印の広場、港まで。



で、この道が素晴らしく、湖の眺め、そして咲き乱れる椿、藤、
ツツジの美しさに導かれつつ、

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こんな大樹の散歩道も続き、

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時に湖を行くボートの描く水脈にも惹かれつつ、

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遂に、ああ、あれがサン・ジューリオ島ね、と。

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一番高い建物の屋根の先に見えるサン・ジューリオの像。

ほら東向きになっていますが、これは道を行く時には見えるのですが、
も少し西になる町の中心広場からだと、見えないのですね。



最後、両脇から建物の迫ったこんな少路を行き、

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そして出てくる中心のモッタ広場・Motta.

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正面右に趣ある建物が見えるものの、ちょうどこの日は市の立つ日で、
人の賑わいと、テントなども張り出しており・・。

それでもお昼過ぎには徐々に片づけられ、日頃ののんびりした姿に。



これですが、ブロレット・brolettoとも呼ばれる、1582年に建設の、
かって1階のロッジャは市場に、2階はこの一帯のコムーネの会議室に
使われた建物で、

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南側の壁にも、この様な装飾がされ、

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背後の壁には、窓から覗く女性像がね。

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1階のロッジャ部の背後が小さな広場になっていて、右のアーケードの
下で、shinkaiはお昼を食べたのでした。

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こちらは階段を上り、2階会議室の脇から見た広場北側の建物で、
なかなか良い雰囲気でしょう?

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一番左端に切れて見える隙間は、坂道が上に続き、



この通りで、丸石舗装の緩い階段道で、右中に見えるかっての
コムーネの壁に見えたのは、ミラノのヴィスコンティ家の紋章・
ビショーネ・蛇。

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オルタ一帯は、中世から18世紀半ばまで続いた自治体の行政下にあり、
1311年迄要塞システムもあったのが破壊されたまま、再建されず、
というのも、十分に安全が保てるほどの場所があったからなんだそう。

唯一略奪にあったのが1524年のスフォルツァ家によるもの、とあり、

ヴィスコンティ家最後のビアンカ・マリーアが、フランチェスコ・
スフォルツァと結婚し、スフォルツァ家に移行したのが1447年。

その後70年ほど後の略奪、という事になりますが、まだヴィスコンティの
名が影響を持っていたのでしょうか?


オルタは16世紀から18世紀にかけ繫栄し、地元の錬鉄職人技が
大変発達したのもこの時期だそうで、

そういえば家の門、建物に入り込んでの門には、素晴らしいのが
幾つか見られましたっけ。 


我々は訪問しませんでしたが、16世紀の終わりに、山側にサクロ・モンテ・
Sacro Monteという、巡礼参拝道が建設されており、現在はユネスコの
世界遺産に指定。

ずっと以前のご案内ですが   オルタ湖 ・ Lago d'Orta
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464088022.html



この幅広い坂道が、上の写真で左に切れていた道で、広場の名前のままに
モッタとも呼ばれ、(アルベルトレッティ通り・via Caire Albertoletti)、
一面に丸石舗装が施され、

頂上に見える教会は、オリジナルは15世紀末、現在の姿は18世紀後半に
再建のサンタ・マリーア・アッスンタ。

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この坂道の両脇に並ぶ建物が素晴らしく、いずれも15,6世紀の
建物の様で、上の教会左に見えるのは現在美術展示館と。



この素晴らしい藤を見て下さい!! 古い建物の石畳の間に根を
下ろしつつもこの旺盛な繁殖と美しさ!! 

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後にガイド氏の説明を聞いていましたら、なんと、日本産の藤だそうで!!
という事は、オルタで見たたくさんの見事な藤は、皆日本の藤?!



こちらはその対面、カーザ・デイ・ナーニ・Casa dei Nani、11世紀の物と。

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屋根は石葺きというのか、多分北の国の影響と。
オルタでは屋根のみでなく、壁も石で覆われているのを何度か見ましたよ。



こちらは15~16世紀のパラッツォ・ジェメッリ・Gemelli.

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ガイド氏によると、殆ど個人の持ち物で、町中の建物も含め、
多くの持ち主はヴァカンス期にやって来るのだそう。



坂道の上から見下ろす、湖岸のカフェと、

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向こうにサン・ジューリオ島。 ほんの少しでも、陽が射してくれたらねぇ!

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港には、あちこちに鴨がおり、

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水が本当に綺麗! 透明なのがよく分かるでしょう?!

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長めの休憩時間も過ぎ、いよいよサン・ジューリオ島に渡ります。

今回の旅行はコロナ対策もあり、いつもは50~55人程が35人!
でモーター・ボート1艘で5分もかからず、岸から400m離れた島の
東横で回り、着岸。

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左に見える塀の手前に三角の広場があり、

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そこでこうして座り、ガイド氏のお話をね。

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時々耳を傾けるものの、殆ど自由歩きのカメラ遊びも1人おり、ははは。

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こうして、サン・ジューリオ島の聖堂内の見学に。

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サン・ジューリオなる方は、もう片方の双子の弟サン・ジュリアーノと、
4世紀にギリシャのアテネから約50k離れた小さなエギナ島・Eginaで
生まれたと言い、

異教徒の福音宣教と教会建設を任務として派遣され、ローマに到着。
ローマ近郊から次第に北上しつつ、生涯に100の教会を建設し、
その最後がオルタ湖の現在サン・ジューリオと呼ばれている教会の源で、

弟のサン・ジュリアーノは99番目の教会を、ノヴァーラから南に位置する
ゴッツァーノに建設、そこに彼自身の墓所があります。



サン・ジューリオは島に渡るのに舟が無く、自分のマントを浮かべ、
それに乗って島に渡ったものの、島にはドラゴン・竜と蛇との闘いが
待ち受けており、

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サン・ジューリオは竜、蛇と戦い、現在の聖堂のある場所に教会の
基礎を築いたのだそうで。

何か大掛かりな伝説を聞いている様ですが、100教会の設立はさておき、
最後の99番、100番の教会で行われた発掘調査により、
様々な歴史的要素がある事が実際に確認され、

サン・ジューリオ島では、北向きの単一の後陣を持つ小さな礼拝堂の形を
した5,6世紀の原始的な聖堂の痕跡が明らかになったのだそうで。


現在の聖堂は、初期キリスト教期の東を向いた姿を、ロナネスク期に
拡張したもので、長さ30m、幅18m、翼廊24m.

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中に座ってガイド氏の説明を聞き、写真はダメと言われ、そのまま大人しく
お話の終るのを待っていたので、まるで内部は覚えておらず、

左席の前、上の写真にも見える説教壇の見事さに目を止めておりました!



こちらですが、1110ー1120作とみられるロマネスクの素晴らしいもので、

オイラ・Oira産の特別な蛇紋岩と。

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ああ、これを突き止め、日本語で理解するのにかなりの時間が!

で、オイラなる土地がどこにあるのか、となると、オルタ湖の対岸
斜め北に位置するのも分かり、ははぁ~ん、という追跡の楽しさ!

蛇紋岩なる石は、灰緑色で、その日の明かりにより示唆に富む反射をし、
作者はロンバルディーア派のコマチーニの師匠とドイツ人であろうと。


暗い聖堂内で見ていて、黒い石かと思ったのですが、こうして見ると
確かに濃いグレイですね。

周囲を4福音者のシンボル、雄牛、人間、ライオン、鷲が囲み、
善と悪の戦い図で、グリフォーネ・鷲の頭と翼を持つ、が勝つキリストの
シンボルなのだそう。



最初は木製かと思っていたのが石と分かり、その見事さにこればかり眺め、
最後の最後に1枚だけ、ははは、撮ったのがこちら、で~す。

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そうそう、祭壇の下に1697年に掘られたというクリプタ・地下墳墓があり、
水晶でキラキラする飾られた面を付けた、サン・ジューリオのご遺体が。
こうなると信者でないshinkaiは、早く明るい所に出たいのみ!



聖堂を出て、島の中を巡る少路を辿ります。 鐘楼。

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島の広さですが、長さ275m、幅140m、周囲は650mだそう。



隣にあった古い建物内は、入り口に美しい聖母子のフレスコ画があり、
内部はショップ。

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聖堂の正面側。 サン・ジューリオの像が手を広げて居られるのが
見えるものの、前の空きが無く、上手く撮れず。

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島に住んでいるのは、ベネデッティーノ派の尼僧、終生閉じこもりの
誓いを立てた、クラウズーラ・閉じこもりの、尼僧たち70人程と、
ほんの少しの人々と。

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沈黙・静寂についての様々な言葉があちこちに掛る道を進み、

建物の隙間から、本島側が見えます。

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石で葺かれた屋根。

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こちらは僧院の窓。

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こうしてサン・ジューリオ島を離れ、

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屋根の天辺のサン・ジューリオの姿が漸くに。 左手に持っているのは、
石工の守護神でもある聖人の、石工の道具と。
右手の傍は、鳩かな、いや、太めの雀ちゃんたちをたくさん見たけど。

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オルタ湖の北を眺め。

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モッタ広場に戻り、仲間たちはガイド氏とモッタ通りの坂道を教会迄。
耳にガイド氏の説明がそのまま聞けるのを幸いに、
shinkaiはロッジャの下で一休み。

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港でたむろする、あ、イヤ、ガイドの時間待ちのボートの船員さんたち。

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その後最後にガイド氏が町の少し西迄ご案内を、という事で、
狭い少路を行きます。

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ホラ、この凄いのも、藤でしょう?! 咲くのが遅れているけど日本産?! 

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こちらが現在の市役所で、庭が湖に面し色とりどりのパンジーと、
ここにも見事な藤が咲き誇っておりました。

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ガルダ湖もそうですが、北イタリアにあるにもかかわらず、
大変に気候温暖というか、どこもが花が見事で、
翌日のマッジョーレ湖でも空気が柔らか、というか、温暖で、
ここ一帯が観光ヴァカンス地となるのも、一理あるなぁ、と。

皆さまも、未だの方はミラノにお越しの際には、是非チャンスを作り、
足を延ばして下さいね!!

ミラノからだと車で1時間半、電車だとノヴァーラ経由で
2時間半の距離です。



最後は、サン・ジューリオ島の美しい夜景をどうぞ!。

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この記事へのコメント

  • クリス

    shinkaiさんオルタに行かれたんですね。
    私としてはこれまで見て来たアンボの中でも、このサン・ジューリオの説教壇が一番好きですよ。訪問はもう22年前になるので、内部撮影禁止の貼り紙でがっくりした思い出があります。今でも、もう一度訪ねて写真に収めたい思いを抱いています。邪紋岩の黒い色がとても印象的です。硬い石ですから彫るのに苦労したと思うのですが、綺麗に彫刻されていて素晴らしいです。
    この写真の中に杖を持つ人物がいますが、この像はグリエルモ・ディ・ヴォルピアーノだと言われています。福音史家のマタイではありませんよ。後ろに天使の像がありますから。彼はサン・ジューリオ島で生まれたのですよね。そしてモンサンミッシェル等多くの修道院を建設しました。それも撮影したい欲求のひとつなんです。とてもよい写真を拝見させていただきました。ありがとうございました。
    2022年04月28日 22:22
  • shinkai

    ★クリスさん、こんにちは! コメント有難うございます。

    はい、2年前の計画が実施され、雨になるかどうかという心配したのですが、何とか薄曇り位で済みました。

    ああ、そうですか、説教壇の彫り物として一番お気に入り、でしたか。成程なるほど、本当に素晴らしいなぁ、とこれだけ眺めていました。
    載せた写真は正面くらいしかよく見えないのですが、ちょうど見つけて説明を読んだサイトに、なかなか良い写真が載っていたので、
    多分クリスさんはしっかり集めていらっしゃるでしょうが、ひょっとしてまだ、という事もあるかもで、お送りしますね。

    グリエルモの事も教えて頂いて有難うございます! ちょうどあの島で生まれていて、貴族の出で、僧でもあったのですね。
    教養のある、あの残された作品が端正であるのも分かる様な気がします。

    翌日はマッジョーレ湖の方に出て、ボッローメオ家の富の凄さをさんざんに見て、草臥れて戻りました、ははは。

    頂いて大事に持って帰ったお酒、パスクワに友人が来て飲ませたら、その美味しさに驚いてました! 本当にワインとは違う、柔らかな、まさに日本文化だ、と言っておりました。

    まだ半分あるのですが、1日にまた来るので、その時でお終いになるのではないかと・・!

    有難うございましたぁ!!

    2022年04月29日 01:18